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アイドル・オブ・アローン3

 率直に言って、僕は社交的だ。

 出先で知人に会えば挨拶するし、それが当然だと思っている。初対面の人とでも、すぐにある程度の仲になれる自信があるし、それを持続させることもできる。落木部さんや店長、綺羅めくるも、どういうベクトルの社交性かはともかくとして、もれなく社交的だと思う。じゃなきゃ接客業なんてやってられないし、アイドルなんて夢のまた夢だ。

 だが、社交的かどうかが人間関係の上で問題になるわけではない。

 問題なのは、そういった人間が、現状恐らく誰よりも近しい人と会ったにも関わらず、気づかないふりをしたり、バレないように身を隠そうとすることだ。

 僕の知る限り、こういう時は十中八九、いやそれ以上に、いかんともしがたい理由があるに違いないし、そういう理由は多分にして面倒くさい。外野からすれば、その程度のことで? と首を傾げたくなるような理由でも、当人にとってはデリケートな問題だったりする。

「……なんで都が……」

 カウンターの女性を見る綺羅めくるの表情は、とても笑顔を振りまく仕事に身を捧げている者とは思えないものだった。

 彼女のことを僕はよく知らないが、少なくとも世間を賑わせていた当時の彼女はこんな顔をしない。自分が見間違いをしているかもと軽く目を擦るが、すぐに僕の問題じゃないと確信した。

「あ……あの人がマネージャーさんですか。綺麗な人ですね」

 僕は腫れ物に触るような気持ちで何とか言葉を搾り出した。が、綺羅めくるは意に介した様子もない。僕の声が届いているかも怪しい。

 ふと、落木部さんのことを思い出した。相当強く膝を打っていたから、今の状態であの女性の対応を任せるわけにもいかない。と、自分に言い聞かせた。一刻も早く、綺羅めくるから離れたかった。嫌な予感がした。

「すみません、僕ちょっと行ってきますね」

 一言断りを入れて、席から離れようとした時、

「待って!」

 後ろからシャツの裾を引っ張られる感覚と、積んだ皿が崩れる大きな音。

 店中に響いたことで、マネージャーと称された女性もこちらを向いた。僕も音の方に振り返る。

 テーブルの上には散らばった皿と、僕のシャツを引っ張るためにテーブルに覆いかぶさるような体勢のまま動かないでいる綺羅めくる。ここまで必死にすがる彼女の姿に違和感を覚えた。その行動をした理由より先に、さっきまで飄々としていた彼女とはまるで別人なことが気になった。

 僕は一旦「申し訳ありません……」と女性に会釈をしてから、

「待ちますから、静かにしてください。あと皺になるので離してください」

 そう言うと、綺羅めくるは渋々と手を離し、大人しく席に座り直した。

「……」

 僕は小さく嘆息して椅子に腰を下ろし、皿を元通りに重ねる。ちょうど落木部さんも復活したようで、カウンターの方から注文を取る声が聞こえた。これでついにここを離れる理由もなくなってしまった。

「……ごめん。仕事の邪魔して」

 綺羅めくるが顔を影に隠したまま、しおらしく呟いた。

「別に仕事から外れてはいないと思うので、大丈夫ですよ。僕の裁量ですけど」

「そう……」

「マネージャーさん、挨拶しなくていいんですか? 示し合わせずに同じ店に来るなんて結構すごいことだと思いますよ。ましてウチだし」

「絶対しない。……というか、できない」

 自虐を交えて少し踏み込んでみたが、ばっさりと返されてしまった。おかげで顔を上げてくれたが、苦虫を噛み潰したような表情がべったりと張りついていた。

 このままだと気の重さで窒息しそうなので、僕はまた少しだけ、踏み込むことにした。

「できないって、喧嘩でもしましたか?」

 綺羅めくるは僕にちらっと目をやると、努めて平静を装いながらそっぽを向いた。

「別にあんたに語ってやるような話なんてないわ」

「でも、さっき僕を引き留めましたよね?」

「それは、その……。あんたを間に置いて、あたしの身を隠すためよ」

 そんな見え透いた嘘をつくのは、犬も食わないプライド故だろうか。

 ただここから先は、正直踏み込みあぐねた。彼女にとっての、まさにデリケートな問題に関わっていくであろう確信があるから、こういう時は落木部さんの方が適任だろう、とも思う。

