《盲目》-Dysacusis-③
カナシとアイリスは息を乱しつつ、志崎学園の裏山を上っていた。
元より人が入るようにはなっていないらしく、決まった登山道があるようには見えない。そこで二人は、より安全そうな場所を歩いて、当てもなく捜査をしていた。
「カナシさま、ここになにかあるようにはみえませんが……」
「イエローテープが所々に見える。既に警察が立ち入っているのは確かだが、やはり何もないのか」
カナシがふと立ち止まって周囲を見渡すと、アイリスも同様に歩みを止め、疲労を深い息に込めて吐き出した。
元気が有り余る幼さとは言えど、無論限界はあるのだろう。
「そもそも、ここにハンニンがきているのだとすれば、あしあとでものこっているのでは?」
「……確認する手段は、あるにはあるんだがな」
呆れたように目を細めて呟くが、アイリスの耳には届かない。
その手段を使えばもちろん確かな証拠は得られるが、リスクは決して少なくはない。
――出し惜しみ、と言われれば全くその通りだろうが。
「しかも」そんなカナシの心中を測るに能わないアイリスは、自分の言葉を続ける。
「かりにここにシタイをすてたのだとすれば、ケツエキくらいみつかりそうなものですが」
「それでも、正確な場所がわからなければ駄目だ。都合よく血液に反応するような機械も、まだないしな」
むうう、と抗議の声を上げ、アイリスは頬を膨らませる。
カナシはそんな彼女を尻目に、またしばし思考の海に潜り込む。
――普通に会話はできるのか。なら、問題があるとすれば知識量と感情か?
何を知っていて、知らないのか。何に怯えたり、怯えなかったりするのか。
直接聞いたとして、答えられるとは思えない。
無知を知っているのか。その問いの意味すら伝わるか怪しい。
「ほんとにてさぐりなんですかぁ……?」
「シュン――あの白衣のメガネには、何か新しいデータがあれば寄越すようには伝えておいた。それまでは俺達でできるだけのことをする必要がある」
「あんがい、ジミなんですね」
またも大きな溜息を吐いて、アイリスは蒸れた黒髪のウィッグを外す。
カナシはそれを制止しようとしたが、どうせ魔術師であることはすぐにばれてしまう。ほとんど無駄だとしても、無いに越したことはないのだろうが。
「それにしても、なんでそこまでするんでしょうか」
「仮に犯人が達樹でないとして、なぜ達樹が負の念を向けた相手が死ぬのか――達樹がそう思い込んでいる可能性は否定できないが」
「しんだのはじぶんのせいかも、なんて、ずーっといってますしね」
拳にウィッグを被せてくるくると回しながら、アイリスが唸る。
「一度、達樹の言葉から離れた方がいいかも知れない。どのように殺されたのか、そこを考える必要がある」
「それがわかれば、こんなところあるいてないですよね……」
「指が切断されていたことは確かだ。刃物でバラバラにされた、と考えるのが無難だ」
「……ただフカイだからと、そこまでしますか、ふつう?」
「しないとは限らない。だが、異常なのは確かだ」
会話をしつつも山を登っていると、いくつかの人影がカナシの瞳に映る。
紺の装備を纏う彼らは、おそらく捜査中の、正規の警察だ。
「なにかあったんでしょうか」
「――すまない、フォルセティの静葉カナシだ。警視庁の依頼を受けて捜査を行っている」
「ん……あ、ああ。ごくろうさん」
地面とにらめっこをしていた鑑識の男が、カナシに気付いて生返事をする。
「フォルセティには、犯人の特定までは頼んでないと聞いているけど」
「死体があれば、重要な参考要素になる。それなりに人数がいるようだが、ここで見つかったのか」
「……見つかった、どころじゃありませんよ」
うんざりしたように、男は視線を別の方に向ける。カナシもそれを追うと、何人かが大きな穴の中を覗き込んでいるようだった。
そこに死体があることは想像に難くない。彼の花を刺激する血生臭さもそれを確信に変えていく。
アイリスはと言えば、カナシの後ろで隠れるようにして鼻をつまんでいた。
「バラバラの死体が山ほど出てきました。まだ全員分確認してはいませんが、例の生徒が渡してくれた指から得たデータと一致してます。指もないらしいですし、同一でしょう」
――予想が当たったのはいいが、まだわからないことが多いな。
カナシは顎に手を当て、聞いておきたいことを頭の中で整理し、1つずつ聞くことにした。
「凶器は?」
「もちろん刃物でしょうが、どれも断面が荒い。ナイフか何かで力任せに、といった感じでしょう」
「そのナイフは?」
「見つかれば、とっくに犯人が分かってますよ」
「足跡なんかは見つかってないのか」
「手を尽くしましたが、どうにも」
足跡が無い?
