変身
『【大守護】発動中。【大魔道師の影】制限解除。【疑似生命流体装甲】発動』
カナメの脳内に響くのは【大魔道師の影】の無機質な声。
【転移】ゲートから出るなりカナメは天井が迫ってきているのを理解した。
とっさに【疑似生命流体】を広げる。
カエデの結界が【疑似生命流体】によって内側から押されて壊れた。
ドドドドドドドォッ!
超質量の岩石の塊。山そのもののような巨人の腕がついに広場へとめり込んだ。
周囲は完全に潰された。
カナメと他四人のいる場所だけ、暗闇の中にぽっかりと空間が開いていた。カエデの結界より強力な【疑似生命流体】によるドームの中に収まっているのだった。
ドームを構成する微細な人工の魂の粒子。その一つ一つがキラキラと白く輝いている。
その明かりに照らされるカナメを、その場の全員が見つめていた。
「お主、その力は一体……」
カエデのつぶやきをカナメは遮る。
「待て。その前に事情を教えてくれ。洞窟の中かと思ったらいきなり天井が崩落して押し潰されるなんて……なにがどうなってるんだ?」
「これは洞窟じゃありません。魔神の……その腕なんです」
サナの言葉をカナメは反芻する。
「魔神……」
「うむ。信じられないような話じゃと思うが、山のような大きさの岩の化け物よ。ゴーレムの巨大版と言えば伝わるかの」
「なるほどな。で、あんたは……」
カナメは改めてカエデに目を向ける。
「カエデさんは私たちを助けてくれたんです。いい人なんです!」
サナの必死な訴え。
カナメは笑った。
「わかってるよ。悪いやつには見えない」
「ほう、お主……私をモンスターだのなんだのと騒がないんじゃな」
カエデが感心したような声で言った。
カナメはなんでもないように言う。
「こいつらが信頼しているのなら、つまりそういうことだ。見た目は問題じゃない」
「っ――」
息を飲んで目を見開くカエデ。
カナメは天井に目を向ける。
「……よし、まずは俺たちを閉じ込めているこれをなんとかするか」
「なんとかって……山の底に埋められてしもうたようなものじゃぞ。空気がある間に魔神が再び腕を振り上げるのを待つしかない」
ズドッ! ズドッ! ズドッ!
【疑似生命流体】のもやが、槍のようにするどく突き刺さって周囲を埋め尽くす岩壁に穴を穿つ。
そして次の瞬間。
ズガガガガガガガガガガガガガガッ!!
しなやかなムチのように振るわれる無数の【疑似生命流体】のもやが周囲の岩壁を切り刻んだ。まるでバターにナイフを入れるようにあっさりと切り刻んで解体してゆく。
ものの数秒でサナたちは再び上空に太陽を見ることができた。
「そんな……ばかな……」
カエデのつぶやき。
「グ……ガアアアアア……」
岩の魔神は右腕を半ばから失って、地の底から響くようなうめき声を上げていた。
「なるほど、でかいな。次はあれを解体して山に戻してやればいいわけか……ん?」
カナメは気付く。
魔神の腕が再生を始めていた。
たった今解体したばかりの岩石の破片を吸い上げて、再び腕を構成しようとしているのだ。
「どうなってるんだこりゃ。まあ体を作り直すより早く解体すればいいか」
【疑似生命流体】の無数ムチが、伸びる、伸びる、伸びる――。
ズガガガガガガガガガガガガガガッ!!!
