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第6章 始まり

都心から離れ緑が残る街並み。閑静な住宅地から少し離れた高台に老人介護施設

【Green Home】はあった。建物は2階建て、入居者40人スタッフ15人のアット

ホームな施設だ。入居者の為に少しばかり広く取られた庭には季節により緑や

花が咲き誇り小さな噴水の池もある。柔らかな春の日差しが芽吹いたばかりの

新緑に反射してキラキラと輝いていた。


真っ青な空の下で老女が車椅子に座りウトウトと居眠りをしている。


「華さん〜お待たせ」

綾香は駆け寄って車椅子の老女の顔を見て話しかけた。


老女はゆっくりと目を開けた。

「あ・・あぁ・・あんまり暖かくてウトウトしてしまったわ」と皺を深くさせて笑う。

「今日は暖かいけど、風邪を引くといけないからね」


華の膝に持ってきたひざ掛けを掛ける。華はまた目を瞑りウトウトし始めたか

と思うと思い出したかの様に顔を上げて「来週の土曜日ね、孫が会いに来てくれ

るのよ」と嬉しそうに話しかけてきた。


「それは楽しみだね〜」笑顔でこたえるとゆっくり車椅子を押して歩き出す。

(華さんよっぽど嬉しいんだろうな、毎日何度も何度も同じ事言うんだもの)


