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第1話 灰被りのイレギュラー

異能(魔法)が支配する世界で、無能力者の主人公が「変身」して、物理で全てを解決するお話です。


魔法が効かないなら、殴ればいい。

理不尽な世界を、黒い装甲アーマーでぶっ壊すダークヒーローものです。


スカッとしたい方、変身ヒーローが好きな方はぜひ。

第1話:灰被りのイレギュラー

【モノローグ】

世界が変わるのに、時間は要らなかった。

前触れも、予兆も、段階的な進化も、何もかもが省略されていた。

”ただ、光っただけだ。”

3年前のある日の正午。

頭上から降り注いだ、視界を焼き尽くすほどの白い光。

俺たち人類が「まとも」でいられたのは、そこまでだ。

瞬きをした次の瞬間には、世界はもう「異常」になっていた。

隣を歩いていたサラリーマンの手から炎が噴き出し、

散歩中の犬は巨大な魔獣へと膨れ上がり、

ビル街のモニターには、見たこともない新興宗教や巨大企業のロゴが踊り始めていた。

まるで、神様がテレビのチャンネルをザッピングして、退屈な「日常」から刺激的な「非日常」へと強引に切り替えたみたいに。

誰もがその変化を、不思議と受け入れていた。

「光を浴びたら力が目覚めた」。

そんな安直な理屈で、人類は納得してしまった。

……いや、納得させられたのかもしれた。

俺はずっと感じている。あの光の直後から続く、奇妙な**「身体の重さ」**を。

まるで、一瞬の間に数百年もの拷問を受け、無理やり何かをねじ込まれたような、得体の知れない疲労感。

世間はこれを「覚醒の代償」と呼ぶけれど、俺にはどうしても、

何者かに**「記憶ごと切り取られた空白の時間」**があるように思えてならないんだ。

そして、俺の胸の奥にある、この熱いしこり。

周りの連中が手に入れた便利な「異能ギフト」とは明らかに違う、ドス黒くて、重々しい、

何かの**「コア」**。

これは、神様からのプレゼントなんかじゃない。

もっと悪趣味な誰かが仕掛けた、時限爆弾だ。

そう、俺は確信している――

ピリリリリリリリッ!!!

思考を断ち切るように、枕元のスマホが安っぽい電子音を撒き散らした。

画面には『鬼瓦おにがわら現場監督』の文字。

脳内のシリアスな警鐘は、瞬時にして現実に掻き消される。

「……っ、うぉっ!?」

俺は飛び起きて通話ボタンを押した。

「は、はい! もしもし!」

『おいコラァ! 今何時だと思ってんだ! 資材搬入はもう始まってんだぞ!』

「す、すみません! すぐ行きます!」

『ったくよぉ……テメェは能力スキルが使えねぇんだから、人一倍身体動かせって言ったよな!? 3分で来い、3分で!!』

「は、はいぃッ!!」

ブチりと切れた通話。

俺は「時限爆弾」を抱えた胸を押さえながら、慌てて作業着に袖を通し、アパートを飛び出した。

錆びついた自転車を全力で漕ぐ。

キコ、キコ、とタイヤが軋む音だけが、俺の情けない現状を主張していた。

見上げれば、空には優雅なもんだ。

『お届けものでーす!』

背中からジェット噴射のような炎を出した配達員が、渋滞を無視してビル風に乗っていく。

信号待ちの交差点では、交通整理の警官が笛を吹く代わりに、**「念動力サイコキネシス」**で強引にトラックを停止させていた。

工事現場を見れば、重機なんて古い道具はもうない。筋力が50倍に強化された作業員たちが、素手で鉄骨を放り投げている。

(……本当に、狂った世界だ)

あの「光」から3年。

人類は、与えられた異常な力を驚くほどスムーズに「労働力」へと転換した。

発電能力者は電力会社へ。

転移能力者は物流業界へ。

精神感応者はカウンセリングや尋問へ。

経済効果は数千兆円。

誰もが「便利になった」「進化だ」と諸手を挙げて喜んでいる。

まるで、自分たちのDNAが書き換えられたことなど忘れてしまったかのように。

(便利? 進化? ……違う、これは「最適化」だ)

