俺の弟分がスパダリ過ぎてつらい
「ジル! そっち行ったぞ!!」
熊型の魔獣がジルベルトへ襲い掛かる。
凶悪な爪を無言でかわし、右足を地面に踏み込んだ。
「はっ!!」
剣が魔獣の喉を一突きし、ごぼごぼと血の混じった断末魔が森に響き渡る。
巨体が地面に倒れ込み、その衝撃でわずかに地面が揺れた。
ほっとすると、腰が抜けたように地面へ座り込んでしまった。
「シオン、怪我はないか?」
差し出された手を握り返し、立ち上がる。
「ああ、おかげさまで。サンキューな」
ジルは強い。足手まといにならないようにするだけでいっぱいいっぱいの自分とは違う。
魔獣は解体して素材を取り出し、ギルドで買い取ってもらうのが冒険者の基本だ。
解体されていく魔獣を眺めていると、こぶし大ほどの魔石が腹から取り出された。
「おー、結構大きい魔石だな」
グロテスクな光景に眉を顰めながらも、出てきた魔石の大きさにテンションが上がる。
今夜は少しだけ豪華な食事にできそうだ。
「ふう……、こんなもんか。シオン、すまないがそこの川で血を洗い流してくれないか」
「もちろん。ついでに昼飯にしようぜ」
ジルベルトと出会った頃、自分はまだ駆け出しで、一人で全てをこなさなくてはいけなかった。だが解体だけはどうにもならないくらい苦手で、見かねたジルベルトがその役を担ってくれるようになった。
それ以来、解体はジルベルト、料理はシオンの担当だ。
解体された魔獣の肉は、食べる分を残して他は土に埋めた。
血抜きした肉はまだ少し生臭いが、匂い消しの香草を乗せておけば問題なく食べられる。
ジルには腹いっぱい食べさせてやりたい。
大き目にカットした肉に塩を振って火を通し、スライスしたものをパンに挟む。
料理ともいえないものだが、野営ならこんなものだ。
「ほら、先に食べな」
「シオンと一緒に食べるよ」
「えー、冷めちゃうじゃん。熱いうちに食ってくれよ」
そうは言うが、ジルベルトは言い出したら聞かない男だ。
余った肉を適当にパンに挟む。
「ほら! 食べようぜ」
見せつけるように頬張ると、ジルベルトも納得したのかパンを口に運んだ。
乾いたパンがもそもそして、口の中の水分が持ってかれる。
「……ジル、今夜は少し豪華な飯でも食おうぜ」
「? 今日は作らないのか?」
「だってほら、このサイズの魔石! 少しくらい贅沢してもいいだろ!」
魔石を取り出し、空に透かして見る。
内部に散った星のような輝きが綺麗で、サイズ以外にもこの石の価値が高いのが分かる。
「俺はシオンの飯じゃないなら何でもいい」
「はーー!? 欲が無さすぎだろ! 俺はほら! あれだ……ええと……、メニュー見て決めるわ」
案外、急には思いつかないものだ。
だが酒は絶対に飲む。
シオンは心の中で固く誓った。
「これ食ったら戻ろう。さっきの魔獣は大きすぎる。なんかおかしい……」
「ああ、そうだな」
日はまだ高いのに、森の雰囲気がなんとなくよくない。
こういう勘は当たるのだ。
二人は食事を終えると、ギルドのある王都へと帰り支度を始めた。
途中、雨がぱらつき、王都に到着する頃には土砂降りとなっていた。
悪いことは重なるものだ……。
全身をずぶ濡れにしながら、王都を囲む城塞の門をくぐると、顔見知りの門番が話しかけてきた。
「おー、無事だったかシオン。魔獣に尻を噛まれなかったか?」
「いつの話してんだ、お勤めご苦労さん!」
悪戯っぽく笑う門番に、にっと笑い返した。
ふと横を歩くジルベルトに視線をやると、眉間にしわが寄っているのが見えた。
「どした?」
