《暮夜》-Deja vu-
「大丈夫かよ、時間娘」
「ないすたいみーん。でも静葉クン置いてきちゃったね」
会敵した場所から随分と離れた場所に、オールバックの黒髪を風で乱した男――杉野カズヤと、笠木がいた。
杉野は《俊足》の魔法を扱う魔術師で、視認できる位置へと高速で直進する。代償は脚力だが、毎日パトロールで歩き回って鍛えている彼にはほとんど無縁と言える。
その魔法により杉野は笠木を救出したものの、カナシはその場に置いたままだ。
「下手すりゃラリアットかます位置にいたんだよ、許せ」
「死んじゃったら杉さんの責任だよ~」
「杉さんゆーな。すぐに助けに行く」
「そこで、『あいつはそう簡単に死なねえ』……とか言えば、可愛げが出るのにね」
笠木の冗談に「ケッ」と吐き捨てるように返し、杉野はカナシの下へと踵を返す。
「……あん?」
「どしたの、ここ数分は私に危害は加えられないみたいだけど」
《時間視》で自分の安全を見たのだろうが、杉野が訝るような声を出したのはそれを気にしたためではない。
戦闘をしている様子が、どこにもなかったのだ。
◇ ◇
「あの野郎、俺だけ置いていきやがった……!」
一瞬の間に笠木を救出し離脱した杉野に毒を吐きながら、カナシは周囲へと警戒心を振り撒いていた。
既に数分経っているような気分になっているのは、未だ相手が動きを見せないためだろう。
何故、なにもしないのか。それなりの装備があるのなら、すぐにでも殺すことは難しくないはず。
それなりの人員を持つ組織――現状、《ラプラス》以外に思いつかない――だとして、魔術師を狙う組織ならば、まともであるわけがない。
カナシは湧き上がる焦燥感を抑えながら、じりじりと後退していく。
杉野の離脱した方へ向かえば、少しは安全なはずである。
しかし、彼が逃げることはなかった。
「……なんだ?」
人影のうちの一つが動いたかと思えば、襲ってくるでもなく、どこかへと消えた。
それを皮切りにしたのか、ほかの人影も消えていく。
困惑するカナシは、警戒することも忘れて呆然としていた。
「なにボサッとしてやがる」
やつらが行方を眩ませたとはいえ、無防備すぎるだろ。
暴風を伴って傍に現れたのは、杉野だ。
カナシは寒気すら感じる風にあおられて、ようやく我に返った。
「なんで、襲われなかった……?」
「知るかよ。俺らも有名人ってことだろ」
納得しがたい説得にもやもやとしていると、杉野がカナシの腕を引いた。
「それよか、さっさと帰るぞ」
……ん?
今まさに、杉野が魔法を使って安全なところまで離脱しようとした時。
彼のリングフォンが鳴り、彼がそれに応じると、笠木の顔が立体映像の画面に現れた。
「なんだよ、時間む――」
『車が暴走してる! そっちに向かうから早く逃げて!』
「逃げろつったって……!」
どこにだよ、と杉野が問いを投げるよりも先に、ソレが答える。
アクション映画でしか聞いたことがないようなブレーキ音を立てながら、銀色の自動車が二人を目掛けているところだった。
「杉野、上だ!」カナシが反射的に叫んだ。
「何とかしろよ!」
杉野がカナシを抱えて三日月を睨み、数秒だけその双眸を黄色に光らせる。
次の瞬間、二人は夜空に溶け込むように宙を浮いていた。
一方で、彼らの直下を暴走車が通過し、そのまま明かりがいくつか残るビルヂングに突っ込んだ。
回避には成功した。あとは着地するだけだ。既に浮遊感は引力に負け、落下が始まっていた。
「《創造》――風船ッ!!」
カナシが真下を向いて、その双眸を黄色に光らせる。
直後、地面から生えてくるように出てきた風船が膨らみ、二人を迎えたかと思えば――その運動エネルギーに耐えられず、大きな音を立てて破裂した。
「いてぇなくそ、無茶苦茶しやがる」
「大丈夫? ……みたいだね」
カナシが悪態をつく杉野と砂を払い立ち上がると、息を切らして笠木が戻ってきていた。
