《悪夢》-Maxwell-
「なぜ俺を殺した」
「失敬な、いま君は生きてるだろう」
「戯言はいい。答えろ」
長身の少年に向けられたカナシの眼光が、じわじわと赤くなる。
しかし少年は動じることなく、裂けそうなほどに口の端を吊り上げた。
「君のため、ひいては未来のため。と言ったら信じるかな」
「人をさらってえぐい真似をして、よくそんなことが平然と言えるな」
「彼らは同意の上でここにいる。みんなグルだよ」
「ふざけるなッ!!」
カナシは咆哮し、手錠と警棒を投げ捨てる。
淡かった赤い眼光はまばゆいばかりの光を放ち、カナシの拳を鉄で覆う。
彼は一切の躊躇を見せない動きで飛び込みその拳を振るうが、少年はいとも容易く避け、カナシの腕を掴み上げる。
「遅い」
「放せッ!!」
乱暴に腕を振り、カナシは強引に拘束から逃れる。
興奮しているせいか、既に息が上がっていた。
「ま、こんなんで信用するわけがないか。けどね静葉君、よく考えてみるんだ。なぜ僕らはこうも不可解な行動をとるんだ? とても合理的とは言えない。
状況的に仲間と認識できるはずの佐祐に魔法をかけて気絶させる理由はなんだ?
わざわざ違法改造の車両を暴走させて、仲間と思しき人物をそれに載せて突っ込ませる理由は? 拉致した人物をただ殺すだけなら他にも方法はあるはずだ。少しは考えてみたらどうだい」
「うるさい! 犯罪者風情がッ!」
少年の言葉に聞く耳など一切持たず、カナシは拳を振り続ける。
しかし一発もかすることもなく、ただ彼の体力を削っていくばかりだ。
「犯罪者――そうだ。この前ひったくりを捕まえてくれたろ? どうしてあれだけの用意ができていたと思う?」
「やっぱり、共犯者がいたのか!」
「質問には答えてほしいなあ。まあ、僕はいざって時の保険だけどね。……じゃあ質問を変えよう。僕らは誰だと思う?」
その問いかけにカナシは攻撃の手をやめ、戦闘態勢のまま考える。
今なお《ラプラス》の可能性は否定できないものの、彼の口ぶりからそれ以外の何かであることは察することができる。
だが、何なのかまでは分からない。カナシは押し黙り、少年を睨んで答えを求めた。
「僕らの名は、マクスウェル。《マクス》でいいよ」
にやりと口の端を吊り上げた少年は、さも誇らしげに告げた。
「魔法を使って物理学を冒涜してる。本物の悪魔だな」
「命名は僕じゃないから何とも言えないね。さて、あとは今後をお楽しみに。続きをしようか」
肩をすくめるような身振りをしたのち、少年は拳を構えてカナシに襲い掛かる。
その素早さにたじろいだが、カナシも身構えて初撃を受け止める。
重い。
少年の拳は骨を伝って、全身に衝撃が走っていた。
「違法改造の義手だな!」
「そ。車のアレと同じで、機械とかに強いヤツがいてね」
手も足も出ないカナシは隙を見て拳を突き出すが、常人のそれを越えた反応速度でかすりもしない。
もしや脳も弄っているのか。そう考えた一瞬の油断を突かれ、カナシは襟首を掴まれた。
「しかし君は鈍いね。既に6回くらい魔法を打ち込める隙があった」
「ッ!」
自分から距離を詰めてきた、今こそ好機だ。
カナシがそう決心して、拳を振りかぶった時。
少年は、受け止めるわけでも避けるわけでもなく――
「《悪夢》」
カナシの瞳を、青い光と共に見つめていた。
目の奥に大量の水が流れ込んでくるような感覚。
間もなくして体の内側全てが水に満たされ、彼の意識を水底に沈めていく。
――苦しい。
息もできないほどの衝撃に、カナシは悶え呻く。
悲鳴を上げる余裕すらない。
いつの間にか、彼は意識を失っていた。
あの時自分を轢き殺した車両の、運転手と同じように。
□ □
カナ 仕事を え、今し 帰宅し ころだ。
夜 更けて いか、どの部 照明が点い いし、物音ひと ない。
