《偽命》-Create-①
静葉カナシは、己を疑った。
自分の目に映っていたのは、決して起きるはずのない――そう自分が思い込んでいた――ことだったのだから。
その日も、兄妹はいつもと変わらない夜を過ごすはずだった。
明日も朝日が見られると信じ、眠る。
わが身は安泰と盲信する者達と、同じように。
だが、誰もがその命を狙われる可能性のある世界になりつつあることは、決して忘れてはならなかった。
彼も、その妹も、忘れてはいないはずだった。
それでも、無意識に願ってしまうことは許されてもいいはずだった。
いや、それはたぶん、自分が許されたいだけなのかもしれない。
「……アヤメ……?」
発端を話すには、数分をさかのぼる必要がある。
静まり返った我が家に帰った彼は、その異変に気付いて妹の部屋に入った。
そこで事は起きていた。
妹の静葉アヤメが、死んでいたのだ。
そうと分かる確証はどこにもない。
ただ、微かにも動きを見せない肉体が。
薄目からのぞく瞳孔の開いた眼球が。
掻きむしったように乱れた長髪や服装が。
彼に、妹の死を告げていた。
カナシは反射的にその死体を抱こうとした。
しかし、彼が触れようとしたのを見計らったかのように、妹の体は光の粒となって宙に霧散し始める。
カナシは驚愕に目を見開き――妹の体が完全に消えてなくなるまで、全身が石になったかのように動かなかった。
気が付いたのは、彼の頬に透明な一筋が走った時だ。
なぜだ。
カナシは混濁する意識の中、何度も問いかけていた。
しかしその問いが何に、誰に向けられたものなのかは、彼自身すでに分からなくなっている。
いつしかも、同じ状況に陥っていたような気もする。
静かに流れる時間。
カナシだけは目の前の事象が受け入れられず、流れに抗うかのように止まっていた。
いなくなった、と彼が頭のどこかで認識したのは、それからどれくらい経った後だろう。
――いなくなってなんか、いない。
現実から目を背けるというよりかは、自身に暗示をかけるような呟きだった。
存在している感覚をも失いかけていた頃、彼は脳裏にこびりついた過去を思い返していた。
妹のあどけない声。
妹の花のような笑顔。
妹の穏やかな体温。
妹の長く艶のある髪。
妹の細い眉。
妹の雪のように白い肌。
妹の大きな目。
妹の柔らかな耳。
妹の薄紅の口。
妹の棒のように細い首。
妹のなだらかな肩。
妹の小ぶりな胸。
妹の細い腕。
妹の紅葉のような手。
妹の小枝のような指。
妹の細長い爪。
妹のくびれていない腹。
妹の華奢な腰。
妹の未熟な性器。
妹の小型の尻。
妹の細い脚。
妹の小さな足。
妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の妹の――――――――
アヤメはいきている。
いなくなってなんかいない。
いきている。
なぜなら、ここに、いるからだ。
――嘘だ。今から、偽物を創るからだ。
自分の中で叫ぶ声も、届きはしない。
濁った七色に光る双眸。
それを引き金に、膨大な熱量が世界を割って現れる。
そこに、自分の記憶と知識をすべてかき集めて。
自分の願いを詰め合わせて。
自分の欲望を混ぜ合わせて。
その結果何が生じるのかなど考えもせず、彼は魔法を唱えた。
「……《創造》」
熱量は彼の言葉に応じ、輪郭を形作る。
彼の願うソレがそこに現れたのは、一瞬の出来事だった。
熱っぽい吐息を漏らし、カナシはソレに触れようとする。
しかし、光の中から現れたソレは、カナシの願ったモノではなかった。
「……ぁ」
喉の奥から絞り出された声は、彼の手が静止したことをソレに伝える。
もっとも、ソレに伝わっているかは定かではない。
そこにいたのは、自分が知るよりもはるかに幼い――
「お前は、誰だ……?」
妹によく似ていて、しかしまるで別物だったからだ。
ぺたんと床に座り込むソレの真似をするように、透き通る水色の髪も床の上で波打つ。
不思議そうにカナシを見つめるその瞳も、髪と同じ水色。
何も混ざり気のない、純朴そのものを表しているようだった。
「……かなし、さま」
恍惚の笑みを浮かべるソレの発した言葉で、カナシはすべてを察した。
ちがう。
これは妹ではない。
自分の知る妹ではない。
その事実は、認めざるを得ないものだった。
ゆえに。
ゆえに、彼は漸く理解した。
妹はそこにいないのだと。
自分が生み出したのは、欲望の塊だということ。
自分の写し身でしか、ないということを。
子供のように泣き喚くカナシを、幼女はただ無邪気に眺めていた。