俺にはわかる。

自転車のペダルを漕ぐこの脚が、かつてとは違う生物のパーツに交換されたような感覚。

人類は「進化した」んじゃない。

どこかの誰かにとって使い勝手のいい**「家畜」や「道具」**に作り替えられただけなんだ。

「おい自転車! どけよノロマ!」

「す、すみません!」

風を操る高校生が、スケボーで俺を追い抜いていく。

皮肉な話だ。

俺の身体にあるこの「黒いコア」は、おそらく奴らのエネルギーよりも遥かに強大だ。

だが、その力は「鉄骨を運ぶ」役にも「ピザを運ぶ」役にも立てない。

ただ**「殺す」ことと「壊す」**ことに特化した、不器用すぎるシステム。

だから俺――**黒鉄くろがね しん**は、世界がひっくり返ったこの東京で、今日も必死に自転車を漕いでいる。

時給1050円の現場に向かって。


現場に着くと、朝礼はとっくに終わっていた。

遅刻した俺を待っていたのは、怒声ではなく、もっと冷ややかな「無視」だった。

「――はい、じゃあ佐藤くん。あそこのH鋼、3階まで上げといて」

「了解ッス」

現場監督の指示を受け、ヒョロリとした優男――同僚の**佐藤さとう**が、ポケットに手を突っ込んだまま軽く指を弾く。

それだけで、重さ数百キロはある鉄骨が、重力を忘れたようにフワリと浮き上がった。

「うわ、すっげぇ安定感」

「さすが念動力サイコキネシス持ちは違うな」

「それに比べて……」

周囲の視線が、チラリと俺に向く。

俺は息を切らして自転車を降り、ヘルメットを被るが、誰も俺に仕事を振ろうとはしない。

「おい、無能力アナログ

佐藤がニヤニヤしながら、俺の足元に浮遊させていた資材をドスンと落とした。

土埃が舞い、俺の作業着を汚す。

「お前、そこで見てるだけで汗かいてて暑苦しいんだよ。文明の利器って知ってる? あ、お前には関係ないか」

周りの作業員からも、クスクスと乾いた笑いが漏れる。

その視線に、憐れみはない。

あるのは**「なぜこの効率化された社会に、こんな不良品が混ざっているんだ?」**という、異物を見る目だ。

「……すみません」

「口動かす前に手ぇ動かせよ。あ、手を使っても役に立たねえか! ハハハ!」

俺が拳を握りしめて耐えていると、事務所から監督が顔を出した。

「おい黒鉄! 突っ立ってんじゃねえ! これ、3丁目のタワーマンションまで届けてこい!」

投げ渡されたのは、高級仕出し弁当の包みだった。

本来なら飛行能力を持つドローン班の仕事だが、俺は「配送」ですらない「使い走り」として扱われているらしい。

「30分以内に戻ってこい! 遅れたら給料引くぞ!」

俺は再び自転車に跨り、ペダルを踏み込んだ。

指定されたタワーマンションのエレベーターは、運悪く点検中だった。

「……ハァ、ハァ、ハァ……ッ」

非常階段を駆け上がる。

10階、20階、30階。

心臓が破裂しそうだ。肺が悲鳴を上げている。足の筋肉が鉛のように重い。

全身から噴き出す汗が、目に入って染みる。

ようやくたどり着いた3005号室。

震える指でインターホンを押すと、不機嫌そうな顔をした若い女性が出てきた。

「……はぁ? 今何時だと思ってるの?」

彼女はスマホの時計と、俺の顔を見比べる。

「す、すみません……エレベーターが止まっていて、階段で……」

「言い訳とかいいから」

彼女は冷ややかな目で、俺の泥だらけの靴と、汗だくの顔を見て、あからさまに鼻をつまむ仕草をした。

「つーかさ」

彼女は心の底から理解できない、という顔で言い放った。

「なんで空とか飛んで来ないわけ?」

「……え?」

「ウーバーの人はみんな窓から直接届けてくれるんだけど。なんでわざわざ玄関? なんで汗だくなの? ……キモチワルイ」

世界が、遠のく音がした。

彼女にとって、人間が空を飛ぶのは「当たり前」なのだ。

汗をかいて階段を登るなんて行為は、理解不能な「奇行」でしかない。

「も、申し訳ありません……自分、能力がないもので……」

「うわ、マジ? ……ハズレ引いたわ。もういいです、チェンジで」

バンッ!!