「……尻を噛まれたのか?」
「ぶっ! わざわざ聞くなよ! ……昔ちっちゃい魔獣に噛まれただけさ」
かっこ悪いことは聞かないでほしいものだ……。
首筋に手を当てると、冷えた指先に熱さを感じた。
ギルドに入ると、やけに賑わっている。
先程の土砂降りで動けない者もいるのだろう。
馴染みの受付担当者がいるカウンターの前へ並ぶ。
「シオン、寒くないか?」
「ん? ああ、平気だよ。お前こそ大丈夫か?」
「問題ない」
正直下着まで濡れてしまったので、早いとこ着替えたい気分だった。
濡れた髪をかき上げると、露わになった額が空気に触れた。
ジルベルトも同じように髪をかき上げるが、自分とは違って男前に拍車がかかっている気がする。
周囲を見回すと女性の冒険者たちが熱い視線を送っていた。
まあ、そうだよな。俺でもかっこいいと思うもん。
ジルベルトの頬には痛々しい古傷があったが、そんなもの、この顔にかかればただのスパイスにしかならないだろう。
そう、俺の弟分はイケメンなんだ。
待機列はまだ長い。
今日はなんだってこんなに人がいるんだ?
「おわっ?!」
待っていると、見知った冒険者に突然肩を組まれ、足元がふらついた。
「よう、シオン。お前まだジルベルトさんの腰巾着やってんのか? どうせジルベルトさんの足引っ張ってんだろ~?」
……なんで俺は呼び捨てでジルはさん付けなんだ?
若干イラっとしつつも、ここは穏便に済まそう。
「まあなー! 昔はもうちょっと役に立ったんだけどな!」
こういうのは流すに限る。
肩に置かれた腕をやんわりと振りほどき、小さくため息を吐いた。
「まったく、ジルベルトさんほどの剣士が、なんでポーターと二人で組んでるんだ? もっと有能な奴はごろごろいるだろ」
まだ絡むのか……。暇なのかな? 暇なんだな。
ジルベルトの顔を見ると、先ほどとは比べ物にならないくらい目つきが悪くなっていた。
「お、おい」
こいつにこんな顔させちゃいけないんだ。
「俺は気にしてない」
絡んでくる冒険者から離れ、ジルベルトの背中を軽く叩いた。
「シオン、俺は――」
「次の方どうぞ」
受付が開いたようだ。
「おや、シオンさんとジルベルトさんでしたか。本日は素材の買い取りですか?」
受付の男性が眼鏡を押し上げると、眼鏡チェーンの金属音がシャランと鳴った。
「それもあるが、その前に報告を」
「ほう、何かあったんですね」
男性は両手を組み、にっこりと微笑んだ。
「これ」
ごとりと取れたての魔石をカウンターの前に置く。
「これは……なかなかの大きさですね」
「メフィスの森の魔獣から出てきたものだ」
王都から少し離れた距離にあるメフィスの森は、いわば初心者向けの狩場だ。
奥には小さな遺跡があり、弱い魔獣が発生するので、低ランク冒険者の小遣い稼ぎの場所でもあった。
「サイズは?」
眼鏡の奥の瞳が細められた。
ついさっき倒した魔獣の巨体を思い出し、粟立つ肌をさすった。
「熊型、三メートル以上あった。あと、そうだな……目が赤かった」
「なるほど……、それは上に報告をしないとですね。スタンピードの可能性があります」
メフィスの森にいる熊型魔獣は、せいぜい二メートルもないくらいだ。
それに加えて、赤い目をしていれば異常事態と言わざるを得ない。
「まずは、スタンピードの気配があるかの調査ですね。シオンさん」
「うん?」
突然名前を呼ばれ、間の抜けた返事をしてしまった。
「貴方に遺跡の調査を依頼したいのですが」
「えっ、俺が?? ジルじゃなく?」
「ええ、シオンさんが適任だと思います」
この受付、正気か?
