第20章 黄昏の中で(2)
堅のオフィスで緊迫した空気が流れていた。堅はデスクに着き机に
両肘をついて手を組み、目の前に立つ専務を睨みつけるようにこう切り
出した。
「どうして呼ばれたか身に覚えがあるだろう?」
「私には、何の事だか」
血縁関係で叔父と言う立場なのに、口調は蔑みを露にしていた。
叔父の様子を見てから、デスクの横で息を潜めるように立っていた平尾を横目
で見る。
「平尾」
平尾は手にしていた書類を堅に手渡した。書類を手に取るとデスクの前
に立つ専務に向けて放り投げた。デスクを越えて書類が散らばる。そこ
には伊倉の写真や架空で作った会社の名義人、伊倉の名前そして会社の銀
行口座に振り込んだ専務の名前が記載してあった。
「その伊倉と言う男は、出版社に話を持ちかけた男だ」
堅は顔を少し下げてきつい目つきで専務を睨みつけ、落ち着き払った低い
声で言った。
「これは、どう言う事だ?」
「こっ、これは」熱い季節でもないのに専務の額から汗が滲んでいた。
(馬鹿な!なぜ、ばれた?!)
「専務、君の主張していたように一連の報道で株価が下落したのだとし
たら今後、その責任の取り方は分かっているな?!」
専務は苦虫を噛み下したような顔をして、お辞儀をすると項垂れた様子
で部屋から出て行った。
午後の日差しが傾き始めた夕暮れ、綾香は街の中心部にいた。大型 家電
量販店の前を通ると、ショーウィンドーに並べられた色々なメーカーの液晶
テレビが映画やニュースを流していた。映し出された光景に驚いて、そのいく
つかの液晶画面に釘付けになった。
「け・・ん」
そのテレビの画面に堅が大きく映って夕方のニュースで流れている。
店内に慌てて駆け込みテレビコーナーに行くと音が聞き取れるテレビを
見つけ耳を澄まして画面を食い入る様に見つめた。
【関村グループの株価は株式市場前代未聞の超大型分割により前日まで
短期急騰の高値警戒感から利益確定売りが優勢となり急落が続いていま
したがこれも一時的との見方が強まり】
【売り上げ単位数が急増し現在、他の企業の単位を大きく上回り日本一
高い流動性を・・・】
【では、本日昼に行われた記者会見の模様をご覧ください】
綾香は息を飲んで画面を見続けた。沢山のフラッシュがたかれ堅がテ
ーブルに着き堂々たる口調で発言をしていた。
(堅)
【更なる流動性の向上により投資未経験者による新規投資なども含め
株主数の増加を目的にしている・・】
目を顰めるほどのフラッシュが一斉にたかれる。
その姿は綾香の知っている優しい堅とは全く違う別人のよう遠い存在に
感じた。
(よかった、堅元気そう)
関村グループの話題が次のニュースに変わるまで切ない気持ちを感じな
がらも画面を見続けた。涙で滲んで堅の顔が見えなくなり次のニュース
に変わってしまうと俯いて店を出た。
「ここがオフィスって言っていたなぁ」
何時か偶然に再会した書店が入っているビルの前にきた。
(この場所で、あの時堅が来てくれたんだ)
そんな風に思い出し微笑んでみたが、胸に突き上げる痛みが心を締め付ける。
バックからシルバーの携帯電話を手にすると開いてアドレスを見た。
【関村堅(携帯)080-60××−××××】
表示を見て綾香は電話を閉じるとバックに入れた。
(突然訪ねて逢えるか分からない。でも、電話かける勇気が無いや。
どうしても逢えなかったら会社の人にこれを預けて帰ろう)
(表情のわからない電話から聞こえる声が冷たかったら如何しよう)
そんな事を考えるとコールボタンを押す事ができなかった。
ビルのテナント表示に目を向けた。
(えっとあった!これだ!関村グループ)
エレベーターに乗り込むと6階までしかボタンがなかった。
(あれ?このビルもっと高いのに)
一番上の6階を押しエレベーターが付いた先は、関村グループの受付
ロビーだった。ホールの奥にカウンターが置いてあり中央には噴水が
あって控えめに水が流れている。
受付カウンターには綺麗な女性が2人前方をじっと見て人形の様に座っ
ていた。そのカウンターの向こう側に別のエレベーターが見える。ゆっ
くりと近寄るとすまして座っている受付嬢に近寄る。
「あ、あの関村堅さんにお会いしたいのですが」
二人の受付嬢は顔を見合わせ不可解な顔をすると綾香を見上げる。
「失礼ですが、お約束はされていますか?」
「いいえ、でもすぐ済みます」
「そう申されましてもお約束が無いとお通しする訳には」
「あのっ。高橋綾香が来たと伝えてもらえませんか?」
(やっぱり無理かな)
諦めかけた時、受付嬢は少し考え込んだ様子で受話器を取る。
「高橋様ですね少々お待ちいただけますか?」
と言い何処かに電話をかけた。
受付嬢は受話器を置くと「少々お待ちください」とだけ告げてまた視線
を前方に向け人形のように黙り込んだ。
(堅が来るのかな)
淡い期待を胸にドキドキしながら受付の横まで移動すると、その場所に
おいてある観葉植物の葉を眺めた。堅が来るかもしれないそう思うと
期待感と共にとてつもない不安が襲う。
緊張で微かに指が震えていた。
(どうしよう、堅に会ったらなんて言おう)
「綾香さん」
聞き覚えのあるその声に振り向くと、そこには少し柔らかな表情の平尾が
立っていた。
「平尾さん」
(堅じゃなかった)何処かホッとしていた。
「平尾さんどうして?」
「すみません。代表は今、会議中でしてこちらへどうぞ」
そういうと受付のカウンターを通り過ぎて歩き始めた。綾香も慌てて
後に続く、エレベーターに乗ると平尾が言った。
「会議はあと10分ほどで終わると思います」
「私がここへ来た事、堅は知らないの?」
「はい」
綾香は昇降ボタンの前に立つ平尾の背を見た。
(これほど忠実そうな人が私のために)
そんな風に思うと平尾に対して感謝の気持ちが湧いてきた。エレベー
ターが35階で止まると静かにドアが開き赤い絨毯が敷かれたホールが
広がる。ホールの奥に大きな扉が見えた。両脇にはアンティークの置物がある。
平尾はエレベーターから先に降り扉の前まで行き、ゆっくりと扉を開けた。
その部屋は広く黒い磨き石が奥にある重厚なデスクと一体化して観葉
植物が置いてあった。今迄踏み入った事の無い空間に綾香はたじろいだ。