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第8章 安らぎ(2)

車を走らせると緊張で綾香のほうを見られず運転に集中する振りをして平静を装

った。閉ざされた空間の中でほんの少し手を伸ばせば触れ合える距離、綾香から

漂う香水でもない彼女自身の柔らかな香りが緊張を一層高めた。


緑の丘に着くと春風に揺れる綾香の髪がとても綺麗に輝いて見え一瞬ドキッとした。


「こっち。いい場所があるんだ」


案内された公園は緑がとても綺麗で普段整然と並ぶ高級家具やオフィスのデスク

に囲まれて生活している堅は新鮮で懐かしい感覚に包まれていくのを感じた。


(なんだ?この感じ。こんなに緑に囲まれる事なんて、ずっと昔母さんが庭いじり

していた時以来だな)母はガーデニングが趣味で、使用人にも触らせないほど庭に

はこだわりを持っていたものだった。


(不思議だな。安らぐ)


「いい場所だね」


「でしょ?」

と少し得意げに笑顔で話す綾香が可愛らしく花を見つめている彼女の顔に木漏れ

日が当たってキラキラと輝いて見える。綾香に逢えるかもしれないと街を車で走っ

ていた、逢いたくて切なくてさきほどの心境と無意識に今の状況を比較してしまう。

(こんなに近くに綾香が居る)

そう思うと(こんな気持ちを悟られたくない)とどこかで平静を装う。


顔には出さないが、幸せな気持ちでいっぱいになった。


蓉子が現れて二人を恋人同士のように言いお茶を振舞ってくれた。堅は少しぎこ

ちなく挨拶するたびに不思議な気持ちになった。


(こんな風にお礼を言ったり、挨拶する事なんて無かったな)

蓉子に冷やかされて堅は心の中で照れくさくも(周りから見たら恋人同士に見えて

いるんだな)そう思うと嬉しくてたまらなくなった。コレットの話しをする時綾香

が悲しげでたまらなく切なくなる。そんな彼女に自分が何か出来ないか堅は考えていた。

蓉子が去ると綾香は目を合わせてくれなくなる。


(もしかして、さっきあんな風に冷やかされた事不愉快だったのかな・・)


そう思うとなんだか不安になった。立場上。誰かの顔色を窺う事も無く堅の発言は

絶対的な効力を持っている。告げたり計算したりして人を動かし仕事をしてきた。

誰かの心の動きをこれほどまでに敏感に感じ取ろうとする事など今までに無かった。


綾香が注いでくれたお茶を口に運ぶ、紅茶はあんまり飲まなかったが母親が

好きだった事を思い出して口に含んだ。


(母さんに付き合わされて、良く飲んでいたけど渋くてあまり美味しいと思った事

ないな)その味は想像していたのと全然違う。深くて渋みの無い茶葉の香りが口に

広がった。


「う、旨い」思わず口にする。


「でしょ?凄く美味しいの、蓉子さんの紅茶」と綾香が微笑んだ。

堅も綾香を見て自分でも不思議なくらい自然に微笑んでいた。

そよ風に髪を揺らした綾香が呟く。

「凄く贅沢なカフェね」


その瞬間。春風が堅の閉ざされた心の中に強く吹き抜けるような感じがした。


(・・なんだ?この気持ち)


堅はティーカップに注がれた紅茶を見つめた。


(僕は、巨万の富と何一つ不自由の無い生活を生まれた時から送ってきた。この

環境も当たり前であって贅沢だとか不自由なんて感じた事すらなかった・・・)


(成長して大人になり事業が成功し、がむしゃらに実績で親父を追い越して、思う

ままに過ごす日常、手に入らないものなど何一つない筈だったのに)


(何処か物足りなさを感じていた。もっと高い場所に上り詰める事なのか?それと

も世界中でもっとも価値のある物を色々集めて、人々に自慢する事なのか?その足

りない物が何なのか、ずっと考えてきた。でもそれは・・・)


堅は静かに綾香を見た。彼女の一言でなんとなく分かった気がした。


(僕は全てを手に入れて、全て知り尽くした気持ちでいたのに。何も分かっちゃ居な

かったのかもしれない。僕に足りないものが何なのかを・・・)




綾香は功一の事で孤独や不安な事ばかり考えていた自分がこんなにも安らいで

いる事に喜びを感じていた。


(こんなにいいお天気で、お茶も美味しくて幸せ)

美味しい紅茶を飲みながら「ふふっ」と笑いがこみ上げた。


「どうかした?」

くすぐったくてさらに笑顔になった。

「あは、あのね良く考えたらさ。今日と言いこの前と言い、待ち合わせした訳じゃない

のに良く堅と逢うなぁってそう思ったらなんだか可笑しくて」

「そうだな、そう言えば」

言い終わらないうちにくすぐったくなって笑い混じりでこたえた。


「凄い確立じゃない?この広い東京でさ」と顔をくしゃくしゃにして笑った。

「あ、アレかな?偶然に生活で行動する場所が少しかぶっているとか?」


「そうだとしたら。不思議よね〜堅とは生活環境がまるで違うのに」

と藤棚を見上げていたかと思うと、瞳をキラキラさせて堅を見た。


(確かに凄い確立だな。逢いたいと思うと逢えてしまう)現実主義で効率や利益優

先の自分がこんな風に綾香と出会い話している事が不思議だと思った。


その後二人は話題が尽きる事無く話をした。綾香の事が色々分かって距離が近く

なり以前とは比べ物にならないほど親しくなれた気がして嬉しかった。

ふと風が冷たくなってきたのを感じて時計を見た。

(もう夕方かあれから2時間以上話をしていたのかあっと言う間だな)


藤棚の隙間から空を見上げると雲行きが怪しくなっている。話に夢中になっている

綾香の肩にさりげなく脱いだジャケットを掛けた。


綾香は驚いた様子で見たが直ぐに笑顔になる。

「ありがとう」


(この服。堅の香りがする)

脱いだばかりのジャケットからは、まだ暖かい堅の温もりと微かにいい香りがした。


「この後。予定ないなら食事でもどう?」

綾香は少し戸惑った様子で。

「あ ごめんね、ちょっと予定があって」

聞いてはいけないと思いながらも頭の中を過ぎった嫌な想像を口にしていた。

「彼氏とデートか」

からかう様に口にして綾香の反応を窺ってしまう。

「あはは」照れくさそうに笑うと黙り込んでしまった。


(否定しないんだな)


無性に切なくてたまらなくなると、そんな気持ちを断ち切るように立ち上がり言った。


「じゃぁ。そろそろ送るよ」


綾香も立ち上がりテーブルの上を片付ける。

「蓉子さんに挨拶してくるね」と微笑み柵の入り組んだ公園の奥へと走っていった。

綾香の背中を見てまた切なくなる。そんな気持ちを知られたくなくて必死だった。



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