雨天友情
ざあざあと雨が降っている。
今日は朝から曇っていた。天気予報の降水確率は午前が四十パーセントで、午後は八十パーセント。放課後になったら、雨になる事は決まっていた。
だから、私は傘を持ってきた。
父から渡された黒いコウモリ傘。飾り気のない、男の人が使う傘だ。勿論、私の傘ではない。私は、ちゃんと自分の傘を持っている。青色の可愛い傘だ。けど、それは妹に取られてしまった。
傘をなくした妹は、私の傘を勝手に持って行ってしまった。代わりに父からコウモリ傘を借りた。黒くて、大きくて、可愛くない。まるで私みたいだ。
私は自嘲気味に笑って、コウモリ傘を開き、帰ろうとする。すると視界の端に、昇降口にしゃがみ込んでいるクラスメイトを見つけた。
「何しているの」
「見て分からない? 傘忘れたの」
クラスメイトは遠野雪という女の子だ。クラスでは、全く違うグループに属しているから話したりする事はないし、席も遠いし、部活も違うから、接点なんて殆ど無い。クラスメイトだから名前は知っている。背は低い。私の妹よりは大きいけれど、背の順なら前から二番目ぐらいだ。色は白くて、髪はふわふわしている。とても可愛い。
私が遠野雪について知っているのは、それだけだ。
「入ってく?」と私は遠野に尋ねた。
「いいの? 私の家、ちょっと遠いけど」
「いいよ。今日は部活がないから、少しでも動きたいし」
こうして、私達は道連れになった。
遠野雪の家は、私の家とは正反対だった。私は学校の東側で、遠野の家は西側だ。けれど、別に嫌という事はなかった。見知らぬ道を歩くのは楽しいし、遠野の選ぶ道には色々な花が咲いているし、彼女はとても植物に詳しかったからだ。
「ほら、これがクチナシの花、白くて綺麗な花でしょ」
「うん」
「匂いもね。クチナシはいいのよ。とても」
「そうなの?」と私はクチナシに花を突っ込むと、確かに甘い香りがする。「うん、いい匂い」
「でしょ?」
二人で一つの傘を差しながら、花を愛でながら一緒に帰る。傘をさすのは私の役目だ。遠野雪は、私に比べたら背が低い。彼女が傘を差したなら、私は猫背にならなければ傘には入れない。だから、私が傘を差す。
「けど、こんなところに公園なんてあったんだね」
「あったのよね。殆ど管理されていなくて、荒れ気味だけど」
「うん。雑草が凄い」
私は辺りを見回した。
ここは市民公園なのだろう。だが、管理がまるで行き届いていないのか、少しでも道を外れると雑草だらけだ。クチナシも沢山の雑草の中に埋もれるように咲いている。
「けどね、雑草なんて草はないって言葉もあるし、こうした雑草をじっくり見てみるのも面白いよ」
たとえば、と遠野は雑草を一本引き抜いた。
「これはカラスムギ。元はヨーロッパや西アジア原産の植物で、オート麦の野生化したもので、かつては救荒食として食べられていたのではないか、なんて言われているわ。実際、少し手間は掛かるけど食べようと思えば食べられる。そういう雑草なの。他にもこっちはオヒシバと言って……」と遠野は雑草についてのアレコレを語り出した。
それから十分くらい、遠野は雑草に関する話を語り続けた。カラスムギ、オヒシバ、メヒシバ、ヤブガラシ、ギシギシ、カラムシ、スズメノヒエ。その辺に生えた雑草にも様々な歴史や逸話、効能がある。私は感心して「へぇ」声を上げる。道ばたの雑草に興味を向けた事なんて一度も無かった。
話が一区切りついてから、私は遠野に尋ねた。
「遠野は雑草が好きなの?」
