第六話 非合理
都市を出て数時間後の荒野。
風が、獣の匂いを運んできた。
街道の先で、一台の荷馬車が砂煙を上げて逃げ去っていく。
その背後、捨てられた一つの小さな影を、六匹の獣が取り囲もうとしていた。
鋼のように硬い毛並みを持った『鋼毛犬』の群れ。
これまでの道程で現れたおあつらえ向きの的とは違う。
本能のままに肉を喰らおうとする、計算外の混沌だった。
「状況を解析」
テミストスの瞳が、無機質な青い光を点滅させた。
「対象の生存確率は十二パーセント未満。対して、君が負傷する確率は八十パーセントを超える。救出にリソースを割くのは致命的な非効率だ。見捨てるのが、最適解である」
最適解。その言葉が、イザークの鼓膜に重く張り付く。
今までなら、頷いていただろう。
だが、囮にされたあの少女は、都市で自らの髪を切り捨てた少女だった。
砂にまみれてもなお、絶望ではなく静かな怒りを持って獣を睨みつけている。
最適に従って彼女を見殺しにすれば、自分は一生、息を止めたまま死んだように生きていくことになる。
『君は、とても優秀な装置だ』
(……冗談じゃない)
イザークの奥底で、何かが弾けた。
凍りついていた血が、一気に沸騰する。
「……うるさいな、テミストス
正解なんて、自分で決める」
イザークは地を蹴った。
燃費の良い十四パーセントの魔力などは無視だった。
四十パーセント。
潜在する規格外の魔力を、筋肉が悲鳴を上げ、毛細血管が焼き切れるような熱として両脚に叩き込む。
最適化された美しい足運びではない。
無理やり前傾姿勢で身体を弾き出す、暴力的な疾走。
「イザーク、戻れ。行動に論理的整合性がない。
魔力出力の異常上昇を検知。戻るんだ、イザーク!」
警告の声など、もう聞こえなかった。
群れの一匹が、少女の喉笛に牙を剥いた瞬間。
横合いから突っ込んだイザークの肩が、獣の胴体に激突した。
体勢を崩したイザークに、別の二匹が襲いかかる。
剣は間に合わない。牙が左腕の肉を裂き、鮮血が舞った。
痛い。熱い。だが、イザークの瞳はかつてないほどに澄み切っていた。
(鉄と同じだ)
どんなに硬い鋼の毛皮にも、必ず継ぎ目がある。
「そこだっ!」
過剰な魔力を乗せた剣の先を、獣の頸椎の隙間に垂直に叩き込む。骨の砕ける音。剣術の型など微塵もない、ただの破壊の作業。
イザークは息を乱し、血を流しながら、残る獣たちへと吼えた。
死んだように完璧だった勇者が、初めてノイズを鳴らした瞬間だった。
数分後。荒野には、六つの骸が転がっていた。
イザークは肩で息をしながら、ゆっくりと剣を鞘に収める。
負傷率ゼロの完璧な装置は、完全に壊れていた。
彼は、地面に座り込んでいる少女、シーヴァを振り返った。
「大丈夫?」
差し出した手は、血と泥で汚れていた。
だが、その顔には、ひどく人間らしい笑みが浮かんでいた。
シーヴァは、目の前の少年を見上げた。
十二パーセントの死の確率を、こんなにも無様で非合理な力業でねじ伏せてみせた少年。
彼女は、少しだけ目を細め、その汚れた手を取った。
「ええ。……でも、ひどく非合理な行動ね」
その言葉に、イザークは小さく吹き出した。
シーヴァは立ち上がり、汚れたスカートの裾を払うと、イザークの目を真っ直ぐに見つめ直した。
「……ありがとう」
それは、勇者ではなく、イザークに向けられた言葉だった。
「世界中が『見捨てるのが正解だ』と言う状況で、あなたは間違えてくれた。その非合理に、私は救われたわ」
イザークは照れくさそうに目を逸らし、「ありがとう」と小さく呟いた。
テミストスの無機質な足音が近づいてくる中、
二人は同じエラーを共有した共犯者のように、静かに佇んでいた。
その瞳はとてもよく似ていた。
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この話は、第十話で完結予定です。
引き続き、「世界の余白」をよろしくお願いいたします。




