春
以前個人的に書いたものです
軽い気持ちで読んでいただけたら嬉しいです
それは、忘れられない春の出来事であり、忌々しい過去だ。
「お前なんか大っ嫌いだ!」
「わたしだってきらいだもん!ばーーーーか!」
「二人共、止めなさい!」
止めに入った先生に苛立って振り回した俺の手がやつの頬に当たり、ぱあん!と小気味いい音が辺りに響く。
「あ・・・・・・・・・。」
瞬間、場が静まった。
やつは頬を抑えてこちらを睨む。その目には大粒の涙が溜まっていた。
「ご、ごめ・・・。」
「・・・ばかっ!りょうくんなんか、だいきらい!」
流れる涙とともに、冷たい、蔑みの視線が俺に刺さった。クラスの連中も、同じ目をしていた。
なんだよ、俺が、何をしたって言うんだ。
だってこいつが悪いんだ。俺が、俺が。
「お前が悪いんだからな!この!」
俺が髪の毛を掴み、前後にぶんぶん振り回すとそいつは声を上げて泣き出した。
それからというもの、俺は春が嫌いになった。
*
春。大学生が浮かれる時期。そして俺が嫌いな季節。
「何嫌そうな顔してんだよ。せっかくの合コンだってのに、変な奴だなあ。」
「・・・うっせ。」
「あ、あと一人遅れてくるみたいだから。」
「・・・あっそ。」
「お前ね・・・・・・まあいいけど、たまにはちゃんと話してみろよ。いっつも話さないんだからさあ。」
その言葉に俺は返さず、ジョッキをあおった。
「しょうがないやつだな、ま、楽しめよ。」
大学生になってから、なんだか妙な付き合いに誘われることが多くなったのは気のせいではない。合コンやら、飲み会やら、特に女に興味はないけど惰性で俺は参加し続けていた。自称イケメンの友人は、俺に不思議そうな顔を向けつつもすぐにきゃいきゃい騒ぐ女の機嫌を取りに行った。
実家を出、少し大きい地方の大学に進学してもう三年になる。理系の学部に進んだせいか、女子の数は少なく、代わりに合コンや飲み会は多かった。そこで出会った女と適当に付き合ったこともあったけれど、どれも長続きせずあっという間に別れた。今ではただの付き合いでこういった集まりに加わっているというわけだ。
「長谷くんって、実家どこにあるの?」
「・・・こっからそんな遠くないとこ。」
「ふうん・・・。」
このような退屈な会話の繰り返しだ。
俺に話しかけてくる女子は多いが、大抵一言二言返すだけで離れていく。こちらとしても香水の匂いを振りまき、下心のある笑みを浮かべる女はゴメンだった。
「ねえ、今度お花見行かない?春だし!」
また、春。人はなぜ春という響きを好むのだろうか。
「俺、そういうのあんま好きじゃない。」
「えーっ、もったいない!桜とか、綺麗じゃん!ねえ行こうよ~。」
なおも言い募る女を適当にあしらいながら、来るんじゃなかったと少し後悔する。春を思い出すと、遠い昔に見たあの目も思い出してしまうから。いっそ忘れてしまいたいのに、十年経った今でも忘れられない。
「長谷くん今彼女いないの?」
「いないけど。」
次に寄ってきたのは、化粧が濃い女だった。春先だというのに露出が異常に多い服を着て、俺の腕を掴む。
「じゃあ私なんかどう?結構料理とか上手いんだけどな。」
どう、と言われても、何も言えない。有り体に言うと興味はない。
「悪いけど俺好きな人いるから。」
「へえ、意外ね。」
こう言うとしつこい女もたいてい離れてくれるのだから、便利なものだ。どんな人?と聞かれれば適当に料理が上手いだの可愛いだの言ってごまかす。ここ最近の俺の処世術だった。好みだったら適当に付き合うなりするのだけども。
最近は黒髪の、かわいい感じの女子、というのが俺の常套句になりつつある。
「あ、来た来た。ハル、遅いよ!」
丁度最後の一人が到着したらしい。俺は奥まったカウンターに座っていたので見えなかったが、その名前に少し心が跳ねた。
「おっ、もしかして最後の一人?ハルちゃんって言うんだ、可愛いね!」
「何飲む?お腹空いてるでしょ?なんか頼もうか。」
下心丸見えの男たちの声は聞こえるものの、本人の声は聞こえない。俺は気のせいだろうと目の前の酒を飲もうとして、中身がないことに気が付いた。ちっ、と舌打ちしてビールを頼む。
『ばかっ!りょうくんなんか、だいきらい!』
聞こえるはずのない声が聞こえ、一気にテンションが下がった。全部ハルとかいう女のせいだ。
あいつと名前が一緒なのが悪い。
俺には幼馴染がいた。名前は春。特別美人というわけでもない、普通の女の子。ただいつもにこにこと笑っている変なやつだった。
「りょうくんは、かっこいいね!」
俺がカエルや蛇から春を助けるたび、春はいっそ大げさなくらい俺を褒めた。
俺は春が好きだった。
小学校に入るまではただの遊び友達で。それが、だんだん学年が上がるにつれ、俺は春のことが気になり始めていた。近くに来られるとなぜだか心臓がバクバク鳴って、話しかけられるとうまく気持ちが声に出せない。そのもどかしさといらだちを、俺は春にぶつけてしまった。
そして、春を泣かせた。
きっかけはささいなことで、高学年に入ってあまり話さなくなったことを不思議に思った春が俺に詰め寄ってきたのだ。
