ラキの幸せな日1
ラキの朝は早い。
誰よりも早く目を覚まし、<<守護の盾>>一階の掃除を始める。
一階はギルド業務を主に行うロビーと、その奥は資材を置く物置、トイレ、そして湯浴み場がある。
湯浴み場とは言っても風呂ではない。別に用意した湯を使って体を洗うための、トイレより少し広い程度の板張りの部屋だ。ミルタにも風呂屋はあるが、基本的にこの世界の風呂は大衆浴場的なものなので、個人用の風呂は一部の金持ちの贅沢となっている。
一階の掃除が終われば次は二階の掃除。
大勢で飲食ができる食堂にもなる広間を、来賓用の応接室とキッチンがそれぞれ挟んでいる。三階の個室にもキッチンはあるから、こちらは共用のものだ。
三階に戻ってカナメが目を覚ますタイミングに合わせて朝食を作る。
カナメと朝食を済ませて一階へ降りれば、ちょうどリエラが出勤してくる時間だ。
そして午前の仕事が一段落した辺りで三階へ戻り個室の掃除。
カナメの部屋の片付けもラキが行うのだが、一度も怒られたことはない。
ラキがどの場所になにを片付けるかはカナメも完全にわかっていて、迷うことはないからだ。
そして裏庭に出てベッドのシーツや衣類等の洗濯。
この日もラキはてきぱきと洗濯を済ませて、物干し竿に衣類をかけていく。
カナメのシャツを広げたところでその手が止まる。
(カナメ、最近楽しそう。色んな女の子と仲良くなって、ギルドを作るって言ったときの宣言通りにモテモテで……)
「ふふ……」
思わず笑みがこぼれてしまう。
カナメの幸せがラキの幸せであり、カナメの喜びがラキの喜び。
だから日々の労働もまったく苦にならない。カナメの役に立てているという充実感で、疲れなど忘れてしまう。
ラキは自分がカナメの恋愛対象ではないことを知っている。自分を振り向いて欲しいとは思わない。
ただカナメの幸せだけを、それだけを願って生きている。
ずっと部屋に閉じこもっていた自分に、世界を教えてくれたカナメ。夢にまで見た冒険に連れ出してくれたカナメ。
カナメはラキのすべてだった。
物干し竿にシャツをかけて、ふと上を見上げる。
庭木の枝の間から小鳥が二羽連れ添うように飛び立って、あたたかい昼の日差しを浴びて気持ちよさそうに翼をはためかせていた。
「あっ――」
日差しに目がくらんでふっと意識が遠のく。突然の立ち眩み。
(この感じ……久しぶり。そういえば昔は僕も――)
幼い頃はよくこんな風にふらつくことがあった。最近ではほとんどなかったというのに。
ラキはそのまま気を失ってしまった。
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幼い頃のラキは体がとても弱かった。
ラキとその両親は昔、王都に住んでいた。王都東の州カレドハザリア辺境の村サハカに引っ越してきたのは、自然豊かな田舎のほうがラキの体にいいと両親が考えたためだった。
初めて村に引っ越してきた日のことはよく覚えている。
馬車から降り、両親に手を引かれて新居へと向かうラキの麦わら帽子が、吹き上げた春風にさらわれて宙を舞った。
「あっ」
声を上げて振り向いたときにはすでに、落ちた帽子を村の少年が拾ってくれていた。
「ほら」
「あ、ありが……とう」
にっこりと笑う少年とは対照的に、ラキは消え入りそうな声でぼそぼそとお礼を言うことしかできなかった。
王都に住んでいたときも虚弱でほとんど自宅に引きこもっていたので、ラキはかなりの人見知りだった。
「俺はカナメ。お前は?」
「……ラキ」
「そっか。お前、この家に引っ越してきたんだろ? これからよろしくな」
ラキは差し出されたカナメの手を、ただ見ていることしかできなかった。
「ラキ、握手しなさい」
父親に言われてようやくおずおずと手を出すラキ。
「へへっ」
ラキと握手を交わしてちょっぴり照れ臭そうに笑うカナメの顔が、とても印象的だった。
お日様のようにまぶしい笑顔が、一目で好きになった。
カナメと友達になれたらいいなと、そのときラキは思ったのだった。
しかしカナメはラキと入れ違うように、親の都合で村を離れることになってしまう。
村を出る直前、ラキに会いに来たカナメは一冊の本をプレゼントしてくれた。
「ほら、これ。お前、本読むの好きなんだろ? 俺が一番好きな本なんだ。お前にやるよ」
「え……」
そう言ってカナメはラキに本を押し付けるように渡して、行ってしまった。
それから二人は二年もの間、顔を合わせることはなかった。
カナメがくれた本は<<アレクサンダーの冒険>>という子供向けの冒険譚だった。
その本はラキの一番のお気に入りの本になった。
毎日をベッドの上で過ごすラキは、その本を何度も何度も、飽きもせずに読み返した。
ラキは本を読んでは窓の外に目を移して、冒険を夢想する。その冒険ではいつもカナメがとなりにいた。カナメといっしょにモンスターを倒し、財宝を見つける、そんな空想。
二年が経ったある日、ラキは思い切って外に出てみることにした。
その日はだいぶ体調が良かったし、本で読んだような冒険を自分でもしてみたいと思ったのだ。それは、本を通じてカナメがラキにくれた勇気なのかもしれなかった。
日中村の人はほとんど畑仕事に出ていて、誰にも見つからずに近くの森へ入ることができた。
あまり外に出たことのないラキにとっては、たったそれだけのことが大冒険。
地面の土や、小さな草。周囲の木々のすべてが輝いて見えていた。
キノコを見つけてしゃがみこんで、一つ手に取ってみた。
「これ、食べられるのかな……。本ではアレクサンダーもキノコを採って食べていたけど」
「やめとけ。そいつは毒キノコだ。腹壊すぞ」
突然後ろから声がした。
「ひゃあっ!?」
完全に独り言のつもりだったので、ラキはひっくり返りそうになるくらい驚いた。
「あ、悪い悪い。驚かすつもりはなかったんだけど……って君は……」
振り返ったラキを見てカナメは固まっていた。
ぽかんと口を開けて、ラキをただ見つめている。
ラキもカナメをじっと見る。二年ぶりに見るカナメは成長していて、空想の中で思い描いていたよりずっと大人っぽく見えた。
「や、やあ……久しぶり。村に戻ってきて……たんだね」
ドキドキする気持ちをなんとか落ち着けて、ラキは言った。
カナメはまだ固まったままだった。
たっぷり数秒の間。
「え……あ……久しぶりって……」
しどろもどろに言って、それからラキに指を突き付けると、カナメは大声を上げた。
「まさか……えええええええええっ!?」
「なにそんなに驚いてるの?」
「だって、前会ったときはこんなにちっこくて……うそだろ……ま、まじか……」
目を逸らしたカナメは心なしか頬が赤いように思えた。
「なんでもない。忘れろ。……お前、キノコ探してたのか?」
「え、あの……」
カナメはにやっと笑って言った。
「よし、俺が食えるキノコを教えてやる」
その日はカナメのキノコ採りに付き合わされた。
それからというもの、二人は毎日のように森で遊んだ。
ラキは外に出るようになってみるみる体力がついて健康になっていった。そのことをラキの両親もとても喜んでいた。
ラキはカナメに冒険の夢を語り、カナメも村を出たいと言っていた。




