《動揺》-Bastard-
「と、言うわけです」
日が傾き、空に朱色が滲み始めた頃。
状況を警察に任せたカナシとシュンは、笠木を連れて再び魔研に訪れた。
それからすぐ、カナシと笠木に盗難事件の捜査を任せたシュンは、魔術師研究室で高橋にこれまでのいきさつをかいつまんで伝えていた。
「あるはずのない眼球があって、生きてた。考えられる魔法は?」
「自然治癒の加速、あるいは治癒の性質変異の付与。複製も考えられます」
「わっかんないわねえ、私らには」
頭を乱暴に掻いて、高橋はううむと唸る。
「ほっといて大丈夫かしらね」
「高橋さんはそれでいいですよ。フォルセティがやりますから」
「大変ねえ」
「僕も僕なりに大変ですよ」
さて、とシュンがソファから立とうとすると、高橋がそれを止めた。
何か訪ねようとした彼を無視して、彼女は部屋の隅にある机からごみを漁るようにレポートを取り出した。
「なんです、それ」
「さっきわかったこと。見ればわかるわよ」
にやりと不敵な笑みを浮かべる彼女は、コピーしたレポートをシュンに手渡す。
「しかし、なぜ紙なんです」
「それ、でんぷん紙。証拠隠滅にもってこいでしょ? ほらさっさと見て食べて」
自分の調子で促してくる高橋に呆れながら、シュンはレポートに書かれた文面に目を通し――わずかに体を硬直させたかと思えば、すぐに端から千切って口に放り込んだ。
彼の下の上で、無味の香りが溶ける。
「どう、面白そうでしょ」
「ですが、あの人はちゃんと逮捕しますよ」
「まあまあ、そういう仕事だものね」
一応は疑われかねない身分であることを、分かっているのか否か。
周囲から笠木に次ぐマイペースだと言われている彼でも、彼女に慣れる日が来そうにはない。
「では、これで」
静かに告げて部屋を出たシュンに、高橋は親指を立てて応えた。
◇ ◇
カナシと笠木は、監視カメラの情報を元に施設内での捜査を始めていた。
現実を見るカナシは何か証拠らしきものが残っていないかを探しながら、笠木の誘導を担っていた。
「どうだ、笠木」
「佐祐さんを追ってま~す。夜中のせいか、なんかビビってるぅ」
青く光らせたその目には、起こったであろう過去の出来事が映っている。
彼女の見るものはカナシには見えないが、彼女の言うことは信じるほかない。
実際にこれまで彼女が伝えてきた過去や未来は真実でしかなく、先ほども昨晩も彼女の《時間視》によってカナシは危機をいち早く知れ、素早い対処ができたのだ。
虚偽を伝えた時の罰則があるとはいえ、信憑性や効力は非常に高い。
ゆえに敵に回った時の恐怖は計り知れないが、それは魔研の存在と同じだ。
そして、カナシ自身も同様である。
「で、侵入者は?」
「まだいないみたいだねえ。おっと、研究室に行くみたいだよ」
彼女のふらふらとした、一見おぼつかないように見える歩き方に不安を覚えながら、カナシは前方に障害物がないか確認する。
「シュン?」
そこで、丁度部屋から出てきたシュンと対面する。
高橋と話があると言って別れた彼は、要件を済ませて出てきたらしい。
「やあ、マギアウイルスについて少し話をしていたよ。それで、何か見つかったのかい」
「主任さんがそこに入ってったから、今からそこに行くんだよ~」
「ん、入るの? じゃあちょっと待ってて」
部屋の中から声が聞こえたのか、高橋が一度閉じた扉を再び開く。
実際にそれが見えていないはずだが、笠木はそれを見計らったかのように両手を飛行機のように広げて、研究室の中へと入り込んだ。
「笠木ちゃん、主任はどんな感じ?」
「そわそわしてまーす。あ、何か探してるみたい」
まるで自室であるかのように研究室の中をうろうろと歩き回り、主任が使っていると思しき立派なデスクの傍で立ち止まった。
三人は彼女を追うようにして歩み寄り、時々頷くその様子を眺めていた。
「おっと」急に彼女が顔を上げると、シュンと高橋はその視線を自然と追ったが、カナシだけは驚いて一拍遅れてから視線を追った。
「何があった」
「うぇるかむドロボーさん。窓をすり抜けていたから、間違いなく魔術師だね。暗くて姿はぜんぜん見えないけど」
変わらない口調で、彼女の視る過去が伝えられる。
だが彼女はちらりと三人の方を見たかと思うと、急に人が変わったかのように黙り、眼光を消した。
「ど、どうした?」
「ドロボーさんはまた窓を抜けて帰りましたっ。それより、ちょーっと気になるものを視ちゃったからさ。ねえお姉さん、佐祐主任っていま話せる?」
