救世主
『――魔女狩り』
15世紀に端を発したとされる、欧州の国家とキリスト教会によって行われた異端迫害。魔女として告発された人々は宗教裁判にかけられ――結果、その多くが火刑に処された。
そして、私ヘレナもその被害者の一人……いや、正確には被害者ではないのかな。結果的には、こうして火刑を免れたわけだし。
だけど、私以外の身内は全てあの忌まわしき裁判の犠牲者となった。そんな中、私だけが命からがら生き延びて――
……なんで、逃げてきたのだろう。なんで、私独りだけ生き延びてしまったのだろう。父も母も姉もみんな理不尽に命を奪われ、一縷の希望すら見出だせないこんな世界で……いったい、私はどこに向かえばいいというのだろう。ならばもう、いっそのこと私も家族のところへ――
――そんな、一縷の光も見えない絶望の淵にいた最中だった。さながら天上の使者のごとく穏やかな微笑みを浮かべ、そっと手を差し伸べてくれる蒼い瞳の青年と出逢ったのは。
「――誕生日おめでとう、ヘレナ」
「うん、ありがとヨハン」
丁寧に切り分けた一切れのショートケーキを差し出しながら、聖母のような笑顔で祝福の言葉をくれる美貌の男性、ヨハン。――あの日、絶望の淵にいた私へ救いの手を差し伸べてくれた青年だ。
あれから、かれこれ六年の歳月が過ぎ――私は、15の歳を迎えた。
あの日、私を捕えるべく放たれた追っ手から私を救ってくれたヨハンは、それに留まらずなんと身寄りのない私を引き取ってくれた。もしよかったら一緒に暮らそう――そう、うららかな春の陽のような優しい微笑みを湛えて言ってくれたのを、今でも鮮明に覚えている。
それからも、ヨハンはずっと優しかった。私が二度とあんな被害に遭わないよう、既に魔女狩りが廃止されていた隣の小国へとわざわざ移住してくれたりもして。どうして、そこまでしてくれるのか――ある日、どうしても抑えきれなくなり尋ねてみると、
『――実は昔、僕の友人も魔女として告発され裁判にかけられたんだ。そして……彼は、無惨にもその尊い命を奪われた。その時……僕は何も出来なかった。足が竦んで動けなくて……彼が火刑に処されるのを、ただじっと見ていることしか出来なかった。だから……そうだね、これは自己満足に過ぎないんだろう。君を守り抜くことで、せめてもの彼に対する贖罪に――そんな、浅はかな自己満足に過ぎないんだろうね』
そう、自嘲するように淡く微笑み話したヨハン。彼、ということはその友人は男の子なのだろう。魔女狩り、という用語から被害者は女性であると連想されるかもしれないけど、必ずしもそうとは限らない。割合としては高くないかもしれないけど、男性の被害者も一定数いると聞いている。実際、父が例の裁判の被害者となったように。
ただ、事情がどうであれ……どうか、そんな表情をしないでほしい。浅はかな自己満足だなんて……どうか言わないでほしい。だって、紛れもなく私は貴方に救われて……今だって、貴方がそばにいてくれるから、私はこんなにも幸せで……そして、そんな貴方のことをいつしか――
そして、そんな自身の想いに気付くと同時に悟らないわけにはいかなかった。それが、決して叶わぬ感情であることを。何故なら――彼には、愛する妻がいるから。私と出会うとうの前から共に時間を過ごしてきた、最愛の女性が。
この気持ちを知られてしまえば、きっとヨハンの心に負荷を掛けてしまう。優しいヨハンの心に、多大なる負荷を。だから、彼には決して知られることのないよう心の奥底に秘めたまま、いつしか枯れ果てるのを待つしかない。
――あの日までは、そう思っていた。
――パチン!
「――穀潰しの寄生虫の分際で、あんまり調子に乗ってんじゃないわよ!」
「……申し訳ありません、アンナさん」
ヨハンに誕生日を祝ってもらった後、数時間が経過した夜半の頃。
振り上げた右手で思いっ切り私の左頬を引っ叩く美麗の女性。彼女の名はアンナ――ヨハンにとって、唯一無二の最愛の女性だ。
別段、私が何かしたというわけではないと思う。そして、こんなことは日常茶飯事――強いて理由を挙げるとすれば、私の存在自体が気に入らないというところだろう。……まあ、当然と言えば当然かな。愛する男性と二人きりの空間を邪魔する異物――彼女にとって、私はそういう存在でしかないのだろうし。きっと、私の同居で彼女を説得するためヨハンは大変な骨折りをしてくれたのだろう。そう思うと、引っ叩かれた頬などより心の方がよっぽど痛い。それに、
「――っ!?」
ほどなくして、私の顔を見るやいなや逃げ出すように階段を上がっていくアンナさん。正確には、私の頬――自然治癒力なんて用語では到底説明がつかないほどに、瞬く間に腫れが引き元通りに修復していく私の頬を。ここまでが、大方のいつもの流れだ。……全く、こんな余計な能力がなければヨハンに泣きつくことも出来――いや、これ以上心配かけるのもよくないか。