そんなに力強く頷かれても困る。自分はポーター、つまりはただの荷物持ちだ。
「俺、ただのポーターなんだけど……」
「承知しています。しかし今回必要なのは、異常の有無を確認して生きて戻ってくる経験豊富な人間です。それにシオンさん、雑用という名目でスカウトの役割も担っていましたよね?」
受付の男性はまっすぐにシオンを見据え、にやりと口の端を上げた。
これは断れる雰囲気じゃないな……。
「……報酬は?」
「これくらい。何も見つからなくてもお支払いしますよ」
両手の指をこちらに広げて見せる。
「金貨十枚? ずいぶん太っ腹だな」
「それだけ危険だということです。ジルベルトさん、シオンさんの護衛をお願いしますね」
静かに横に立つジルベルトへ視線を送る。
眉間にしわが寄っていた。……あまり機嫌が良くないみたいだ。
「言われなくてもそのつもりだ」
「それを聞いて安心しました。あとは買取価格にも色を付けましょう。まあ、これだけ大きければ、そもそも高額の買い取りになると思いますけど」
足手まといなうえに護衛だと? 申し訳ないにもほどがある……。
だがさすがに、護衛もなしにスタンピードの可能性のある遺跡まで行くのは危険だ。
「ごめんな、ジル……」
「シオン、何も悪いことをしていないのに謝るな」
俺の弟分優しすぎかよ。涙が出る。出ないけど。
「ありがとうな」
「では、依頼は受けていただけるということで?」
「ああ! 明日の朝一に調査に向かうよ」
「それでは、正式に依頼させていただきます。シオンさんに、メフィスの森の調査を依頼します。報酬は金貨十枚。危険を感じたらすぐにでも戻ってきてください」
言いながら、依頼書を差し出してくる。話している最中に用意していたようだ。
断らない確信があったということか……。
親指に墨を塗り、捺し付けた。
魔石と素材を買い取ってもらうと、確かにいつもよりも金額が大きかった。
今夜はごちそう確定だ。酒も少しくらいならいいだろう。
ギルドを出ると、雨はすっかり止んでいた。
どうやら通り雨だったらしい。
日はすっかり傾き、地面の水たまりが夕日を反射していた。
途中、必要なものを買い足してから、拠点である宿へと向かった。
宿に着くと、給仕係が慌ただしくテーブルを行き来している姿が目に入った。
自分たちも空いている席へと座った。
この宿は一階が食堂になっており、冒険者たちの憩いの場としても人気だ。
給仕係にいつもよりも豪華な食事と、酒を一杯注文した。
「ジルは飲まないのか?」
「ああ。別に美味いとも思わない」
「あははっ! そういうとこはまだ子供なんだな」
ジルベルトのむすっとした顔に、弟分の子供っぽいところが垣間見え、なんだか無性に嬉しくなった。
食事で腹を満たし、酒をちびちびと飲んでいると、だんだんと頭がふわふわしてくる。
目の前の弟分であるジルベルトは、水を片手に静かに自分を見ていた。
酒が飲み終わるのを待っているのだろう。
その姿が昔のジルベルトと重なり、思わず言葉が漏れた。
「ジル……大きくなったなぁ……。お前、強くなったよ、本当に……。俺がいないほうが、もっと上を目指せるんだぞ……」
ああ、頭がぐらぐらする……。俺ってこんなに酒弱かったっけ?