 なんとか交代できないものかと考えるが、上向かない綺羅めくるの表情を見て、そんな手間をかける気も失せた。

「僕でよければ、話聞きますよ?」

 ダメ元で提案するものの、綺羅めくるは僕の方を見向きもしない。眉根のひとつも動かさない。

「あー……」

 ここまで無反応を貫かれると、半端に踏み込もうとしたことも徒労に思えてくる。

 もう少し聞き方に配慮すべきだったか、とか、よく考えれば昨日会ったばかりの人間に悩みを打ち明けるなんて普通しないだろう、などと内心彼女をフォローしているだけ褒めてほしいくらいだ。座っているだけでいいのならそう言ってほしい。

 ──ただ、穏やかではない理由によって二人が仲違い状態にあることは、今の綺羅めくるの様子を見ていればどれだけ唐変木でも分かる。

 しかも大舞台を経験したアイドルにそのマネージャーともなれば、僕なんかには到底想像もできない重々しい理由なのだろう。

 進もうにも進めず、退こうにも退けなくなってしまった僕は、とりあえず目の前のお客さんに言われた通り目隠しとしてしばらく居座ることに決めた。落木部さんはどうやら全快したらしい。溌剌とした声がよく通っている。

 それから十五分ほど経つと、綺羅めくるのカフェオレが底を尽いた。

 そういえばよくあれだけの食事をたった一杯のカフェオレで平らげたな、と思ったのも束の間、綺羅めくるはグラスの中身が空になっているにも関わらず、カウンターの女性を睨んだままストローで空気を吸い続けていた。

「あの、それはちょっと行儀が……。あと響いて気づかれますよ」

「え? ああ、ごめん」

 ストローから口を離した綺羅めくるは、ようやくグラスが空になっていることに気がついたようで、「あ……」と小さく漏らした。

 氷しか入っていないグラスをテーブルに置くと、不貞腐れたように頬杖をつき、またカウンターに視線を固定する。僕の座っている位置はちょうど綺羅めくるの方からは邪魔にならないらしく、落木部さんと楽しげに話す女性の背中を射抜くような鋭い眼光を送っていた。僕は壁だった。

 掌で頬の肉が押され、バラエティ向きの顔になっていることも気にしていない。

 よく分からないが、これはなおさら僕が首を突っ込むような話じゃない。さっき言われたように、僕に語るような話なんて最初からなかった。壁に何を相談したところで、解決できるような答えが返ってくることはない。

「なんかさあ」

 あとどれだけこの壁状態を耐えねばならないのかと辟易していると、綺羅めくるは独り言のような調子で切り出した。

「あたし最近さあ、結構思うところがあるのよね」

「何ですか急に」

「……」

 せめて返事をして欲しい。

 それからまた少し間があってから、今度は何も言わず瞳だけ動かして僕を見た。かと思えば、不機嫌そうに眉根を寄せてまたカウンターへ目を移す。

 少しイラッとした。僕が近くにいるとネガティブになるなら引き留めなければよかったのでは、なんて思っていると、両膝に鈍痛が走った。間違いない、蹴られた。しかも靴の先で。

 後を引く予想外の痛みと、蹴られた理由が分からない理不尽さに僕が悶絶していると、

「あんたさ、あたしのことどう思う?」

「は?」

 回答が限られる質問をぶつけてきた。

「正直に答えていいわよ」

 シンプルだがこの上なく難しい要求だった。僕はその真意を掴めないまま、言われた通りに答える。

「どうって、そりゃあ……すごい人だなぁと」

「……語彙力足りないわね。本読んでる?」

 自分で言っておいて失礼すぎやしないか。

「まあ、どうせ誰に聞いてもそう答えるだろうけどさ」

 この人のファンがかわいそうだった。

 だが、少なくとも自意識過剰から口を突いて出た質問ではなさそうだった。諦めたような口調と、憂いを隠せていない表情がそれを物語っていた。

「みんながそう言ってくれるなら万々歳じゃないですか」

 僕はかけるべき言葉を見つけられずに、妥協案のようなセリフを垂れ流した。欲しいのはこの言葉じゃないと知りつつも、彼女が欲しがっているような言葉を適宜選んで言ってやれるほど僕はこの人のことを知らないし、そんな自信もない。

