解き放たれたドラゴン
セスティナが古城の遺跡で結界に囚われる少し前。
カナメはその日、<<守護の盾>>でリエラから不穏な報告を聞いていた。
「セスティナに重大な違反行為? なにかの間違いじゃないのか?」
リエラが一枚の紙を差し出した。
「これが詳細です。国の冒険者ギルド管理庁から送られてきた正式な書類です」
目を通したカナメはまさか、と声を上げた。
「国が出した回収依頼クエストの対象物、天使の涙の奪取隠匿……」
「ええ。クエストが宝物回収の場合、その対象の品を提出しないというのは重大な違反行為なんです。しかもこのクエストは国が出したものです。とてもよくない事態になります」
カナメはリエラに手のひらを向けた。
「待て。セスティナはそもそも討伐のクエストを中心に活動していたはずだよな。回収系のクエストは、俺の記憶がたしかなら受けたことがないはずだ」
リエラもうなずく。
「ええ。セスティナさんは希少装備を求めて冒険をされています。ですからその肝心の装備が自分の物にならない回収クエストは、あえて回避していたはずです。私も彼女が回収クエストを受けたという記憶はありません」
「つまり……こりゃどういうことなんだ?」
カナメの後ろで聞いていたラキも首をひねる。
「セスティナさんが<<守護の盾>>に入る前の話なのかな……。それともクエスト概要書だけ見てこっそりと宝物を手に入れちゃったとか?」
「俺はセスティナを信じる」
「カナメならそう言うと思ったよ」
ラキはのんびりした口調で言った。
カナメは手の甲で紙を叩いた。
「その天使の涙の回収クエストとやら、うちに来てたか? そもそも俺は天使の涙という単語にも聞き覚えがない。国の勘違いなんじゃないのか?」
「そんなはずは……」
そう言うリエラは困惑顔で言葉を詰まらせた。
「とにかく本人に訊いてみるしかないだろうな。あいつが帰ってきたら――ん?」
「どうしました?」
カナメの小さな表情の変化を敏感に感じ取ったらしいリエラが訊く。
『【大守護】発動。【大魔道師の影】制限解除。超上位魔法【空間転移】使用可能』
「【大守護】が発動した。これは……セスティナだ」
「セスティナさんが……まさか……」
信じられないというようなリエラの声。
カナメも同じ気持ちだ。あのセスティナに限って【大守護】が発動するようなピンチに陥るなど……考えにくい。
「とにかく行ってくる。後のことは任せた」
「はーい。気を付けてね」
「いってらっしゃい」
ラキとリエラに見送られて、カナメは作り出した転移ゲートに入っていった。
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ゲートから出た先は広い空間。はるか頭上の天井のほうから、幾条もの光が差し込んできている。
そして人間など一飲みにできるだろうドラゴンの威容。
伏せた姿勢とはいえその圧倒的スケールはカナメを驚かせるには十分だった。
「本物のドラゴンなんて初めて見るな……生きてるのか? こいつ」
「マスター……」
倒れたセスティナが弱々しい声を発する。
「待ってろ、すぐに助けてやる」
「ここにはトラップが……」
セスティナの警告と同時だった。
駆け寄ろうとしたカナメの足が止まる。がくりとひざが落ちる。
「うおっ!? な、なんだこれ……鎖?」
セスティナの身体に絡みつく白い鎖が、カナメの目にも見えるようになった。それはカナメも結界に囚われた証拠だ。
『【大守護】発動中。身体に影響を及ぼす可能性のある高魔力構造体を感知。【疑似生命流体装甲】展開』
【大魔道師の影】による警告が脳内に響く。
カナメの身体を縛ろうとする白い鎖が、【疑似生命流体】と拮抗して青白い火花を散らした。
「マスター。なぜ……平気なのか?」
一度はひざを突いたカナメだったが、平然と立ち上がった。
カナメの体には結界の鎖が絡みついたままだ。
「ようは威力強度の問題だろう。結界の力と俺の【疑似生命流体】、どっちが上かって話だ。この程度なら問題ない」
「ばかな……」
セスティナは驚愕に目を見開いたまま固まる。
そして【大魔道師の影】による解析で仕掛けが割れる。この大広間の地面の下に魔法陣が敷かれている。しかし大広間全体を結界のトラップに変えているのは、魔法陣よりむしろその中心部に配置されている高魔力物体。
【疑似生命流体】のもやがカナメの体から伸びて地面に穴を開ける。そして地中へと流れ込んでいった。
結界を発生させていた石を掴んで引っ張りだす。
それは複雑な文様が刻まれた球体だった。
パキン!
なにかが弾けるような音がした。
あの白い鎖が消えていた。結界を構成する最重要パーツである石が取り除かれて機能を停止したのだ。
「信じられない……マスター、あなたは……」
立ち上がって呆然とつぶやくセスティナに、カナメは鋭く言った。
「待て。やばいぞ! セスティナ! こっちへ!!」
セスティナも気付いたようだ。
ドラゴンが身じろぎしたのだ。結界の呪縛が消えたということは……つまり――。
「ギャオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!」
ドラゴンが大きく翼を広げるのと、飛び込んできたセスティナをカナメが抱き止めるのは同時だった。
飛び上がったドラゴンの爪が二人を捉えた。カナメはとっさに【疑似生命流体】でセスティナと自分を包む。しかし予想していた衝撃は訪れなかった。その代わりに、ふわりと体が浮き上がる。
まるで嵐の中に投げ出されたような感覚。周囲では遺跡を構成していた建材がめちゃくちゃに倒壊。耳が壊れるくらいの轟音。巻き上がる土埃と暴風。ドラゴンに掴まれたのだと思い至ったときにはすべてが終わっていた。
そして再び静寂が戻る。
カナメとセスティナは、つい先ほどまで古城の遺跡があったはずの瓦礫の山の上にいた。古城は跡形もなく崩れて潰れて、瓦礫の山になってしまっていた。
「あれ見てみろよ」
古城跡のこの空間だけ、巨木が絡み合いひしめく原生林にぽっかりと穴を開けている。その上空を指差してカナメが言った。
太陽を覆い隠して、巨大なドラゴンのシルエットが空を舞っていた。
「……」
セスティナも黙ってその様子を眺める。
おそらく長い長い……それこそ想像もつかないような時間を、地下で縛られていたドラゴン。まるで空を飛ぶ感覚を思い出すかのように、雄大に翼をはためかせていた。
「遺跡、なくなっちまったな。……掘り起こすか?」
周囲を見回してからカナメが言った。
セスティナはゆるやかに首を振った。
「いや。やめておこう。それに宝なら――ほら」
「え? うわっ!?」
ヒュウウウウウウウゥゥ……。
風を切るような音に気付いて、再び上空を見上げるカナメ。その頭上に、何かが落ちてきた。
それは二人の目の前の地面に轟音と共に墜落。
「宝箱だ……なんで?」
「くっくくく……」
わけがわからないといったカナメのつぶやきに、セスティナの笑い声が重なる。
「なんだよ。どういうことなのか説明してくれよ」
「くっくく。ははは。まあいいじゃないか。これはあいつなりのお礼のつもりなのだろう……なあ?」
笑いながら上空のドラゴンを見送るセスティナ。
ようやくカナメにもわかった。
結界を解いたお礼にドラゴンがくれたということだろう。
ドラゴンはもう地上にいるカナメたちのことなど忘れたかのように、だんだんとその姿を小さくしていき――やがて空の彼方へと消えていった。