目の前で扉が閉ざされる。

階段の踊り場で、俺は行き場のない弁当を抱え、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。

現場事務所に戻ると、監督が書類をペラペラとめくっていた。

空気は重い。

「……というわけで、クレーム入ったから」

「まっ、待ってください! 俺は階段を駆け上がって!」

「だからさぁ」

監督は面倒くさそうに溜息をつき、ボールペンを指で回した。

「『頑張った』とかいらないんだよ。今の時代、プロセスなんてどうでもいいの。 欲しいのは『結果』と『効率』だけ」

「……」

「お前さ、自分がこの現場のボトルネックになってる自覚ある? お前の自転車を置くスペースに、転移ゲートひとつ置けるんだわ」

監督は一枚の紙切れ――解雇通知書を、俺の胸に押し付けた。

「明日から来なくていいよ。……ああ、退職金代わりだ。これやるよ」

投げ渡されたのは、飲みかけのぬるい缶コーヒー一本。

「お似合いだろ? 時代遅れの味だよな」

事務所中に響く佐藤たちの笑い声を背に、俺は逃げるように現場を後にした。


翌日。

ハローワークの検索端末の前で、俺は絶望していた。

画面に並ぶ求人情報のすべてに、**「必須異能スキル」**の項目がある。

• 【運送業】 条件:飛行スキルLv.3以上、または空間転移持ち。

• 【建設業】 条件:腕力強化Bランク以上、または土砂操作。

• 【飲食店】 条件:水生成スキル(水道代削減のため)。

• 【清掃業】 条件:あ、無能力者は結構です。ゴミの分別も念動力の方が早いんで。

「……ない」

スクロールしても、スクロールしても。

「健康な肉体」だけを求める仕事なんて、この街には一つも残っていなかった。

「あのー、お客様?」

窓口の担当者が、眉をひそめて声をかけてくる。

「他の求職者様の精神波にノイズが混じりますので……あまり暗い感情を出さないでいただけます? 迷惑なんですけど」

ああ、そうか。

絶望することすら、この世界では迷惑行為なのか。

俺は逃げるようにハローワークを出た。

公園のベンチ。

手元には、残高3桁の通帳と、小銭が数枚。

俺の体内には「世界を揺るがすエネルギー」があるらしいが、それが今の俺にくれるのは、空腹を紛らわせる不快な熱気だけだ。

「……詰んだな」

日が暮れると、東京の街は不気味なほど煌びやかに輝き出す。

電気系の異能者たちが街灯代わりに光を放ち、広告看板は幻術で空中に浮かび上がっている。

そんな「最先端」の光景から逃げるように、俺は錆びついた路地裏へと足を向けた。

赤提灯が一つ、風に揺れている。

居酒屋『火影ほかげ』。

ここだけが、俺の知っている「昭和」や「平成」の匂いを残していた。

「へい、いらっしゃい」

暖簾をくぐると、熱気とともに香ばしいタレの匂いが鼻をくすぐる。

カウンターの中には、ねじり鉢巻をした頑固そうな大将。

彼は俺の顔を見ると、無言でいつもの指定席(端っこの席)を顎でしゃくった。

「……ハイボールで。あと、おまかせ3本」

「あいよ」

大将は生の鶏肉が刺さった串を網の上に並べると、炭火……ではなく、己の口を近づけた。

「ふぅーーーーっ……」

大将が唇をすぼめ、深く息を吐き出す。

すると、その口から深紅の炎が細く、鋭く噴き出した。

ゴオオオオオッ……。

それはサーカスの火吹き芸のような派手なものではない。

まるでガスバーナーの青い炎のようにコントロールされた、高温の「熱線」だ。

大将は首を繊細に動かし、炎の強弱をミリ単位で調整しながら、鶏肉の表面を均一に炙っていく。

パチパチ、と脂が爆ぜる音。

一瞬にして肉の旨味を閉じ込める、人間火力発電。

「……いつ見ても、器用ですね」

「ガス代が浮くからな。それに、俺の火は炭より調整が利く」

大将はニヤリと笑い、焼きあがったばかりの串を皿に乗せて差し出した。

表面はカリッと焦げ目がつき、中はジューシー。

異能社会が生んだ、B級グルメの極致だ。

「……また、リストラされたか?」

「え」

ハイボールに口をつけた瞬間、図星を突かれた。

大将は焼き鳥を焼きながら、背中で語りかけてくる。

「背中が丸まってらぁ。……まあ、食え。今日のレバーは良いのが入ってる」

「……すみません」

出されたレバーを齧る。美味い。

美味すぎて、情けなさで涙が出そうになる。

「大将はさ……いいよな」

「あ?」

「その『火』があるから。どこに行っても食っていけるじゃないですか」

つい、愚痴が漏れた。

この店が落ち着くのは、大将が異能を「見せびらかさない」からだ。

外の連中のように「見てみろ! すごいだろ!」と誇示するのではなく、ただ黙々と、焼き鳥を焼くためだけに使っている。

それが職人っぽくて好きだった。

でも、今の俺には、その控えめな炎さえも羨ましくて仕方がない。

「……馬鹿野郎」

大将は最後の串に、ボゥッ!と強めの火を吹きかけて仕上げると、それを俺の皿に乱暴に置いた。

「俺はな、焼き鳥が焼きてぇんだよ。火が吹けるから焼いてるんじゃねぇ。焼きてぇから吹いてんだ」

「……」

「手段と目的を履き違えてる連中が多すぎるんだよ、今の世の中は。……ほら、冷めないうちに食え」

大将の言葉は、今の俺には少し熱すぎた。

ハローワークの冷たい対応とは真逆の、火傷しそうな熱量。

俺はグラスの結露を指でなぞる。

俺には、焼きたいものも、守りたいものも、それを成すための力もない。

ただの空っぽな器だ。

(……いや、違うな)

胸の奥にある「黒いコア」が、ドクンと脈打った気がした。

空っぽじゃない。

得体の知れない「何か」が詰まっている。

ただ、それが焼き鳥を焼くような平和な役に立つ代物じゃないことだけは確かだった。

「……ごちそうさん」

まだ何者にもなれない俺は、小銭をカウンターに置き、逃げるように店を出た。

それが、この店に来る最後の日になるとも知らずに。


錆びついたアパートの鉄階段を上り、203号室のドアを開ける。

「ただいま」と言う気力もなく、俺は靴を脱ぎ捨てた。

リビングに入ると、ソファに寝転がってテレビを見ていた妹――**まい**が、スマホから視線を外さずに口を開く。

「遅い」

「……ああ」

「酒臭い。焼き鳥の匂いもする」

「……ああ」

「で、クビになったんでしょ」

俺が何も言っていないのに、舞はスマホの画面をタップしながら淡々と言い放った。

予知能力じゃない。読心術でもない。

ただの、生活を共にする家族としての鋭すぎる勘だ。

「……なんでわかった」

「兄貴の背中が、先週よりも3センチくらい縮んでるから。あと、そのヤケクソみたいな顔」

舞はそこでようやく体を起こし、ジトッとした目で俺を見上げた。

「バカ兄貴。……ま、あのクソ現場監督の性格なら、長続きしないと思ってたけど」

呆れたような口調だが、そこには不思議と蔑みの色はなかった。

それも当然だ。

このアパートのこの部屋だけが、世界から取り残された**「無能力者の聖域サンクチュアリ」**なのだから。

俺と同じく、舞もまた、あの日の「光」から何も受け取らなかった人間だ。

クラスメイトが指先から水を出し、教師が黒板の文字を念動力で消す教室の中で、彼女だけがチョークの粉にまみれ、自分の足で走り、自分の手で教科書を開く。

俺たちは、この狂った進化論から弾き出された、時代遅れの兄妹だった。

つけっぱなしのテレビから、ハイテンションなニュースキャスターの声が流れてくる。

『――本日のトップニュースです! 港区で発生したビル火災ですが、Sランクヒーロー「ブリザード・カノン」が到着し、わずか3分で鎮火しました! ご覧ください、この美しい氷の結晶を!』