眼鏡を掛け直した笠木が、ぱたぱたと幼子のような軽快な足取りで高橋に近づく。
高橋は顎に手を当てて、昨日の天気を思い出すように明後日の方を向いた。
「あんまりに酷い脅迫だったから、ショックで自宅療養とか聞いてるけど。確実に出てくれる保証はないけど、電話なら可能性はあるんじゃない」
「なるへそ。かけてくれます?」
いいけど、と彼女がポケットからリングフォンを取り出し、立体映像の画面を見ながら操作する。
何のための腕輪型だとカナシが心の中で突っ込んでいると、「ん?」高橋が訝るような声を出した。
「すぐそこにいるみたいよ」
まるで種も仕掛けもあるマジックを見せているかのように、高橋が入り口のほうを覗き込む。
すると、見るからにくたびれた中年の男が入室し――高橋以外の人物がいることに、驚いていた。
「な、なんだね? ……あ、ああ。フォルセティか」
「結構なショックを受けていたと聞きましたが、本日は如何なる用件で?」
シュンが一歩前でに出て、本来来るはずのない佐祐弘明に尋ねた。
佐祐はよほど大きなショックだったのか、シュンが一歩歩くだけでも大きく身を震わせている。
「まだ人に会うのは怖いさ。だけど放っておいた研究レポートのデータを棚に入れて置いたままでね……少しいいかい」
「まあ、フォルセティはその辺りは気にしませんから。それより、先にこちらの同僚から話を聞かせてもらえませんか」
「あ、じゃあいいですか」
シュンに手招きされ、笠木が佐祐の前に出る。
彼はその目と自分の目を合わせると、また身を震わせていた。
蛇に睨まれた蛙の比喩が、まさに似合う構図だった。
「まず、私は笠木コノカっていいまーす。《時間視》っていう魔法を使って、ちょっと過去を視てました」
「そ、そうか。何か分かったことはあったかね?」
見るからに怯えている。
だが、それは魔術師に対する恐怖だろうか?
それとも――カナシは後者の予想が正しいような気がしていたが、黙って様子を見守っていた。
「夜だからか非常に怯えていた佐祐さん。この研究室に入って、何かを探してましたね」
「ああ、ウイルスのサンプルをね……新しい器具が手に入ったから、入れ換えようと思ってね」
「そこへ泥棒が入ってきた。で、佐祐さんは脅されてそのマギアウイルスを手渡した」
「ああ、そうだ」
ふうん、と佐祐の顔を覗きこむ笠木。
いったい何を視たのだろうか。
カナシは聞きたくとも、会話に割って入るわけにはいかなかった。
笠木が珍しく、獲物を狩る獣の目つきをしていたのだから。
「でも」彼女は妖艶さすら漂わせる吐息を漏らしながら、佐祐の耳元に口を寄せる。
今にもその舌が伸びて、彼を一飲みにしてしまいそうな雰囲気すらあった。
「どう脅されたんですか」
うぐ、と佐祐が喉を鳴らす一方で、シュンは何かに納得したように頷いていた。
むろん、カナシはまだ理解が追い付いていない。
「……確かにね」
「どういうことだ?」
「昨日捕まえた《透明化》を覚えているかい。あの系統の魔法は大体、《自分》と認識できているもの以外は効果の範囲外と考えていいだろう」
「ということは、通り抜けるのも同じ?」
「透明の効果を自分に付与したか、窓に付与したかでまた変わってくるけれど――続きは二人の話に聞き耳を立ててみよう」
もしそうだとしたら。
自分の考えが正しいのか、答え合わせをするように、カナシは二人に向き直った。
「……マ、マギアウイルスを渡さなければ、この場で殺すと……」
「凶器を突き付けられてはいませんでしたね」
「手を腰のあたりに回していたはずだ。そこに何かを持っていたと思い……」
「いいえ、侵入者はポケットに手を突っ込んでいるだけでしたよ。あなたも大して怯える様子もなく、どちらかと言えば、自信がないといった様子でした」
カナシは眉根を寄せた。
笠木はさきほど、「暗くて姿はぜんぜん見えないけど」と言っていた。
照明が点いていればそんなこともないはずである。では、照明はほぼなかったものとみていいだろう。
となれば。
――ハッタリか、こいつ。
嘘を言って、何か尻尾を出すのを狙っているのだろう。
視た過去や未来について虚偽の情報を伝えるのは暗黙の了解に反するのだが、彼女がそれを意識しているかどうか。
「何に、自信が、なかったん、ですか?」
とぎれとぎれに発して言葉を強調して、笠木が佐祐を責め立てる。
もはやカナシは彼に同情すら覚える状況だった。
「私を疑っているのか!」
「それが仕事ですから」
