《盲目》-Dysacusis-②
「なるほどな」
バスでの移動を終え、徒歩で達樹の通う学校へ向かう途中。
カナシとアイリスは達樹から、事件に関するより詳しい話を聞いていた。
事件が起きたとされるのは、都内にある私立志崎学園。かつては進学校として名を馳せていたものの、少子化の影響を受けて志願者数が低下。学力の低い生徒が入学するようになり、彼らによる非行が目立ち評判も同様に低下。
そんな中、その生徒達が立て続けに行方不明になったという。消息の一切が不明である為、未だ生きていると考えている者は皆無だ。
現在その扱いを受けているのは、男子生徒が4人、女子生徒が8人。最初の生徒は、2週間ほど前に姿を消したと推測されている。
いずれも過去に何か事件を起こしたという以外に目立った共通点はない。
加害者は不明。捜査が始まってから間もないこともあるだろうが、死体はまだ見つかっていないという。
「現状、生徒だけじゃなく教師にも動機はある。何もお前だけが疑いをかけられる状態にはないな」
「……でも、その日僕が最も不快に思った生徒が死ぬのは……」
「偶然で片付けたいが、何かは確かにあるだろうな。それこそ、お前にそう思わせるための何かかもしれない」
「あやつっている、とか?」
それまで話に入りづらそうにして黙っていたアイリスが、意を決したようにして会話に割り込んだ。
彼女の推測に、カナシはふむ、と顎に触れる。
「洗脳か、暗示か……いずれにせよ、実際に殺したのが君でも、君の周囲に痕跡がないのは変だ」
カナシは死んだ生徒から、加害者が達樹である証拠が出たという話は聞いていない。
そもそもの話、達樹は数日前に自首をしに警視庁へ向かったのだという。そこで彼の話を聞いた警察が秘密裏に学園を捜査し、事件が発覚したのだ。
不明な点が多いために表沙汰にはなっていないが、それも時間の問題だろう。
「あの、それはそれとして。その子はいったい何なんですか? やっぱり気になります」
「……一応、無関係ではない」
「それに、あなたの所属だという組織も気になります。警察とは関係ないんですか?」
「ないな」
最初ははぐらかすように答えたカナシだったが、後者は即答だった。
むろん、真っ赤な嘘である。
「独自の情報網で、魔術師が絡んでいそうな事件を探っているんだ」
「……あ、すいません。そういうのって秘密ですよね、だいたい」
「この程度なら、問題はない」
「えっ、そうなんですか?」とでも言いたげな顔をしたアイリスの頭を軽く撫で、カナシは瞳でその言葉を飲み込ませる。
「話がそれたな。どこまで話した?」
「僕が知る限りの内容です。教師からは誰にも言わないように言われていたんですが、僕は我慢できなくて」
「確か、志崎学園は全寮制だな」
「はい。だから学園の敷地から出るときには、必ず寮で外出届を出す必要があるんですが……」
最後まで言い切らず、彼の表情は曇る。
この事件のことを伝えるために、無理をしたということだろう。
それは想像に難くなかったが、カナシの中でいくつか気になる点が浮かんだ。
「そもそも君は、どうやって生徒の行方不明を知った?」
「……指が、入っていたんです。そいつが欠席したその日に、誰のか分からない指が置かれていて。それを先生に伝えたら、誰にも言うなって言われたんです。死んだんだな、って思うほかありませんよ」
ふむ、とカナシは再び顎に触れる。
――その時点で教師側は生徒の死を把握していたか、その指で達樹と同様に生徒の死を察したのか。あるいは自分の犯行がばれそうになったため、口を封じようとしたのか。
多様な可能性が脳内に想像されるが、いずれもまだ確定に至るには要素が足りない。
「その指は?」
「先生に渡したのもいくつかありましたが、警察の人に渡しました。たぶん渡した分も回収しているはずです」
「……結果待ちか」
だが、結果は予想通りに違いはない。
それより、カナシがいますべきは、犯人が誰なのかというよりかは、達樹が魔術師であるか否かの確認。否であれば、誰が魔術師なのか、そもそも魔術師による犯行であるのか――それを明らかにすることである。