画面には、凍りついたビルと、カメラに向かってポーズを決める氷属性の能力者が映っている。

歓声。拍手。賞賛の嵐。

「……くだらない」

舞がリモコンを掴み、乱暴に電源を切った。

プツン、と画面が黒くなり、部屋に静寂が戻る。

「あんなの、ただのマッチポンプじゃない。自分で燃やして自分で消してるような連中ばっかり」

「めったなこと言うなよ。聞かれたら『思想犯』扱いされるぞ」

「だって本当のことだし。……ねえ、兄貴」

舞が膝を抱え込み、少しだけ声を潜める。

「明日さ、晩ご飯いらないから」

「あ? どこか行くのか?」

「……友達と、渋谷へ買い物。帰りは遅くなると思う」

俺は冷蔵庫から麦茶を取り出しながら、眉をひそめた。

「友達って、高校の?」

「うん」

「……能力持ち(ギフテッド)か?」

俺の問いに、舞の肩がピクリと跳ねる。

少しの間があって、彼女は小さく頷いた。

「……うん。飛行スキルの子と、発火スキルの子。いい子たちだよ、能力を使わなくても遊べるし」

「そうか。……いや、止めるわけじゃないけどよ」

渋谷。

そこは今、異能者たちの最先端トレンドが集まる街であり、同時に「能力自慢」による小競り合いが絶えない危険地帯でもあった。

無能力者がヘラヘラ歩いていれば、いいカモにされるか、悪ければ「サンドバッグ」にされる。

「気をつけて行けよ。何かあったらすぐ逃げるんだぞ。警察はあてにならないからな」

「わかってるって。……私だって、うまく立ち回る方法くらい身につけてる」

舞は強がって笑ってみせたが、その笑顔が少し引きつっているのを俺は見逃さなかった。

彼女なりに、必死なのだ。

「無能力だから」とハブられないように。

対等な友達でいられるように。

この異常な社会にしがみつくために、愛想笑いと処世術で武装している。

「バカ兄貴こそ、明日の職探しどうすんの? またハローワークで門前払い?」

「うるせぇ。……なんとかなるさ」

「なんとか、ねぇ……」

舞はため息をつき、自室へと戻っていった。

パタン、とドアが閉まる音。

俺は暗くなったリビングで一人、麦茶を煽る。

炭酸の抜けたような、ぬるい味がした。

明日、渋谷か。

胸の奥の「コア」が、嫌なリズムで警鐘を鳴らしている気がした。

ただの心配性ならいい。

だが、この世界になってから、俺の「悪い予感」だけは外れた試しがなかった。

視点は変わり、東京の夜景を一望する超高層ビルの屋上。

強風が吹き荒れるヘリポートのふちに、一人の少女が腰掛けていた。

彼女の顔は、能面のような、あるいはピエロのような、不気味な**「白い仮面」**で覆われている。

足元には、米粒のように小さな車や人々が行き交う大都会の輝き。

彼女はそれを、まるでおもちゃ箱を覗き込む子供のように見下ろしながら、足をブラブラとさせていた。

「あはっ、あはははは! ねぇねぇ、見てよ『博士』! 綺麗だねぇ、ゴミみたいに光ってる!」

少女は独り言のように喋り続ける。

声は鈴が転がるように可愛らしいが、その内容は狂気に満ちていた。

「人間って不思議だよねぇ。あんな狭いところに詰め込まれて、毎日毎日セカセカ働いて。自分たちが『家畜』だってことも知らないでさぁ。ねえ、聞いてる?」

少女の背後、貯水タンクの闇の中から、一人の大柄な男が姿を現した。

こちらは仮面をつけていないが、その瞳には理性の光がなく、ただ少女の命令を待つ機械のように虚ろだ。

「……聞いております」

「反応が薄いなぁ。ま、いいけど!」

少女はクルリと振り返り、仮面の奥からクスクスという笑い声を漏らす。

「でさでさ、明日の『実験』のことなんだけどぉ」

彼女は指を一本ずつ折りながら、楽しそうに数え始めた。

「予定地は渋谷でしょ? 人がいっぱいいて、能力者ギフテッドもいーっぱい! 最高の狩り場だよね! ねぇ博士、明日は何人『壊せる』と思う?」

「壊す」という単語を、彼女は「遊ぶ」と同じイントネーションで口にした。

「100人? 200人? それとも、もっと派手にやっちゃっていいのかな? あたしの『お人形』たち、最近お腹空かせてるんだよねぇ。バリバリッ!って食べて、グシャグシャ!って引き裂いてさぁ!」