う■■■は寝 だろう。食 入浴 後回 にして、カ 寝間 替えて自室の ッドへ うことした。
静か の中に、木製の ら軋む 響く。
二階へ の一段。 の を踏み出そ した時、カ シは異 に気付いた。階段を上 たす には、■■■の部 あ 。
その 隙間 、部屋 光が漏 していたのだ。消し忘 うかと訝 なが 、カナシは グフ で■■■に かける。
が、返 ない。疑 くなる。
試しに扉をノッ 。
案の 返 。
ふいに、彼の鼻 生臭さが刺 た。
ま か。他の可能性など考えるま なく、 ナシは《創造》で扉 開 る。
■■■の名 びながら部屋 れば、そ にあ のは――
□ □
「――アぁあぁああァァああァぁァッ!! ァぐ、あぁア!!」
自分の中にある《最悪》のイメージが、ノイズ混じりに駆け抜けていった。
その苦しみで、カナシの喉から狂った咆哮がほとばしる。
体のどこにも力が入らず、彼は膝から崩れて床に身を預ける。
少年はそれを眺めて、自嘲するような笑みを浮かべていた。
「ぁぁ……ァ……」
かすれた声を絞り出し、カナシは正気に戻る。
いや、正気とは言えなかった。
一瞬のうちに流れた夢は、彼にとってこの世で最も絶望的な事象だったのだから。
「いま君が何を見たのかは知らない。けど、相当ショックな内容だったのだろうね」
「ふ……ざ、けるな……」
荒げた息に混じり、カナシはなんとか言葉を発する。
まだ、わずかな威勢を残していた。
一方で少年は、驚いたように目を僅かに見開いていた。
「二度と思い出したくない過去。絶対に起きてほしくない未来。《悪夢》はそれを見せて、対象の意識を奪うほどの絶望感を与える――はず、なんだけどね。どんなメンタルをすれば、あれを耐えられるんだ?」
「あんなもん、見せやがって……殺して、やる……ッ!!」
聞く耳を持たないカナシに、少年はくくと抑え気味の笑い声を上げる。
「なるほど、どうやら起きてほしくない未来を見たんだね。トラウマなら既に気絶しているはずだ」
「クリ、エイ、ト……ォ!!」
赤の眼光を点滅させながら、カナシは魔法を唱える。
しかし、願ったものは思うように出現しない。
「満足に魔法も使えていないじゃないか。参ったねえ、こんな微妙だと」
意味するところの一切が不明なことを言いながら、少年は頭を掻く。
その間にも、カナシは朦朧とする意識がじわじわと回復していくのを感じていた。
しかし、まだ魔法を使うには時間がかかることは確かに分かっていた。
「まあ、僕の仕事はあらかた済んだし――君が落ち着くまで少し話でもしようか」
少年は死体の眠るベッドの隅に腰かけ、地べたで息を荒げるカナシを見下ろす。
少しずつ平静も取り戻してきたカナシは、体内に響く脈を厭わしく思いつつ、時折フラッシュバックする悪夢を拭い、少年の言葉に耳を傾けていた。
「僕らの目的はこの世界の再生。まあ、ぶっちゃけおかしいのは日本だけだから、日本の再生が目的かな?」
「……具体的な内容が知りたいな。魔術師をどうする気だ」
「魔術師だけの社会を作る。そもそも、ヒトと魔術師、どちらも自分がマトモだと思ってるから、対立が起きてる。ならどちらかにしてしまえば、事は丸く収まる」
語りながら少年は、床に落ちていたナイフを拾い上げる。
モニターの光でも判別は難いが、黒い染みが見える――おそらく、血痕。そこで蘇生を待つ死体のものだろう。
そんなことを平然と行い、受け入れられるこの場の人間たち。それを改めて認識すると、カナシは背筋が凍る気がしていた。
感情に任せて挑んだ相手は、そんな人間なのだと。
「その過程に君が必要になる。だからこうしてちょっかい出してるわけだ」
「……俺はこの魔法を、ただの人殺しに使う気はない……」
