《推察》-Twice-
「――そうですか、ありがとうございました」
「もう来ないでおくれよ」
野良猫をよそへやるように手を振る大家に苦笑を返し、カナシは古びたアパートを出た。
彼は今、シュンとともに行方不明の被害者の住宅を一軒ずつ訪ねているところである。
ここはその三軒目、都内にある萩田邦男の住むアパートだった。
「どう?」離れた場所で待っていたシュンが、戻ってきたカナシに話しかける。
だが、カナシは愚問だと言うように肩をすくめて首を振った。
「しかし、行方不明ね」
すぐさま次の住宅に向かって歩き始ると、シュンが独言めいたことを言う。
「引っかかることでもあるのか」
「さっきのアパートに住んでた萩田さんもそうだけど、被害者はいずれも、魔術師である以外に特別な《何か》のある人間じゃない。権力を持った政治家ではないし、テロの用意をしていたわけでもないし、恨まれるような前科があるわけでもない。
カナシ達のように黒のカラーコンタクトを付けたりしないとか、よほどの間抜けでない限り、そうそう魔術師とわかるような境遇にはないはずなんだ」
「確かにな」
頭のどこかで分かっていたことだが、改めてシュンに言われるとカナシは理解が深まる気がしていた。
魔術師は基本的に虹彩の色が通常とは異なるものへと変化する。たとえばカナシが隠す虹彩は、翡翠がごとく鮮やかな薄緑である。
しかし魔術師の多くはあまりに目立つがために、カラーコンタクトを嵌めているのだ。
フォルセティ隊員のものは魔研製多機能仕様の特注品だが、一般人の魔術師は市販の物でも何ら問題はない。
その用意すら怠ってしまうのでは、正体が発覚してしまうのは当然と言える。
「でも、魔術師化していたならすぐにバレそうなもんだろ。会社員ばっかりだし」
「社内で多少でも異端な行動をとれば、理不尽に潰されるからね。
でも、それなら行方不明になるより早くに、もっと別の何かが起こっていてもおかしくはない。こっそり殺されていたって不思議じゃない、穏やかでない世間だから」
「……じゃあ、魔術師化していたにも関わらずなんとか隠したか、あるいは」
言葉の続きは言えるはずなのに、カナシはなぜか喉が詰まるような感覚に阻害された。
そんな彼の心情を察してか、シュンはにやりと不敵に笑う。
「ずっと人間だったか」
「だとすれば、なんだ。何が目的だ?」
カナシは混雑する思考に頭を抱える。
数週間前に姿を消した人間。唯一の手掛かりは魔術師化した眼球。
いつ魔術師化したのか?
――魔術師化?
「マギアウイルスだ! 魔研で盗られたって……」
そこまで言って、カナシは高橋の言葉を思い出す。
「高橋さんは『昨晩』と言っていたよ。つまり犯人が同一人物、あるいは同一組織の人間であるとして、加えてそこに多少のズレがあったとしても時間が合わない」
「……待て。他にも感染源はある」
「空気感染の可能性は限りなく低い。意図的に行うには難しいよ」
「死体ならどうだ」
数泊の間を置いて、シュンは「なるほど」と頷いた。
マギアウイルスの塊である魔術師は、死に絶えた時にマギアウイルスを発する。まるで、新たな宿主を探し求めるかのように。
「確実とは言えないけど、空気感染よりかは確率は高い。でも、確実でないから本物のマギアウイルスを求めた……考えられる話だね」
「二つの事件には関りがあるとみていいだろうな」
確信めいたものを感じ、カナシは少しだけ心が軽くなった気がした。
だが、それで終わらせてはいけない。一つだけ信じ続けたその考えが間違いだったとしたら、無駄な時間を食うことになりかねない。
三年が経過したとはいえ、若さゆえに基本を忘れることもまだ珍しくない。
カナシは心の中で自分に言い聞かせ、大きく息を吐く。
彼の右腕でリングフォンが着信を訴えたのは、そのときだった。
「笠木だ。準備できたって」
「じゃあ、いったん切り上げて魔研に戻ろう」
