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縁談話  作者: 聖 さくま
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小十郎 その一

 

 小十郎 その一



 夫の持田久兵衛が亡くなって早二年がたつ。志乃は今日、久兵衛の墓に参って、久方ぶりの吉報を告げた。

 娘の美代に縁談話がきているのだ。相手は坪内左門という男で、美代よりもひとまわりほど年かさのやもめである。一度は妻をもらったが、流行り病により数年ほど前に亡くなってしまったそうで、それからは独り身を通しているとのことだ。

 美代はこの正月で17になった。本当なら左門のような年配のやもめよりも、もう少し条件の良い嫁ぎ先を見つけてやりたかったが、生前に久兵衛が御役目の不始末の責を負って減封となったのをきっかけに、それまであった縁談の口利きも潮が引くようになくなっていた。

 久兵衛の死後は長男の小十郎が家督を継ぎ、かろうじて微禄は保たれているものの、日々の生活は苦しく、志乃も美代も朝から晩まで内職をしてやっと生計(たつき)をたてていた。

 



 その日、めずらしく小十郎が勤めの合間をぬって顔を出した剣術道場に、坪内左門がいた。左門は道場師範、菅野康助の従兄弟にあたり、小十郎も何度か顔を見たことはあったが話したことはなく、その人となりはよくは知らなかった。

 稽古のあと、汗を拭いている小十郎に、となりにいた康助が実は、と話したことがきっかけで今回の縁談話となったのである。

 

 

 左門は無役の御家人である。わずかの禄で暮らしは貧窮しているが、傘張りやら人足の手伝いやらでその日その日をやり過ごしているという話だ。

 そんな彼が、最近になって頻繁に道場に通うようになり、それまではいくら誘ってもめったに顔を出さなかったのにと、康助は内心で不思議に思っていた。けれども、剣の腕は師範である康助と互角かそれ以上である左門に、分館にあたる別の道場の師範を任せたいとかねてから思っていたので、ちょうど良い機会だと康助がたのんだところ、丁重に断られた。

 生活の足しにもなることで、左門にとっても悪い話ではない。当然引き受けてくれるものと思っていたのに、検討の余地もなく断られるとは康助にとっては意外であった。

 しかしながら道場きっての腕を持つ左門である。彼をおいてほかにたのめるものもない。そう康助は食い下がったが、左門はそれでもどうしても受けられないと頭を下げた。

 諦めきれない康助であったが、また折を見てたのんでみようと、そのときは一旦話を閉じた。


 それからしばらくしたある日、康助は出先から戻る途中の小路で左門を見かけた。数間ほど前を歩いていた彼は、ふと一件の家の前で立ちどまった。何か用でもあるのかと思えばそうでもないらしく、左門はただ落ち着かない様子であたりをうろうろしている。どうかしたのかと康助が声をかけようとした矢先、ふいに庭先から声がして、朽ちかけた門口から誰かが出てくる気配があった。おやと思う間もなくたちまち左門は歩き出し、康助がいることも気づかずに足早に立ち去ってしまった。

 左門の後ろ姿が角を曲がって見えなくなったとき、戸口からひょこりと出てきたのは若い娘であった。それが美代だったのである。

 さては、と状況を察した康助がその家の表札に目をやると、いくぶん薄れた文字で持田とあり、小十郎の家だとわかった。



「……というわけなのだ。それで、差し支えなければお主の妹御を左門の嫁にどうかと思うのだが、いかがであろうか」

 そう康助から打診されて、悪い話ではないと小十郎は思った。

今は無役の左門だが、康助の言うように剣など教えてもよいであろうし、一時は農村の寺子屋で学術師範をしていたこともあるらしく、美代を養うくらいの甲斐性は十分ありそうである。それに、不運に見まわれ、減封されて苦しい内情の持田家に縁談話など、今はむしろありがたかった。

 美代にとっては、もはやすっかり傾いている持田の家にいるよりは、男やもめの左門に嫁いだほうがはるかに幸せというものだ、そう小十郎は思った。

 帰宅すると、さっそく小十郎は母の志乃にその旨を伝えた。志乃は喜び、美代本人もなかなかの良い話にまんざらでもない様子で、一家三人は久方ぶりの幸せに浸ったのであった。