だが闘志は折れてはいない。この気持ちは、彼がフォルセティに入る前から持ち続けている。
――にーちゃんが守ってやるからな。
ゆえに、そう簡単に折れはしない。
彼の決意の炎がくすぶる瞳を見、少年も「うんうん」と満足げに頷く。
「君は変わらず、社会正義のために《創造》を行使してくれて構わない。僕ら魔術師の生活も守ってくれてるわけだし、その邪魔をする気はないよ」
「……ああ、魔術師の生活のためには、お前も邪魔だ」
いま捕まえてやる。
未だ震えを残す膝を立て、カナシは再び瞳を光らせる。
それは、黎明の空のような鮮やかな紫色をしていた。
赤と青をただ混ぜただけではない。二つの色が、互いを認め合うようにして虹彩に溶けていた。
「いい目をしている!」
「《創造》! 鉄ッ!!」
鉄が覆うカナシの右手から同様の光が放たれ、細長い鉄棒が創り出される。
彼はそれを握り、立ち上がった少年の首根を目掛けて振り下ろした。
しかし、そう簡単に事は進まない。
少年は義手でそれを弾き、そのまま流れるように拳を作り、再びカナシに向けて突き出した。
カナシも拳を防いでばかりではない。先程の経験を早くも活かし、身を屈めて回避する。
「遅い!」
「君がかなァ!?」
カナシが叫んだのとほぼ同時に、少年の膝がカナシの顔面を狙っていた。
拳よりも素早く迫ってくる。
「――《創造》」
だが、カナシの方が速い。
床から突き上げるようにして創り出された鉄柱が、少年の膝蹴りを防いだ。
鈍い金属音が、部屋の中に反響する。
鉄柱は軋んではいたものの、折れるまでには至っていない。
「へえ、戦闘能力はなかなか。でもまだ未熟だね、年相応かな」
「ガラ空きだぞ。《創造》」
右手を覆う鉄に、さらに分厚い鉄を上乗せる。
単純に質量を増した拳が、少年に襲い掛かった。
それはカナシの予想通りに防がれはしたものの、義手の変形する手ごたえが確かにあった。
「……鉄ばかり。使いこなせてるとは言えないか」
打撃に紛れて呟いた少年の言葉は、カナシには届かない。
「何か言ったか」
「いいや、いい一撃をもらったからね。少し驚いていた」
敵に褒められてもうれしくはない。
カナシはすぐさま鉄の手甲を外し、乱暴に床に捨てる。
「でもちょっと退屈だ。また話に付き合っておくれよ」
「そんな余裕があるならな」
カナシは再び《創造》を発動させ、鉄の手甲を創り直す。
手首の辺りまで多い、先ほどよりも戦いやすい形をとっている。
何度か拳を握って感触を確かめ、今一度少年に戦いを挑む。
「では、僕の魔法《悪夢》――いや、夢の話をしよう。人はなぜ夢を見るのだと思う?」
会話に集中したいのか、少年は部屋から廊下に出て回避に集中する。
かすりもせずまた焦りが湧いてくるが、カナシは動きを注意深く観察しては少しずつ攻撃の仕方を変えていく。
「現実に夢がないからだろ」
「なんとも夢のない話だけど、まあそうだね。人は夢と現実の差に絶望を覚える。しかしそこから希望に変える者も現れる」
話をしている今が好機か。
卑怯などとは考えるまでもなく、カナシは語り続ける少年の脇腹に拳を突き出す。
しかし――呆気なく受け止められる。
「つまり何が言いたいかって言うと、人間はいちど夢を見ることの面白さを知ってしまえば、その虜になり脱することはできなくなる。その面白さというのが……」
確かな手応えのあったはずの義手は、異常な握力で拳を掴んで離さない。
さっきの一撃で壊せなかったのか、引き抜こうとしても、びくともしない。
「夢が、現実になることだよ」
「――道理で見飽きるわけだ」
カナシは固定された腕を支点にして足を振り上げ、少年の腹を目掛けて蹴りを繰り出す。
わざと受けたのか否か、少年は体勢を崩して後ろに転がる。
その際に力が抜けてカナシは解放されたが、少年がわざと受けたことをなんとなく感じていた。