ホームは楽しんで余生を送る老人も居るが、家族と過ごせるわけではないし自由

な外出も出来ない。楽しみや希望など日々過ごす中で極端に少なくこの老女のよ

うに笑顔で話しかけてくれることが嬉しかった。


「高橋さん!」


施設2階窓から同僚が叫んだ。

「コレットさんが!手が付けられないの、悪いけど来てくれる?」


華が綾香を見上げる。

「私はいいから、行っといで」

「ごめんね。華さん直ぐ戻るから」


駆け寄った同僚と交代して2階へと急いだ。


「よくまぁ〜あの偏屈ばあさんに耐えてるよぉ。綾香ちゃんも」


同僚は眉を顰めると「コレットさんは。高橋さんにしか心を開いてくれなくて」

と苦々しく呟いた。


2階の部屋に駆けつける。広くない部屋は個室になっていて、介護ベッドが一つと

枕元に小さなチェスト、その上に小さなフォトフレームが1つ置いてあり、中には

初老の男性が写った写真が入っていた。部屋の窓は開いていてカーテンが春風に揺

られベッドには体を起こし、顔を背け白髪を一つに束ねた老女が一人カーテンの隙

間から見える外を眺めていた。


「コレットさん」


綾香が近づくとようやく気配を感じて振り向く。しかめっ面で、口を一文字に結んだ

老女は綾香を見るなり顔を緩め青い瞳をキラキラさせて辛うじて聞き取れる日本語で

微笑んだ。

「アヤカ」


床には昼食にと用意された食事がトレーごと散らばっていて何が起きたかなんとなく

分かった。コレットの枕元に行きしゃがんで視線を合わせると両手を使って手話を始めた。


「コレットさんどうかしたの?」


「私を馬鹿にした。耳聴こえないから悪口言った」


コレットは興奮していて震える手で必死に訴えた。コレットの手を握ると青い目を見つめる。

「だいじょうぶだよ。ごはんダメになっちゃったね、今もってくるね」

優しく微笑みながら手話で伝えて床に散らばった食器を片付け始めた。


40年前フランスから日本に渡ったこの女性は両親の反対を押し切り日本人男性と

結婚。子供には恵まれなかったが、夫と幸せに暮らしていた。その後何度も両親に

理解してもらおうと、連絡を取ったが分かり合えないまま両親は他界してしまい訃報

を聞いて国に戻るが両親の残した遺産をめぐり親戚一同に追い返されてしまう。


日本国籍を取得した彼女は夫亡き今、病魔に蝕まれつつも異国の地で孤独な余生

を過ごしていた。頑なに心に壁を作り人と触れ合うこともしないコレットは、いつし

かホームでも孤立して同じ入居者にも煙たがれる存在になっていたが、献身的に介護

している綾香にだけは心を開くようになっていた。日本人にもなりきれず母国にも帰

れない。そんなコレットに綾香は心を痛めていた。せめてこのホームでは少しでも楽

しく過ごして欲しい。そんな気持ちが綾香を献身的にさせていた。







ファインダー越しに綾香を覗く一人の男が居た。ホームの向かい側に人の住まなく

なった2階建ての古い民家がある。手入れされていない敷地。土地の境界線には有刺

鉄線が張り巡らされ雑草が伸びていて「売り家」と不動産屋の看板が立ててあった。


民家の2階でカーテンの隙間からカメラのレンズを光らせ息を潜めシャッターを押す。


8畳ほどのその部屋は使い古され少し色あせた遮光カーテンから日の光が漏れて

薄明るく、舞い立つ埃が漏れた光に当たりキラキラと部屋の中に漂っていた。


無精ひげを蓄え、くたびれたシャツを着崩し煙草を吸いながら空気の悪い部屋で

男は夢中でシャッターを切った。


「しっかし、今度の女は随分地味だな」


ぼそっと呟くと男はカメラから離れ直ぐ横の壁にもたれ掛かり胡座を組んだ。畳の上

に無造作に置いていた携帯電話が鳴る。銜え煙草のまま部屋の片隅で電話の相手と話

し始めた。狭い部屋の中に電話の男の声がかすかにもれて聞こえる。


【伊倉君、順調かな?】

「これはどうも、ええもちろんですよ。女の所在は大体つかめました」と不気味に笑う。


【しかし下手な事をしてにらまれたら如何する?関村のマスコミ嫌いは有名だぞ?!】

「なぁに心配要りませんよ、このネタがホンモノならスクープですからねぇ〜他所

では関村が怖くて手を出さないがすっぱ抜いちまえばこっちのもんですよ」


【失敗したら分かっているな?全てはフリージャーナリストの君がした事だ。私は

一切関係ない!私のことは口にしないでくれたまえよ】


少し脅えた様子で電話の男が念を押す。


「分かってますよ、その代わりスクープが取れたら高値でお願いしますよ。独占

契約ですからねぇ」そう言うと不気味にニヤリと笑った。


電話を切った後。不気味な笑みは消え何時しかぞっとするほどの鋭い眼光に変

わっていた。畳の上に散らばっている写真から堅が写った1枚を手に取る。鋭く

睨みつけると力いっぱい握りつぶした。


「待っていろよ!関村堅!おまえを叩き落してやる!」

眼光を緩めると男は床に散らばる綾香の写真に目をやる。


「ここ数週間張り込んだがいまひとつ決定打に欠けるな、もう少し様子を見るか」

そう呟くと短くなった煙草を吸殻が溢れた灰皿に押し込んで、またファインダーを

覗き始めた。









同じ時刻に都内のホテルの一室。昼間なのに部屋の窓はカーテンが閉められ、室内に

は灯りが付いていた。平尾が部屋の中央に置かれたソファーに腰掛け、その向かい側

に座った若い女に話しかけた。

「これを預かってきました」

ガラスの丸いテーブルに厚みのある茶封筒を滑らせると若い女のほうへと差し出す。

女はソファーの背にもたれていたが、茶封筒を見るなり上半身を乗り出し勢い良く

封筒を掴んだ。中身を取り出すとそこには封の切られていない札束が5つ入ってい

た。女はそれを見るなり無言で煙草に火をつけ平尾に向かって煙を吐いた。


「これが手切れ金って訳?」


「代表は何も申されませんでしたがそのように取って頂いて構わないかと思います」


「まぁ思ったより貰えたしぃ〜。私も飽きた所だったから。もう少し面白味のある男だ

と思っていたんだけどね」女は笑いながら俯くと左手で髪を掻き分けた。


「分かったわ。これで手を打ってあげる堅にそう伝えて」


平尾は無言で頷いた。


「しかしさぁ〜おたくも大変ね〜ぇ天下の関村代表様の第一秘書がこんな事までさ

せられているなんて同情するわ」


皮肉タップリに言うと、顎をしゃくらせて煙を吐きながら笑った。


女が部屋を出た後平尾は無言で立ち上がり窓を覆ったカーテンを開けた。携帯電話を

取り出し電話を掛ける。

「平尾です。例の件は問題なく片付きました」

それだけ伝え終えると電話を切りゆっくりと空を見上げた。





一方オフィスで堅は電話を置くと、一昨日展望室で会った綾香を思い出していた。

(あの日から、綾香を知りたくてたまらない。今この時間彼女は何をしているの

だろう)調べようと思えば数時間後には平尾が全てを調べ上げて報告するだろう。

だがそんな事はしたくはなかった。壊したくない繊細なガラス細工のように綾香を

想っていたからだ。

(どうにかして彼女ともっと親しくなりたい)


堅は自分の地位や持っているお金では何も出来ないもどかしい気持ちを感じな

がら週末まで業務を片付けて全ての予定をキャンセルし半年ぶりに休暇を取った。


今まで仕事人間だった堅が土日休むなど会社幹部連中からしたら「最近の代表は

一体如何されてしまったのだ?」とざわめきが起こるほどだった。

休日の朝。夜が明け切る前に起きてシャワーを浴びた。どうにも興奮しているような

感覚に包まれて眠る事が出来ないで居たからだ。


(綾香に会いたい)

それだけが堅の頭を支配していた。




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