証拠はなくとも、得るものはあった。
どこか達成感のある二人は捜査の足を止めて、最寄りの駅へと向けて歩き出した。
「まあ、いつもここまでは順調なんだよな」
「仮説立てるだけならタダだしね」
いつもの苦笑と愚痴を、残暑が溶かしてゆく。
◇ ◇
「やっほぉ」
間の抜けた声で、眠りかけていたカナシの意識が引き戻された。
昼間でも仮にも都内の電車だというのに人気がほとんどないのは運が良かったとしか言いようがない。
ほとんど揺れなくなった上に速度も向上した、新型電車。
そこが笠木の提示した、カナシとシュンとの合流地点だった。
「ぴったりじゃない。やっぱり私の計画は完璧だねぇ」
「時刻表を見ただけだろう。それよりも大丈夫か、目は」
「問題なっしんぐ。バリバリ見ちゃうからねぇ」
吊革を握って体をぶらぶらと遊ばせながら、笠木は片手で眼鏡を作って右目に嵌める。
カナシは「遊ぶな」とたしなめながら、彼女に問題ないことを確認した。
彼女を呼んだのはほかでもなく、魔研での事件を捜査するためだ。
実際の犯行を彼女の《時間視》で視て、犯人を追うのだ。
「にしても、ほんとに《ラプラス》だったりしてぇ」
「可能性は高いと見てる。ただ、魔術師が嫌いなだけなのにここまでするのは妙だね」
「それすら向こうの思うつぼだったりして」
どうだろうね?
カナシと話す時よりも若干の冷たさを感じさせるシュンが、中身を空にしたかのような言葉を漏らす。
「まあ、とりあえず視ればいい。まずはそこからだ」
「にしても大変だねえ、朝からずっと移動しっぱなしでしょ?」
「埼玉のフォルセティに頼んでもいいが、魔研も俺たちの方が話しやすいだろうからな。品川の方には一応連絡を入れておいたよ」
東京にはカナシ達のいる東京支局のみならず、他にもフォルセティの出張所が存在する。
変化する状況に応じて、不足する戦力を補い合うためだ。
結果として都内にはフォルセティ隊員が最多数存在するのだが、それでも少ないことには変わりない。
「アヤメちゃんが寂しがってるんじゃない? 『おにいちゃ~ん』って」
「あいつは『カナにぃ』としか呼ばない。ふざけたことを言ってると――」
ぶっ飛ばすぞ、と言いかけて、カナシは慌てて咳き込む。
だが笠木にはお見通しだったのか、苦笑を向けられてしまう。
「なんでい、冗談じゃないのさ。こわいこわーい」
「お前な」
「お遊びはそこまで。次で降りるよ」
いつもと変わりも他愛もない会話を遮り、シュンが席を立ちあがった。
そういえば、と現在位置を忘れていたカナシも立ち上がり、笠木とともに出口へと向かう。
『お出口はァ、右側ァ。停車の際に少々揺れますのでェ、ァご注意くださァい』
クセのあるアナウンスが合言葉であるかのように、停車した電車の扉が開く。
それからやや速足で駅を出ると、三人は共に妙な感覚を覚えていた。
「……騒がしいな」
静かに呟くカナシ。
そんな彼の前を、周囲を警戒するように見回しながら、何かから逃げる女性が過ぎ去っていく。
だが、何かがあるようには見えない。
「ん~?」
何かを訝るような声を出して、笠木がその目を青く光らせた。
数秒押し黙ったかと思えば、すぐにその光が消える。
「まぁた車だよ、静葉クン。まっすぐこっちに来る」
「なんだって!? ――二人は駅の中に戻れ、ここで食い止める!」
「カナシ!」
無理はしなくていい、と叫ぶシュンに、カナシは鋭い視線で訴える。
「このまま駅の中に突っ込みでもしてみろ! そっちの方が後々面倒だろうが!」
「だけど!」
「早く離れろッ!!」
苦悶の声を漏らし、シュンは笠木とともに離れる。
直後、ブレーキ音を響かせながら白い煙とともに現れた白銀の車両。その異常さは、一目で暴走しているとわかる。
何故か自分を目掛けてくる車両。カナシはそのことが気になったが、目先のことに集中し、瞳を青く光らせた。
――何が必要だ?
