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クリエイト・ザ・カラフル  作者: 七々八夕
0:《現実》-Nightmare-
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《魔術師》-Magia-

 秋の涼風が吹き抜けるビル街に、葉の落ちた寂しげな街路樹が並ぶ。

 通行人は様々な目的を以て、忙しなくこの通りを抜けていく。

 しかし、静葉しずはカナシだけは、木陰に隠れるようにしてその場に留まっていた。

 妹と待ち合わせている彼は、手元の科学書に目を通しながら、時折通行人や道路を駆ける車両に視線を向けている。

 現実的な近未来を語る科学書とは裏腹に、確かな礎があるにもかかわらず、大して姿を変えない街並み。

 随分と変わらないものだ。

 いや、変わりたがらないだけだろうか――カナシは心の中で嘆息した。


 幾年か前の人間が言うところの《近未来》に該当するであろう現代は、しかし彼らの想像するSF作品のような世界観には程遠い。

 誰もが知る偉大な科学者、ウェルフ・バートルとその研究を受け継いだ彼の娘アンジェラが起こした21世紀科学革命により、確かに人間の文明は転換期を迎えていた。


 しかし、人々――特に日本人――は極端な《変化》を恐れた。

 ゆえに彼の前で走る自動車のタイヤは未だに地面と摩擦を起こしているし、彼が持つ紙の本にもインクが染みついている。

 勿論、未来でもそれが主流であり続けるはずがない。今は言わば、ローテクからハイテクへの完全移行の途上にあるのだ。

 その証拠として、立体映像ホログラムやロボット製造をはじめとするハイテクノロジーは実用化に向けて着々と発展を続け、徐々に社会に溶け込みつつある。

 カナシが右手首に装着しているリングフォンも、その一端と言える。


 そういった《変化》が当然のこととして受容される時が来たならば、おそらくこれまで国家が抱えていた諸問題は解決へと導かれ、そしてまた新たな問題が生まれるのだろう。

 それは事物の発展において避けられないことなのだろうが、だからと言って放置していれば勝手に解決されるわけではない。

 彼は今、そんなことすら忘れてしまった人間のためにここにいる。

 決して不自然などではない。16歳という若さなど、今や語るも無駄な概念と化しているのだから。


「カナにぃ!」


 改めて、この社会における自分の存在意義を確認しようとした時。彼の耳朶を、聞き慣れた幼い声が打った。

 ようやくかと心中で呟き、カナシは声の主に視線を向ける。

 艶のある長い黒髪を揺らし、白いワンピースドレスを纏う華奢な体躯。

 先週に11歳を迎えたばかりの彼女が、カナシの妹/アヤメである。

 アヤメは荒げた息を整え、「ごめん」と兄に苦笑する。


「浜谷さんと話してたら、少し遅くなっちゃった」

「大丈夫、俺が早すぎただけだ。それにまだ何も起こってないしな」


 それで? とアヤメに話を促しながら、カナシは持っていた科学書をパーカーの内ポケットにしまって歩き出す。

 息を整えたアヤメも駆け足で彼に追いついて彼の手を握り、二人で微笑み合う。仲睦まじい兄妹の休日を装って、二人は事件のことなど知らぬように闊歩する。


「えっと、カナにぃはどこまで聞いてるんだっけ」

「最近この辺りで多発している、同一人物によると思しきひったくり。その対処にある程度の目処が立ったから、ここでアヤメと捜査するよう連絡が来た」

「てことは、複数犯の可能性とかは聞いてないんだね」

「犯人が透明人間だという話を聞けば、大体は想像できるけどな。ただ、現段階では断定はできない」


 犯人と思しき人物は、これまで漏れなくひったくりを行った後、盗品とともに姿をくらませてきた。

 監視カメラで追えない路地に入ったかと思えば、どこからも出てこない。

 残っているのは、決まって灰と化した衣服である。

 警察は隠し通路などを調べたが、それらしきものは存在しなかった。

 加えて、数少ない手がかりである衣服の灰からは異臭が発せられ、警察犬の類いも使い物にならない。

 完全に消えてしまったのである。

 そんな人知を超えた芸当を可能にするのは、誰もが《彼ら》しか知らない。


「そういうわけだから、浜谷さんと『ちょっと釣りをしよう』って話になって」

「釣り?」


 これだよ、とアヤメは青いショルダーポーチをカナシに見せ、中から黒革の財布を取り出した。

 それを見たカナシはというと、よくわからない古代の遺物を目の当たりにしたような、なんとも言えない複雑な表情をしていた。


「ちゃんとお金も入ってますっ。サンゼンエン!」

「いやそういう問題じゃない。その、随分とアナクロだな」

「カナにぃだって紙の本読むくせに」

「まだ一定のニーズが残ってる。でも財布にはもうほとんどないだろう?」

「いいじゃん財布! リアルマネー! げんなま!」


 財布に対して変な執着を見せるアヤメ。これから先、未来的な道具がいやというほど出てくるのに、あえて過去の、それももうすぐ使い物にならなそうなものを好んでしまうのか。

