発情期の夜
カエデとの酒盛りの後、カナメもふと眠気がやってきた。
程よい酔いも手伝っていつもより早めの就寝。
自室に戻りベッドに潜り込めば、すぐに心地よい眠りがやってくる。
「ふあ」
あくびが出て目を閉じようとしたそのときだった。
ガチャリ。
ドアが開く音。
「え……」
カエデだった。
「お前、酔いつぶれて寝たんじゃ……」
「すまぬ……」
後ろ手にドアを閉めたカエデは短くそれだけを言った。
胸の主張のはっきりした着流し姿のカエデは、妙に色っぽい表情でカナメを見つめている。
カエデはカナメの寝るベッドのすぐそばまでやってきた。
「すまぬ」
もう一度繰り返すカエデ。
「な、なにを……」
なんとカエデは毛布を跳ね上げてベッドに体を滑り込ませてきた。
「ダメなんじゃ。もう我慢が出来ぬ。すまぬ、許してくれ……」
体を重ねようとするカエデの肩を押さえて、なんとか押しとどめる。
「待て待て。いったいなにがどうしたんだ。説明してくれ。いきなりこんなこと……」
カエデは泣き出しそうに瞳を潤ませていた。顔が赤いのは酒のせいなのだろうか。
「はつ……じょうき……」
「は?」
カエデはカナメの腕に手をかけて、肩を押さえていたそれを外した。そのままカナメに抱き着いて強引に唇を奪った。
「んんんん!?」
口を離したカエデははっはと荒い息を吐いていた。
「発情期なんじゃ。兆候は感じておったが、ついにきよった。すまぬ。付き合ってくれ」
「そんな……」
「いやじゃと言うても聞かぬ。いや、聞けぬ。今日だけじゃ。頼む――」
思いつめた表情で必死に訴えるカエデ。熱に浮かされたようなその顔は息を飲むほど色っぽい。
「お主に断られでもしたら外へ出て人を襲うかもしれん。どうすることもできんのじゃ」
「まさかお前、以前も山を下りて村を襲ったりしてたのか?」
カエデは一瞬キッと眉を寄せて、真剣な顔になった。
「そんなことはしておらぬ。じゃが……まあ、あまり言いたくないようなことをの。たとえば……三日三晩遠吠えをしたり」
「それは困るな。さすがに近所迷惑になる」
「他にも……ううう、言えぬ。これ以上は言えぬ!」
ぶんぶんと首を振るカエデ。
「お願いじゃ……どうか……」
ついにカエデの瞳には涙が浮かんだ。少女らしい澄んだ瞳。濡れてきらめく瞳は宝石のような美しさ。
「お前は可愛いし、俺も男だから嫌というわけじゃないが……でもいいのか? 一時の感情に任せて肌を重ねてしまったら、後で後悔することになるんじゃないのか? 俺はほかの女の子とも付き合っているし、一人を特別扱いする気はないぞ?」
「せぬ! 後悔など、絶対に!」
「なら……来い――」
カナメはカエデを部屋に泊めた。
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カエデとの熱い一夜が明けて、カナメはとある事情により午前の業務を休むことになった。
そして昼。ようやく回復したカナメは重い体を引きずるようにして、<<守護の盾>>の裏庭へと足を運んだ。
裏庭ではカエデとフェリンがお互い訓練用の木刀を構えて対峙していた。
「はああああああっ!!」
木刀で激しく打ちかかるフェリン。
カエデは同じく木刀を使ってフェリンの猛攻をなんなく凌いでいた。
「お、やってるな」
カエデは<<守護の盾>>の一員になってすぐにクエストをこなしたりしていたが、同時にこうしてフェリンに剣の稽古をつけているのだった。
「あ、マスター!」
声に気付いて振り返ったフェリンはカナメを見てにっこり笑う。カエデに何度も倒されていたらしいその衣服は土埃にまみれていた。
そしてフェリンはふいに笑顔を曇らせる。
「マスター、大丈夫? なんだかやつれてるみたい」
「あ、ああ……」
まさか発情期のカエデにたっぷり一晩中搾られ続けたとは言えず、あいまいに返事をするにとどまった。
朝の業務を休むハメになったのも、スタミナが枯れて干からびた状態から回復できずにいたためだ。
発情期の獣人、恐るべし。
そして当のカエデは何食わぬ顔でいつも通り。フェリンに稽古をつける余裕すらあるのだから、どういう体力をしているのか信じられない気持ちだった。
「お前のほうこそ。がんばるのはいいが、あまり無茶はするなよ」
ボロボロといえばフェリンだってつい心配したくなるような有様だ。カエデはちゃんと手加減しているのだろうが、それでもそう声をかけずにはいられない。
「サナやスーにおいていかれるわけにはいかないから……」
なるほど。たしかスーは【ブリザード】を習得して冒険者ランクが上がっていた。サナのハンマーの威力も、聞いた話ではカエデでも止められなかったほどだという。フェリンが焦りを感じるのも無理はない。
「そっか。でも休憩くらい入れよう。ラキのやつがみんなにパイを焼いてくれたんだ」
「ほんと!?」
ぱっと目を輝かせるフェリン。ラキの料理にはそれほどの魅力がある。
カナメが裏庭に来たのは二人を呼びに来たというわけだ。
「おお、では私も参るとするかの」
カエデもそう言って木刀を下ろした。
飛び跳ねるようにして裏口へ駆けていくフェリン。後に続いてゆっくり歩いてきたカエデは、ふとカナメのところまで来て足を止めた。
「昨日は……ありがとう」
耳元でささやかれる言葉は恥じらうような響きを含んでいた。
「ああ」
カエデは少し間を開けてから、さらに言葉を続けた。
「またあれが来たら……お願いしてもいいかの?」
「えっ」
カエデはきめの細かいきれいな肌をほんのり朱に染めて、はにかむように笑っていた。
「構わない……と言いたいところだが、できれば次は手加減してもらえると助かる」
「それは無理じゃ」
「なんでだ?」
カエデは問いにすぐには答えず、すたすたと歩きだす。裏口ドアに手をかけたところでカナメを振り返って言った。
「お主が相手だからじゃ!」
ギルド内へと消える一瞬だけ見せたその笑顔は、カエデと出会ってから今までで一番魅力的なものだった。