「《創造》――鉄・柱ッ!!」
カナシは自身の問いに応えるように叫び、瞳と同じ青を握る拳を地面に叩きつけた。
そして、眼前まで車両が迫ったその時。
フロント部分の直下から、鉄の柱が勢い良く突き出した。
鼓膜を槌で叩いたような轟音が響き、車両がひっくり返る。
半回転どころではなく一回転して、ようやく車両は着地した。
各所から煙の上るそれは、もう動く気配はなかった。
「ぐっじょぶ。未来は変わったよ」
「もう少し遅かったら半回転か、運転手ごと潰してたよ」
「それは静葉クンのワザマエってことだよー。警察に連絡はしておいたから、ざざっと見てさっさと退散しよう」
カナシは首肯して、車両の方へと向かおうとした。しかしシュンがいないことに気付いて、周囲を見回すと――少し離れた場所で、先ほどの女性と話をしていた。
まったく仕事の早い奴だ、とため息の中に愚痴を込めて、彼の下へと駆け寄る。
「ああ、カナシ。ちょうど話を聞いていたところだよ。……お願いできますか?」
「え、ええ」
端正な顔立ちの女性の表情には、明らかな怯えと疑念が見える。
退路を探そうとしているのか、常に目が泳いでいる。
それでも無理だろうと悟ったのか、目を伏せてからおもむろに口を開いた。
「Talkerで暴走する車の映像が回ってきたんです。ちょうどこの周辺だから、逃げろって」
Talkerと言えば、世界中に多数のユーザーが存在するSNSソフトの名称だ。
日本人の殆どがこのソフトを利用していると言っても過言ではない。
カナシはリングフォンからTalkerを起動して、女性の言う映像付きの投稿を発見し、シュンと見合う。
ドローンによる空撮映像。
暴走し道路を蛇行する車両を、しっかりと追跡して録画されていた。
「……なるほど。他の人もその通りに動いていたから、妙に騒がしかったわけだ」
「もういいですか?」
さも鬱陶しそうに尋ねる女性に、シュンは笑顔で応える。
今その顔をしたら怪しまれる一方だろう、と思ったが、カナシはあえて口にはしなかった。
そうして女性が去ったところで、シュンはすぐに作り笑顔を剥ぎ取った。
「このアカウント、フォロワー数は全くと言っていいほどいない。投稿もこれだけだ。どう見ても作りたてのアカウント……なのに、数分で数万も拡散されてる。逆探知しろと言われてるようなものだよ」
「罠の可能性、というよりも、目に見えた罠だ。やるなら気をつけろよ」
自分の改造リングフォンで作業を始めたシュンに忠告し、カナシは笠木の待つ車両の方へと踵を返した。
彼が落ち込んでいたことなど、全く気付かずに。
「――どうだ、笠木」
「どうって、またドライバーが気絶してるよ」
笠木に促されるようにして、カナシはヒビの入った窓から運転席をのぞき込む。
死んだように眠る男は、しかし未だ胸を上下させている。呼吸をしている証拠だ。
先日と同じ状況を訝しむカナシだったが、同時にもう二つ、訝んでいた。
ひとつは、自分を狙っている可能性。理由も不明だが、彼の中で引っかかる《何か》を刺激しているような意図が見える。
そしてもうひとつは、彼のリングフォンの中にあるデータが解消させた。
「どったの、静葉クン」
「……この運転手、目はあるよな」
「何言ってんの、当たり前じゃない。白目剥いてんだから」
当然のことを答える笠木に、カナシはまた頭を抱えた。
運転席で気を失っているこの男は、間違いなく。
「萩田邦男。行方不明になって、眼球を奪われて今は持っていないはずだ」
立体映像の画面に映る、萩田の個人データ。
そこにある証明写真は間違いなく、目の前にいる男であると示していた。