「シオン、俺は今のままがいいんだ。お前と一緒にいられたらそれでいい」
弟分は相変わらずだ。
たまらない気持ちになり、ジルベルトの柔らかい金色の髪へ手を伸ばすと、くしゃりと撫でた。
複雑そうな表情のジルベルトを満足げに眺めながら、シオンは微睡むように目を閉じた。
◆
シオンを抱え、ベッドに預ける。
一瞬、茶色の瞳が自分を捉え、優し気に目を細めた。
「おやすみ、ジル……」
「ああ、おやすみ、シオン」
寝ぼけていたのだろう、すぐに目を閉じて寝息を立て始めた。
この男は何もわかっていない。
シオンの頬を撫で、小さく息を吐いた。
明日の調査ではシオンを守ることが最優先事項だ。
絶対に守る。
そう心に誓いながら、ジルベルトも隣のベッドへ身を沈めた。
◆
シャッという音と共に、瞼に朝日が直撃した。
「うっ!」
どうやらジルベルトがカーテンを開けたらしい。
「うう~~……おはよう……ジル」
「……おはようシオン。酒は抜けたか?」
今日も弟分の機嫌が悪そうだ。
正直、飯を食ってからの記憶がない……。
「う、うん……。ええと……ベッドまで運んでくれてありがとうな?」
誤魔化すようにへらりと笑いかけると、眉間の皺が少し和らいだ。
最近ジルベルトは不機嫌なことが多い。
やっぱ俺のせいなのかな……。
「朝一で調査だろう。朝食は包んでもらったから、歩きながら食べよう」
「準備がいいな! 支度するからすこーしだけ待っててくれ」
ベッドから跳び下り、急いで支度を始める。
ジルはいつから起きてたんだ?
ついに弟分に起こされるようになってしまったかと、内心溜息を洩らした。
メフィスの森へ着くと、まずは周囲の様子を探った。
妙な静けさが耳に痛い。
時折吹く風が木々の葉を揺らし、落ち着かない。
少し歩くと、小型の魔獣たちが怯えるように、自分たちが来た方向へと逃げていく。
遺跡へ向かう足が徐々に重くなる。
空気が重く、肌がひりつくような感覚を覚えた。
ヤバいなこれ……。
遺跡は森の少し開けた場所に存在する。
その手前の木の影へと身を潜めた。
離れた場所から遺跡の入り口を見ていると、奥で何かが蠢いているのが見て取れた。
魔獣というか、あれは……魔物だ。
ゴブリンは四匹、よく見る個体より明らかに大きい。そして、赤い目。
これはほぼスタンピードの前兆で間違いなさそうだ。
魔獣と魔物の違いは明白だ。獣に近い姿をした魔獣に対し、魔物はゴブリンのように人型のものが多い。
そして何より、本能で動く魔獣と違い、人型の魔物は小賢しい。
ゴブリン程度なら大したことはない。だが、スタンピードの特徴を持った魔物は危険だ。いわゆる強化個体といってもいい。
不幸中の幸いなのは、昨日の魔獣よりは小さいといったところか。
このまま放置すれば、低ランクの冒険者に襲い掛かる危険がある。
「ジル、あの四匹だけ片付けよう。倒したらすぐギルドに戻って報告するぞ」
「分かった」
腰のナイフを抜き、構える。
剣を抜いたジルベルトは、こちらの合図を伺っている。
俺が一、お前が三だ。
手で合図をし、ジルベルトはゴブリンのいる広場に躍り出ると、まずは一匹の首を跳ねた。
他の三匹が一斉に反応し、ジルベルトへ襲い掛かる。
その背後から、無防備な首筋へナイフを突き立てた。これで二匹目。
と思い、ジルベルトへ視線をやると、既に残りの二匹も地面に転がっていた。
つよっ! 俺の弟分、強すぎ……。
倒したゴブリンの目は、やはりはっきりとした赤だった。
悠長に解体する暇はない。
「戻ろう、ジル」
「ああ」
剣をしまおうとしているジルベルトの、背後の草むらが揺れる。
瞬間、先ほどのゴブリンよりもさらに大きな個体がジルベルトに飛び掛かった。
体が勝手に動く。
納めずに手にしていたナイフで、ゴブリンの攻撃を受け止める。
「ぐっ……!!」
衝撃が凄まじい。
受け止めきれず、体ごと吹き飛ばされる。
ゴブリンの意識がこちらへと向いた。
「シオン!!」
叫ぶなりジルベルトがゴブリンの背中を一閃。巨体は地面へと倒れ伏した。
剣から滴り落ちる血が生々しい。
カランと地面に剣を投げ捨て、ジルベルトが駆け寄ってくる。
「シオン、無事か……!?」
「あ、ああ、大丈夫……っ!」
ジルベルトが膝をつくと、突然抱きしめてきた。
「ジル……?」
震えてる……?
