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クリエイト・ザ・カラフル  作者: 七々八夕
Ⅰ:《萌芽》-Self-
14/37

《偽命》-Create-②

 静葉カナシは、ふいに目を開く。

 同時に、己の寝首が不自然なやさしさに包まれている事に気付いた。

 目の前は暗い。だが夜というわけではないらしいことは、顔を覆う布が伝えている。

 布団を被っているような感覚ではないことも、体の妙な解放感が訴えていた。

 それに、後頭部の柔らかさの正体が知れない。

 靄のかかった意識では現状が正しく把握できず、カナシはその身を起こした。

 やや抵抗があり、何かを押しのけるような気がしていた。

 疲れが各所に残る体を伸ばし、自分の頭があったところを見やる。

 すると、彼の眠気は一気に払われた。

 彼の目に映るソレが、睡眠前の曖昧な記憶を明瞭なものへと変えたのだから。


 小川の流れるような、透き通る水色の長髪。幼い肢体。

 身に纏う白のワンピースは、在りし日の妹、静葉アヤメを想起させ――


 ――在りし日(・・・・)


 己の認識を疑いながら、彼は記憶の中にある自分の心理をさぐる。

 あの時自分は何を考えていた? 何が起こっていた?

 妹が、静葉アヤメがいなくなった記憶は確かだ。

 その後、この少女を自分の力で生み出してしまったことは、想像に難くない。


 ――本当にそうだろうか。


 己の詮索を、カナシ自身が阻害した。

 何らかの過程を経て、アヤメが髪を染めただけだったとしたら?

 アヤメが消えたなどとは認めない自分が、心のどこかで囁く。

 だがそれに反論するように、昨晩の記憶が牙を剥く。

 これが現実だ。これが確かに起こったのだ。

 アヤメはもういないのだ、と。

 しかし、目の前にいる少女がその事実の拒否を助長する。

 現実を認められない弱い自分に、力を注いでいく。


「んぁ」ふいに少女が間の抜けた声を出し、髪と同じ水色の目を半開いた。

 カナシは急な出来事に身を震わせたが、何を恐れていたのかは定かではない。

 弱い自分が、その少女に抱く幻想を壊されてしまうことに、恐怖していたのかもしれない。

 寝惚け眼をこする彼女は、目を細めながらカナシを見つめる。

 ようやく焦点が合ったのか、合点がいったように目を見開き、少女は覚束ない足取りで数歩進み、カナシに飛びついた。


「な、何をッ」

「カナシ、さまぁ……」


 乱れるように広がった髪から、ふわりと舞う花のような甘い香り。

 間延びした声が、まだ寝惚けていることを示している。


 ――カナシさま(・・)


