プロローグ
宝くじで億の金額が当たる確率よりも、空から降ってきた隕石に当たる確率の方が高いと、何かの本で読んだことがある。
初めて知った時は純粋に驚いた。というか単純に、宝くじが当たって億万長者になっている人が実際にいるのだから、隕石に当たって死ぬ人はそれよりも多いという理屈が成り立つことに、僕がこの星に生まれたことを呪った。少しだけ。
それだけの危険を冒しながらこの星で生活している僕たちであるが、まあ正直なところ、隕石が当たるかどうかなんて話は、少なくとも僕たちが生きる上ではどうでもいい。いくら考えたってキリがないことを、いくら考えたって仕方がない。隕石が当たるくらい低い確率というのは他にいくらでも転がっているはずだ。
そう、たとえば自分が自分の親から生まれる確率。これは一一ニ〇億分の一らしい。両親が出逢った確率でさえ奇跡的なものなのに、そこから僕が生を受けた確率なんてのは天文学的な数字に近づく。それがそこら中で起こっているわけだから、人間は捨てたもんじゃないと思う。世界は上手いことできているのだ。
そしてそんな僕が、特に大きな怪我もせず健康に生き、こうして大学へ通えているのもまた、数々の確率を潜り抜けてきた結果である。考え方によっては『選ばれし者』とか、そういうロマン溢れる人生を歩んできたことになる。たった二十一年間でも厚みのある人生だった。と、思っていた。少なくともさっきまでは。
少なくとも、さっきまでは。
「あの……」
少女は眉をへの字にして僕を見る。
綺麗な茶髪だ。染めているわけではなさそうだし、顔立ちもはっきりしている。ハーフだろうか。竹箒を持っているところを見ると、どうやら掃除の途中だったらしい。
ロマン溢れる人生だった。
小学校では運動会のリレーで奇跡の逆転劇を起こして優勝し、中学校では五年ぶりに陸上部を県大会出場へ導き、高校では文化祭で最優秀賞を勝ち取り、今こうして大学生活を謳歌している。家もどちらかというと裕福だったし、やりたいことは何でもやらせてくれた。少し厳しい親だったが、料理上手な母と、大黒柱である父が僕をここまで立派に育ててくれた。
この人生をロマンに溢れていると言えるかどうかは人それぞれだが、少なくとも僕はそうだと思う。
ただその中で唯一、要素として欠けているものがあった。一般的な青春とロマンに付随するであろう経験が、僕には足りなかった。
僕は、人を好きになったことがない。
「えっと、何かご用ですか……?」
新鮮だ。抱いたことのない感情だ。
ここへ来るまで数々の確率を潜り抜けた。三限が休講だったから普段より早く帰宅の途につき、いつも通る道が工事で通行止めになり、どうせ迂回するなら通ったことのない道を通ろうとここを選び、そして偶然にも、彼女が店の外で掃除をしていた。
奇跡に近い。いや、奇跡だ。これはもう奇跡以外の何物でもない。
ふと、壁に貼られた紙が目に入った。僕は意を決した。それと同時に、この圧倒的な確率に感謝した。
初めて知った。これが、これが――
「あの、アルバイトさせてください」
これが、一目惚れというやつか……!