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第11章 変化

エントランスに出るとエレベーターのボタンを押す。乗り手を待っていたかの

ように直ぐにドアが開いた。


(ボタンが2つしかない。F1とB1)

F1を押すと到着した先はビルの玄関だった。床の白い大理石が磨きあげられまる

で鏡のように壁やドアを映している。目の前には厚いガラスの自動ドアが2枚あり

その向こうには別のエレベーターがある。


どうやら降りてきた場所は堅専用の出入り口の様だった。


目の前の自動ドアを抜けると人が何人か入れる程度の間隔を置いてもう1枚のドア

があった。今通ってきたドアが閉まるのを待ってから目の前のドアが開く。


綾香は焦れったさを感じて人が1人通れるくらいの隙間が出来ると滑り込むように

ロビーに出た。


外を見ると雨が小降りになっている。タクシーを捕まえて飛び乗った。





綾香が出て行った部屋で堅は黙り込み仕事とは違う冷静さを失う自分に苛立ちを

感じながら、犯してしまった過ちの重大さを噛み締めていた。


(僕はなんて馬鹿なんだ!)


窓を拳で叩くと、小ぶりになった雨を窓から眺め立ち尽くした。

薄暗い部屋で外から入り込む柔らかな灯りが堅を浮き立たせるように照らす。


(アルコールを浴びる様に飲んで酔ってしまえたらどんなに楽だろう)


だがそんな気分にもなれずにいた。綾香にしてしまった事を悔やみ

(今日の事で。もう僕とは会ってくれなくなるかもしれないな)

屈託無く笑う綾香の笑顔を思い出す。


(自然で思いやりがあって優しくて。そしてあのなんとも言えない怒った顔。頬を

膨らまして眉を吊り上げてもうあの笑顔を見ることも出来なくなるのか?)


(想いが通じなくても、近くであの笑顔を見ていられたら幸せだったのに僕は!

僕は・・・綾香を傷つける事しか出来なかった)

唇に残る感触が堅にどうしようもない喪失感を与えていた。





綾香はタクシーを降りて部屋に入ると腰位の高さの靴箱の上に部屋の鍵を無造作

に置いた。擦り寄ってきた猫の頭を撫でて餌を与える。


暗い部屋に入っても部屋の明かりをつける気持ちになれずそのまま座り込んだ。

今日一日いろいろな事がありすぎて頭の中で処理しきれないでいた。


(堅と街でバッタリ逢って蓉子さんのところでお茶を飲んでそこまで凄く楽しくて)


(この半年間。不安で不安でたまらなかった。仕事でうまく行かない日そして孤独だと

痛感する事が多くなって、彼に話を聞いて欲しくても功ちゃんは何時も一方的で)


(自分の都合で言いたい事だけ言って、私の事は何も聞いてくれなくて友達と会っ

ていても楽しくなくて・・・何時しか一人で居る事が多くなって。今までも仕事っ

てドタキャンした後ユリちゃんと会っていたのかな)


悔しくて情けなくて無意識に涙が溢れてくる。


突然、堅を思い出した。


(堅はどうして私と友達になりたいなんて・・・言ったのかな?どうして抱きついてきた

りしたのかな・・そして・・・)そう思うと涙が止まらなくなる。


(堅はどういうつもりで私と友達で居たのかな。あんな風にするために?)

膝を抱えて必死に声を堪えて泣く。

(堅のバカ・・・)


気が付くと朝で日曜のテレビは退屈以外の何物でもなかった。ベッドに横になるこ

とも出来ずにその場に座ったまま時間を過ごしていた。


目がヒリヒリと痛い。泣きすぎて腫れぼったさを感じていた。


テレビをつけて直ぐに電源を切るとシャワーを浴びて近所のクリーニング店

に向かう。昨日の雨が嘘のように晴れ渡り朝の空気が冷たく澄んでいた。


クリーニング店はチェーン店で祝祭日もお構い無しに営業している。朝出して夕方

受け取りが売り文句の店だ。堅が昨日用意してくれた服をクリーニングに出して家

に帰る途中で功一に思い切って電話を掛けた。


(たとえあの時、偶然に居合わせたとか、やましい事が二人に無かったとしても私は

彼のあの顔もそして嘘をついていた功ちゃんが許せない。信頼できない)

