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第12章 願い(1)

休日の朝、ゆっくりと起きて身支度を整えた。頭は動いているのに服を返しに

行くと思うと体が重く感じる。朝の日差しが窓辺のフローリングに当たって部

屋を暖め、朝ごはんをもらったお腹いっぱいの猫が気持ち良さそうに日に当た

りウトウトとしていた。


部屋を出ると外の空気がまだ冷たく感じ、歩きながらどうしたら服を返せるか考えた。

(2週間前に会ったあの本屋さんのビルに、あ。でもあそこは偶々居ただけかもし

れないし。やっぱりあのマンションに行くしかないのかな)


今まで偶然に堅に逢っていた事で考えもしなかったが電話番号やメールアドレス

を交換していない事を思い出した。


(堅とは今まで本当に偶然に逢っていたんだ。不思議)

そう思うと堅の笑顔を思い出し胸がチクリと痛んだ。


街の中心部に向かうバスに乗り、あの日飛び出したマンションの近くで降りる。


綾香の心は複雑だった。


(逢うのが怖い。あの時の堅の顔、友達を見る顔じゃなかった)


「このビルだ」


なんとなく見覚えのあるビルに広いエントランス、磨き上げられた白い大理石の床。

正面のエレベーターホールの横に仕切られた堅専用のドアがあった。


天井の到る所に監視カメラが設置されている。


(あの時は、訳も分からず飛び出したけど。改めて見ると・・・)

その豪華なエントランスにたじろいだ。


ビルに恐る恐る足を向けると自動ドアが開く。そこには部屋の番号を押すインター

ホンが設置されていた。目の前には厚いガラスのドアが立ちはだかる。


(どうしよう。部屋の番号分からないよ)

もちろん自宅の電話番号など分かる筈も無く途方に暮れた。

すると正面のエレベーター横のドアから事務服を着た女性が現れた。良く見ると2

週間前に服を届けてくれた女性だった。彼女は軽く会釈をするとガラスの向こうの

壁に設置されている受話器を取り何かを話し始める。


直ぐ横の小さなスピーカーから女性の声が聞こえた。


「あの、何かご用でしょうか?」


綾香は慌ててインターホンのボタンを押しながら話す。


「えっと、あのっ、このビルにお住まいの関村さんに用があって来たんですが」

何て話したら良いか分からずに口走っていた。


「少しお待ちいただけますか?」

事務員はそういい終わると受話器を置き奥の扉に消えていった。

しばらくすると戻ってきて受話器を手にする。

「あの関村は只今、業務の方に就いておりまして。お急ぎでしたら折り返しご連絡

差し上げますが?」


それを聞いてホッとした気持ちになれる筈の心に寂しさが吹き付けた。

(もう私の事忘れたのかもしれないのに、やっぱり堅はただの気まぐれだったのか

もしれない)心がチクチク痛む気がした。


こんな風に感じる自分を振り切るように女性に話しかけた。


「あのこれを渡して頂けませんか?」女性に紙袋を見せた。


「あ、はい構いませんが。お預かりして宜しいのでしょうか?」


「はい。お願いします」


女性が目の前の自動ドアを開けると袋を受け取ろうと手を差し出す。

(これを渡したら、渡したらもう堅に・・・)

袋の布紐を握り締めて動かない綾香を事務員は不思議そうに見た。

少し背の低い女性が顔を覗き込む。


「あの〜?如何なさいました?」


その言葉に一層強く力を込めて紐を握った。

「あ、すみません。やっぱりいいですっ!」

そういい終わると勢いよくお辞儀してビルから飛び出た。


小走りにビルから遠ざかる。しばらく走ると息を切らして立ち止まり、さきほど感じ

たチクチクした胸の痛みが錯覚では無い事を思い知った。今こうしている間も心の中

でその感覚が次第に強くなる。両手で袋を提げて歩道の真ん中で俯いた。


(どうして?あの人にこれを渡したら、そしたらもうわずらわしい事なんて無くなる

のに!そうしたら全部終わるのに、どうしてこんな気持ちになるの?!)