落ち着かせようと背中を優しく叩くと、ゆっくりと体が離れ、ジルベルトの青い瞳が自分を真っすぐと捉えた。
「……なんで庇った?」
「え」
「なんで庇った!!! あんな攻撃避けられた! 勝手なことをするな!!」
ジルベルトがこんなに怒りを露わにしたのは、初めてのことかもしれない。
俺が、こんな顔をさせていたのか。
「……ごめんな?」
どうしようもない感情を押し込め、へらりと笑った。
ジルは立派な冒険者になったんだ。もう自分の出る幕なんかない。
「ジル」
昔はよく撫でていた、柔らかい金色の髪に手を置いた。
ジルはもう子供じゃない。それでも、あの時から自分にとっては大切な弟分だったのだ。
「ジル、俺たちパーティーを解散しよう?」
「……は?」
ジルベルトの表情が凍り付いた。
「……何を言ってる?」
今、言うべきではなかった……。
遺跡の奥から獣のような唸り声が聞こえる。
「その話は戻ってからしよう」
「待て、シオン――」
「今はここを離れるのが先だ。さっきの奴みたいなのが、また出てくるかもしれない……」
足早に遺跡を離れ、森を抜ける。その間、二人は一言も話さなかった。
ジルベルトから漂う空気が尋常ではないことに、内心冷や汗をかきながら、シオンたちは真っすぐにギルドへと向かった。
ギルドへ到着すると、昨日とは打って変わって人がまばらだった。
馴染みの受付もちょうど空いたようだ。
カウンターの前へ立つと、受付の男性は眼鏡チェーンを揺らしながら目を細めた。
「シオンさん、調査の方はどうでしたか?」
「確定だ。まだ前兆の気配だけだが、あと数日後には溢れてきそうだ」
報告を聞くと、男性は溜息をついて眼鏡を押し上げた。
「そうでしたか……、ありがとうございます。後のことはこちらにお任せください。では、金貨十枚です。お受け取り下さい」
金貨がトレーに積み上げられる。
……これがジルとの最後の報酬になるのか……。
「……サンキュ」
金貨を革袋に入れていると、受付の男性は背後のジルベルトの様子に眉を顰めた。
「ところで、ジルベルトさんはどうかされたんですか?」
言われて後ろへ視線を向けると、イケメンが台無しと言えるくらい怖い顔をしていた。
さっきより怒ってない??
「あー、いや~……」
気まず過ぎる……。どう見ても喧嘩したと思われていそうだ。
しかし、ここは自分たちの所属するギルドだ。パーティーの登録や解消の手続きもここで行われる。
シオンは意を決したように口を開いた。
「……俺たちパーティー解散しようと思っ――うわっ!」
唐突に手を引かれ、その勢いで足がもつれそうになる。
見ると、細かい傷だらけのジルベルトの手に掴まれ、無言のままにギルドの外扉へ歩き出していた。
「じ、ジルっ」
握られた手が力強く、振り解くことができない。
痛い痛い! えらい馬鹿力だな!