「笠木、何を視たんだ」
「急に道路で車が暴走して、慌てて未来を視たら、二人の方へ向かったもんだから」
「車の暴走って、今どき起こらねえだろ。見た感じアシストシステムも動いてたしよ」
「見に行けばわかることだ。笠木、車が爆発することはないな」
「待って」と言って黙り、笠木はその目を青く光らせる。
「――大丈夫、何も起こらないよ」
笠木の言葉に安心感を得てゆっくりと歩みを進め、彼らは建物の中に入る。
車は受け付けのカウンターを破壊したところで停止しており、自動ドアのガラスが周辺に散らばっていた。
既に騒ぎになっていたものの、いるのは残業か何かで残っている社員のみらしく、そう多くはなかった。
「な、なんだお前ら!?」
「俺たちはフォルセティ。独立治安維持組織だ」
見知らぬ来訪者に声を上げる男性に、杉野が嘘を言う。
あながち間違ってもいないが、フォルセティはあくまで警察から与えられた任務を遂行する組織である。
わざわざ隠さなくてはならないのは、警察と密接な関係にあると発覚すれば、魔術師を排除するという名の下に警察でさえも潰そうと動く《ラプラス》のような存在があるからに他ならない。
ゆえに、彼らは独立治安維持組織を名乗らなくてはならないのだ。
一般市民の言うところの、「自治ごっこ」である。
「魔術師が何の用だ、出ていけ!」
「もう一回車が会社に突っ込んできても、知らねえぞ」
「おい杉野、語弊があるだろ」
何が起こったのか分からない相手にそんなことを言えば、脅迫と取られても文句は言えない。
それに、脅されたから殺した、なんて理由が通じかねない世の中だ。あまり刺激するような言葉を選ぶべきではない。
カナシは口をへの字に曲げた杉野を追っ払い、代わりに男の前に出た。
「失礼しました。パトロール中に奇妙な暴走車に遭遇したので、捜査をしに参った次第です。こちらに危害を加える意思はございませんので、少しだけお時間をいただけませんか」
「……勝手にしろ!」
話の分かる人間で助かる。
カナシは心の中で礼をしつつも、警戒心は解いていない。小声でざわめく社員たちがそれを強いものにしていく。
「ねえねえ静葉クン」そこへ笠木の声がかかり、カナシは運転席の方へ向かう。
「なんだ」
「この運転手、寝てるよ」
笠木が指をさしたのは、まだ若さをわずかに残した女性。
40代あたりと推測できる。スーツ姿であるため、仕事帰りともとれる。
「仕事疲れで居眠り運転ってことか?」
「寝てるってか、気絶だな。何かショックを受けたみてえだが……」
見た感じ傷もねえな、と運転席の周りをぐるりと回りながら、杉野が分析する。
――気絶?
カナシはその言葉に、何か引っかかるものを感じていた。
それが何かまでは分からない。だが、確実に何かを知っている気がしていた。
だが、聞き慣れたサイレンの音が彼の思考を阻害した。
フォルセティ内で110と呼ばれる警察のパトカーが到着するなり、先ほどの男が狂ったように笑い出した。
「ははははははっ!! 誰が魔術師なんか信じるかよバーカ!! てめえらみんな捕まっちまえ!」
「ぶっ」
「なにがおかしい!」
得意げな男に、杉野が笑いをこらえきれず噴出した。
落ち着くように促した笠木も、分かりやすいほど顔を赤くしていた。
「刑事さん、こいつら捕まえてください!」
「あぁ、はいはい。あとは警察がやるから、ちょっと離れていてくださいね」
2台のパトカーの内、片方の運転席から出てきた男性の警官が手錠を三人にかけ、同じ車両に詰め込んでいく。
そしてもう1台を残して、さっさとその場を去った。
□ □
現場を離れて、数分が立った頃。
運転手の警官が、おもむろに口を開いた。
「もういいぞ」
「――だっはァ! 腹いてぇ!」
ひいひいと息を乱しながら、助手席に座る杉野が手錠の玩具を容易く壊した。
後部座席に座る笠木とカナシも、既に手錠を外して笑いをこぼしていた。
