セスティナ、初恋の夜
夜中。カナメは目を覚ましてベッドから起き上がった。
なんとなく胸騒ぎがしたからだ。予感、と言ってもいい。
リエラから聞いていたセスティナの評判。そして今日最後に見せた彼女の寂しそうな表情。
非常識だと思いながらも、廊下に出てセスティナが寝ているはずの部屋をノックした。
返事は返ってこない。
意を決してドアを開けると、思った通りそこはもぬけのからだった。
無人のベッドの上にはペンダントが残されていた。<<守護の盾>>のギルド証だ。
シーツを触る。まだ暖かった。
カナメは床を蹴って走り出した。
廊下に出て階段を一息に駆け下り、一階フロアの入口へと向かう。
そこにいた。
セスティナが入り口ドアの前で背を向けている。
カナメはその背中に声をかけた。
「間に合ったな」
「まいったな……。こっそり出て行くつもりだったんだが……」
振り返ったセスティナはバツが悪そうな苦笑い。
カナメは肩をすくめた。
「少し夜風に当りたくなったから散歩……というわけじゃなさそうだな」
「ああ。私は少し、<<守護の盾>>に長居をしすぎてしまったようだ」
「まあ待てよ。せっかくの冒険で手に入れた宝箱、開けなくていいのか? まさか忘れてたなんて言うんじゃないだろうな?」
「迷惑料代わりだ。なにが入っていてもマスターの物にしていい」
「迷惑料? なんのだ?」
セスティナは少し寂しそうに目を伏せる。
「天使の涙の件だ。私が居座れば同じようなことは繰り返されるだろう。国に目を付けられればギルドの認可だって取り消されるかもしれない。そうなれば――」
「構うもんか」
カナメはあっさりと言った。
「なっ――」
ビリビリビリ!
驚くセスティナの目の前で、カナメはセスティナの容疑が書かれた例の紙を破いて捨てた。
「お前はなにも悪いことをしちゃいない。なら相手がモンスターだろうが国だろうが、<<守護の盾>>の名にかけて俺がお前を守ってやる。だからお前はなにも気にする必要なんてない。迷惑をかけたなんて思うな。ギルドメンバーの問題は<<守護の盾>>の……そしてギルドマスターである俺の責任だ」
セスティナは少しの間、呆けたように口を開けて固まっていた。
それからふらふらとこちらへ歩いてくる。
寄りかかるようにして、カナメの胸に額を付けるセスティナ。
「今のは効いた……」
「惚れたか?」
軽口のつもりだったが、返ってきた返事は驚くべきもの。
「ああ」
「え? あ、今のはほんの――」
慌てたカナメにセスティナは言葉を被せる。
「私も本当のところはわからない。今まで私は男に言い寄られこそしたが、その逆はなかったからな。自分のこの気持ちがなんなのか……説明がつかない」
香水か何かだろうか――セスティナの髪のやさしい香りがふわりと鼻腔をくすぐった。
「だが……たぶんこれが……恋、なんだと思う」
「セスティナ……」
「胸の奥のほうが……うずく。まるで生死を懸けた戦いの後のように。どうしようもなく切なくて……苦しい」
セスティナの腕がカナメの背に回される。
「こうしていると、あたたかい心地よさが流れてきて私の体を満たすんだ。ずっと……このままでいたい」
セスティナはゆっくりと顔を上げた。その顔は熱を持ったように紅潮していて、瞳は泣き出す直前のように潤んでいた。
「この気持ちの正体、確かめさせてくれないか? あなたと二人で……」
「それは……」
セスティナはぱっと体を離して慌てたように口を開く。
「す、すまなかった。こんな気持ちになったのは初めてで……相手の気持ちを確認するべきだった。いやだったのなら謝らせてくれ」
「いやじゃないよ。むしろ歓迎っていうか……」
「なら……」
セスティナの視線を目で追えば、それは階段の上に向かっていた。
(うっ……)
カナメも意識してしまって頬が熱くなるのを感じた。
やっぱり、そういうことなのだろう。
「待て。いいのか? 本当に。俺は他の子たちともすでに……」
歩き出したセスティナの手を掴んでカナメは訊いた。
「複数形なんだな。ならそこに私が加わってもいいんじゃないのか? 私はただ自分の気持ちを確かめたいだけだ。あなたを独占しようなどとは思っていない」
「……」
冷静な口調で本人は言ってるつもりなのだろうが、その手は少し汗ばんでいた。
ならばこれ以上言葉を重ねさせるつもりはカナメにもない。
カナメはセスティナの部屋に戻り、夜を共にした。




