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 六時に起き、顔を洗い、朝ごはんを食べる。七時には家を出て、高校へ向かう。寝ることもせず、真面目に授業を受けた後帰宅し、本を読む。

 毎日毎日繰り返した。秋も冬も春も。その日にあったいつもと変わらない日常を、いかにも退屈だというように、あおに話し続けた。あおはそのたびにくすり、と笑いながら、私のほうが退屈だよ、と言った。

 本当に、たくさんのことを話した。例えば、すれ違った野良猫の毛色とか、空に浮かぶ雲の形とか。あおのこともいろいろ知った。物語はバットエンドのほうが好きなこと。音楽は意外にもラブソングをよく聞くこと。そして魔女なのに普通に高校生をしていること。

 すべてが好ましかった。僕の理想に限りなく近かった。趣味、思考、着眼点、言葉の選び方、息の吸うタイミング。そのすべてが心地よく、正しいように思えた。

 今思えば、仕方のないことだった。あの日、あの場所で、公衆電話を手に取った時からすべてが決まってしまうことだった。今まで自分だけだったの世界の中に、理想の女の子がそっと声をかけてくれたら、恋に落ちてしまうに決まっている。どんな童話だって、そうだったじゃないか。

 生き続けることを勝負していたのに、その勝負がいつしか、僕の生きがいになっていた。落ち葉が舞う秋も、銀色に染まる冬も、桜が咲き誇る春も。どの季節のどんなものよりも、あおとの会話が一番の輝きになっていた。





 









 気づくべきだった。僕が、僕だけが幸せのまま終わる話なんてないことを。透明な壁に阻まれている人間は、それなりの代償が伴う。僕は今までの人生で、それを知っているはずだった。













 8月15日、あおからの連絡が途絶えた。















 あおからの連絡が途絶えたあの日、東京で一筋の流れ星が流れた。それは青く、細い、壊れそうな流れ星だったという。




 あおからの連絡が途絶えてからも、僕は海の近くの公衆電話に向かい続けた。朝は起きられなくなったし、ご飯はインスタントか、食べなかった。夜は眠れないし、本も読めなくなった。あおと関わる前に戻ってしまった。他人と僕を隔てる透明な壁は厚くなり、向こう側の声も姿もほとんどわからなくなった。

 それでも僕は海の近くの公衆電話に向かい続けた。あおはもう、死んでしまったのかもしれない。普通になれたのかもしれない。

 でも、もし、あおが困っていて助けを必要としていて、どうしようもないとき、この電話がかかってきたら僕はこの命を気にせずに助けようと思う。

 どうせ一年前に捨てていたはずの、か弱い命だ。一年前のあの日、この場所で、海に飛び込むはずだった命だ。生きがいになってくれた、どうしようもなく僕に似ている彼女を助けるくらいには、僕も人間でありたい。



 腕に身に着けていた腕時計の針が動く。一年前、初めて話した時と同じ日の同じ時間。九月十日の午前二時二十分。公衆電話のベルが鳴る。

 僕は受話器に手を置く。ひんやりとした感触が、手のひら全体をふんわりと覆う。なるべく音を立てないように、ゆっくりと受話器を持ち上げる。耳に押し当て、左手を添える。受話器の向こうから、小さく息を吸う音が聞こえる。


「もしもし」


 あおの声だ。今はただ、それだけでいい。


「もしもし。こちらはあのころと変わらない、静かな海が見える公衆電話です」


「こちらは...ごめん。視界が少し、ぼやけているの。でもきっと、あのころとは違う」


 いつもの澄んだ声ではない。言葉の節々にみられる一種の鋭さもない。今話しているのは、どうしようもなく弱く、世界に嫌われてしまった少女だ。


「僕は今から君の所に行く。君は、どこにいるの」


 あおは小さな声で住所を言った。僕はそれを何度も頭の中で転がし、覚えた。


 電話を切るとき、あおは「ごめんね」ととても小さくつぶやいた。

 僕はただ、「うん」とだけ答えた。





 

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