討伐クエスト
ミルタの町を出発して南の街道から一歩外れれば、すぐに人の生活とは無縁の自然の中に放り込まれる。
小さな川沿いの細道を、サナはフェリンたちと共に歩いていた。
澄んだ川面が日差しを反射してキラキラと輝いていた。どこかの木の上で鳥たちがチュンチュンとさえずり合っている。
「なんだか、きれいな場所ですね」
小川を泳ぐ魚の小さな背を眺めながら、サナがつぶやいた。
「この辺はね。しばらく川沿いを歩いて森の中に入るんだけど、そうしたら今度は進みにくくなっちゃうよ。モンスターに襲われる危険だって格段に上がるし」
そう言うフェリンの足取りは軽い。不安よりわくわくが勝っているのだろう。
「ここも、安全とは言い難い……。見たところ獣道みたいだし、人が踏み入った形跡がないということは、危険な場所だということを意味している。きれいな景色に騙されちゃダメ」
淡々とした口調で危険を訴えるスー。
「そのときは私の剣の錆にしてやるんだから!」
腰に下げた剣の鍔を鳴らすフェリン。
「わあ! フェリンさん、かっこいいです。さすが先輩冒険者って感じがします」
「フェリンのはただの自信過剰。いつもいつも危なっかしい……」
スーはそう言うと小さくため息を吐いた。
「そんなことないよ。もうモンスターだってたくさん退治してるんだから」
サナは気になったことを尋ねてみることにした。
「お二人は<<守護の盾>>に入ってどのくらいなんですか?」
フェリンは指先をあごに当ててちょっと上を向く。
「んー。三ヶ月くらいかな。まだ新参者だよ。だからサナも敬語とかいらないよ。ね?」
「うん! ありがとう、フェリン」
「あはは。そうそう、そういう感じ」
二人はにこやかに笑い合った。
「サナがこのギルドを選んだの……たぶん正解」
スーがぽつりと言った。
「ん?」
「新人冒険者の一年生存率、知ってる?」
サナはぎょっとした。
フェリンもこれにはさすがに咎めるような口調になる。
「こら、いきなりなに言いだすの。せっかくサナと仲良くなったところだったのに」
「いや、聞くべき。国の調べでは約七割。つまり十人に三人は一年以内に命を落としている。冒険者は過酷な職業。公表されていないけど、女性の……私たちみたいな若い女の子は、もっと低いはず」
サナはごくりとつばを飲み込んだ。
覚悟はしていたけど、改めて聞くとやっぱり重い。冒険者とはそういう職業なのだ。
(じいちゃんはすんなり送り出してくれたけど、もしお父さんお母さんが生きてたら……なんて言ったかな……)
サナは古くから石切りを生業としてきた一族の住む村の出身だ。採石のため坑道の奥で作業する村の住民の中には、肺を悪くする者も多かった。サナの両親もサナが幼い頃に病で命を落とした。それ以来男手一つでサナを育ててくれたのが祖父だった。
「あんまり気にしないでね? スーはだいたいいつもこういうこと言うの。いいやつなんだけど心配性なのが玉に瑕なんだよねー」
「うん、ありがとう。私も、冒険者が過酷な職業だってことはわかってる。大丈夫、覚悟してるよ。……それで、<<守護の盾>>を選んだのが正解っていうのは……」
スーはサナを見てうなずいた。
「<<守護の盾>>で今までに出た死者の数、知ってる? なんとゼロ。一人もいない」
「ええっ!? それって……」
フェリンにとっても初耳だったようだ。驚いた拍子に小石につまずきそうになっていた。
「しかもメンバー全員女の子。設立二年のギルドだからたまたまという可能性もあるけど……」
「そういやマスターもこのクエストはやめろって言ってたっけ。そういう危機管理がしっかりしてるのかなー?」
頭の後ろで手を組んで思案顔のフェリン。
今度はスーはゆるゆると首を振った。
「全然。マスターは甘々……」
「でもそういうところがいいんだよね。マスターも元冒険者だって話だけど、すっごく優しいしカッコイイし」
「そうだよね。私も冒険者ギルドのマスターって、もっと怖い人を想像してました」
うんうんと同意するサナ。
<<守護の盾>>の建物の前に初めて立ったときは、中にひげもじゃの大男がいると思っていたのだ。
「<<守護の盾>>を探し出したスーには、まあその点には感謝してる」