 兄たるカナシでも、たまに妹が理解できないことがある。


「……まあいい。それが餌か?」

「うん、無防備にしてひったくらせるの。ポーチと財布の中にGPSを付けてるから、城崎さんに追っかけてもらうってわけ」


 仮に透明人間が自分の衣服や所持品ごと透明になれるのだとすれば、そちら追うことができる。

 仮に実行犯から盗品を受け取り、透明化の手伝いをする人物がいるのならば、そちらを追うことができる――ひったくられさえすれば、何かしらの成果は得られるというわけだ。


「なるほどな。それで、しばらくは当てもなく散歩か」

「そうだね。いいじゃん、最近休めてないしさ」

「仕事だってこと、忘れるなよ」

「んふふ~」


 分かっているのかどうか曖昧な笑みを浮かべて、アヤメはカナシの腕を抱きしめるように縋り付く。

 カナシは呆れて溜息を吐くが、振りほどきたいほどアヤメが嫌いなわけではないし、むしろ昔からの可愛らしさを失っていないようで嬉しくもある。

 ただ、公私混同をしていないかが気になっている。

 人の安全を守る身であることは再三伝えているから理解しているのだろうが、こうしているとそれも疑いたくなってしまう。

 そういうときの自分なのかもしれないが――カナシは何とも言えず、苦笑して妹の頭を撫でる。


「……カナにぃ」

「なっ、なんだ?」


 急に低い声を発したアヤメから、カナシは思わず手を放した。まさかもう反抗期に入っているのだろうか。いやそれとも――などと勝手に思考が展開していく。

 だが、そうではなかった。


「あの人、すっごく怪しいよ」


 カナシはその言葉で、すぐに思考を切り替える。

 なんだ、公私混同しているのは自分の方じゃないか――未熟な自分を戒めながら、アヤメの視線の先を追う。

 彼女が指していると思しき人物は、彼にもすぐに認められた。

 黒いフードを目深に被り、口元を市販のマスクで隠している。

 ボトムスや靴までもが黒く、怪しさをそこにかき集めたかのような不気味さを纏っていた。

 ちらりと見える双眸も、気が触れたような奇妙な眼光を放っている。


「……アヤメ。動きを見せるまで《魔法》は使うな。いいな?」

「うん、カナにぃもね」


 カナシとアヤメは、黒のカラーコンタクトを付けたお互いの目を見合って確かめる。先程のそれとは比べ物にならないほど重要な確認だ。

 二人は警戒しながら、知らぬ素振りの兄妹の仮面をつけてそのまま前進する。時折ちらと見つつ、黒ずくめがアヤメの傍を通り過ぎたところで――予定通り、事は起こった。

 男はアヤメのポーチを掴み、地を踏みしめて跳ねるように駆けだした。

 盗られたと気付いた時には、黒ずくめはすっかり遠くで走っていた。


「はやっ!?」

「バネ入りのシューズだ! 追うぞ、アヤメッ!」


 カナシが駆け出し、アヤメもなんとかその後ろについていくが、体格に明らかな差がある二人の距離は段々と開いてしまう。


「くっ、《幻想イマジネイト》!」


 汗を垂らすアヤメの目が淡く青い光を放ち、黒ずくめの進路に《異変》を起こした。

 わずかに空間が歪んだかと思えば、次の瞬間には――そこに、眉間にナイフを突き刺されたゾンビが現れた。

 ざわめく通行人。しかしカナシとアヤメ、それに黒ずくめもそれを気に留めず走り続ける。


「前なんか見ちゃいない! アヤメはポーチを受け取る奴がいないか周囲を警戒してくれ、俺はとにかくあいつを追う!」

「わ、わかった!」


 アヤメの目から青い光が失われると、ゾンビは霧散して空に溶け込むように消えていく。

 その残滓を突き破るように駆け抜けると、カナシは一気に加速した。


「シュン!」

『言わずもがな。財布もポーチもまだ彼が持ってる、そのまま追っかけていいよ』