しかし、これ以上ジルベルトの機嫌を損ねたくないシオンは口を閉じた。
されるがままに手を引かれ、宿のある方向へと歩を進める。
シオンはジルベルトの背中を見ながら、覚悟を決めた。
◆
「なんだいありゃ」
並んでいた冒険者の一人が、二人の出ていった扉を不思議そうに見ていた。
「はぁ、やっと進展しそうですね」
自然と口角が上がる。
「?」
昔から見ていたからこそ分かった。
あの成長した少年の彼に向ける目が、いつの間にか兄貴分や友人に対するそれではないことに。
眼鏡のフレームをなぞると、チェーンの金属音が微かに鳴った。
次に会う時が楽しみですね?
◆
相変わらず無言のジルベルトに手を引かれている。
「おい、ジル! 離せって!」
沈黙に耐え兼ねたシオンが何を言っても反応はない。
人通りに紛れてはいるものの、それでも異様な雰囲気の自分たちに目を向けるものは少なくなかった。
あ゛~~……、知り合いに見られたらどうするんだ……。
やっと宿に着いた。そこまで離れていないのに、長い道のりに思えて妙に疲れた。
宿泊室の扉を開けた瞬間、ジルベルトはシオンをソファへと乱暴に座らせた。
「いだっ」
痛む尻をさすりながら、ここまでされたのは出会った頃以来だなと思い返す。
「パーティーを解散する、だと……?」
硬い声が頭上から降ってくる。
ジルベルトの顔を見ることができない。シオンは俯きながら、口を開いた。
「……ジル。お前、拾ってやったときの恩義で一緒にいてくれてたんだろ?」
「…………何?」
これは、こいつの目を見て言わなくてはいけないんだ。
重い頭を上げ、ジルベルトを見据えた。
「あのさ、ジル。お前はもう、俺に恩を感じる必要なんてないんだ」
「……恩だと? そんなもので八年も一緒にいたと思っていたのか……?」
「そんなものだと……!? 俺といるメリットなんてないだろ? 行き場のないお前を拾った、その恩義で一緒にいる以外ないだろ……? だって俺は――」
ただのポーターだから。
その言葉が出てこなかった。
それをここで言えば、今までの自分を否定することになりそうで、言えなかった。
だって、ジルベルトとはそんなの関係なくずっと一緒にいたのだ。
ポーターだからじゃない。
最初は一人になった少年が気の毒で、一緒にいただけだった。
だが次第に同情だけじゃない、愛情で共にいたことは確かだ。
そうだ……、こいつは、大切な俺の弟分なんだ。
どう言えばジルベルトを傷つけないのだろう。言葉の整理が上手くできない。
「……っ」
不意に、ジルベルトの手が頬に添えられた。
「俺はシオンとずっと一緒にいたい。何度言えばわかる? どう言えば伝わるんだ……?」
何かに堪えるように顔を歪めながら、青い瞳がわずかに揺れた。
なんでそんな顔する? 俺は、お前の門出を祝いたいだけなのに……。
その表情が、あの頃のジルベルトと重なり、無意識に頭へ手を伸ばす。
「あ」
伸ばした手が、制止するように握られる。
ジルベルトの整った顔が視界を遮り、思わず目を閉じた。
「ぅ……っ」
唇に柔らかいものが触れた。
そっと目を開け、それがジルベルトの唇だとわかると、心臓が跳ねた。
握られた手がじっとりと汗ばんでくる。
「じ、ジル…………?」
ジルベルトの瞳が自分を捉えて離さない。
「シオン、俺はもうお前の弟分ではいたくないんだ」
混乱するシオンの口を、ジルベルトは再び塞いだ。
今度は長く、熱い舌が唇を撫でる。
「んん……!」
ちょ、ちょっと待って、心の準備が……!!
唇が離され、乱れた呼吸を整える。
「シオン、俺はお前と離れる気はないぞ」
「わ、分かった! 分かったから……!」
こいつこんなに男前だったか??
いや、それよりも初めてだったんだが???
いやいや、そんなことよりもなんで俺????