当然、カナシは眉を顰めた。
そんなことは基本的に《不可能》――つまり、魔術師の関わっている可能性が高い。
太い枝を伸ばす木々はそこら中にある為、決して不可能ということもないのだろうが、仕事柄、まずそちらを疑ってしまう。
「……そういえば、カナシさま。そこまでのショウコをもってるタツキさんを、なんでケイサツはほうっているんですか?」
「証拠不十分なのは勿論だが、大体ICチップを付けて泳がせるからな。いざとなれば遠隔操作で電流も流せる」
小さな声で聞いてきたアイリスに、カナシは呟くようにして答える。
「だが、今ので複数犯の可能性も高いことが分かった」
「……ええと、タツキさんはちがうと?」
「ああ――片方は物を浮かせる魔法。もう片方は実行犯。こちらはまだ魔術師か否かは不明だ」
「待ってください。なぜそう言えるんです」
カナシの考察を聞いていた鑑識の男が、口をはさんでくる。
これから話す、と彼に視線で応え、カナシは語を継いだ。
「仮に魔術師だとしたら、の話だが。
魔法は大体、焦点を当てているものに対して効果を与える。自分に効果を与えるには、鏡で自分を見る必要がある。わざわざ鏡を持っていたとしても、常に自分を見なくては足跡を残さずにここまで来るのは難しいだろう。自分をずっと見たまま、片手間に殺人が行えるとは思えない」
前もって鏡を吊るすなどしていたとしても、片手間になるのは変わらない。
「でも複数犯だとして、視界に入っていなければ魔法は使えないんだろう。枝の上にスタンバイしていたとでも?」
「肩車だ」
カナシの言葉に、男はきょとんとした顔をした。
「背負ってもいい。とにかくリングフォンかスマートフォンのカメラを照明付きで使えば、自分と実行犯の姿が見えて理論上は問題はない」
「いやいやいや、現実的じゃないだろう」
「魔法だから、と言えば身も蓋もないが。ともかくある程度の情報は得られた、ありがとう」
「……あんまり深くまで突っ込まないでくれよ」
「依頼された仕事は確かに果たすさ」
どこか含みのある言葉を残して、カナシは殺人現場を去った。
その傍らで、アイリスも足早に駆ける。死体の匂いがきついのだろう。
「……あんがいとユウコウテキですね」
「珍しい例だ。諦めているようにも見えるがな」
「それで、もうメボシはついたんですか?」
「こじつけに近いが、魔術師の手が加わっている可能性は確かだと考えていい」
「……いいんですか、こじつけで」
アイリスの懐疑的な目が、カナシに向けられる。
仮にも警察まがいのことをしているのに、それでいいのかと言いたいのだろう。
「方針を決めるための仮定だ。答えが他にあることを忘れなければいい」
「ふうん」
何か言いたげな顔をしたが、アイリスは何処か不機嫌そうな顔をしてそれ以上は何も言わなかった。
「まだ少し早いが、様子見も兼ねて待ち合わせの場所に行こう」
「わかりました。ぶじだといいんですけど」
アイリスの心配は、カナシも同様に抱いていた。
――入れないからとはいえど、達樹を一人にするのはまずかったのかもしれない。
彼を一人にしないで、捜査を継続することはできたのではないだろうか?
間違いなく、できた。
もし達樹の身に何かが起こっていたとしたら?