「……いや、別に雑草だけじゃないのよ。植物全般が好きなだけで。ただ、なんて言うのかな。薔薇とか向日葵とか、そういう花は誰だって好きなわけじゃない。けど、雑草が好きな人ってすごく少ないわけ。だから、そういうのを応援したくなるっていうか、いい部分を知って貰おうっていうか、なんて言うんだろ。この気持ち……」
「判官贔屓?」
「なにそれ」
遠野は、判官贔屓の事を知らなかった。彼女は植物のことは詳しいけど、源氏や牛若丸については詳しくないらしい。たぶん、彼女は得意不得意がハッキリしている。そんな確信を抱きつつ、私は判官贔屓について簡単に教えた。
「弱い立場の人を応援したくなる人情のこと」
「ああ、それだ!」と遠野は声を上げる。「私は判官贔屓だから、雑草について色々な人に知って貰いたいわけなのよ」
すっきりしたという顔で、遠野は私に言った。
「わかる」と私は頷く。
「わかるの?」と遠野が尋ねる。
「雑草の話、とても面白かったからね」私が素直な感想を言うと、遠野は目を丸くしてこちらを見る。
「どうしたの?」
「私の話を面白いって言う人、初めて見た」
確かに、人を選ぶかもしれないね。と私が言うと、遠野雪は「全くもってそうなのよ」と、難しそうな顔をして頷いた。
そんな風に、私は遠野を送った。
家に着いた彼女は、私に礼をしたいと言ったが、私は固辞して家に帰った。道すがらの話が、十分な礼だと言ったら「それはなりより」と遠野は笑った。
次の日、学校で私達は顔を合わせたが、特に話をする事もないし、挨拶すらしなかった。私は、クラスでも体育系のグループに所属しているし、遠野は遠野で別のグループに属している。互いのグループが交流する事はなく、私と遠野でそれをするのは不自然だからだ。
しばらく、天気が続いた。
今年は、見事な空梅雨だった。テレビのニュースは盛んに、水不足への警戒を市民に呼びかけている。ミネラルウォーターが飛ぶように売れた。通販サイトでは水道水が高値で売られ、それがニュースに取り上げられる始末だ。
だから、久しぶりに雨が降った時は、ちょっとした騒ぎとなった。テレビは盛んに夕方から降る雨を喧伝し、朝は多くの人達が傘を持って、学校や職場に向かった。
私も、父の黒いコウモリ傘を持って。
「ゆきー、おはよー」
「おっすおっす!」
昇降口で見かけた遠野雪も、可愛らしいピンクの傘を持っていた。それを見て、私は妙に落胆してしまった。
何かを約束したわけではないのに、彼女が傘を忘れてくれる事を、私は密かに期待していた。
四限目、現国の時間に空はにわかに曇り始めた。一部の生徒が歓声を上げて、先生達に叱られる。ここ数日、厳しい節水制限が敷かれていた。それが少しでも改善されると、皆が雨を喜んだ。
私は冷めた目で外を見る。どうせ、遠野雪は傘を持ってきている。私達が、一緒に帰る理由はない。
どうでもいいという気持ちで授業を受けて、放課後まで適当に流す。その頃になると、雨が強くなっていた。
雨が降ったから、部活は休み。帰り支度をしながら、眼は自然と遠野を探すと、彼女は友人と帰り支度をしていた。
私は一人で帰る準備をする。私の属する体育系グループは、他の連中は皆、卓球やバスケといった室内競技をやっている。雨が降って部活が休みになるのは、私だけ。雨の日、私は一人で帰る。
コウモリ傘を開いて、帰ろうとする。すると視界の端に、昇降口にしゃがみ込んでいる遠野雪を見つけた。
「……何やっているの?」
「傘がなくなった。だから、一緒に帰ろう?」
随分と都合良くなくなったりするものだな、と少し思ったが、それは口に出さないで、私は黙って遠野を招いた。彼女は黒いコウモリ傘の中に入り、とても楽しそうに笑った。
私達は、表向きには何一つ接点がないクラスメイト。
けど、雨の日だけは友達だ。




