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第3章 揺らめき

「では、失礼いたします」


夕暮れの西日が差し込むオフィスから中年のサラリーマンが出て行く。広い部

屋には書棚、重厚な机と革張りのソファー。大きな窓ガラスの片隅に観葉植物

が置いてあった。仕事が片付きホッとして堅は煙草を口に銜え少し汚れたライ

ターを手にする。母方の祖父が使っていた1937年製のビンテージ物だ。


Zippoのキャップを開けホイールを回す。着火石と擦れ合い独特な音が静寂な

部屋に響き渡ると煙草に火をつけライターの蓋を閉じた。すると部屋にノックの音。


「失礼致します」

秘書の平尾が軽く一礼をすると堅の座るデスクの横に立った。


「代表、明日のご予定ですが・・」

そう言うと毎日の流れ作業のように、淡々と明日の予定を話し始めた。


時折、予定が書かれた手帳を持ち替えてメガネを直す。予定を軽く聞きながら

煙草をゆっくりと吸うと今日一日起きた事をなんとなく思い出していた。狙ってい

た企業の買収契約が成立した事。その起業技術を生かして今後、事業展開へ

と枠組みを広げる計画。予定外の出来事に電車に乗った事。


(電車に乗ったのはどのくらいぶりだろうか、あれは母さんの墓参りに行こうと家出

した時以来だなそしてあの女)


今日出会った綾香を思い出していた。いきなり怒鳴られて驚いた事。

(そしてあのなんとも言えない顔。河豚みたいに顔膨らましておかしな女だったな)

そう思うと何故か笑いがこみ上げて来た。


「クスッ」無意識に笑っていた。


「代表?」平尾が堅の顔を不思議そうな顔で覗いていた。


「いやなんでもない」そう言うと片手で口元を隠し咳払いして平静を装った。


広い静かな部屋に入ると部屋のライトを付ける。薄暗い部屋の照明は家具を上

品に照らしていた。上着をソファーに掛けると冷蔵庫を開けベルギー産の瓶ビ

ールを片手に窓辺に立った。


ここは街の中心部にある高層高級マンションの最上階で1フロアー全てが堅の家

に改築してあった。部屋一面の窓は眼下に街並みを一望できて、庶民には手の

届かないほど巨額な費用が掛けてある。広くシンプルで一見殺風景な部屋だがグレ

ーやブラック、モノトーンで調和の取れた家具は全てが最上級の素材で有名なデザ

イナーやブランドに特注で作らせたものだ。夜景に染まった街並みをみて静かに佇

んでいた。





シャワーを浴びて寝室に入ると大人が4人くらい横になれる広いベッドに腰を下ろす。


「プルルッ・・・プルルッ」ベッド脇にある電話が鳴った。電話を取るのが面倒でそ

のままにしていると留守番電話に切り替わる。


「もしもし〜?アタシ〜行こうと思ってたけど居ないならいいやぁ、じゃぁ・・」

若い女の声が聞こえると、疲労の溜まった体を傾け受話器を取った。


「もしもし」静かに声を放つ。


「あ〜居るんじゃないぃ、居留守ぅ。ひどぉい」女の声のトーンが急に高く聞こえた。


「今日さぁ行こうかなって、だめぇ?」


「いいよ、迎えをやろう」


「あ、マンションの前に居るのぉ。今行くね〜ぇ」そう言うと一方的に電話が切れた。

チャイムが鳴りドアのロックを解除するとしばらくして若い女が部屋に入ってきた。

「堅〜」抱きついてキスをする。無表情のまま女を抱きしめてそのままベッドに流れ

込んだ。


夢を見ていた。幼い頃の自分。父親の背中、母親が直ぐ傍で泣き崩れている。

どうしたらいいか分からず戸惑う堅。そして、同じ仮面を付けて沢山の人間が自分

を取り巻く。嫌気がさす程の謙り愛想笑い。

(あの憎い親父が死んでからみんな、僕をまるで腫れ物を触るみたいに扱って

きた。顔色を伺ってそして、女は僕を利用しようとして来た本気で愛していたあの

女ですら)


