二人だけの空間で――
「――うっ」
「どうしたんだい? アンナ」
「いえ、何でもないわヨハン。ただ、少し目眩がしただけ。少し横になれば治るはずよ」
「……そっか。僕も一緒に行くよ。ヘレナ、申し訳ないんだけど……」
「うん、片付けは任せて。ヨハン」
「……ごめんね、助かるよ」
翌日、薄暮の頃。
夕食を終えた後、突然ふらりとして頭を抑えるアンナさん。そんな彼女を、甚く心配そうな表情でゆっくりと寝室へと連れて行くヨハン。そんな二人の背中を見送りつつ、食器を台所へと運び洗い物を始める私。……大丈夫かな? 倒れたりしなければ良いのだけど。
――それから、四時間ほど経て。
もうじき日付が変わらんとする夜半の頃。
自室にて窓の外に皓々と輝く月を眺めながら、ぼんやりともの思いに耽ける私。
……今まで、いろんなことがあったなあ。お父さんやお母さん、お姉ちゃんを奪われ独りになった時は、もはや生きる希望なんて見出だせなくて。
だけど、そんな私を神様は見捨てずにいてくれたみたい。ヨハンと出会って、私は大好きな家族に囲まれていた頃と同じ――いや、きっとそれ以上の幸せに満たされてきた。些か罪悪感を感じないでもないけど……それでも、これが偽らざる本音だ。だから、私は――
――ゴンゴンゴン!!
卒然、扉が荒々しく叩かれる。そして――
「開けなさい!! 今すぐここを開けなさい!!」
「止めるんだアンナ!! 突然どうしたんだ!! 絶対に開けちゃ駄目だよ、ヘレナ!!」
続いて、扉の音に負けないくらい荒々しげに声を上げるアンナさん。そして、そんな彼女を扉の向こうで必死で止めているであろうヨハンの声。そんな二人の声を聞き届けた私は――
「――こんばんは、ヨハン。アンナさん」
――躊躇なく、扉を開いた。
「――っ!? ヘレナ、どうして……」
事もなげに挨拶を述べる私に対し、驚愕に言葉を詰まらせるヨハン。……まあ、そうなるよね。だけど、ヨハンには本当に申し訳ないけど、これはどうしても必要な――
――グサッ。
「――ヘレナ!! …………え?」
再び、ヨハンの目が大きく開かれる。アンナさんが私に突き出したナイフ――栄養補給のためと、さっき私がアンナさんに持っていったフルーツの皿に添えておいたペティナイフが、どうしてかアンナさん自身の心臓を貫いていたから。彼女は声を洩らす暇さえなく、自身の血で赤く染まったカーペットへバタリと倒れ込み――そのまま、微動だにしなくなった。
『……アンナさんが、家族の敵……?』
前日、例の薬屋でのこと。
一つ教えておこうかね――そんな前置きの後切り出された、おばあさんからの衝撃の話。私達家族を魔女として告発した聖職者――なんと、その娘がアンナさんだという。どうして、このおばあさんがそんなことを知っているのか――そこに関しては全くもって謎でしかないけれど……まあ、それを言ったらこのお店とおばあさん自身が相当な謎なわけだし、それに――
――それに、思い当たる節もあったから。
狂ったように、度々私を罵倒し手を上げていたアンナさん。もちろん、ヨハンとの時間を邪魔された恨みという可能性は捨てきれないし、実際そういう理由もあるのだろう。
だけど――あれらの言動の根底に、恐怖があったとしたら? いつか私から復讐を受ける――そんな、途方もない恐怖があったとしたら? あんなふうに攻撃することでしか、恐怖に対処する術がなかったとしたら?
――もちろん、憶測でしかない。それでも……そう考える方がしっくりくるのも事実で。……ともあれ、そういうことなら――
『――大変貴重な情報をありがとうございます、おばあさん。それでは、薬を一つ頂けますか? ――恐怖の感情を、極限まで増大させる薬を』
――さて、後は決行あるのみ。アンナさんがいつも嗜む夕食後のコーヒーに、そっと例の薬を忍ばせておく。効力はおよそ四時間後に現れるとのことだけど……まさか、あんなふうに目眩を引き起こすとは思わなかった。まあ、必ずしも薬の作用とは限らないけれど……ともあれ、倒れなくて良かった。危うく、計画が台無しになるところだった。
その後は、じっくり時を待つのみ。元より、あれほど暴力を振るわなければならないほどに、私に甚く恐怖を覚えていたアンナさんだ。恐怖を極限まで高めてしまえば、その後の彼女の行動など容易に想定出来る。
そして幸か不幸か、私には常人ならざる能力が備わっている。それも、歳を重ねることに能力はますます強大化していく――それこそ、凶器を手に向かってくる相手を容易く返り討ちにしてしまえる程度には。
――うん、この方法であればヨハンから咎められることも恨まれることもまずない。むしろ、配偶者としての責任を感じて、今までよりもいっそう大切にしてくれることだろう。もはや邪魔者のいない、二人だけの空間で――
――バタッ。
「…………え?」