 翌日、小十郎は道場へと出向き、康助にぜひともこの縁談話を進めてほしい旨をたのんだ。

「そうか、そうか。ではさっそく左門に伝えよう。まだ奴は何も知らぬゆえ、さぞ驚くであろうな」

 康助はそう言うと、さも楽しそうにくつくつと笑った。

 まるで子どものような康助に小十郎は当惑したが、康助と左門は年も近く、幼少の頃から仲が良かったと聞いている。そんな康助は左門の思いを叶えてやりたくて、このように少々いたずらじみたことをしてみたのだろう。

と、「ご免」と声がして、うまいぐあいにちょうど左門がやってきた。道場の門をくぐってこちらへとやって来る彼の総髪が、風にそよとなびいている。

 左門、と康助が呼んだ。


「左門、お主の驚く話があるぞ」

 康助はまたも堪えきれず、くっと楽しそうに忍び笑いをもらしている。

 小十郎も含めた三人は、母屋の和室にいた。

「ほう、俺が驚く話とは、いったいなんだ?」

「さて、なんだと思う?」

「相変わらずもったいぶるやつだ。お主のそういうところは昔から変わらぬな」

 左門は苦笑しながら茶をひとすすりした。

 

 いささか頼りなさそうだ――。

 左門をまじまじと見て小十郎は思った。坪内左門を間近で見るのも話すのも初めてだが、意外にも線の細い優しげな男である。これで六尺近い見事な体の康助と互角の腕なのだろうかとにわかに信じがたい。だが剣腕はともかく、妹を嫁がせる上ではあまりいかつい猛者よりも、温厚な気性の相手のほうがむしろ安心できるという気もした。


「で、話とはなんだ」

「うむ、それだ。お主、この持田小十郎は存じていよう。ときおり稽古に来ているから顔くらいは見知っていると思うが」

「むろん存じている」

 左門は小十郎の方を見てにこやかに会釈をしながら応え、小十郎もそれにならってぺこりと頭を下げた。若輩者の小十郎にさえも、やわらかな物腰で接する左門に好感が持てる。減封により、今では親戚からも腫れ物扱いの自分に対し、師範である康助もまた、誰彼にも常に態度を変えることがなく、小十郎は二人の懐深さに敬服した。


「聞いて驚くな。実はな、この持田の妹御をお主の嫁にどうかと思うのだ」

「……は? 妹御を?」

 まさに寝耳に水といった、きょとりとした顔で左門は康助を見ている。

「は、とはなんだ。以前お主は小十郎の家の門前で、美代殿を覗き見していたではないか」

「覗き見などしておらぬ」

「いいや、俺は見ていたのだ、お前が小十郎の家の前をうろうろしていたのを。しかも美代殿が出てくる直前に逃げたであろう」

「はて、そんなことをした憶えは……。いや、しばし待て」

 左門は顎に手を当て、むずかしげな顔をして記憶の糸をたぐっているようである。

「ああ、思い出した。それは半月ほど前のことであろう。だが康助、お主は思いちがいをしている」

「隠すことはなかろう。美代殿については、この小十郎も依存はないと言っておるのだ」

「隠してはおらぬが、その妹御については俺はまったく知らぬぞ」

 左門は戸惑いながらも何度も否定した。

「まあそれはどちらでも良い。いずれにせよ、お主も一人ではなにかと都合が悪かろう。せっかくの良い話だから、この際美代殿をもらってはどうだ?」

「いやいや、そうはいかぬ。ご厚意はありがたいが、俺はこの通りの無役でやもめの身。新たに妻などとうていもらえる立場ではない」 

 小十郎は二人の問答をしばらくだまって聞いていたが、左門の言葉に嘘はなさそうであるし、もはや話もまとまりそうにないと感じて、おずおずと口を開いた。

「先生、ご無理を言っては坪内殿にもご迷惑と存じます。坪内殿のお立場もおありでしょうし、それがしの妹を妻になど、やはり身の程をわきまえぬ申し入れであったと恥じ入る次第でございます」

 小十郎は座を正して畳に手をついた。

 考えてみれば無理な話だ。亡き父のしたこととはいえ、処罰を受けた自分の家の者を嫁にすすめるなど、やはり無礼なことには違いない。言い出したのは康助だが、辞退しなかった小十郎にも非はある。

「申し訳ございませぬ」

 小十郎は謝罪し、左門に深々と頭を下げた。

「小十郎殿、謝っていただくことなどない。拙者がお断りいたしたのはそのことが理由ではござらんのだ。それに訊けば美代殿はまだお若い。今しばらくすれば、それがしなどよりももっと良い縁が山のように来るでござろう」

 左門は、すまぬな、と慰めるように言って、小十郎に微笑んだ。


 ―ニへつづく―


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