その頃の記憶が夢に出てくる。


大学で知り合い、付き合っていた昔の彼女。結婚を考えるほど真剣に愛していた。

彼女もまた、堅の気持ちに応えてくれている様だった。屈託無く笑い美しく、くり

くりとした大きな瞳がたまらなく可愛かった彼女、肩にかかるほどの髪の毛を人差

し指で触りながら、うんざりした様子でこう言った。


「あ〜ぁ、ばれちゃったぁ言っておくけどぉ〜浮気じゃないの。彼とは大分前からの

付き合いでさぁ、堅と結婚出来るならぁ〜ラッキーって思ってたんだよね〜」


「どうして!?信じていたのに、はじめから騙していたのか?!」

大きな瞳の彼女は堅を見てあざ笑うかのように言った。


「あはは、気が付かないほうがどうかしているよぉ。まぁ〜堅と付き合っているとさぁ

何かと便利だったしぃお金あるしね〜。堅の彼女って言うだけで周りからも一目

置かれているっていうかぁ、でもそれだけかなぁ。その暗い雰囲気がもう耐えられ

ないのよね〜なんか一人の世界って言うかさぁ」


真っ白な霧が立ち込めて夢の堅を包み込むと家に殆んど帰らず、他所に愛人を沢山作っ

ていた父親が現れて言った。


「この!若輩者!おまえは本当に出来が悪い母親そっくりだ!死んだものを何時

までも未練がましく」中学生の堅が言う。

「親父は母さんを愛していなかったのか?!」


「愛?!あははは。妙な事を!愛など何の役に立つ!あいつはこの関村の家を

大きくするために結婚して、子供を産ませただけの女だ!産ませたのが出来の

悪いおまえだとは」やがてそのシーンは、霧と共に視界から薄れて行き何も見え

なくなった。


いつも同じ夢を見た。


悪夢のように付きまとうこの感情は眠っている時も起きている時も、もう何年も堅

を苦しめていた。唯一この呪縛から逃れられるのは、仕事に没頭している時だっ

た。仕事の疲労や緊張感と引き換えにこの呪縛から逃れられる事が出来たのだ。

夢の中で何かが光る。10歳の時に他界した母親の顔が見えた。


(いつも泣いていた。そして優しかった)


(時々怒られたけど、あの時の僕は母さんの胸の中で安心して眠れたんだ)


夢の中で幼い子供に戻っていた。気が付くと見上げた母の顔は、何処か見覚え

のある顔に変わっていた。

(誰だ?知っている・・・あんたの事。誰?)


その母に似た女は、優しく堅の頭を撫でてにっこり微笑んだ。不思議な気持ちだ

った。安らぐ気持ちとはこんな気持ちだったのかと思えた。夢一面に光が溢れそ

の女は静かに光の中に消えていく。幼少の堅が叫ぶ。


「まって、消えないで!」


切なくて悲しくて泣き出したい気持ちでいっぱいになりそのまま目を覚ました。

ぼーっとする意識の中で自分の部屋の天井を見ていた。


(あぁ・・・そうか・・夢だ。どのくらい振りだ?夢に母さんがはっきり出てきたのは)