「ジル、お前俺のこと好きなの……?」
言った瞬間後悔した。
ジルベルトのこめかみに血管が浮き出るのが見えた。
後頭部を掴まれ、顔を近づけてくる。
「ちょっ――」
またキスされると思い目をきつく閉じると、首筋に痛みが走った。
「いてぇ!!」
まさか噛まれるとは思わなかった……。
「今度こそ分かったか?」
耳元で囁かれ、全身の血が沸騰するように熱くなる。
「ごめん、悪かったって……!」
なにこれ、めちゃくちゃ恥ずかしいんだが……!?
「ジル……あのな、俺そういうの疎くてだな……。お前が俺を好きなのは分かったよ。でも俺がお前を好きかまだ分からないんだ。それでもいいのか……?」
情けないが、生まれてこの方、恋愛なんてしたことがなかった。
同性同士のカップルに偏見はない。というか、身近な知人にも何人かいる。
だが、自分がそういう対象として見られるとは思わなかったのだ。
視線を揺らしながら本音を吐けば、ジルベルトは自分の横に座り腰を抱き寄せてきた。
「ああ。だが、これからは分かりやすく口説くからな」
ジルベルトの声が鼓膜を震わせる。
俺の心臓、耐えられるんだろうか……。
今日は色々ありすぎて、気分はすでに夜だが外は明るい。
「……まだ昼なのかよ」
腰にはジルの手が添えられ、手の熱さが伝わってきて居たたまれない。
どうすんだこれ……。
「ジル、手……」
「ああ」
思い出したように腰から離れた手が、今度は顔へ移動してくる。
「ぅ」
気付いたらまたキスをされ、やっと手が離された。
流れるようにしてくるな……!
「……今キスする雰囲気だったか?」
「そう感じた」
「そうか……」
キスってこんなに頻繁にするものなのか?
ましてまだ好きか分からないと言った相手にすることではないと思う……。
ぐるぐる考えていると腹の虫が鳴った。
「昼飯食お」
考えることを止め、食堂へ向かうと給仕たちの視線が痛い。
勢いよく食堂を通り宿泊室に入っていったのだから、何事かと思われても仕方ないだろう。
「ジル、まだ時間あるしギルドに行こうと思うんだけど……」
軽食を食べる手を止め、ジルベルトの様子を伺う。
「一緒に行くよ」
まあ、そうだよな。
さっきあんな風に出てきたからめちゃくちゃ気まずい。
何も言われないといいな……。
ギルドに着くと、ちょうど受付が空いたようで目を丸くしていた。
「おや、早いですね」
眼鏡を押し上げ、まじまじとこちらを見てくる。
「早いって何が」
「もうパーティー解散はいいんですか?」
そういえばそんな話をしていたことを思い出す。
「あー、うん、無しになった」
「そうなんですか。よかったですね、ジルベルトさん?」
「……」
受付の男性が背後のジルベルトに向かって声をかけるが、返事がなく静かだ。
もしかしてどこかに行ったのかと振り向くと、何故か眉間にしわを寄せ不機嫌を隠そうともしていない。
「おい、ジル」
こいつなんで受付の時だけこんなに態度悪いんだ??