電話がつながりコールが鳴る。留守番電話に変わるかと思うくらいコールは鳴り続けた。


「もしもし」低いトーンの声が聞こえた。

少し間を置いてから口を開いた。

「昨日の事なんだけど」不思議なくらい冷静だった。

功一は息を潜めるように黙り込んでいる。如何言い訳しようか考えているのかそれ

とも話すことすら面倒なのかその沈黙に苛立ちを感じる。


ドアを開けるような音が電話の向こうから聞こえた。

「ねぇ〜〜、功ちゃん何しているのぉ?電話?」とかすかにユリの声。


慌てたように電話から布を当てたような雑音が響く、綾香は体が冷たくなるのを感じた。

(朝まで一緒だったんだ)

目を閉じて深呼吸をする。


「さよなら」


そう告げると耳からゆっくり離して電話を切った。自分でも驚くほど冷静だった。

もはや涙も出なかった。


朝の冷たい空気が頬から浸み込み指先まで体が冷えていくのを感じる。


昨日の雨が嘘のように晴れ渡る空を見上げ、二人が自分を裏切った怒りとそして

そんな彼を信じ続けた自分への苛立ちを押さえ込んだ。


真っ直ぐ前を向いて自宅の方を見るとゆっくり息を吸い込む。

「歩こう」

静かに踏み出したその足取りは迷いを感じない。力強くそして確りと地面を捉えて蹴

りだしていた。





分刻みのスケジュールをこなしながら堅は移動する僅かな時間でふと綾香を思い

出していた。


(あれから2週間になるな。綾香が部屋を飛び出してから)


あのあとなんとなく日曜、家に居るのが嫌で休日を返上して慌しく働いていた。

体を動かして整然としたオフィスで仕事の事を考えていると、その身をジワジワと

焦がされるような居た堪れない気持ちから逃げ出せているようで楽だった。


だが泣き顔を思い出しながらも綾香に逢いたくてたまらないでいた。

【彼女が尋ねて来たら、至急連絡するように】と自宅ビルの管理会社に連絡を入れて

いたことを思い出し(来たら・・・か、来るはずもないか)都合よく期待してしまっ

ている自分を恥ずかしく思った。

(逢いたい。でもどんな顔をして逢えばいいんだ?)

(どんな顔をされるのだろう。謝らなくてはいけないのに)

勤務先も分かる。何度も逢いに行こうと思っただが逢いにいく勇気が無く逢いに

行って決定的に綾香から拒絶されるのが怖かった。





仕事から帰宅すると綾香は部屋の灯りをつけ、着替えをしようと狭い部屋に据え付

けられてあるクローゼットを開いた。片隅に立ててある紙袋に目が行く。クリーニン

グから戻ってきた服を返せないで居た。


(返しに行こうか。行かなきゃ)


そんな風に思いながらも着替えを済ませて、まるで目に入らなかったかのように紙

袋から目を逸らしクローゼットを閉めた。ベッドに腰掛けて無意識に考え込む。

(あれから2週間)


功一の事を考える暇が無いほどわざと予定を入れ、仕事でも残業を引き受けて

働いていた。功一に対する怒りはまだどこかに有ったが不思議と悲嘆にくれる事も

無く日々淡々と過ごしていた。何時も気持ちを張り詰めていないと崩れてしまいそう

だった。


功一に悩まされる事も無くなり体が空っぽになったかのように感じる。それは虚しさ

とは違う不思議な心境だった。


ふと、堅を思い出す。


(あれから、逢う事も無くてこのまま堅は私の事忘れちゃうのかな?あの日の

堅は優しくて)優しい笑顔を思い出した。


(一緒にいると楽しくてずっと友達でいられると思ったのに)

(堅の権力も、立場も私には別世界で私はどうして友達で居たのかな?堅は優

しくて話をしていると不安な気持ちも忘れる事が出来て)いきなり抱きしめられて

キスをされた事を思い出す。

(いきなりで驚いて、それで訳が分からなくなって、強く激しい堅が一瞬怖くて)

ハッとした。自分がどういうつもりで今考えていたかと思うと、心の片隅に湧き上が

った感情を振り切るように立ち上がった。


(違う!服を!返さなきゃって、だから堅のこと考えていたのよ!)


(堅はただ気まぐれで友達になりたいと思っていただけかもしれないのに)


そんな風に考えると、自分を納得させるつもりで思いついた今の言葉が不意打ち

のように胸を締め付ける気がした。


(明日。返しに行こう)



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