第七話 エラー
夜の荒野は、システムによって最適化された静寂を保っていた。
燃焼効率の良い枯れ枝だけを集めた小さな焚き火。
監視者テミストスは瞳の奥で青い光を点滅させ、本日の異常記録を処理していた。
その瞳には焚火の炎が揺れている。
『対象:勇者イザーク。戦闘における動作の無駄、極大。負傷における今後の効率低下、予測値を大きく上回る』
『対象:離脱者シーヴァ。所持資源の消耗ペース、許容範囲内。同行目的に論理的整合性なし』
テミストスの視線の先では、シーヴァがイザークの左腕に包帯を巻いていた。
「ひどい傷。魔物の特性も知らずに突っ込むなんて、自殺行為よ」
シーヴァの手つきは滑らかで、一切の無駄がない。
短く切り揃えられた藍色の髪が、炎に照らされて揺れている。
「無我夢中だったから。
でも、あいつらの身体の作りを見てたら、どこが一番脆いかはなんとなく分かったんだ」
「……眼がいいのね。でも鋼毛犬は視界が狭いから、正面で受けないがいいわよ」
彼女の元貴族としての教養と、書物から得たであろう知識は、極めて優秀なリソースだ。
だからこそ、テミストスには理解できなかった。
「対象イザークに問う」
テミストスが平坦な声で夜の空気を切り裂くと、二人が同時にこちらを向いた。
「本日の君の行動は、極めて非合理だ。自身の最適化を放棄し、世界法則に寄与しない離脱者の救出のために、勇者としてのリソースを大幅に損なった。彼女を見捨て、自身の生存確率を優先するのが最適解である」
シーヴァは包帯を結び終えると、表情一つ変えずにテミストスを見返した。
「ええ。あなたの計算は完璧よ。
彼は私を見捨てていればケガもしなかったし、今後の生存確率も高かった」
「ならば、なぜ君たちは現在も行動を共にしている。
互いの生存に不確定要素をもたらす関係性に、論理的整合性がない」
シーヴァは小さく息を吐き、焚き火に視線を落とした。
「論理的な理由は…そうね。私は今日、最適解を拒絶して世界のバグになった。
そしてイザーク、あなたも完璧な歯車であることを放棄した。
……システムが支配するこの世界で、私たちのようなエラーは、遅かれ早かれ環境や確率によって排除される」
彼女は、テミストスとイザークを交互に見据えた。
「私には知識があるけれど、実行する力がない。
あなたには力と…そのいい目があるけれど、戦術を知らない。
私たちは共犯者よ。
バグ同士、生き残るために互いの欠陥を補い合う。極めて合理的な互恵関係だわ」
「詭弁だ」とテミストスが冷たく返す。
「生存を目的とするなら、最初からシステムに従属するべきだ」
「そうね。だから、本当の理由はただの感情よ」
シーヴァは、イザークに巻かれた包帯を見つめた。
「私が、このお人好しな勇者と一緒に旅をしたいと思ったから。
誰かに『決められた正解』を押し付けられて、自分を殺して安全に生きるより、明日死ぬ確率が上がっても、自分の足で歩く道を選ぶわ」
イザークもそれに同調するように、柔らかく笑う。
痛みがあり、血が流れ、熱がある。
完璧な装置であることをやめた彼の顔は、ひどく人間らしかった。
「なんだか今、息がしやすいんだ」
「息が、しやすい……?」
テミストスは反芻した。
酸素濃度の低下は観測されていない。
彼らの言う「息」とは、物理的な現象ではない。
『自らエラーになる』
その言葉を記録しようとした瞬間、テミストスの内部システムに微小なノイズが走った。
警告音。異常なデータ。
計算式に当てはまらない、正体不明の変数。
彼らは、アルゴリズムから完全に外れようとしている。
だが、愚かで、ひどく非効率で、無駄ばかりの彼らの姿が。
システムの一部であるはずのテミストスの目に、わずかに……ほんのわずかに、「美しい」と映ってしまったのは、なぜだろうか。
焚火にくべた枝が、パチリと鳴った。乾燥が不十分な枝が混じっていたか。
『……記録の保存を一時中断。原因不明のエラーを検知』
テミストスは誰にも聞こえない声で呟き、静かに視線を落とした。
広大な夜の荒野で、小さな火だけが、正しすぎる世界の暗闇を照らしていた。
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この話は、第十話で完結予定です。
引き続き、「世界の余白」をよろしくお願いいたします。