「ありがとう、父さ……えっと、隊長」
「なに、俺はこれくらいしかできんからな」
帽子を取って露になった顔には、カナシと同じ雰囲気が刻み込まれている。
何を隠そう、彼の名は静葉リンドウ――カナシとアヤメの父親であり、フォルセティ東京支局の隊長、つまりは実質的な責任者である。
常に警視庁に居り、警察とフォルセティの間を繋ぐ唯一無二の存在である。
「それで、何が起きた?」
「例の箱の出自を追ってたら、何かしらの待ち伏せに遭った。なにもされなかったけど、暴走した車に襲われたんだ」
「何とか回避したんですけどね」
「そのあと軽く様子を見ましたけど、運転手が気絶してるみたいでしたよ」
「……気絶か」
リンドウも何かひっかかりを覚えるのか、独りごちるように呟いた。
「それより、フォルセティに新しい任務だ。暴走車のことは一旦忘れろ」
「今度は何です?」
「例の箱を《魔研》に運べとのことだ」
「警察の人が運べば良いんじゃないですか~?」
「……笠木、その呼び方はやめろと言っているだろう」
「息子さんも言ってますよ~」
カナシは自分に振られて後ろめたい気持ちになったが、リンドウはと言えばあきらめたように溜息を吐くだけだ。
そもそも警察を《上》と言うのは、フォルセティの支局が地下にあるからだけではない。
多くの警察官の高圧的な態度、つまるところの上から目線が鼻につくことからつけられた蔑称まがいの通称である。
「本人たちの前で言うのだけは勘弁してくれよ。俺の胃がもたん」
「大丈夫ですってー。それで、なんでわざわざ私たちが?」
「よほどの事情があるんでしょうねぇ」
「マギアウイルスの感染を懸念してるんだそうだ。眼球なんてのはウイルスの塊みたいなもんだからな」
カナシはその理由に納得しながらも、やはり嫌われていることが改めて分かって気を落とす。
気持ちは分かるが、汚物のように扱うのはどうなのだろう。
「被害者は判明したんです?」
「それも魔研で済ませろとのお達しだ。既にクーラータイプの段ボールに入れ換えて置いてある」
「……今から?」
もう夜なのに、という言葉を飲み込んだが、既にカナシは文句を言ったようなものだ。
「さすがに疲れただろう。カナシはついでに近くまで送るから、今日はもう帰れ」
「アヤメは?」
「浜谷に任せて帰した。今あそこは浜谷と城崎だけだ」
「よく住めるよな……」
「そんな悪くないよ? ご飯は買ってこないとだけど」
魔術師化した浜谷と両親のいないシュン、そして街を自由に歩けない笠木は家賃を払う必要がないからと、東京支局の警備も務めている。
非戦闘員に警備を任せるのも如何なものかとカナシも思ってはいるが、人員の少なさとセキュリティの強さからある程度安心している面はある。
と、そこで笠木が思い出したように声を上げた。
「そうだ静葉クン、ごはんは!?」
「あ」
「……杉野、付き合ってやれ」
「隊長命令なら仕方ねえ。静葉、今度領収書回すから払えよ」
「笠木の分だけな」
カナシが冷静に返すと、リンドウは誰にも気づかれぬようふっと笑った。
隊員の関係が良好で満足しているのだろう。
そうして他愛ない会話を続けていると、リンドウは車を住宅街の近くで止めた。
「――さて、俺は相変わらず帰れそうにない。アヤメのこと、頼むぞ」
「ああ。頑張って……ください、隊長」
カナシが一言残して車を降り帰路につくと、リンドウはまた車を走らせた。
「あれはあれで優秀なのですよ、隊長」
「公私混同してないかが心配だな」
「筋金入りのシスコンですしね。どうします? 夜な夜な兄妹であんなことこんなこと……」
「杉野、うっかり首をはねるぞ」
「あだだだだだだ!」
赤信号で止まったところで、リンドウは杉野の頭を砕かんばかりに掴んだ。
こんな僅かな時間でも、彼らにとって数少ない幸せには違いない。
そして、夜な夜な静葉兄妹がナニをしているのかは――二人のみぞ知る。