 昨晩も、少女はそんなことを口にしていた気がする。

 妹が、アヤメがカナシを「さま」などと敬称を付けて呼んだことは一度たりともない。

 また一つ、少女の存在を受容せざるを得ない事実が明らかとなった。

 だからと言っても、拒む心は消え去らない。

 こじつけじみた根拠であっても、目の前の少女が妹であると認めたがっている。


「ア、アヤメ。着替えてから降りてこい。いっしょに、朝食を食べよう」


 震えた声は、カナシの円滑な発音を阻害する。

 それでも、辛うじて文を築くことはできた。

 しかし、少女は何も知らないかのように小首を傾げていた。



「……アヤメ、とは、だれですか? わたしのなまえですか?」



 カナシはもう、それ以上の抵抗をする気にはならなかった。

 少女が何かを装っているようには見えない。少女は知らないのだ。

 自分がアヤメではないこと以前に、自分が何者であるのかも。


 カナシの中で、何かが崩れていく。理性でないことは確かだ。

 仮にそれが理性に相当する物だとすれば、淡く抱いていた、希望だろう。


「……なんでも、ない」


 刹那、カナシの心は急速に温度を失っていった。

 彼の感情からあらゆる熱量は奪われ、またあらゆる冷気は溶かされた。

 凹凸ひとつない白い部屋。

 カナシはそこにぽつり、一人佇んでいるかのような感覚に陥る。

 一方で、少女は相変わらず小首を傾げたまま、何かを言いたそうに口を開閉させていた。


「どうした」

「あ、あのっ。わたしの、なまえ。わからなくてっ。カナシさま、ごぞんじないですかっ」


 もはやカナシは、その少女がアヤメかも知れない、などという幻想は捨てていた。

 気になる点は多々あるが、この少女はアヤメであってアヤメではない。

 カナシはしばし思案したのち、一つの単語が思い浮かんだ。

 確か、菖蒲アヤメの英名は――


「――アイリス」


 感情のないカナシの声に、アイリスがオウムのように返した。

 カナシはそれに何も言うことはない。

 アイリスはそれを肯定と受け取ったのか、眠気などどこかに吹き飛ばした快活な笑顔を浮かべた。

 まるで、小さな花が開いたかのように。味気のない比喩かも知れないが、実際に彼の目にはそのように映っていたのである。


「アイリスですね、ありがとうございますっ! それでそれでっ、アイリスはなにをすればいいのですかっ?」


 興奮しているのか、アイリスは大きな目を輝かせて過大な身振りを添える。

 何を、と言われても、カナシは意識したことなどない。

 彼が何をするにも、アヤメは傍についてきていた。

 いや、違う。指示を求められることがなかったのだ。

 違和ばかりを感じる神経を宥めて、カナシは力の入りづらい膝を立てた。


「……ひとまず朝食だ。ついてこい」

「はいっ!」


 ぱたぱたと音を立てて、裸足のアイリスはカナシに駆け寄る。

 《幼い》というよりは《あどけない》。ニュアンスの微々たる違いだが、アヤメと比べてしまうとその違いが明瞭に泣ている気がする。

 アヤメが幼さを残す少女とすれば、アイリスはただ幼いだけの少女だ。

 まるで幼稚園児。純粋無垢を具現化したような存在。

 身に纏う白のワンピースは、何も描かれていないキャンバスを想起させる。

 だとすれば、髪や目の水色はなにを示している?