「ふふ、気にしてません。私があなたの兄貴分なのが気に食わないんでしょう」
「は、いつの話だよ」
受付の彼を兄と慕っていたのは孤児院時代だ。
だが、成人してそれぞれが働くようになれば、その関係は少し親しいだけの他人になる。
もちろん今でも彼が受付にいればそこに並ぶが、ただそれだけの関係だ。
「今日はまだ日が高いから、何か軽めの依頼でもあればと思ったんだ」
「真面目ですねぇ、今日くらいゆっくりすればいいのに」
「宿にいてもやることがないんだよ」
ピックアップされた依頼書を眺め、一枚を指し示す。
墨を塗った親指を捺し、拭き取っていると、ふと受付の視線が自分の首元を見ていることに気が付いた。
「? なに?」
「いえ……。ジルベルトさん、ちょっと」
「なんだ」
突然のことに処理が追い付かず、二人が小声で話すのをぼんやりと眺めていた。
「え、なに、急に仲良くすんなよ」
受付の男性がこちらへ向き直ると、眼鏡チェーンの金属音が小さく鳴った。
「シオンさん、もうパーティー解散なんて言わないで下さいね。ジルベルトさんが可哀想ですよ」
「可哀想って……。俺と一緒にいる方が可哀想と思ったんだよ」
まさかそんなふうに言われるとは思わず、口をとがらせると受付の男性は苦笑気味に眉尻を下げた。
「まったく、あなたは昔からそうだ」
「行くぞ、シオン」
ジルベルトが急かしてくる。
「あいつどんだけだよ。……心配かけたな、兄貴」
目を瞬かせた兄貴分は、懐かしげに目を細めた。
頬が熱くなるのを感じながら、ジルを追いかけるように受付を後にした。
「何言われたんだ?」
「……大事にしろって」
「はぁ??」
なんだそりゃ。あの人だってよっぽど過保護じゃないか。
仕事を終え宿へと戻る。
腹を満たし、飲む気のなかった酒を注文してしまった。
考えることが多すぎて、一旦頭をリセットしたかったのだ。
酒を喉に流し込んでいると、次第に思考がぶつ切りになってくる。
「やば、もう今日は寝よう、無理」
勿体ないが残った酒を置いて席を立ち上がると、足元がふらついた。
ジルベルトが当然のように支えてくれ、宿泊室のベッドに腰を下ろした。
どうしよう、俺の大事な弟分が優しい。
無性に頭を撫でたくなり、柔らかい金髪に手を伸ばすと、満足するまで感触を楽しんだ。
その手を掴まれ、ジルベルトの青い瞳が真っすぐにシオンを見つめてくる。
息が止まる。
ジルベルトの唇が重なり、すぐに離された。
「……今何でキスした??」
「分かりやすく口説くと言っただろう」
口説くってこんなにキスすることなの??
いろいろ考えたが、限界だった。
ベッドに横になり、毛布を手繰り寄せる。
「……おやすみジル」
「おやすみ、シオン」
ジルベルトと自分の関係は変わりかけているが、この挨拶だけは変わることがなさそうだ。
「起きろ、シオン」
唐突なジルベルトの声に、身体がびくりと反応し、目を覚ました。
「お、おはよう、ジル……早くない……?」
ついさっき目を閉じたような感覚に、瞼を擦りながら不満を漏らした。
「早くない、もう昼だぞ」
「うそ」
太陽は真上にある。確かに昼だ。
呆然としている横で、ジルベルトがベッドに腰かけ、いつの間に持ってきたのか水の入ったグラスを手渡してきた。
これが世にいうスパダリってやつか。自分にはとてもこの気遣いは真似できない。
「サンキュ」
水を飲み干し、空のグラスを渡すと、ジルベルトの瞳が真っすぐにこちらを見ている。
「? なに、どした?」
「昨日言ったこと覚えてるか?」
「昨日……?」
顔が近い。近すぎてキスしそう……。
「あ! 思い出し――」
唇が重なる。思考が一瞬止まった。
唇が離された瞬間に舌先でなぞられる。
「っ……ぅ」
朝から糖度マシマシすぎる。
「……俺まだ好きって言ってないよね?」
「朝の挨拶だろ?」
「挨拶ってキスしたっけ……」
ジルベルトは目を細めると、シオンの頬へ唇を滑らせた。
「俺はもう我慢するのを止めたんだ、覚悟しろ」
囁かれた耳が熱を持ち始める。
…………甘!! なんだこれ、俺の弟分がスパダリ過ぎてつらい……!
正直悪い気はしない。だが、いつまでもこのままというわけにはいかないだろう。
シオンは上昇した体温を冷ますように、昼という名の朝の身支度を始めたのだった。