「別に。フェリンみたいなのが冒険者ギルドなんかに入ったら、すぐに荒くれ冒険者に絡まれて……物陰に連れ込まれると思っただけ。信用できるギルドを下調べするのは当然の準備」
「あはは。暴漢に襲われたって全員返り討ちにしてやるってー。でもまあ……うちのマスターならそれもー……なんて」
「フェリンは乱暴なのが好き……なの?」
ぼそりととんでもないことを言うスー。
「ちっ、違う。話の流れで勘違いしない! それにマスターは無理矢理なんてタイプじゃないでしょ」
サナは視線を虚空に向けてカナメの顔を想像する。
たしかにあの優しそうな笑顔は乱暴とか無理矢理といったイメージからはかけ離れている。
サナがそんなことを思ったそのときだった。
「危ない!!」
フェリンが叫んだ。
サナにも聞こえていた。道横の茂みがガサガサと鳴ったのだ。
次の瞬間飛び出してきたのは額にするどい角を持つ狼のようなモンスター。
「やあああああっ!!」
素早く抜かれたフェリンの剣が紅い残像を残して閃き、モンスターの体を両断した。あっという間の早業。それに片刃の剣の恐るべき切れ味。
「ホーンウルフ。最初の不意打ちに気付けなければ危険だった……」
「平気平気、こんな雑魚モンスター。でもまあ、たしかにそろそろ気を引き締めたほうがいいかもね」
軽く剣を振って血のりを飛ばし、鞘に納める動作は実に手慣れたものだった。
フェリンはやっぱり冒険者として先輩なんだな、とサナは改めて思った。
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森に入ってからはモンスターとの遭遇は明らかに増えた。
フェリンの剣さばき、スーの魔法、そしてサナのハンマーの強打。はじめてパーティーを組んだとは思えないような見事な連携でモンスターたちとの戦闘を切り抜け、三人は目的の砦跡までたどり着いた。
古い砦は半分崩れかけていて、長い年月の経過が感じられた。
「いる」
日が傾き、若干周囲が薄暗くなり始めているからわかる。砦のぽっかりと開いた吹きさらしの窓の奥から、たいまつの明かりが漏れ出しているのだ。
真剣な面持ちのフェリンに二人もうなずく。
「やっぱりゴブリン。道具を使う知性のあるモンスターの中では最下級だけど、油断はできない……」
砦上部の胸壁から顔を覗かせて周囲を警戒するモンスターは、小さくて緑色の体をしていた。
「どうするの?」
「行くしかないでしょ。ゴブリン相手に逃げ帰ったりなんかしたら、これから先どんなモンスターを相手にすればいいのよ」
フェリンの声は力強かった。
「気付かれずに近づくのは難しそうだね。ま、相手がゴブリンなら突っ込んで蹴散らせばいいでしょ。行くよ」
「うん」「わかった」
三人は隠れていた茂みから出て砦の前に立つ。
突然現れた人間に驚いたのか、物見のゴブリンはすぐに砦の中へと引っ込んでいった。しかしすぐに仲間を連れて戻ってきた。それは木の杖を手にしたゴブリンだった。ゴブリンシャーマン。
「ギシャシャシャシャシャー」
ゴブリンシャーマンはサナたちに向かって何事かをまくしたてている。
「なに? わかる言葉で話してよね!」
フェリンは当惑した様子だ。
「ギギギシャシャシャシャーーーー!」
ゴブリンシャーマンはこちらに杖を突きつけてくる。
「やるっての?」
「魔法、警戒」
スーの警告と同時に、ゴブリンシャーマンの杖から黒い炎がほとばしった。
「くっ」
横っ飛びに避けたフェリン。しかし黒い炎は追尾するようにありえない曲がり方をしてフェリンに吸い込まれる。
「きゃあああっ!?」
「大丈夫!?」
尻もちを突いたフェリンに駆け寄るサナ。
「平気、なんともない。本当に……痛くも熱くもない。今のギリギリで避けられたのかな?」
攻撃を受けたフェリン自身が不思議そうにつぶやいていた。
「わからない。私には直撃したように見えたけど」
スーはそう言って首をひねった。
「あ、開いてる……」
フェリンの視線を追えば、閉じられていた砦の正門が大きく口を開けていた。砦の上からこちらを見下ろしていたゴブリンたちも姿を消している。
「入ってこいってことみたいね。上等じゃない」
立ち上がったフェリンは軽くスカートの埃を払う。たしかに目に見えるダメージはなさそうだった。