男は無表情のまま、淡々と告げる。

「上からの指示は『サンプルの回収』および『恐怖の拡散』です。派手にやる分には構いませんが、貴方自身が暴走しないように」

「ぶー。わかってるよぉ。あたしはあくまで『指揮者』だもんね」

少女は再び街を見下ろす。

その視線の先にあるのは、偶然か、必然か――妹の舞が行くと言っていた**「渋谷」**の方角だった。

「あーあ、早く明日にならないかなぁ」

仮面の下で、彼女は三日月のように口を歪める。

「平和ボケした羊さんたちを、たーっぷり可愛がってあげなくちゃね!」

風が彼女の狂気じみた笑い声をさらい、夜の闇へと溶けていった。


翌朝。玄関先で靴紐を結ぶ舞の背中は、いつもより少しだけ張り詰めて見えた。

「……じゃ、行ってくる」

振り返った舞は、少し派手なメイクをして、流行りの服を着ていた。

それは年頃の少女のオシャレというより、異能者ギフテッドたちのグループから浮かないための、彼女なりの「迷彩服」に見えた。

「おう。……無理すんなよ」

「してないし。ただの付き合いだってば」

舞は強がって唇を尖らせると、逃げるようにドアを開けた。

「行ってきます!」

「行ってらっしゃい」

バタン、と重い金属音が響き、ロックがかかる。

ドタドタと鉄階段を駆け下りる音が遠ざかると、アパートの一室にはシンとした静寂だけが残された。

【仮初めの休息】

「……さてと」

俺は伸びをしながら、リビングのソファにドカッと座り込んだ。

クビになった翌日。

本来なら焦って職探しをすべき時間だが、今日のハローワークは休みだ(異能管理システムのメンテナンス日らしい)。

「たまには、一人の時間も悪くないか」

独りごちて、テレビのリモコンを手に取る。

舞がいるとチャンネル権を奪われるし、生活音もうるさい。

誰もいない部屋で、昼間からダラダラとワイドショーを眺める。

この生産性のない時間こそが、今の俺に許された唯一の贅沢だった。

コーヒーを啜る。

苦い。

平和だ。

窓の外からは、遠くでパトカーのサイレンが聞こえるが、この街では日常茶飯事だ。

……はずだった。

ズキリ。

不意に、胸の奥が疼いた。

昨夜の焼き鳥屋で感じたような、心臓を直接握りつぶされるような違和感。

体内の「黒いコア」が、何かを訴えるように脈動を速めている。

「……なんだ? 不整脈か……?」

胸をさすりながら、時計を見る。

時刻は午後2時を回ったところ。

舞が出て行ってから数時間が経過していた。

あいつ、今頃ちゃんと友達と笑えてるだろうか。

そんな兄馬鹿な心配をしようとした、その時だった。

【崩壊のファンファーレ】

『――ポーン、ポーン、ポーン』

突如、テレビのバラエティ番組が中断され、無機質なチャイム音が部屋の空気を切り裂いた。

画面が赤と黒の警告色に塗り替わる。

『緊急ニュースをお伝えします。緊急ニュースをお伝えします』

アナウンサーの声は、明らかに上擦っていた。

震えていると言ってもいい。

『先ほど、午後2時10分頃……東京都渋谷区、スクランブル交差点付近にて、大規模な爆発が発生しました』

「……は?」

俺の手から、コーヒーカップが滑り落ちた。

陶器が割れる音すら、耳に入らない。

画面が現場の空撮映像に切り替わる。

そこには、地獄が映し出されていた。

若者の街、渋谷。

その象徴である交差点が、黒煙と悲鳴に包まれている。

ビルはひしゃげ、アスファルトはめくれ上がり、逃げ惑う人々が蟻のように小さく見えた。

『現在、正体不明の武装集団……いえ、**「怪物」**の群れが現れ、無差別に市民を襲撃しているとの情報が入っています! 現場にいたCランクヒーロー数名は連絡が取れず、警察も近づけない状況です!』

カメラがズームする。

煙の向こうに映ったのは、人間ではない。

白い仮面をつけ、異様な武器を手にした「何か」が、逃げ遅れた人々を笑いながら吹き飛ばしている光景だった。

『繰り返します! 渋谷区周辺の方は直ちに避難を……!』

「舞……ッ!!」

俺は弾かれたように立ち上がった。

頭の中が真っ白になる。

胸のコアが、ドクンドクンと早鐘を打ち、全身の血が沸騰するような熱を発し始めた。

「クソッ、なんでだよ……!」

予感が的中してしまった最悪の現実。

俺はサンダルを引っ掛け、ドアを蹴破る勢いで部屋を飛び出した。


街に響き渡る爆発音と悲鳴を背に、俺は自転車を全力で漕いだ。

いや、漕いでいる、という表現すら生ぬるい。

もはや、足が勝手に、死に物狂いでペダルを回しているような感覚だった。

全身の筋肉が軋み、心臓が今にも破裂しそうだ。

ズドンッ! ズドンッ!

遠くから、何か巨大なものが衝突するような音が連続して聞こえてくる。

煙が立ち上る方角は、まさしく舞が行ったという渋谷の中心部だ。

(間に合え……! 頼む、無事でいてくれ……!)

焦燥と恐怖が、全身を焼き尽くす。

道路は逃げ惑う人々で溢れていた。

異能者たちが、それぞれの能力を使って、上空を飛び、ビルの壁を駆け上がって逃げていく。

だが、そんな彼らを尻目に、俺はただ地を這う自転車で、必死に渋谷へと向かった。

【静寂の最前線】

現場に近づくにつれ、人々の姿は消えていった。

代わりに現れるのは、無残にひしゃげた車や、爆炎で黒焦げになったビルの残骸。

煙が立ち込め、視界が悪い。

俺は自転車を乗り捨て、瓦礫の道を走り続けた。

そして、ついに。

渋谷のスクランブル交差点へ出た。

「……ッ、なんだ……これ……」

地獄、という言葉が陳腐に思えるほどの惨状だった。

巨大なビルは半分が崩壊し、アスファルトには抉られたような無数のクレーター。

そして、無数の……黒い影。

奇妙な静寂が、その場を支配していた。

いや、静寂ではない。

ただ、悲鳴が止んだだけだ。

逃げ惑う人影は、もうどこにも見当たらない。

(舞……どこだ……!?)

