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縁談話  作者: 聖 さくま
3/3

小十郎 その三

 

 翌日、道場へ行くと、左門が道着に身を包んで小十郎を待ち構えていた。昨日の話の通りにさっそく稽古をつけてくれるつもりらしい。まずは手合わせを、と言われるがまま向かい合わせに頭を下げれば、構えるやいなや小十郎は一瞬で面にぴしりと打ち込まれていた。動きが見えないほどのその速さに唖然としていると、ふむ、と左門はなにやら得心したようで、まずは自分の攻撃をよけろと言った。

 

 それから暫くの間、うんざりするような攻防が続いた。流儀などどうでもいいからとにもかくにも逃げまくれと言われ、道場の端から端まで一日中逃げて回った。

 しかし左門は常人離れした速さで、たちまち小十郎を追い詰めては打ってくる。手加減なしで振り下ろされるその竹刀を必死にかわそうとするのだが、その速さにはかなわない。繰り返し突かれては打たれ、疲弊し、足がおぼつかなくなっても、動くのをやめれば矢のように竹刀が振ってくる。そのやりようは、これが本当に同じ人物なのかと疑いたくなるほどに荒っぽい。竹刀を構えるその顔は、普段の優しげな左門からは想像もつかない厳しい目をしており、さながら鬼のようだと小十郎は思った。


 

 ひたすら逃げ回る稽古を始めて半月あまりたった。

 もう試合当日までわずかな日数しかないのに、相も変わらず攻撃をかわすことしか教えない左門に、小十郎は次第に疑問を感じてきていた。たとえ必殺技のようなものは無理でも、せめて反撃につながるような剣を身につけなければ、とうてい佐登に報いてやることはできない。だが、もはや数えるほどの時間が残されるのみで、本番は目前に迫っている。

 思い余った小十郎は、師範の康助に相談した。


「なるほど、左門がお主に稽古をつけているのはそのためか。だが左門のことだから、なにか考えがあってのことだろう」

「しかし、ただ逃げてばかりで稽古になるのでしょうか」

「左門がそうせよと言うなら信じることだ。奴を信じて精進すれば、きっと無駄にはなるまい」

 康助の穏やかなまなざしに諭されて、小十郎の心も落ち着いて来た。どのみち、勝負など初めから見えているのだから、いまさらじたばたしてもどうにもならないのだ。ならばすべてを左門にあずけ、当日は心穏やかに勝負に挑もうと小十郎はあらためて思った。


「それにしても妙だな。左門はお主の家に何の用があったのだろう」

 ふと目の前の康助が首をかしげた。猪熊と悶着のあった日のことを言っているらしい。

「用があったわけではなく、たまたま通りかかっただけのようでしたが」

「だが、奴の家はまったく方向違いだ。かといって、別のところに用があった風でもなし、なにやら妙だと思わぬか」

 たしかに言われてみればそうかもしれないと、小十郎はあの晩のことを思い起こしてみる。なんとなく通りかかったといった様子で現れた左門は、その後小十郎とともに佐登を送りながらまっすぐ帰ったはずである。だが、何のためにわざわざ自分の家の近くにいたのか。

「以前お主の妹御に惚れておるのかと勘違いしていらぬおせっかいをしたが、左門はその気はないと言っていたはず。ならば今でもお主の家の周りをうろちょろするのは何故なのだろう」

「さあ、私にもよくわかりませんが……」

 小十郎はふと、あのときの左門の様子が頭に思い浮かんだ。茶にむせ返った左門の背を志乃が叩き、それからのやり取りがなにやら楽しげに見えたこと。左門の袴が濡れたので、母を呼ぼうとしたところを彼が慌てて止め、自分の袖で拭いたこと。そのときは意外に粗忽なひとなのかと思った程度であったが、今にして思えば、母の志乃が茶を持ってきたあたりからの様子が変といえば変であった。

 しかし……。釈然とはしないものの、今はそれどころではないと思い直す。ともかくは猪熊との勝負のために専心するしかないと、小十郎は康助の部屋を後にした。

 



 試合当日を迎えた。

 勝負は意外な展開となった。猪熊は初めから、小十郎など一瞬で打ち負かせると見ていたようだが、そうやすやすとは運ばなかった。いざ立ち合ってみると小十郎の動きは速く、隙がないわけではないのに意外にも攻め難かった。

 一方、小十郎の方は、猪熊の動きを鈍いと感じている。短期間とはいえ、左門に毎日追われては逃げを繰り返していたので、少なくとも逃げ足だけは鍛えられたのかもしれない。左門は足のめっぽう速い男であった。猪熊の剣は重厚だったが動きは一様に凡庸で、左門の速さから見たら比較にもならない。

 試合前、左門に言われたことは、とにかく打たれるなということだった。自ら仕掛けることはせず、躱して躱してひたすらに躱し、たとえ何を言われても決して挑発に乗ってはならぬ――。小十郎はその言葉を守った。

 左門の思った通り、逃げてばかりで一向に動こうとしない小十郎に猪熊は、

「卑怯なやつめ、男なら勝負せよ」

と、焦れて幾度も挑発したが、小十郎は堪えた。

 しびれを切らして攻める猪熊の竹刀をよけ続けていると、そのうちに猪熊の動きが目に見えて鈍くなってきた。小十郎はいつもの半分も疲れていず、足にはいささかの乱れも感じない。

 このまま逃げ果せれば引き分けに持ち込めるかもしれない。そうなれば佐登も、猪熊の無理を訊かなくとも済むのだ。小十郎は気持ちを引き締めた。




 結果は、小十郎の健闘もむなしく、最終的に一本とられて負けとなった。

 本当は、疲れて足を縺れさせた猪熊がよろけたところを、先に小十郎の竹刀がかすめたのだが、それはすげなく無視された。試合の検分役が猪熊に遠慮したのだろう。公正な場であるはずが、上下関係を完全に切り離す事はむずかしく、実際はありがちなことだった。


 ――佐登殿。

 

 小十郎は佐登のことを思った。彼女のためにも負けられない勝負であった。もっと自分が強ければ、有無も言わせぬほど明らかな勝負ができたはず、なのに己のなんと非力なことか。小十郎は激しく自分を責めながら、呆然とその場に立ち尽くしていた。

 そんな小十郎を猪熊はしばらく見ていたが、去り際、ふと思い立ったように近づいてくると、

「持田、今の勝敗はなかったことにする。佐登殿にもさように伝えてくれ」

 そう言って、さっと背を向け歩み去った。

 え、と我に返った小十郎が彼を呼び止めたが、すでに戸口を出かかっていた猪熊にはその声は届かなかった。



 ―四へつづく―(準備中)


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