第1章 出会い
午後の夕暮れ時、聳え立つビルの間を縫うように走る道路、たくさんの車が
各々の目指す場所に向けて犇めき合っている。渋滞する車の中に真っ黒な
リムジンが他の車同様、身動きが取れず立ち往生していた。
「代表、このままですと時間までに到着は無理かと」
海外出張から帰る途中、天候不順で足止めを余儀なくされ予定に誤差が生
じたのだ。
ソファー調のシートが据え付けてある広い車内の片隅で、黒いスーツを着た
男がメガネのズレを右手で直しながらシート中央に足を組んで座っている男
に話しかける。がっちりとした体に鋭い眼差し氷のように冷たい瞳。どこか他
人を寄せ付けようとしないその男は顔を上げて言った。
「遅れるわけには行かない、電車で移動しよう」
「え?!電車ですか?しかし、代表が電車に乗るなど・・・」
スーツの男の声を遮るように男はこう言った。
「心配要らない」
「平尾。君はこのまま車で社に向かってくれ」
「はい承知致しました」
男は信号と渋滞で犇めき合う車の群れに飛び出だし直ぐに歩道に抜けると駅
の入り口へと足早に駆け抜けていく。スーツの男はそれを見届けると眉一つ動
かさずメガネを手馴れた手つきで直し上着のポケットから携帯電話を取り出した。
「平尾です。代表は電車でそちらに向かいました。駅まで迎えの車を用意するように」
用件を言うと電話を置いて静かにため息をついた。
駅の雑踏。色々な人たちが行きかい男は人ごみを掻き分け電車に飛び乗る。
座席は空いていたが座る気持ちにはなれずに出入り口付近に立つ腕時計を
何度も確認し目的地に着くのを待った。
背は高く電車のつり革の短いほうでも肘があまるほどで隣の乗客に触れないよう
身体を寄せた。床は汚れゴミが落ちていて光沢のある革靴がミスマッチに感じら
れるほど上質な身なり、膝に何かが当たり見下ろす。小さな男の子がよろめいて
ぶつかったのだ。顔色一つ変えない男に、慌てて駆け寄る母親は男の顔をチラッ
と見て謝ると子供を抱え関わりたくないといった感じで座席に戻っていった。
駅に着くと急いでホームに飛び降り階段へと小走りに向かう。電車に乗る人降りる人
がごちゃ混ぜになりホームは混雑している。何か肩に衝撃を受けたが混雑もありあま
り気にせずそのまま先を急いだ。
「ちょっと!!!」
どこかで女の金繰り声が聞こえた。自分にだとは思わずその
まま階段の降り口へ向かう。
「ちょっと!そこの大男待ちなさいよ!」
そう聞こえたかと思うといきないり腕を掴まれた。振り返ると自分の肩位の身長
の女が厳しい目つきで見上げていた。
顔から下に視線を移動させると胸の辺りがジュースのようなもので汚れている。
女の後ろで、片手にジュースを持った小さな女の子を抱きかかえた母親が困惑した
表情で立っていた。先程の衝撃はあの母親に当たってこの怖い顔をした女がジュース
をかぶったのだ。
ようやく呼び止められた理由に気がついた。こんな場所でジュースを持た
せていた母親に対してムッとしたが、言い合う事も面倒だった。何も言わずに
スーツの胸ポケットに手を入れると財布を取り出し女に札を差し出した。クリー
ニング代にしては随分な金額だった。
「クリーニング代」
不躾に言うと女の手に無理やり押し込み先を急ごうと体の向きを変える。するとまた
手を掴まれた。約束の時間が迫っているのに追い討ちをかけるように面倒に巻きこま
れる。振り向きざまにうんざりして言い放った。
「なんなんだ?!金なら渡しただろう先を急いでるんだ!」
女は頬がはち切れんばかりに顔を膨らました。
「ふざけんじゃないわよ!あなた人にぶつかっといて謝る事も知らない訳?!」
周りを行きかう人も何事か?とチラチラ此方を見ていく、しかし女は気にせず続けた。
「何その態度?冗談じゃないわ!あたしだって先を急いでるのよ?!」
「人を馬鹿にするのもいい加減にしてよ!こんな物要らないわ!」
そういい終わるか終わらないかのうちに女は金を男に投げつける。
「ったく!」と言い残し階段を駆け下りていった。
男はあっけに取られた。
(なんだ?!あの女は!)
一瞬カッとなったが(確かに急いでいたとは言え、あれは僕が悪かったな)
そう思いながら床に落ちた札を拾った。
「ふっ」
こんな状況で不思議と笑いがこみ上げた。
(あんなふうに怒鳴られる事。はじめてかもしれないな)
ハッとして腕時計に目をやる、急いでいた事を忘れていたのだ。子供を抱えた
母親に視線を向けると「すまなかった」そう言い残し先を急いだ。
読んで頂きましてありがとうございます。完結後に修正を行いました。ストーリー等の大きな変更ではなく改行等の小さな変更です。完結作品ですが率直な感想を頂けたらうれしいです。