多重に炸裂する圧倒的な破砕音。
ドドドドドドドドド……。
崩れた魔神の体の大岩が周囲に降り注ぎ、凄まじい轟音を響かせる。
「やった!!」
フェリンの歓声。
しかしカナメは土煙の先をするどく見据えた。
土埃が収まり見えてきたのは巨大な岩石の顔。さらにその顔の下に細かい土や岩が吸われて集まり、魔神の体を再形成しようとしていた。
「そんな……」
サナの声は沈んでいた。
しかし【大魔道師の影】がすでに魔神の性質を分析していた。
あの顔面部分の中央にコアがある。それが磁石のように周囲の岩を集めて体を作る力場を発生させているのだ。
「いや、正体は見えた」
【疑似生命流体】のムチが飛ぶ。
それはまっすぐに魔神の顔面へと向かって行き、頭部を貫いた。
中から引っ張り出したのは黒い液体のようなドロドロ。
カナメがより戻した【疑似生命流体】のムチの先端についていたそれは、水が落ちるようにぽたりと垂れて逃れて、地面にしみ込もうとした。
「いかん、それが地面にしみ込んでしまえばまた同じように体を作ってしまう。石じゃ。封印石に誘導して再び封印を――」
「いや、その必要はないな」
『対象を流体性高魔力生命体と断定。対処法を検討中。【神光網】を選択』
【大魔道師の影】の報告に従いカナメは地面に手をかざす。
手をかざした地面が強烈な白い光を放ち始めた。
「きゃっ」
「なにこれ……熱っ……」
女性陣それぞれが、あまりのまぶしさに目をかばった。
再び目を開けたときには目の前にはぽっかりと丸くえぐられた地面があった。
ちょうど酒樽一つぶんほどのきれいな穴。
それはカナメの【神光網】によって、逃げ込んだ魔神のコアごと焼いて分解した名残であった。
「終わった……の?」
サナたちの視線がカナメに集まる。
「信じられん……お主……」
カエデも呆然としてつぶやく。
「ま、こんなもんだろうな。それにしても……すっかり地形、変わっちまったみたいだな。こりゃ当分誰も踏み入れないな」
周囲の切り立った山々はすっかり崩れてめちゃくちゃになっていた。カナメたちのいる場所はまるで、大量の土砂の中にできた巨大な蟻地獄の巣の底だ。
カエデの小屋はもちろん、滝があった崖も、そこに生えていた魔法の果物の木も土砂の中に消えていた。
「カエデさん……」
サナたち三人は心配そうにカエデを見る。
カエデからすればずっと守ってきた居場所を失い、家もなくしてしまったのだ。
しかしカエデはからっと笑う。
「カッカッカ。ようやっと山守の任から自由になれた。私は爺様が健在の頃は冒険者の父様と冒険をしておったことがある。そうさな……もう一度人間といっしょに冒険者をしてみるのも面白いかもしれん」
「それならっ」
フェリンがぱっと表情を輝かせる。
「なにを隠そう私たちの所属する冒険者ギルドのギルドマスターがこの人なんです!」
胸を張ってカナメを手で示すフェリン。
「いやまあ……一応その通り。<<守護の盾>>ギルドマスターをしているカナメだ。よろしく」
「おお、そうかそうか。私はここで山守をしておったカエデという。獣人――人狼族の末裔よ。今回の件では本当に助けられた。礼を言う。そして……これから世話になる」
カエデと握手を交わすカナメだったが、最後の一言には待ったをかけようとした。
「えっ……世話にって。まさか……それは――」
「うむ。お主のギルドの厄介になろうと思う。いいかの?」
「うーん……」
つい考えてしまう。
「なんじゃ? ダメなのか。さっきの口ぶりだとお主は獣人だからと断るような男ではあるまい」
「ああ、それはいいんだが……」
フェリンがカエデの腕を引っ張った。そしてカナメに背を向けて四人でひそひそと話を始める。
「マスターは……」
「……なんです」
とぎれとぎれに聞こえてくる会話。
「なるほどのう。それならば!」
最後にカエデのよく通る大きな声。
そして――。
「わあっ!」
「すごい……」
「はわぁ……」
女の子たちの歓声。
「な、ななななな………なん……」
カナメも驚きすぎて言葉が出てこない。
振り返ったカエデは美しい人間の少女になっていたからだ。人間――そうとしか見えない。
全身顔の表面までモサモサだった毛はすっかり引っ込んで、豊かな灰色の髪にその名残を残すばかり。
獣人の特徴と言えば頭の上にぴょこんと立った二つの耳と、ふさふさの尻尾くらい。
代わりに着流しを押し上げて突き出た大きな胸は、リエラよりもボリュームがあった。
その歳は見た目で言えば十代後半か。可愛らしくやさしい顔立ちは、先ほどまでの恐ろしい狼の顔からは想像もつかない美しさ。
「人狼族は人間に化けることができる。昔冒険者をしていた父様も私も、こうして人間に交じって世界を回っていたわけじゃ。この姿ならば文句はなかろう。どうじゃ、私もなかなかのものじゃろう? お主のギルドに、入れてはくれぬか?」
「あ、ああ……。ええと……わかった。よろしく……」
あまりの出来事にぼうっとするカナメは、ついそんなことを言うのだった。
そしてサナたちの歓声が響き渡った。