そして夢に出てきた女の顔を思い出す。(誰だ?あ!あの女だ、そうかどこかで見

たことがあると思ったら、あのホームの女だ。あの女母親に似ていたんだ)右手で

頭を抱え、ゆっくり起き上がりベッドから降りた。裸で何もまとわない鍛え上げら

れたしなやかな体に朝日が当たるとベッドの中でシーツに包まった女が手を伸ば

した。

「ん〜・・もう起きちゃうのぉ?」女が目を覚まし堅の足に触れた。それを振り払うよ

うにかわすと何処か冷めた目で女を見下ろす。

「もう出かけるんだ、悪いが帰ってくれ」そう言い残しシャワールームへと向かった。


シャワーを浴びながら夢の続きを考えていた。無意識に考えている自分に気が付

きどうしてこんなにも夢を気にするのか考えた。何年も見てきた同じ夢(あの女が

出てきたからだ。だからあんな気持ちに!あんな変な展開に)夢に囚われて居る

自分に腹立しくなり、シャワーヘッドを乱暴に戻すと体を拭きながらミネラルウォー

ターを口にした。部屋に戻ると女の姿はもう無かった。何処かホッとして空気が澄ん

だ明け行く街並みを窓から眺めた。







昼、所有する自社ビルの下見に来ていた。改装している展望室に合わせて眺め

の良いレストランをオープンさせる為だ。

「代表。お車の用意が出来ました」


鋭い目つきで返事をすると、平尾と会社幹部2人を連れてエレベーターに乗り、その

ままロビーに下りてビルの出口に待機させている車に向かおうと歩き出す。そのとき

目の前を見覚えある顔が通り過ぎた。何人かが固まって歩いていたが最後尾を歩いて

いた横顔に見覚えがあったのだ。


(彼女だ!)


彼女を見つけると、自分でも信じられない行動に出ていた。


「君!」


その一声に自分でも驚いたが、もう自分を止める事も考えずに思わず声に出して

いた。


「そこの君待って!」


言い終わるか終わらないかのうちに走りだしていた。彼女が振り向く。正面から

見る彼女は昨日の怒った顔とは全く違うあの夢のせいかどこか愛おしくも感じた。

走りよって彼女の正面に立つといきなり緊張してきた。(どうしてだ?何ぜこん

なに僕は緊張している?これじゃぁまるで、動揺しているみたいじゃないか!そ

うだ謝らなきゃ、だから僕は声を掛けたんだ)グルグルと自分に言い聞かせるよ

うに考えてからやっと声が出た。


「あのっ」


彼女と同じタイミングで同じ事を言っていた。慌てて「あっ」「えっと」また同

じだ、なんだかおかしくなって笑いがこみ上げた。

「昨日はすまなかった」やっと言えた。

「わっ、私こそ言いすぎたわ。昨日はちょっとイライラしていて言い過ぎたって

思ったけど止まんなくて」それを聞いて胸の痞えが取れた気がした。


「私いかなきゃ」


そう言って背を向ける彼女を、何故かそのまま行かせたくない気持ちになる。

(もう二度と逢えないかもな)そんな風に考えてから我に帰ったかの様に考えた。

(なぜだ?女なんて幾らでも居るのに!)気が付くとまた声を掛けていた。


「このビルに遊びに来ていたの?」彼女はまた振り返り少し戸惑いながらこたえた。


「うん。展望台に上ろうと思ったんだけど工事中みたいで」

それを聞くと堅は秘書に工事状況を確認しに戻っていた。


「はい。本日は午前中直ぐ下のフロアーで会議がありましたので、騒音を避けて

午後からの着工となっております」平尾は無表情で答えた。


「そうか」それを聞くと足早に彼女の元へと駆け寄る。どこかでドキドキしなが

らまるで朗報を聞かせたい気分で。平尾はそんな堅がいつもと違う事に気が付い

ていた。展望台に上れると告げると、彼女は戸惑った様子だったが少し微笑んだ。

エレベーターの中で「有難う」と彼女が言った。(いったい何をしているんだ?