思春期の子どもなど、異性と話していたというそれだけでからかいの対象になる。俺と春はあっという間に標的となり、男子に詰め寄られた俺はつい、こう言ってしまったのだ。
「あんなブス、好きでもなんでもねえよ!」
その言葉はたまたま近くにいた春の耳にも届き、ひどく傷ついた顔で俺を睨んできた。そして、泣かせた。あまつさえ手を出した。
そのことがあってから、俺と春の関係は跡形もなく壊れてしまった。
仲直りどころか目を合わせることもないまま小学校を卒業し、中学校に入る直前で春は引越ししていった。引越しのあいさつにも来なかった。
だから俺は春が嫌いだ。いっそなくなってしまえばいいとさえ思う。春、と呼ぶごとに自分が嫌になるのだ。
「おい長谷。お前もこっち来て挨拶くらいしろよ。せっかく来てくれたのに。」
一応合コンであるから、挨拶くらいはしていけと友人が急き立てた。しょうがないので、席を立って皆が集まっているテーブル席へ移動した。
「どうも、長谷っす。」
目を向けないまま挨拶すれば、返ってくるのは優しそうな穏やかな声。
「こんばんは、はじめまして。私、文学部のーーーーーー。」
そこで女の声が途切れた。目を向けると、ふわっとしたワンピースを身にまとった黒髪の、清楚な雰囲気を持つ少女。くりっとした目が大きく見開かれ、驚きをあらわにしている。そして彼女はあの、あいつ独特ののんびりした声で、それでも少し早口に言った。
「りょう、くん・・・。」
「なに、春ちゃん長谷と知り合い?」
「別に、昔ちょっと家が近所だっただけだよ。」
ちゃっかりと彼女に腕を回す友人の手を払い除け、俺はそう言った。
「あ、あの、りょうく」
「俺もう帰るわ。金、つけといて。」
「あ、おい長谷!」
そのまま振り返らずに外に出た。もう酒を飲む気にはなれない。
家に帰ってさっさと寝よう。そう思った直後、背中に軽い衝撃と温かみを感じた。
「りょうくん!りょうくんでしょ?やっぱり!」
振り返ると、息を切らした春が立っていた。
その顔はひどく真剣で、けれど優しいものだった。
「会いたかった・・・。」
昔は同じくらいの目線だったのに、今では頭一個分以上の身長の差に気づく。けれどその目は昔のまま何も変わらない。
「・・・今更、俺に何の用。」
つっけんどんに返すも、春は諦めない。
「謝りたくて。」
「何を。」
「あのとき、嫌いって言ってごめんなさいって。」
「・・・十年経ってるっていうのに、なんで覚えてるんだよ・・・。お前は。」
それを言うなら、と春は照れたように言う。
「りょうくんこそ、あのときって言っただけでよく思い出せるんだね。」
「それは・・・。」
お前のことをずっと、大好きだった季節を嫌いだと嘯いてまで、思っていたからだ。
・・・などと言えるはずもない。
「・・・あの時のお前の顔が、あんまりにもブサイクだったからだ!」
そう言うと、春は突然ボロボロと涙をこぼし始め俺をギョッとさせた。
「うん・・・うん、そうだね、ごめんね・・・傷つけて、ごめんね」
なんだこいつ。笑顔で泣いていやがる。
その顔は今まで見たどんな女の泣き顔より、俺を締め付けてくるというのに。
やっぱりこいつは十年経っても変わらない。
「っだから、泣くなって!」
あー、とかうー、とかぼやきながら、ぐいっと目を乱暴に拭ってやると、春はえへへ、と気の抜けた泣き笑いで俺を見つめた。
「ごめんね、りょうくんに会えて、謝れて、とても嬉しかったの・・・。本当はね、合コンなんか行かないんだけど、メンバーにりょうくんの名前があってもしかしたら・・・って思って。最初見たとき、あんまりにも昔のりょうくんと違ってその、・・・か、かっこよかったから、びっくりしちゃって。でも、会えてよかった」
「か・・・な、何言ってんだお前は!」
確かにこいつが合コンに参加するような性格でないことは十年前からでも容易に想像できるし、小学生の頃と外見が違うのは当たり前だ。しかしあまりに素直すぎるだろう。俺ははあ、とため息をついた。
十年分の、鬱屈した思いを吐き出すような長いため息だった。
「りょうくん・・・?」
「お前、住所は。」
「え?」
一通り泣き終わって安心したのか、ぽやんとした顔で俺を見つめる。その無防備さに少し心配になってしまうのは、仕方ない。昔からだ。
結局俺はこいつに振り回されるのが、なんだかんだで好きなのだ。
「まさか一人で帰るつもりじゃないだろうな。」
「え、うん・・・まだ終電あるし、別に大丈夫だから。」
「馬鹿か!お前みたいなぽやんとしたヤツが夜出歩いたら逆に危ないことくらい気付け!」
「う・・・そっか・・・じゃあ、気を引き締めて帰るね!」
自分の頬をむにっとつねってそれで気を引き締めているつもりなのであろう彼女の手を、俺は掴んだ。昔と違って簡単に包めてしまう柔らかい手のひらを離さないように握るとおずおずと春も握り返してきて少し、かわいいな、と思う。
「だから・・・っ、・・・お、送ってやる!」
「・・・・・・え?でも、私の家遠いよ・・・?」
「うっせえ!いいからさっさと行くぞ!」
そのまま彼女の手を引いて歩き出す。夜の街をまるで小学生のように言い合いをしながら、俺と春は手を繋いで駆けた。
その後、俺が春をまた好きになったのは言うまでもない。