元より、警視庁からの依頼はそれだけだ。事件の解決までは求められていない。
――まあ、犯人が魔術師なら任されるんだろうが。
「ところで、君が自分以外に怪しいと思う生徒や教師はいるか?」
「動機なら誰にでもあると思いますが」
「そうではなく、魔術師の疑いのある人物だ。勝手な偏見でも構わない」
「……ぱっと思いついたのは、聴覚障害や視覚障害の――ええと、聾者や弱視者って言うんでしたっけ」
「よく知ってるな」カナシは自分でも聞き慣れていない言葉を出した達樹に、素直に感嘆した。
「うちの学校、体が不自由な人を積極的に受け入れてるみたいなんで。そういう話もよく聞かされるんです」
「……なるほどな」
魔術師の出現以前からそのスタイルであったのなら、反魔術師派の人間には格好の餌だ。
魔法という超自然の能力を行使する魔術師は、誰しも例に漏れず《代償》という弱点を抱える。
多くは魔法の効果に反する能力を失うのだが、それによって後天的な障碍を被るものも少なくない。むしろ、そうでない魔術師が稀だ。
ゆえに、何らかの障碍を持つ者は魔術師の疑いが強く持たれてしまう。
過去よりも障碍者の生きづらい社会になっていることは、自分の責任ではないとはいえカナシは後ろめたさに似たものを感じている。
しかし、今考えるべきことではない。
障碍者が複数人いるということは、それだけ魔術師のいる確率が高いということになる。
――そう安直に繋げる俺も、どうかとは思うが。
「さすがに全員の名前までは……分からないか」
「別のクラスに分けられてるので、ちょっと。名簿をもらうのではダメなんですか」
「公式の組織ではないからな。自称・警察が名簿を寄越せと言っても無理だろう」
「それも、そうか……」
達樹に素直に納得されて安心したカナシだが、もちろん嘘だ。もらおうと思えば、警察を装えば可能である。
あえてそうしないのは、フォルセティの、というより、警察が魔術師と密接に関わっているという事実が公表されることで、暴走している人間にいよいよ歯止めが利かなくなってしまうからである。
人類の汚点、敵などと認識される魔術師と手を組むのであれば、なけなしの警察の信頼性など一瞬で消え失せる。警察とフォルセティはお互いに、なるべくその事態は避けなくてはならない。
いや、むしろ害を被るのは警察ばかりなのだが。
「それで、仮にその人たちがどこにいるのかが分かったとして。どうやって探すんですか」
「潜入」
カナシが冗談めかして言おうとしたところで、3人は校門の前にたどり着く。
「――と言いたいところだが、魔術師が堂々と入れるはずもない。内部の情報は君に任せる」
「でも、まさかそれだけの為に、学校まで来たわけじゃないでしょう」
「死体を探す。内部の犯行でもそう遠くまでは運べまい。そう、例えば」
あの山とか。
カナシは視線で後者の裏にあるそれを指し、睨むように眼光を鋭くさせる。
「裏山ですか? 一応、立ち入り禁止なんですけど……」
「なら、尚更だな。ベタな場所から虱潰しにする必要がある」
「……えっと、その。気を付けてくださいね」
「それは俺の台詞だな。お前が事件を発覚させたことを、おそらく犯人は知っている」
「……っ」
カナシの忠告により、達樹の表情が強張る。
ようやく自分のしたことの意味を理解したのだろう。
「そう、ですね。馬鹿なことをしたのかもしれません」
「お前はして当たり前のことをしたんだ。不当な罰が加えられてたまるか」
「……なんだか、リアクションに困る言葉ですね。けど、分かりました。僕も真実は知りたい」
「こちらでもなるべくサポートはする。そうだな、17時くらいにまたここで落ち合おう。頼んだぞ」
「はい」
苦笑交じりの返事を確りと耳朶に受け止め、カナシとアイリスは達樹の背中を見送る。
心なしか、出会った時よりかは頼もしく思えた。
「さて」カナシは彼の影が視界から消えると、アイリスに向けて話しかける。
「な、なんですかっ?」
「フォルセティと警察の関係も、話すのはまた今度だ。これからは歩くばかりになるが、気分が悪くなったりはしていないか」