 カナシがリングフォンを起動すると、透き通るような立体映像ホログラムの画面に幼馴染の顔が映る。

 さすがに仕事が早い。微笑で称賛すると、黒ずくめを見失わないように前に向き直る。


『予定通り釣られたわけだけど、僕としては透明人間たるゆえんが気になるね』

「無駄口叩くなよ、気が散る!」

『しっかりナビゲートはするから、君は走っていればいい。で、どう思う?』

「お前なあ……!」


 心臓が破裂しそうなほど全力疾走しているのに、なかなか距離は縮まらない。にもかかわらず涼しげな口調で語りかけてくる幼馴染に、カナシは怒りすら覚える。

 ――仕事はちゃんとするのに、こいつには人間性が欠けている!


『ごめんごめん、じゃあ僕の仮説でも聞いててくれ』

「勝手にしろ!」

『《透明インビジ》の仮名を与えたひったくり犯だけど、カナシの追っている人物がそうだと見て間違いはないだろうね。では、いかにして姿を消し、追っ手を振り切ったのか? 答えは衣服が握っている』

「服? 毎回燃やされて灰になってるっていう?」


 先ほどまで苛立っていたカナシだったが、思考の糸に引っかかる言葉に思わず反応した。


『そう、それだ。なぜ燃やす必要があるのか、それはおそらく体液を採取されて特定されるのを防ぐため、また何らかの薬品を用いて異臭を放ち追跡させないためだろう。では、なぜ脱ぐ必要があるのか?』

「透明化に必要な手段であるからか」

『その通り。彼の《透明》はおそらく、自身の肉体のみを透き通らせる。衣服や所持品はその限りではないから、身に着けているままでは透明人間にはなり切れない。だから盗品は途中で共犯者に渡すかあるいは別の方法を取り、自分は透明になって姿を消すんだ』

「瞬間移動でも使われていたらどうする」

『そんなことを疑いだしたらきりがないのは今に始まったことじゃないだろ? 疑いの強い事柄からしらみつぶしにしていくのが、僕らの仕事のはずだ』

「……まあ、そうだな……っと!」


 息を切らしながらもなんだかんだと幼馴染との会話を続けていると、黒ずくめは懐からライターを取り出して、路地に飛び込んだ。

 自分で燃やす気か? 訝しみながらもカナシもなんとか追いつき、路地に飛び込んだが――もう遅かった。そこに残っていたのは、煙を上げて燃え盛る衣服だったもの。


「早すぎる……」

『GPSも今さっき死んだ。たぶん、仕込んであることにも気づいていたし、服にもあらかじめ助燃性のものを仕込んでいたんだろう。これ、相手は相当の手練れだよ』

「こっちとしては面倒でしかない。アヤメはどうなってる?」

『ジョギングくらいの速度で君のあとを追っかけてる。呼ぼうか』

「頼む」


 乱れた息を整えながら、カナシはヘドロのような異臭を放つ炎に近寄る。

 ヒトの彼でさえ鼻が曲がっていてもおかしくはないほどだ。警察犬が機能しないのも頷ける。

 息を止めて手をかざし、彼はその目を青く光らせた。


「《創造クリエイト》、ネロ


 魔法を唱えるようにつぶやくと、宙に穴が開いて水が溢れ出す。間も無くそれは衣服を鎮火し、僅かに熱を残す灰だけが残った。

 ――それにしても、服を脱いだということは、犯人は今――脳裏に全裸の男が過り、カナシは慌てて首を振った。あまり考えたくはない。

 仕方ないと嘆息して頭を掻き、彼は街路へと踵を返す。

 そこへタイミングを見計らったかのように、ようやく追いついたアヤメが息を整えていた。


「カナにぃ、大丈夫!?」

「ああ、けど逃がしてしまった。懲罰もんだろうな」

「私も一緒に受けるよ」


 だから安心して――そう言おうとした彼女はしかし、何かに突き飛ばされるようにして尻もちをついた。

 緊張の糸が解けかけていたカナシは、今一度結びなおして周囲を見渡す。しかし、怪しい人物は見当たらない。

 見当たらない(・・・・・・)