明らかにやましいところのある佐祐。楽しんでいるようにも見える笠木。
《時間視》は信頼が大前提として成り立っているため、カナシの憂慮する事態はいつでも起きかねない。
現に今、起きている。
「茶番でも見せられている気分だね」
「笠木はその気になれば、いつでも自分のペースに持っていけるからな……」
「でも、ああいうのってアリなの?」
「《読心》なる魔法を持つ隊員が居れば、もう少し円滑に進みます」
「そういうことじゃなくてね?」
人道的に認められるものなのか、そう問いたいのはカナシも同じであった。
見るからに呆れている高橋を置いて、話は徐々に進んでいく。
「夜中に人気がなく暗い施設を歩いていれば、多くは怯えるはずだ。それに急に魔術師が入ってくれば、うろたえるのも仕方ないだろう!」
「ま、そうですねえ」
笠木は納得したのか、ぱっと佐祐から離れる。
その表情はいつもと変わらない、飄々とした笑みに戻っていた。
「失礼しました、仕事なもので」
「……速やかに犯人を捕まえてくれ。マギアウイルスがばらまかれたら、私の地位が危うい」
溜息をついて怒りを抑える佐祐に、カナシは何かが引っかかった。
それによって生まれた感情が何なのか、確かめるよりも先に体が動いていた。
「あんた今、なんて言った」
「な、なんだ君は」
「カナシ!」
「心配するのは自分の地位かッ!! 未来を主導する魔研がそれかッ!!」
その気になれば国家を上回る力を持つ魔研。
力を持つだけならまだしも、それを実際に見せびらかせて、他の存在を見下すような愚かな存在を想定したことはあれど、カナシはまだ会ったことがなかった。
ゆえに、急激に感情が爆発してしまったのである。
「落ち着いて、カナシ!」
「結果を考えられない奴が科学者なんてやるなッ!!」
「思い上がるな、誰のためにこんな研究をしていると思っている!」
「テメェ……――ッ!?」
カナシの瞳が血のように赤く染まりかけたところで、乾いた音が部屋に鳴り響く。
シュンの平手が、カナシの頬をはたいていたのだ。
「……失礼いたしました。速やかに失礼致します」
ふん、と鼻を鳴らし、佐祐は自分のデスクへと向かう。
まだ息を荒げているカナシの手を引いて、シュンは笠木と共に部屋を出た。
「ごめん、シュン……」
「因果応報。ああいうのに、僕らがわざわざ手を下す必要はないよ」
冷静に語るシュンの声には、どこか怒りが滲んでいた。
ふとカナシをはたいた手を見つめると、彼はなぜか自分の頬を同様にはたいた。
「お、おいシュン、何を」
「気にしないでいい。それよりも笠木さん、本当は何が視えたんです?」
「ん? 真っ暗な部屋の中でドロボーさんが入ってきて、脅しっぽいことやって、なんか持って出てった。それは本当だよ。でもなんか、やっぱあのオッサンが演技臭くてねえ」
「そればかりは口で伝えてもどうにもなりませんね」
「……仮に共犯だとして、なぜだ?」
種火ほどまでに小さくなってしまった感情の炎。カナシは消え入るような声で、二人に問いかけた。
シュンはあまり言いたくはない、と言いたげだったが、意を決したように口を開く。
「魔研が本物のクズの可能性がある。犯罪に加担する、ね」
「一連の事件に関わってるとして、やっぱりマギアウイルスの用途がよくわかんないよねえ。何が起こってるかもよくわかんない」
笠木以外は、来た時とは随分と違う表情をして魔研を出ていく。
状況の暗さを示すような紺色に染まる空の下、しばらく無言で歩く一行。バスに乗って魔研が見えなくなった辺りで、シュンは徐に呟いた。
「感染する瞬間、生命力が与えられるとしたら」
「え?」
独言めいたその言葉が、本当に聞こえたのか。
カナシはシュンに確かめようとしたが、彼の顔はひどく暗いものだったために憚られた。
「もう夜になる。笠木さん、一人で帰れますか」
「ん。二人でどうかすんの?」
「カナシの家で少し休憩したいんです。それからもう少し調べてみます」
「そ」と短く返事した笠木も、窓の外を眺めて何かを考えているようだった。
アヤメはどうしているのだろうか、カナシはふと考えてみる。
連絡がないのはいい報せと思いたかったが、何かあったように思えてならない。
昨晩から自分を狙っているようにも見える暴走車両。
カナシの何かを刺激するような要素を乗せていた。
それに類する何かが、アヤメを利用して行われたら?
「……考えすぎか」
静かな一言を残して、彼はシュンと共に帰路についた。