 ――いや、そんなこと今はどうだっていい。


 二人でリビングに降り、カナシは「いま朝食を作る」と言い、アヤメがいつも座っていた椅子に座らせる。

 またしても首をかしげるアイリスを置いて、カナシは上着を椅子にかけ、キッチンへと向かった。


 ――さて、何を創れる(・・・)のだろうか。


 起床から間もないだけが原因ではないと思われる倦怠感のせいか、思うように頭が回らない。

 ふと思いついたのは、オムライス。アヤメを出産して間もなく他界した母親がいつも作っていて、アヤメが物心ついた時からもカナシが好んで創っていた。

 だが、少し複雑であるのが難点だった。

 精々、パンが関の山だろう。

 カナシは棚から取り出した2枚の皿に右手をかざし、集中するために目を閉じた。

 瞼の内からは、青い光が淡く漏れ出す。


 ――強力粉にイースト菌、砂糖に塩を混ぜ、そこへ水を加えてこねる。できた生地を発酵させ、オーブンで十分に加熱……


「……《創造クリエイト》」


 眉根を寄せながら、カナシはこの世に異常を起こす現象――《魔法》を唱えた。

 直後、彼の掌から発した光が皿の上に収束し、丸い輪郭を形成していく。

 間もなくして、それぞれの皿にコッペパンが3つずつ現れた。


「ふわぁぁあっ! なんですかそれぇ!」


 息を吸っているのか吐いているのか分からない声を、アイリスが上げた。

 いつの間にかキッチンを覗いていたらしい。


「……魔術師マギアという、おかしな力を持った人間がいる。さっきのは《創造クリエイト》と言って、そのおかしな力の一つだ」


 常識を改めて話すことは、カナシにはどうにもむず痒く感じられた。

 それに、アイリスがどこまで理解できるかも怪しく、どのように表現を変えれば良いのかも考えねばならず、カナシは頭を悩ませた。


「パンをつくるまほうですかっ!?」

「パンだけじゃない、俺が知ってる物体すべてだ。……話は後でいい、持って行くから戻れ」

「はぁい!」


 素直に返事をして食卓に戻るアイリスの後をついていき、カナシは自分とアイリスの前に皿を置いた。


「いただきまーすっ!」


 元気いっぱいに大げさな身振りでパンを持つと、口を怪獣のように開いて噛り付いた。

 カナシも一つ手に取って口に運んだところで、飲み物がないことを思い出す。

 食べながら再びキッチンに向かい冷蔵庫を開けると、野菜ジュースが残っているのを認めた。


「ふぁナシさま、どうかなふぁいましたかっ」

「パンだけでは喉が渇くだろう。飲み物を持って行くから大人しくしていろ」

「んぐ。まるでおかあさんみたいですねっ!」


 何気ないアイリスの一言で、カナシは動きを止めた。

 事情を知らぬアイリスは、また首を傾げている。


「……母親はいない。家にいるのは俺とお前だけだ」

「いないの、ですか?」


 続けられた言葉に、悪意は微塵も感じられない。

 幼さゆえの、純粋な興味によるものだろう。

 カナシはガラスのコップを取り出して、紫色の野菜ジュースを注いでいく。


「……かなり前に他界した」

「たかい? どこかにいってしまったのですか?」

「ああ、そうだな。もう二度と帰ってこない」


 子供の認識に合わせて、カナシは応える。

 理解しているのかは定かでないが、アイリスは心の暗を示すように顔を俯かせた。


「むせきにん、なのですね」

「そういう考え方もできる。元より命を作ること自体、無責任な――」


 言いかけて、カナシは自分のしたことを改めて認識する。

 子に許可を得てから産む親はこの世に存在しない。

 I was born――私は生まれた(・・・・)。生まれてしまったのだ、親の独断で。

 自分勝手。自己満足。そんな言葉が彼の中で黒い渦を巻く。


「カナシさま、どうかなさいましたか?」

「……なんでもない」


 決してそんなはずはない。本来ならば、謝罪をしなくてはならないはずだ。

 だが、カナシは恐れてしまっていた。

 命を弄ぶに値する自分の所業に。そしてその応報に、自分の命を捧げなくてはならない気がしたからだ。

 ゆえに、彼はアイリスの無知に甘えていた。


 カナシが震える手でアイリスの前にコップを置くと、アイリスは両手でそれを持って豪快に飲んでいく。

 いつの間にか、食事も終えているようだった。


「このパン、とってもおいしかったですっ!」

「そうか」

「それでそれでっ、このあとはどうなさいますかっ?」


 アイリスに言われて、カナシははじめてそのことを考える。

 いつも通り(・・・・・)ならば、カナシは妹と共に同じ場所へ向かっていた。

 ならば、アイリスも同じように連れていくべきか?

 様々な思考が彼の脳内を飛び交うが、ひとつ、確たる考えが答えを出した。


「……俺は仕事をしてる。その間お前を家に置いておくわけにはいかないから、ついてこい」

「どんなおしごとをなさっているのですか?」

「俺にもよくわからん」


 カナシの曖昧な返答で、アイリスはまた首を傾げた。

 実際、その説明で間違いはない。

 それに正しい回答をしたところで、おそらくアイリスは理解できない。彼はそう判断したのだ。


「とりあえずそこに向かう。……そうだな、その容姿では目立つか」


 カナシも食事を終えると、ちらとアイリスの方を見て言う。

 特徴的な水色の髪と目は、生来のものとしか思えない自然さがある。

 だからと言って公衆の面前に晒したとて、奇異の目で見られることは目に見えている。

 ――それどころか、殺されても(・・・・・)おかしくはない(・・・・・・・)

 アイリスのものと一緒に食器を下げると、カナシはアイリスを呼び寄せた。


「はい、なんでしょうかっ?」


 駆け寄るアイリスの頭に手を置き、カナシはその大きさをはかる。

 その後再び目を閉じ、頭の中で黒の髪の毛とコンタクトを想像する。

 そう、かつて妹が伸ばしていたような、艶のある黒髪。そして大きな目を覆っていた、偽物の黒の虹彩。


「《創造クリエイト》」

「わ、わわ。かみのけに……コンタクト、ですか?」


 収束した光の中から現れたソレをまじまじと見、アイリスは不思議そうに見上げた。


「あまりいい考えが思いつかなかった。誤魔化すくらいはできるはずだ」

「んむむむ……こうですかぁ?」


 前髪や後ろ髪をまくり上げながら、アイリスは黒のウィッグを不器用に整え、どこか慣れた手つきでコンタクトをはめる。

 各所から水色の髪が見え隠れしているが、多少の問題は無視できるだろう。

 それよりも、カナシは硬直していた。

 そこに、アヤメがいたように見えたのだから。


「? さっきからヘンですよぉ、カナシさま」

「……なんでも、ない」


 違う。

 もういない。

 コレ(・・)は違うんだ。

 重ねるな。


 否定するたびに、謎が顔を出す。

 なぜ妹は消えた?

 なぜお前はその紛い物を作ってしまった?

 なぜ。なぜ。なぜ――問いは尽きない。


「それよりも、いくならいきましょうよぉ」

「ああ、そうだな」


 底知れぬ闇に足をとられかけて、しかしアイリスの純朴さがカナシを引き上げた。

 かすれたような声で応えると、カナシは独りで玄関へ向かう。

 履く靴がどれか分からないアイリスには、仕方なくアヤメのものを渡した。


 玄関を開けると、昨日よりもやや重く気温の低い空気が彼らを包む。

 空は青を忘れたかのように、灰色に濁っていた。

 一切を予測することもかなわない、二人の行く末のように。


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