初めての酒盛り
人狼族のカエデが<<守護の盾>>の仲間に加わって三日が過ぎた。
カエデは持ち合わせの金も泊まる場所も当然ないので、しばらくは<<守護の盾>>に寝泊まりすることになった。部屋はサナのとなり。残り三部屋ある三階空き部屋のひとつを使ってもらうことにした。
「おお、入れ入れ」
夜。仕事が終わってカエデの部屋を訪ねたカナメは上機嫌な声に迎えられた。
「ん、なんだか機嫌がいいな」
窓際の小さなテーブルの上には小ぶりの陶製酒瓶が一本。カエデはイスに座って小さな木のコップにチビチビと口を付けていた。
「ああ、酒を飲んでいたのか」
「カッカッカ。昔、人の世を回っておった頃は、いつもクエストが終わると父様はこうして酒を飲んでおった。子供だった私は飲ませてはもらえなんだが、ようやっと父様の真似ができるというわけよ」
カエデは<<守護の盾>>の一員になってすぐにクエストをこなしていた。家賃を稼ぐためだと言っていたから、意外と律儀なやつなのかもしれない。
今日はクエストを終えて部屋に戻っているのをカナメも知っていたから、訪ねてみたというわけだ。
「へえ、もしかして酒は初めてなのか?」
カエデはカナメをちらりと見て、にやりと笑った。
「お主はどう思う?」
カエデは若くて可愛らしい見た目をしている。十代の少女のようだが、それが本当の年齢かはわからない。
「うーん、どうだろうな。話し方からするに見た目以上の人生経験があっても不思議じゃないけどな」
「ふふ。はっきり言ったらどうじゃ。まあお主の言いたいことはわかる。この話し方は爺様譲りよ。私は父様と過ごした子供の頃を除けば、ほとんど爺様と二人きりであの山で暮らしていたからの。まあ、そういうわけで人生経験などたいしたものはない」
つまり、酒が初めてというのは本当のことのようだ。
「そのお爺さんには飲ませてもらわなかったのか?」
「爺様は酒はやらぬ。あの山はふもとに人間の村ができるまでほとんど外界と隔絶されておったからの。この酒が初めてじゃ」
言いながらカエデは飲みかけのコップをカナメに押し付けてくる。
カナメはなんとなく受け取って一口飲んだ。
意外な衝撃にカナメは思わず顔をしかめた。
「カッカッカ。かかりよった」
「水じゃねーか……」
なんとカエデがチビチビと飲んでいたのは、ただの水だった。
「まあ初めての酒だからの。一人で飲む勇気が湧かなんだ。酒を口にするつもりで練習しておったのじゃ。じゃからお主が来てくれたのは実にありがたい」
酒を飲む練習。さすがにカナメは苦笑いするしかなかった。しゃべり方で大人びた印象を受けていたが、見た目通り可愛いやつなのかもしれない。
カエデは別のコップに酒瓶の中身を注いだ。
カナメは水の入ったコップと交換にそれを受け取る。
鼻を近づければ今度こそ酒の匂い。
カエデは残りの水を一息にあおってから、自分も酒瓶の中身をコップに注いだ。
「さて、じゃあ人生初めての酒に、付き合ってもらうかの……」
ふわりと笑うカエデはとても可愛らしい。
狼の顔をしていたときはまさかこんな可憐な少女に化けるなど思いもよらなった。
「ああ。たしかに、人生初めての酒が一人酒じゃ味気ないからな」
カナメはテーブルを挟んで座りカエデと向かい合う。
ちびりと口を付ければ、舌がひりつくような上質な甘み。
「なかなかいい酒じゃないか」
カナメは酒はほとんど飲まないが、飲めないというわけではない。
一方カエデはぐえっと舌を出して泣き出しそうな顔をしていた。
「なんじゃ……これが酒なのか。舌が焼けてしまう」
「そんなに強い酒じゃないと思うがな。まあ初めてならそんなもんか」
カエデの仕草に思わず吹き出しそうになりながら、なんとか堪えてカナメは言った。
「ううう……獣人の舌は繊細なんじゃ……」
「いやお前親父さんが酒飲みだったって言ってたろ」
「うるさいの……うっ、やっぱりダメじゃ……あ、熱い……」
文句を言いながらもちろりちろりと、舐めるように飲むカエデ。
「口に合わないのならそんなに無理しないでも……」
「うううううっ……くぅ……」
涙目ながらも酒を舐めるのをやめないカエデ。
「初めての酒がそんなんでいいのか……?」
カナメは呆れ半分でつぶやいて自分の分を飲むのだった。
そして――。
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「わーーははははーーーー! いい気分じゃーーーー! わっははははーーーー!」
カナメのほうへイスを寄せ、肩を抱いておおはしゃぎのカエデ。
飲み始めてわずか三十分ほど。まさか小さな酒瓶一本二人で開けた程度でこんなに酔っぱらうとは。
「お前、酒めちゃくちゃ弱いのな……」
たぶん二本目なんてことになれば即、潰れるのではないだろうか。
「なにおう。私は誇り高き山守ぞ。断じて! 酔っぱらってなどいないわーーーー!! カカカカカ!」
「いやいやいや……」
「む。お主いつのまにそんな技を身に付けた?」
赤ら顔のカエデが据わった目でカナメの顔を覗き込んで言う。
キスでもされそうなほどの至近距離。カエデのような可愛い女の子にこんなに間近で見つめられればさすがにカナメもドキリとする。
「な、なにがだ?」
「顔じゃーーーー! ぐにゃぐにゃと歪んでおるわーーーー!」
ゲラゲラと声を上げて大笑い。
イスの間からはみ出た尻尾もわっさわっさと左右に揺れて大忙し。
「む……酒がのうなってしまった。カナメ、お主飲みすぎじゃ」
コップを逆さにして残念そうに言うカエデ。
最初はあれほど嫌々だったのに、もうすっかり酒の魅力の虜になってしまったらしい。
「飲みすぎは体に毒だからな。足りないと思うくらいがちょうどいいんだ」
「そんなこと言うて……ギルドにも常備の酒などあるのじゃろう? のう? どうじゃ、この際二人で飲もうではないか」
酒は一応あることはあるが、来客用だ。
それにさらに飲むとなればカナメだって酔っぱらってしまうだろう。カナメは酒に強いほうではないのだ。
「ダメだ」
「カナメぇーー……」
ぐいっとカナメの首に手を回して、哀れっぽい声を出すカエデ。
いたいけな少女ようなその泣き顔を見れば、どんな悪党だって助けてやりたい気持ちになるだろう。
それに顔は少女でも体は立派すぎるカエデだ。体を密着されればどうしたってその豊満なふくらみが押し付けられる。
「う……」
カナメはなんとかその誘惑に抗うので精いっぱいだった。
「お願いじゃぁ……」
うるうると瞳を潤ませる獣人少女。
カナメもついいいかと口にしそうになったそのときだった。
カエデはこてんとカナメの肩に頭を乗せて、そのままぐうと寝息を立て始めたのだ。
「こいつ……落ちやがった……」
酒の匂いに混じって香る、ほんのりとした女の子の匂い。
それに密着した体の柔らかさ。
視界がぐらりと歪むのは、たぶん酒のせいだけではない。
「やれやれ……」
カナメはなんとかカエデをベッドに寝かせて、毛布を掛けてやってから部屋を後にした。