俺は喘ぐように呼吸をしながら、舞の姿を探した。

その時だった。

ガサリ、と瓦礫の影から音がした。

俺は反射的にそちらを向く。

「グルルァアアアッ!!」

土煙の中から、先ほどのニュース映像で見た異形の怪物が飛び出してきた。

全身を黒い甲殻に覆われた、巨大な人型。

両腕は鈍く光るハンマーのようだ。

そいつは、俺という獲物を見つけたかのように、咆哮を上げて襲いかかってきた。

(クソッ、速い……!)

避けられない。

拳が迫る。

死を覚悟した、その瞬間――

ズガァンッ!!

怪物の拳と俺の間に、銀色の光が割って入った。

鈍い衝突音。

怪物の拳を受け止めたのは、身の丈ほどもある巨大な大鎌だった。

大鎌を振るう、黒いスーツ姿の女性。

彼女は、俺の目の前に滑り込むように現れ、怪物の攻撃を完璧に受け止めていた。

「ここは避難区域だぞ」

女性は、冷たく、そして明確な声で告げる。

その声には、一切の感情が乗っていなかった。

彼女の瞳が、サングラスの奥で俺を射抜く。

「お前のような一般人は、こんな場所にいるべきじゃない」


「下がれッ! 死にたいのか!?」

大鎌の女性が叫ぶ。

しかし、俺の足は止まらなかった。

彼女が怪物を抑え込んでいるその一瞬の隙こそが、俺にとっての唯一のチャンスだった。

「舞ッ!!」

俺は制止の声を振り切り、半壊したショッピングモールの入り口へと飛び込んだ。

「おい待て! チッ……あの馬鹿!」

「ギャハハ! 隊長、よそ見してる暇ねぇぞぉ!?」

背後で、二丁拳銃を構えたサングラスの男――女性の相棒だろう――が、笑いながら銃弾をばら撒く音が聞こえる。

俺は彼らが作ってくれた乱戦の喧騒を背に、瓦礫の山と化した店内をひた走った。

【再会、そして絶望】

店内は崩落した天井と鉄骨が複雑に絡み合い、舞い上がった粉塵が視界を白く濁らせていた。

懐中電灯代わりのスマホのライトを、闇雲に振る。

「舞……ッ! 舞!! どこだ!!」

返事はない。

ただ、コンクリートが軋む音と、遠くで響く爆発音だけが鼓膜を震わせる。

俺は血の気が引くのを感じながら、瓦礫の山を乗り越え、店の奥へと踏み込んだ。

そこで、俺は見てしまった。

「――よいしょ、と。結構重いなぁ、この子」

瓦礫の隙間から差し込む一条の光の中。

屋上で見たあの大柄な男が、ぐったりとした少女――舞を、米袋のように肩に担ぎ上げていた。

舞の額からは赤い筋が流れ、閉じた瞼はピクリとも動かない。

制服は埃まみれで、その腕は力なく垂れ下がっている。

「舞ッ!!!」

俺の叫び声に、男の横にいた白い仮面の少女が、ぴたりと足を止める。

彼女はゆっくりと振り返り、仮面の奥からわざとらしい溜息を漏らした。

「あーあ、見つかっちゃった。 かくれんぼは終わりかぁ」

少女は鈴のような声で笑う。

その足元には、逃げ遅れて瓦礫の下敷きになったであろう、スーツ姿のサラリーマンの遺体が転がっていた。

「テメェら……舞を離せッ!!」

「離せ? なんで? せっかく『適合』しそうな素体を見つけたのに?」

少女は小首を傾げると、足元の遺体を爪先でツンツンと突いた。

「ま、いいや。お兄さん、邪魔だから死んでね。――ほら、起きなよ『オジサン』」

少女が指をパチンと鳴らす。

瞬間、サラリーマンの遺体がビクンと跳ねた。

ボコボコと肉が膨張し、骨が砕ける音が響き渡る。

裂けたスーツの胸ポケットに見えた社員証。

見覚えのある顔。

……あれは、同僚の佐藤だ。

「グオオオオオオッ!!」

佐藤だったモノは、瞬く間に両腕が巨大なハンマーのような異形の怪物へと姿を変えた。

「なッ……!?」

俺が反応するよりも早く、怪物が目の前に迫っていた。

ハンマーのような拳が、空気を切り裂いて振り抜かれる。

「ガハッ……!?」

衝撃。

痛みすら感じる暇もなかった。

俺の体は枯れ葉のように吹き飛び、崩れた壁を突き破り、そのまま外のアスファルトへと叩きつけられた。


「ガ……ッ、あ……」

視界が歪む。

空が回る。

口の中が鉄の味で満たされ、肋骨が何本か逝ったのがわかった。

指一本動かせない。意識が泥の中に沈んでいくようだ。

薄れゆく視界の端で、崩れた建物の穴から先ほどの怪物が這い出してくるのが見えた。

『総員ッ! 射撃開始ィ!!』

現場にいた大鎌の女性と、二丁拳銃の男が即座に反応する。

「オラオラァ! 新入りのお出ましだなぁ!」

二丁拳銃の男が、高火力の炸裂弾を連射する。

ドォン! ドォン! と爆炎が怪物を包む。

「……ッ!? 硬ってぇぞコイツ!!」

煙の中から現れた怪物は、無傷だった。

黒い甲殻は煤汚れ一つついていない。

「私が斬る!」

大鎌の女性が踏み込み、銀色の刃を怪物の胴体に叩きつける。

キィィィンッ!!