自分の判断ミスだ。
魔術師としての、フォルセティの一員としてのマナーは守ったのかもしれない。
それでも、それでも――歯止めが利かなくなったように、不思議と自責の言葉が尽きない。
「カナシさま?」
「……急ぐぞ」
いらだちを隠すように声を抑え、カナシは駆けだす。
アイリスは驚いたようにカナシの背中を見つめていたが、すぐに彼を追い始めた。
――くそ。いくら平静を装っていても結局、俺は。
焦る彼の脳裏に、今は無き妹の笑顔が過る。
それが彼の心に波紋を生み、無意識に正しいとは言えない判断を下していたのかもしれない。
彼はもう、如何なる手段も正しく思えなくなってきていた。
時々バランスを崩して倒れそうになりながら、カナシは枯葉の落ちた山道を駆け下りていく。
山を抜け道路に出てからも速度を落とすことなく、彼は校門に向かう――だが、そこにはひとつの人影もない。
待ち合わせの時間まではまだ余裕があるのだから、達樹がいなくてもなんら不思議はなかった。
呆然とするカナシの下に、息を切らしたアイリスがようやく追いついてきた。
「か、カナシさま……どうしたんですかぁ……」
「あいつを一人にしたのは、どう考えても間違いだ」
「で、でも。そうしないと、魔術師の疑いのある人が分からないんじゃ」
「警察に任せればよかったんだッ!」
怒鳴るような大きな声に、アイリスは身をびくりとふるわせた。カナシはそれを見て、わずかに正気をとりもどす。
――だが、それで達樹の安全は確かなものだっただろうか?
どれが自分の本当の考えなのか、カナシには分からなくなりかけていた。
今までこんなことで悩んだことはなかった。こんな事態に陥ったことがなかったというのもあるだろう。
だがもっと別の、大きな要因が――と、アイリスを見ようとして、カナシははっとした。
――こいつのせいにして、俺は何様のつもりだ。
焦れば焦るほど、彼の意識は混濁していく。
自分を騙す仮面は、自分が思っている以上に弱い。
それは不意を打つ予想外の刺激で、簡単に崩れてしまうのだ。
「お、おちついてください、カナシさまっ!」
興奮し息を荒げるカナシに、アイリスが悲鳴のような声を上げる。
驚きに目を見開く彼を見、アイリスは悪事がばれた子供のような困った顔になった。
「その、なにかがあってもケッカロンというやつですよ」
「………」
カナシは返事をしない。
互いに何を言えばいいのか分からないのか、乱れた息も整い沈黙が近寄ってくる。
――どうしてしまったんだ、俺は。
答えは分かり切っているのに、カナシは何度も自問していた。
「アヤメ――」
無意識に、祈るように口からでた名前。
それがアイリスの耳に届くよりも先に、ソレが鳴り響いた。
今なお変わらない、非常ベルのけたましい警戒音。
何かが確かに起こったことを、周囲に知らしめるものだった。
その何か、とは――今の二人は考えるまでもない。
カナシは反射的に校内へ入り込み、寮の方へと駆けだす。
またもアイリスは、慌てて彼の後を追うのだった。
■ ■
ぐえっ、と絞め殺したような声を出して、非常ベルを鳴らした生徒が気絶した。
達樹はその声を聞いて、やけに重い瞼を開く。
首の強い圧迫感に違和を感じたところで、彼は電流が走るように、己の置かれた状況を把握した。
「ッ!?」
「あ、タツキくん」
起きたんだ、とやけに嬉しそうな声で、女子生徒が言う。
彼の首を、意識を失わない程度に締め上げる彼女の名は――岡崎凛香だと、達樹は漸く思い出した。
「大丈夫だよ、すぐに終わるからね」
と、彼女は黒い道具を彼に見せ、すぐに捨てた。
スタンガンだ。彼の本能が告げたが、捨てては意味がないのではないか。わずかな余裕が生まれた彼はしかし、すぐに絶望の色で染め上げられる。
「すぐに終わるからね」
ごそごそとスカートのポケットをまさぐって取り出したのは――折り畳み式の、大きめのナイフ。
殺される。達樹の体が、全身の血が抜かれたような冷ややかさに襲われる。
制服から伝わる凛香の体温が不快でしかない。
嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ――何度も死を拒む彼はもう、助けを願うことすらできなくなっていた。
「すぐに、終わるからね」
声にならない達樹の声が聞こえているかのように、彼女は微笑む。
ぎらりと光るナイフの刃。
それがゆっくりと顔に近づき……しかし、その手は途中で止まる。
「遅いですよ?」
「……間に合わせる」
その場に現れた、息を切らし肩を上下させるカナシとアイリス。
何かされたわけでも、大きな音がしたわけでもないのに、凛香は二人に気付き振り向いた。
「邪魔は、だめですよ」
口が裂けそうなほどの笑みを浮かべた彼女の目は、独善に満ち赤黒い眼光を放っていた。