『カナシ、まだ近くにいる!』

「そんなこと言ったって……ぐっ!?」


 せわしなく視線を四方に向けたとて、見えるのは自分を怪しがる通行人のみ。

 もしかしたら影は残っているのかもしれない、などと淡い期待を以て俯いた途端、彼の後頭部に強い衝撃が加えられた。


「カナにぃ!」

「っ……いい度胸だな、お前ッ!!」


 カナシの咆哮とともにその双眸が鋭い赤色に光り、彼の手元に鉄の棒を出現させた。

 それを握れば、彼は迷いなく振り回す。

 もはや半狂乱になっている彼を止める者はいない――いや、止めるよりも先に、鈍い音が周囲に響き渡った。

 同時に宙を舞う血液。カナシはそれを見逃さず、懐から手錠を取り出した。

 ただの手錠ではない。即効性の麻酔針を内蔵した、麻酔手錠だ。

 カナシは適当な推測で透明人間の首根を掴み、力任せに地面に叩きつける。


「……窃盗の罪で、逮捕する」


 息を荒げた彼は少しずつ平静を取り戻し、聞き取れない声で何かを訴える男に耳を傾けた――どうやら、裸体を晒すのは勘弁したいらしい。

 なぜそこに羞恥心が残っているのに、罪を犯してしまうのか。

 カナシは少し躊躇ったが、このままでは罪がもう一つ増えることになる。それでカナシが困ることはないが、近くにいるアヤメにも、通行人にも視覚的なダメージを被らせてしまう。

 カナシは観念したように瞳を青く光らせ、透明人間に毛布を被せた。


「これでいいだろう。現在時間は13時46分……よし」


 ガチャ、と少しばかり重い音を立てて施錠すると、小さな音を立てて突き出した麻酔針が肌に刺さる。一度だけ体がびくりと震えたかと思えば、透明人間は寝息を立てて動かなくなった。

 それから間もなくして、何もなかったはずの空間に肌色がにじみ始めた。それは段々と人の輪郭をかたどりながら広がっていき、裸体を晒すスキンヘッドの男を街中で露わにする。


「シュン、イレブンゼロ」

『連絡済みだよ。気をつけて帰っておいで、全裸の男を組み伏せるカナシくん』

「くたばれ」


 どこまでも自分を茶化す幼馴染に罵倒を浴びせて通話を終えると、カナシは周囲の視線に気づいて目を伏せ、溜息を吐いた。

 そこにはおそらく、少年が裸体の男を眠らせてのしかかっているこの状況への奇異の視線も多少はあるのだろう。しかし大半がそれと違うことを、カナシはよく知っていた。


「なんだ、魔術師かよ……」「なに、例の自治ごっこ?」「どうせ自演だろ」「魔術師のやりそうなことだな」「さっさと死ねばいいのに」「やめとけ、殺されちまうぞ」「おーこわ、さっさと帰ろうぜ」


 これまで何度も言われているはずなのに、いまだに自身の存在と為したことを否定されることには慣れていない。

 自分の肌が冷えてどす黒い感情が湧き上がってくるのを感じていると、無邪気な足音がカナシに近寄ってきた。


「カナにぃ!」その主は無論、アヤメだ。「大丈夫? ケガしてない?」

「ああ。それより、さっさと帰るぞ」

「……うん。そうだね」


 アヤメもカナシに向けられたものと同じ視線を、不快に感じているのだろう。彼女がカナシの手を握ると、彼はその小さな手をしっかりと握り返した。





 《彼ら》は、望むべくして生まれた存在ではない。ただの偶然(・・)から生まれた、奇病を患った人間である。

 《彼ら》ははじめ、これからの未来を担うとされる希望の象徴であった。

 しかし、自然の理を超えた現象を引き起こす能力を持つ《彼ら》は、世界に混乱をもたらす存在であると――いつしか、人々の認識は《変化》への恐れに変わってしまっていた。


 そうして存在意義を踏みにじられた新人類――人は《彼ら》のことを、畏怖の念を込めてこのように呼ぶ。

 魔術師マギア

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