高い金属音が響き、鎌が弾かれた。

「嘘……刃が通らない!?」

「マジかよ、隊長の鎌だぞ!?」

怪物は鬱陶しそうに腕を振るい、二人を牽制する。

ああ、ダメだ。

あいつらは、あの化け物には勝てない。

そして俺も。

何もできずに、ただ転がっているだけのゴミだ。

舞が連れて行かれる。

手が届かない。

視界が暗転する。


――暗い。

音のない、底なしの闇の中。

俺は水面に浮かぶように、漂っていた。

『無様だなぁ』

声がした。

聞き覚えのある声。いや、俺自身の声か?

目の前の闇が凝縮し、人の形をとる。

それは先ほどの怪物によく似ていたが、もっと鋭利で、もっと禍々しい黒い装甲シルエットを纏っていた。

顔の部分には目も口もない。ただ、底知れぬ嘲笑の気配だけがある。

『妹一人守れずに、地べた這いずり回って。傑作だよお前』

影が俺を見下ろす。

『ま、当然か。だってお前、「無能」だもんな』

その言葉が、引き金になった。

脳裏に焼き付いていた、忌まわしい記憶の破片が一斉にフラッシュバックする。

――中学の教室。

『あいつだけ異能出ないんだって』『うわ、原始人じゃん』『一緒にいると移るからあっち行けよ』

――高校の進路指導室。

『君の成績は悪くないがね……やはりスキルの有無が就職には響くんだよ。わかるね? 君に紹介できる仕事はない』

――昨日の工事現場。

『お前は何も出来ないんだから』『プロセスなんてどうでもいい』『空とか飛んで来ないわけ?』『キモチワルイ』

罵倒。

嘲笑。

憐憫。

無関心。

『ほら見ろ。お前はずっとそうだった。世界にとって不要な部品エラー。何も守れない、何も成せない、ただの――』

「……れ」

俺は歯を食いしばる。

壊れた肋骨が軋むほどの力で、拳を握りしめた。

『あ?』

「黙れ……」

俺の言葉に、影が揺らぐ。

「俺が、無能だってことくらい……誰に言われなくても、俺自身が一番知ってんだよ……ッ!!」

そうだ。

知っている。

だからこそ、これ以上、誰にも、自分自身にさえも、そう呼ばせるわけにはいかない。

「黙れェェェェェェェッ!!!」

俺の絶叫と共に、闇の世界に亀裂が走った。

胸の奥で燻っていた「何か」が、臨界点を超えて炸裂する。


意識の深淵で、漆黒の影が歪んだ笑みを浮かべた。

『そうだ……それでいい』

影は俺の怒りを歓迎するように両手を広げ、溶けるように俺の身体へと混ざり合っていく。

『その理不尽への怒りこそが、俺たちを起動するキーだ。――さあ、始めようか。蹂躙の時間だ』

ドクンッ!!

心臓が、エンジンのように爆ぜた。

全身の血管を、血液ではなく、もっと熱くて重い「燃料」が駆け巡る。

【現実世界:絶望の戦線】

「チッ、硬すぎるわよコイツ……!」

瓦礫の山となった路上で、鋭い金属音が響き渡る。

大鎌の女性隊員が、自身の身長よりも巨大な鎌を振るい、怪物の突進を受け止めていた。

足元のアスファルトが削れ、彼女のブーツが火花を散らす。

「オラオラァ! 効いてんのかテメェ!」

二丁拳銃の男が、側面から援護射撃を行う。

炸裂弾が怪物の顔面で爆発するが、黒い甲殻は煙を上げるだけで、傷一つ付かない。

怪物は鬱陶しそうに腕を払い、建物の柱を粉砕する。

「ダメだ、通常火力じゃ埒が明かない! キリがないぞ!」

「だったら……!」

大鎌の女性が、焦燥と共に鎌の柄にあるリミッター解除スイッチに手をかけた。

鎌の刃が、ブォンと青白い燐光を放ち、周囲の空気がビリビリと震え始める。

「私が最大出力で、あの装甲ごと両断する!」

「馬鹿野郎、やめろ! ここでそんな大技使ってみろ! 周りのビルごと崩壊するぞ!」

「じゃあどうしろってのよ!!」

一瞬の口論。

その致命的な隙を、怪物は見逃さなかった。

「グルルァアアアッ!!」

怪物が驚異的な跳躍力で距離を詰め、無防備になった女性の頭上へ躍り出る。

振り上げられた丸太のような腕。

直撃すれば、強化スーツごとひしゃげ、肉塊になるのは確実だ。

「しまっ――」

女性が顔を強張らせ、男性隊員が絶叫する。

「おい避けろォッ!!」

間に合わない。

死の拳が、女性の顔面へと振り下ろされ――

ガシィッ!!!