 綺羅めくるは眉間の皺をより一層深く刻んで僕を睨む。

「あんたって、本当に何も知らないし、信じられないくらいバカなのね」

「……」

 これはもう何を言おうと自分の都合のいいように解釈されて僕だけが傷つき続けるに違いない。

「この世界に入り込んだ時から、ひとりなのよ」

 僕の被害者的な思考回路が、綺羅めくるの冷たい声で停止した。

「ひとり?」

「そう、ひとり。孤独で寂しい戦い。全部自分の実力次第の、危うい戦い」

 綺羅めくるは苦痛を吐き出すように呟くと、あからさまに僕から目を逸らした。突然で、しかも大仰な物言いかとも思ったが、彼女のその動きで、僕はどこか裏表のない真実味を感じていた。

「つまるところ、この業界は群雄割拠に栄枯盛衰、昨日の味方は今日の敵。いつ自分がその争いから脱落してもおかしくないし、落ちたら最後また登りつめるなんてほぼ無理。リスクだらけの世界。どんなに頑張ったって、十把一絡げに扱われることさえある」

 早口で言葉を並べ立てる綺羅めくるの声は、冷たい上に、重かった。

「だからさ、みんな必死で努力して、他を蹴落として上に立とうとしてる。そうやってしかあたしたちは食べていけないし、上に立っても安心していられることはないから、努力し続けなきゃいけない。もちろんあたしだってそう。だから友達とか交友関係を後回しにしてきた。ソロ活動だからなおさらね」

 彼女は頬杖の腕を変えると、諦め混じりに小さく嘆息した。

「そしてあたしは人気を得て、頂上まで登りつめた。他にごまんといる同業者を叩きのめして。けどそれが悪かった。向こうも仕事だから、それで食べていかなきゃいけないし、何より他の子が売れ出して気持ちのいい人なんていないじゃない。その時点であたしには、友人と呼べる人なんていなかった。それでも頑張った。やっと手に入れた最高の場所を手放したくなかった。でも、すぐに手放さなきゃいけなくなった」

「どうしてです?」

「世の中には、世代ってものがあるのよ」

 言われて、僕は思い出した。

 ちょうど綺羅めくるの顔をテレビで見なくなり始めた頃に、その穴を埋めるように出演し始めたアイドルがいたことを。

「その時、あたしは他の子たちからこんな風に見られてたんだって思い知った。みるみるうちにあたしの人気を超えて、そしてすぐに、あの子はあたしのいた場所を奪っていった。──ああ、場所だけじゃないわね。あたしを応援してくれていたファンも、何もかも。そうやってあたしは、本当にひとりになった」

 僕は何も言えなかった。視界の外に彼女たちの生き方があることに衝撃を受けて、何を言えばいいのかわからなかった。

 限りなくリスクを削った生活をしている僕たちとは比較にならないほどの険しい道を生きているという事実は、一般人に過ぎない僕には想像するに重すぎた。

「どんな分野でも、後進の存在って大きいでしょ。でもあたしたちの場合は、それに人生を狂わされる。まあ当然のような話だけど、頑張ることでそういう負の確率を乗り越えられると思ってた。いつまでもあの場所から見た景色を独り占めできると思ってた」

 綺羅めくるは息を吐いて、苦しそうに小さく笑った。

「でも違うわね。これは自分の行動次第で変わる確率的な結末じゃない。逃れられない運命みたいなものなのよ。頑張れば頑張るほど、その努力は陳腐になっていく。過去の栄光と思われた時点で、これまでと同じ努力が悪あがきに変わるのよ。あたしにはどうしようもなかった」

 ふわふわと地に足が着かなかった。目の前に座る彼女の小さな体に、僕が生き、経験してきたことよりも果てしなく大きな重圧が覆い被さっていたこと。そして僕たちの見ていた彼女の笑顔が、身を削るような努力を隠す仮面として機能していたこと。綺羅めくるという偶像が、僕の中で大きく揺らいだ。

 ふいに罪悪感が芽生え、急速に膨らむ。

「……すみませんでした。事情を知らなかったとはいえ、不躾なことを何度も……」

「別にいいわ。玲だって知っててあんな調子だし、何よりあんたの同情が欲しくて言ったんじゃないし」

 無愛想な顔で告げると、綺羅めくるはわずかに口元を緩めた。

「でもね、都だけは違った」

 穏やかな表情で、カウンターの女性を捉える。

「あたしの背中を押してくれたのは都で、あの人がいなかったら、あたしは日の目を見ることができなかったと思う。あの頂上の景色を見ることもできなかったと思う。アイドルとしての人生をあの人に任せてよかった──……と、思ってたんだけどね」