「はい、だいじょうぶですっ!」
そう言って、アイリスは有り余る気力で大きな目を輝かせる。
カナシが安心したように微笑を浮かべると、アイリスも花のような笑顔を返す。
「では、早速あの裏山に行くとしよう」
――こいつを守るのは。守れるのは、俺だけだ。
風の唸りにかき消され、その声は彼の中でですら響かなかった。
■ ■
寮の自室に戻った達樹は、気を落ち着かせるために大きく深呼吸をした。
だが、高鳴る鼓動は収まる気配がない。
いずれ自分が殺されてしまうのかもしれない。だが、それで終わってはいけない。
それで終わらせてはならない――達樹は自分でも不思議なほどに、高揚感を覚えていた。
自棄になっているのかも知れない。だがそれ以外にも、カナシの言葉や存在が心強く感じられていたのかもしれない。そんな可能性を候補に挙げられるくらいには、彼の精神に余裕は生まれていた。
彼が部屋に戻ってきたのは、いったん気持ちの整理をつけるという意図もあったが、それだけではない。未だ生きながらえている彼のスマートフォンへ、自室への届け物があることが通知されたからだ。
もしかしたら、事件に関係することかも知れない。
彼はポストの蓋を開け、そこにぽつんと座るようにして入っていた一通の便箋を取り上げる。
差出人の名前はない。訝しみながらもそれを開けば、刹那の間も無く彼は恐怖に目を見開く。勢いよく弾かれたように便箋を手放し、ぱさ、と床と紙が擦れる。
『タツキくん
おかえり
大丈夫だった?
魔術師の人といっしょにいたみたいだったけど
しんぱいしないで
タツキくんを心配してくれる人はたくさんいるんだから
ひとりで悩まないでね』
背筋に寒気が走った、などという表現では足りない。
一気に背中の皮膚がめくれ上がるような、削り取られるような不快感。
そのまま胃の中のものをすべて吐き出しそうになった。
――こいつだ。
今ならまだ走れば二人に合流できるかもしれない。何にせよ、ここに留まっているのは確実に危険だと、彼の本能が告げていた。差出人も不明であるのに。
手紙を乱暴に握りしめて部屋を出ようとした時、インターホンが外出の邪魔をした。
焦る達樹だったが、冷静を装って来客に応える。
「ど、どちらさまですか」
『わ た し だ よ』
どこか妖艶で、狂気を感じるその声は。
彼が今握りしめる手紙の文面と、忌まわしいほどに雰囲気が似ていた。
ガンッ!
目の前で火薬が炸裂したような音がし、達樹は吹き飛ばされたかのように全身の力が抜け、その場に尻もちをついた。
扉が叩かれている。鎚のような工具の類ではない。
どこか生々しさを感じるその音は――素手。
ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン。
何度も音が鳴る度に、少しずつ水っぽい音が加わる。
耳から脳を直接揺らすようなこの騒音は、達樹の意識を次第に狂わせていく。
「ぅ、うわぁぁッ!!」
ひと際大きな音が響くと、達樹は頭を抱えるように耳を塞ぎ、目を瞑る。
しかしそれ以降音がしなくなり、おもむろに目を開くと――扉が破られた、その事実を目の当たりにすると同時に、彼は。
「タツキくん」
彼は、目の前にいる女子生徒が、この事件の犯人なのだと悟った。
輪郭の歪んだ右手からは血を流し、一方で顔は愉悦に歪んでいる。
「だめだよう、こんなことをしちゃあ」
「……き、きみ、は」
「――あぁ、怖がらないで。安心して。怯えないで。逃げないで。嫌わないで。泣かないで。信じて。私はあなたを幸せにしたいだけなの」
熱っぽい吐息を吐きながら、彼女は紅潮した顔を達樹の耳元に寄せる。
達樹には、その言葉はまるで魔法のように、この世の物とは思えない力が込められているように思われた。
狂っている。
ただの一言すら、達樹はどう発音すればよいのか忘れていた。
全身を流れる鋭い熱が、彼の意識を奪う。
彼が最後に見たのは、恍惚の笑みを浮かべるクラスメイト。
――名前は、どうだっただろうか。
思い出すよりも先に、彼の視界は暗黒に誘われた。