空気が震えるほどの衝撃音。

しかし、女性の体は潰れていなかった。

彼女が恐る恐る目を開けると、そこには信じられない光景があった。

「……え?」

怪物の巨大な拳。

それを、**漆黒の装甲に包まれた「誰か」**が、片手だけで受け止めていた。

全身を覆う、生物的でありながら機械的なラインを持つ黒いアーマー。

頭部には、不気味に赤く発光する複眼。

全身の隙間から溢れ出る高圧蒸気スチームが、シュウウウ……と周囲の空気を歪ませている。

「な……誰、こいつ……?」

大鎌の女性が呆然と呟く。

変身した俺は、怪物の拳を握り潰さんばかりに力を込めると、仮面の奥で低く唸った。

「……消えろ」

ドォォォォォンッ!!!

俺は手首のスナップだけで裏拳を叩き込んだ。

それだけの動作で、トラックにはねられたかのように怪物の巨体が吹き飛び、背後の雑居ビルへと一直線に激突する。

ズガガガガッ! と壁を削りながら埋まる怪物。

「ギ、ガァ……!?」

先ほどまで無敵を誇っていた怪物の装甲に、蜘蛛の巣のような亀裂が走っていた。

「ウソ……あいつの装甲を、素手で割った!?」

驚愕する隊員たちを置き去りに、俺は地を蹴った。

否、それは移動と呼ぶには速すぎた。

残像を残すほどの高速機動アクセル

壁に埋まった怪物が体勢を立て直そうとした瞬間、俺はすでに目の前にいた。

「遅い」

ズダダダダダダダッ!!!

拳の連打。

一撃一撃が、重砲のような重さを持った高速のラッシュ。

右拳が腹部の甲殻を粉砕し、

左肘が顎を跳ね上げ、

回し蹴りが側頭部を陥没させる。

流れるような、それでいて慈悲のない暴力の舞。

怪物は悲鳴を上げる暇もなく、ただ空中に縫い留められたサンドバッグのように、俺の拳撃を受け続けるしかなかった。

パリーンッ!

硬質化していた怪物の皮膚が、ガラス細工のように砕け散り、剥がれ落ちていく。

その下に隠れていた「佐藤」の顔が、恐怖に歪むのが見えた。

俺はとどめとばかりに、空中で体勢を崩した怪物の胸倉を掴み、そのまま地面へと全力で叩きつけた。

ズドォォォォォォォンッ!!!

アスファルトがクレーターのように陥没し、土煙が高く舞い上がる。

その中心で、俺は静かに拳の蒸気を払った。


土煙が晴れていくクレーターの中心で、俺は立ち尽くしていた。

足元には、完全に沈黙し、人の姿に戻りかけている怪物の残骸。

かつて佐藤だったモノは、ただの肉塊のようにピクリとも動かない。

『――ふぅー……』

全身の装甲から、高圧の蒸気が噴き出す音が鳴り響く。

プシュウウウ……。

それと同時に、脳内を支配していた怒りの赤い霧が、急速に引いていくのを感じた。

(……終わっ、た……?)

途端に、鉛を流し込まれたような激しい疲労感が襲ってきた。

身体の芯が熱い。

筋肉が千切れそうだ。

視界の端で光っていた赤い警告表示が、プツンと消える。

「……舞、は……」

妹の名前を呟こうとしたが、声にならなかった。

膝から力が抜け、俺の体は糸の切れた人形のように、ゆっくりと前へ倒れ込んだ。

ガシャンッ……。

硬質な音を立てて、俺はアスファルトの上に崩れ落ちた。

指一本動かせない。

意識が、深い泥沼へと引きずり込まれていく。


「おいおい……マジかよ」

二丁拳銃の男が、サングラスの位置を直しながら、恐る恐る近づいてくる気配がした。

「あのバケモノを、単独でタコ殴りにしちまったぞ……。何なんだコイツは? 未登録のSランクか?」

「警戒を解かないで」

大鎌の女性が、鋭い声で制した。

彼女は巨大な鎌を構えたまま、倒れている俺――黒い装甲の男を、冷徹に見下ろしているのが気配でわかる。

「確かに怪物は倒した。でも、この識別不明のエネルギー反応……既存の異能とは『質』が違いすぎる」

「助けてくれた、ってわけじゃなさそうか?」

「ええ。もし暴走したら、あの怪物以上の厄災になるわ」

彼女はインカムに手を添え、周囲の一般隊員たちに向かって、氷のような声で命令を下した。

「総員、対象を拘束しなさい」

「えっ? いや隊長、コイツは俺たちを――」

「聞こえなかった? **『拘束』**よ」

彼女の声に、感謝の色はない。

あるのは、未知の脅威に対する警戒心と、職務を遂行する冷徹さだけだった。

あるいは、彼女の鎌を持つ手が微かに震えているのは、俺という「異物」への本能的な恐怖からかもしれない。

「敵か味方か、人間か怪物か。……それが判明するまで、自由にさせるわけにはいかない」

薄れゆく意識の中で、俺は隊員たちが特殊な拘束具を持って駆け寄ってくる足音を聞いた。

ガチャリ、と手首に冷たい金属が触れる感触。

(……なんでだよ……俺は、ただ……)

舞を助けたかっただけなのに。

反論する力もなく、俺の意識はそこで完全に途絶えた。

【第1話 完】

ラストの拘束シーンからの繋がりを意識し、ドキドキを持続させるスタイルです。


第1話、お付き合いいただきありがとうございました。


無能力者だと思っていた主人公、まさかの変身&圧勝。

しかし、助けたはずの「大鎌の女性」に拘束されてしまい……?


敵か味方か、それとも「処分対象」か。

次回、組織の尋問と、明かされる世界の裏側。

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