 徐に目を伏せた。

「都は、あたしを引き摺り下ろした子のマネージャーも兼任してたのよ」

「……それは」

 どうしようもない、と思ってしまった。

 それを知った二人の関係は、いかに脆く崩れ去ったことだろう。出口のない迷路に入ってしまったくらい、崩壊した関係の瓦礫からは抜けられそうにない。

「正直、裏切られたと思ったわ。ていうか今でもそう思ってる。あたしに見切りをつけて、早々にあの子の懐に身を寄せたのよ。今では週に一回会えばいい方。まあ、あの子には仕事があって、あたしにはないんだから必然的にそうなるわよね」

 吐き捨てるように言葉を並べ立てる度、綺羅めくるの表情は徐々に曇っていく。

「だから、もうあの人とはできるだけ関わりたくない。そう思ってたら仕事がなくて顔をあわせる機会が減るんだから、まさに不幸中の幸いよね。まさかこんなところで会うとは思ってなかったけど」

 最後の言葉で、全身から冷や汗が吹き出した。

「ち、ちょっと待ってください。もしかしてもうここには来ないつもりじゃ……」

「玲がいる限りそれはないわ。でも日にちとか時間は考えさせてもらう」

 綺羅めくるは僕の心配を一瞬で払拭した。が、その曇った顔を僕に向けると、全く以て予想外なことを言い出した。

「あんたの連絡先教えて」

「はい?」

「だから連絡先。都のことは玲にも言ってないのよ。今後玲にこの話をするつもりはないし、あたしもここに来られなくなるのは嫌だから、あんたに連絡してから行くかどうか決めるわ。もちろん都がいない時にね」

 そう言って、綺羅めくるはショルダーバッグからメモ帳とペンを取り出し、僕の前に置いた。

「いや、でも僕は毎日店にいるわけじゃないですよ?」

「あたしだって毎日律儀に顔出せるほど暇じゃないわよ。あんたがいる日だけでいい」

 つまり、僕が彼女に肩入れし、二人が偶然遭遇しないよう取り計らえというお達しだ。それ自体は別に構わないのだが、こんな形で巻き込まれるとは思ってもみなかった。

 提案に乗るかどうか迷っていると、鷹が獲物を狙うような眼光を送ってきた。個人情報の取り立てだ。

 僕は渋々、そして自分への利益があるかどうかを考えながらペンを持つ。なんだか妙な罪悪感で胸を締めつけられながら、しかし大切な常連さんを失うわけにはいかないので、携帯番号とメールアドレスを書いてメモ帳とペンを返した。

 綺羅めくるは僕の個人情報を細目で確認すると、メモ帳を閉じ、乱暴にバッグの中へ突っ込んだ。

「ありがと。じゃあ今日は帰るわ」

「あ、はい」

 僕が返事をする前にマスクとサングラスで顔を隠し、千円札を三枚テーブルに置く。

「お釣りは預かっておいて」

「え、でも……」

「いつもそうしてる。次来た時渡してくれればいいから」

 捨て台詞を残し、この空間からさっさと早く逃げようとする綺羅めくる。

 もう出入口のドアを開けた彼女を、僕は慌てて追いかけた。

「あの!」

 体格のわりに歩くのが速い彼女の足は、すでに駅方面へと向いていた。

 歩を止めた綺羅めくるは、表情が透けて見えそうなくらい面倒くさそうに振り向く。

 僕はつい持ち出してしまった三千円を、ぐしゃぐしゃになるほど握り締める。勢いで呼び止めてしまったが、ようやく、僕の中で言葉が生まれた。

「釣りはいらねぇ、はダメですよ」

 綺羅めくるはサングラスの奥の大きな目を少し見開いた。ような気がした。

「今どきそういうカッコつけたやり方、通用しません。必ずお返しします」

 綺羅めくるは何も答えない。

 表情が読めない。もしかしたらまたご機嫌を損ねられてしまったか、とも思ったが、そうではないらしい。サングラスを下にずらして、細めた目で僕を見据えてきた。

「……ふん。あたしだって、小銭でもくれてやるような余裕はないのよ」

 吐き捨て、踵を返し、大きめの足取りで駅へと歩き出す。

 僕はひとつ大きく息をし、彼女の背中を眺めた。

 その背中が、ぼやけて揺らいだ。

 もう知らないふりはできないだろうし、お客さんというイニシアチブを取られている以上、綺羅めくるに加担する他ないだろうか。

 だからこそ、釈然としない。

 僕はちょうど綺羅めくるの背中が米粒くらいになった頃、ゆっくりと店の中へ戻った。

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