唇を噛み締めた。

(もう。誰かに振り回されるのは沢山、返そう・・返してしまおう)

そう思い切ると、何も考えないように気持ちを押さえ込みビルに引き返した。






オフィスビルの20階にある会議室の重いドアが開く、堅は足早に会議室を出た。

廊下は広めに幅を取ってあり大人が5人ほど並んで歩けるくらいだった。少しして

後ろからゾロゾロと他の役員が出てくる。堅は役員とは逆方向の廊下に曲がると突

き当たりのエレベーターに乗った。


着いた先は堅のオフィスの中で黒い磨き石が敷き詰められ重厚な机と一体化した

かのような統一感を出している。部屋の窓側に置いてある自分の机に向かって歩

き出した。胸ポケットに入れてある携帯電話が鳴る。イスに座る前に電話に出た。


「平尾です」

「あぁ、平尾か」


秘書室に詰めている平尾が携帯に電話を掛けてくる時は私用電話が決まりごとの

様なものだった。

「代表、先ほどご自宅の管理部から連絡がありまして10分ほど前に女性が紙袋を

代表に渡して欲しいと訪ねて来たようです」


それを聞くと胸の高鳴りを感じた。


携帯電話を左手に持ち替えると右手で机の一番上の引き出しを開ける。シルバー

の携帯電話を握ると上着のポケットに押し込み乱暴に引き出しを閉めた。


「わかった、急いで車をまわしてくれ!」


慌てる堅とは対照的に落ち着き払った声で平尾が言う。


「直通出口に待機しております」


「!あぁ、ありがとう」


今まで無表情だった平尾の眉が動く。堅に仕えて初めて「ありがとう」と言われた気

がした。今まで自分が堅の為に色々するのは堅を尊敬し、そして仕事として当たり

前で何の疑問も持たないで来たが堅の言葉を聞いた瞬間心が温まる気がした。


(あの女性の事になるとなぜあんなにも。今まで、代表が相手にしてきた女性は

皆美しく華やかで、だが代表が女性達に入れ込むことなど今まで一度も無かった)


平尾は綾香の顔を思い出した。


(お世辞にも、美人とは言い難い。だがあの女性に出会われてから代表は変わら

れた。会議もオフィスからのモニター参加ではなくご自分から出向かれるし、話し

方も表情も柔らかくなった気がする。あの女性の存在があるからなのか?)




機転の利く平尾に堅は感謝した。電話を切ると今降りたばかりのエレベーターに飛び

乗る。1Fの一般ロビーの1つ下に下りると堅専用の通路が延びていた。


出口に待機しているリムジンのドアに運転手が立ち、堅が走ってくるのが見えると

ドアを開けた。


「急いで自宅に向かってくれ!」





綾香がビルのドアの前に立つとエレベーターホールに先ほどの事務員の姿は無か

った。事務員がついさっき出てきた扉に向かって叫ぶ。


「あの!すみません!!」


厚いガラス戸に遮られ声が届くはずも無く、どうしたら良いか考えた。


するとさっき事務員が出てきた扉から白いワイシャツにニットのベスト、グレー

のスラックス。白のソックスにサンダルと言った格好の中年男性が現れた。優し

げな顔でドアに近づくと、目の前に立ちはだかる分厚いドアを直ぐに開けた。


「あの、さっきここで・・」


言い終わる前に「こちらへどうぞ」と今出てきたドアのほうへ手を向けにっこり

と微笑んだ。恐る恐る男性に付いてビルの中に足を踏み入れる。ドアの中に入ると

中は狭い管理室だった。


黒いビニールが貼ってあるソファーと茶色いテーブルの応接セットその後ろに事務

机が窮屈そうに並んでいる。机の上には書類やファイルが広げてあった。男は部屋

の入り口に佇む綾香に「どうぞ座ってください」と促すように手でソファーを指

差し優しく話しかけた。


綾香はその場から動かずに手にしていた紙袋を見せた。

「あの、これを預かって欲しいだけなんです」


「はい。お預かりしますよ、でもお預かりする場合は手続き上、書類に記入して頂か

なくてはいけないものがありまして」


綾香は仕方なく黒いビニールが張ってあるソファーに腰掛けた。



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