第三話 拒否という選択
都市の大聖堂は、完璧な静寂に包まれていた。
伯爵令嬢シーヴァの婚姻契約式は、巨大な計算機のエンターキーを押す作業に似ていた。
祭壇に置かれているのは聖書ではなく、神が生成した『最適婚姻契約書』。
誓いの口づけも
愛を伝える言葉も
そこには何も必要はない。
ただ互いに署名をするだけ。
夜の闇を溶かしたような、美しい藍色の長い髪。
上質なドレスに身を包んだシーヴァの横顔は、彫刻のように美しく、そして冷たかった。
隣に立つ婚約者もまた、笑顔は一切ない。
二人の視線が交わったことは、まだ一度もない。
「愛などという不確定要素は、数年で揮発する無意味なコストだ」
初めての顔合わせで、シーヴァの目を見ることなく婚姻相手はそう宣った。
「この婚姻は相性適性九十一パーセント。我々の人生における最適解だよ」
その言葉は正しかった。システムの導き出した答えに間違いはない。
家格は均衡
両家の取引も良好
神の相性適正も最適を示した
それはとてもよくある政略結婚で、最適解の人生設計だった。
だが、シーヴァが羽ペンを手に取ったとき、その白い指先は動かなかった。
「……拒否します」
静かな声が、大聖堂に波紋を広げる。
「理解不能だ」と婚約者は眉一つ動かさずに言った。
「君の将来も両家の繁栄も、この婚姻によって最大化される。拒絶する合理的理由が存在しない」
シーヴァは彼を見据え、はっきりと告げる。
「理由は、これが私の選択ではないからです。
神の計算でも、家の都合でもない。私の生き方は、私が決めます」
決して愛されたかったわけではない。
婚姻相手が嫌だったわけでもない。彼はただ、合理的な人なだけだ。
それでも、シーヴァは自らの意志で選びたかった。
その瞬間、彼女は保護された『資産』から、世界に不要な『エラーログ』へと成り下がった。
実家からは絶縁され、すべてを失った。
だが、大聖堂を出て一人歩き出す彼女の背中に、悲壮感はなかった。
ただ、自らの足で立つ者だけが持つ、清々しい熱があった。
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この話は、第十話で完結予定です。
引き続き、「世界の余白」をよろしくお願いいたします。