おそらく、受ける直前に体勢を少し崩していたのだろう。
「僕は《悪夢》の代償で、夢が見られない。寝ていても、起きていてもね。
ゆえに僕は願いを持つことができない。いや正確には、自分の持つこの感情が願いによるものなのかどうかが分からない。だから、願いの叶う――夢が現実になる面白さがもう分からない」
「ある意味幸せなのかもな」
「いいや、僕は何かを為したくて《マクス》に入ったはずだ。この社会に不満があって、それを変えたいと思っているはずだ。でなければ、僕がここにいる理由が説明できない」
つまり少年は、上の命令をただ遂行するだけの駒と自覚しているということか。
それが自分の持っているはずの、願いの実現につながると信じて。
理解しがたい話ではあるが、人間をそうしてしまうのが魔法であり、代償なのである。
「抗うことだってできたはずだ」
「君と同じだよ。気付いた時にはもう、戻れなくなっていた」
「……理解はしてやる。だがお前達を受け入れる気はない」
それでいいよ。
微笑を浮かべる少年は義手を構え、カナシも同様にする。
「じゃあ、今夜はここまでにしようか」
「来い」
カナシは左腕で防御の構えを取り、右腕で構えて迎え撃つ姿勢をとる。
少年は足に力を籠め、豪風を纏ってカナシに突っ込む。
片腕で受け止められるとは考えていない。
タイミングを見計らって拳を弾き、直線を曲げる。
無理なら避けることも視野に入れ――
「――なッ!?」
「また会えるといいね、静葉君」
少年が急接近し、カナシに向けて拳を振りかぶった直前。
彼は滑らかに身を翻し、カナシの横を通り抜けた。
カナシには、構えた右手を突き出す余裕すらなかった。
「あの野郎!」
部屋に飛び込んだ少年の後を追い、カナシは駆け出す。
しかし彼が戻った先には、もう少年も、佐祐もいなかった。残っているのは、蘇生を待つ魔術師の死体たち。
「くそ……ッ!!」
反射的に窓から身を乗り出す。
三階ほどの高さだ、ここから飛び降りたとは考えにくい。
だが上なら目立つだろう――いや、どちらも魔術師がいれば可能だ。
逃がした。
その事実だけが、彼の脳内で反響していた。
「……シュン」
『カナシ、何をしていたんだ!? 勝手に切ったりして!』
急速に冷えていく思考。
リングフォンで報告をしようと通信を繋げるなり、聞こえてきたのは幼馴染の怒号。
「……ごめん」
カナシには、謝ることしかできなかった。
独断で突撃し、何の成果も得られず。
精々、リングフォンが録音した会話が益になるかならないかだ。
『ひとまず君が無事ならないい。状況を報告してくれ』
「……一連の事件は、マクスウェル――《マクス》を名乗る組織によるものだ。曰く、昨晩の車両以外は全部だ」
『わかった、詳しいことは後で聞くよ。イレブンゼロは済ませてる、今日はもう帰った方がいい』
「フォルセティに向かわなくていいのか」
『声からも疲れが見える。録音データはあるだろ、今日のところはそれを送ってくれればいい』
小さな声で承諾し、カナシは通信を切る。
遠くから、サイレンの音が鳴り響くのが聞こえる。
自分はこれからどうなるのだろう。
ふとベッドの上の死体に視線を向け、沈黙の中で思考する。
――アヤメの為に。それは、変わらないはずだ。
自分が一度、死んでいる人間であるのだとしても。
するべきことは変わらない。
だが。
だが、彼の中で再び《悪夢》がよみがえる。
■■■の、想像すらしたくもない姿を。
――現実になることだよ。
無意識に、少年の声がカナシの脳裏によみがえる。
「……いや、考えすぎか」
そう呟く彼の声は、自認できるほどに震えていた。
どんな強がりを言っても、見せられた夢は何より恐ろしいものだった。
一段と冷えた秋の夜風を浴びながら、カナシは夜遅くに帰宅した。