こんなこと自分らしくない)堅は今の行動に対して自分自身への言い訳も含めて

言葉を発していた。


「これなら受け取ってもらえるだろ?」

彼女が不思議そうに返事をすると言葉をかぶせるように落ち着き無く言い放つ。


「クリーニング代」


それを聞いた彼女が遠慮せずに自分への感情をぶつけて来る。怒ったり、笑った

りする彼女を見下ろして思った。(違う、これはただの謝罪だ)そう自分に言い聞か

せる。エレベーターが展望台に着くと、彼女は深く優しい笑顔で景色に見とれていた。


「凄い景色〜綺麗・・・」


そう言いながら、展望室に差し込む光に染まる姿を見て夢の中で光に染まる彼

女を思い出していた。次の瞬間、少しだけ泣きそうな顔をしたかと思うと堅の方に

向かって歩いてきた。一瞬目が合うと堅はドキッとしたが平静を装った。コロコロと

変わる彼女の表情に何時しか惹かれて行く。

幼い頃、母親とよく行った遊園地の方角を眺めながら昔を思い出していた。その時。

誰かが近づいてくるのを感じて横を見ると彼女が立っていた。


「あのもうみんな降りたし、ありがとう」そういい残すと、彼女は背を向けてエレベー

ターに向かい歩き出した。堅は彼女がもっと知りたくなった。突っかかるように言う

喧嘩口調も新鮮な出来事だったから。彼女とこのまま別れてしまうのが惜しい気持

ちになり声を掛けた。


「あのさ・・」


彼女の足が止まる。

「名前教えてよ」そう言うと、彼女が振り返る。


「え?どうして?」と不思議そうに堅を見る彼女。


「なんとなく。ほら・・また逢うかもしれないだろ?」と言うと彼女はこう切り返した。


「人の名前を尋ねる時は自分から名乗るのが常識でしょ?」


思わず笑ったこんな風に何も恐れず自然に接する人を母親以外知らなかったか

らだ。(こんな風に笑ったりするのも久しいな)名前を名乗る時、思わず母親

の姓を名乗っていた。(本名を知ったら、この子も変わるかもしれない。あいつらみ

たいに)どこかで脅えていたのかも知れない。この自然な態度で接してくる彼女が

変ってしまうのが怖かった。



堅は、幼稚園の頃から英才教育を受け。高校生の頃には経営学に興味を持ち貪

欲なまでの好奇心で色々な分野に関心があった。大学卒業と同時に起業し、僅か

数年で株式上場企業にまで成長を遂げる。父親が堅、28歳の時に他界してから

遺産や事業を引き継ぎ、その経済力を生かし以前から事業で手がけていた科学

分野に力を入れ4年前未来の科学と言われた超伝導の実用化に成功。


そのシェアを全世界に広げ先進国はもちろんの事。軍事。発展途上国にも需要が高

いその技術は、堅を世界有数の大富豪にのし上げた。意見するものもたて付く者も、

もはや周りには存在しなかった。日本の技術や産業が薄れ行く今のこの時代、堅を

まるで英雄のように囁く人も少なくは無かった。何時しか1人の実業家の枠を超えて

他国の財界人とも繋がりがあり国交にも少なからず影響を及ぼすまでになっていた。


一見ワンマンで大胆な起業展開は、国内でもホテルやレストランからIT関連、航空

会社まで所有する大企業だ。堅の冷静かつ緻密な計算による物だった。評論家で良

く語らないものも居たが、堅の前ではその批評もまるでインクが薄れて判別不能の

コピー用紙のように誰も耳を傾ける者が居なかった。


成功とは裏腹に大のマスコミ嫌いで公の場や、写真を公開するのを何よりも嫌った。

テレビや雑誌に出る回数も極端に少なく、それも科学雑誌や経済誌に限られていた。


政府。財界に大きく影響力を持つ堅を恐れ、マスコミ各社もトップの人間の指示で

堅のイメージダウンに繋がる報道はグレーゾーンと称され慎重を期して報道される

ほどだった。たとえ側近でも必要以上に近寄られる事を嫌った。人と話すことも接

する事もプライベートでは殆んど無く人に会わないように移動できるようにオフィス

や自宅には専用通路があるほどだ。その為。堅を見ただけでは彼が何者か気が

付く者が少なかった。


堅は誰よりも豊かだったが誰よりも孤独だった。


彼女と別れた後展望室から下を見た。

正面から団体で出てゆく彼女を見下ろして、その米粒ほど小さな彼女を見下ろし

て思った。(もう二度と逢う事も無いのにな)そう思うと寂しくもあり、なぜそん

なにまで綾香に自分が関わったのかと思うと戸惑いを隠せないで居た。

「失礼します。代表次のご予定が詰まっております」

その言葉に現実に引き戻される。


「あ、あぁ準備は?」


「専用機は既に待機済みです」


「分かった」そうこたえると展望室を後にした。



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