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咲良

## テニススクールでの再会


10月はじめの水曜の夜。

いつものようにテニススクールに向かう私の足取りは重かった。

今日、咲良ちゃんと顔を合わせる。

サークルの除名から初めての再会だ。

避けてしまうのは簡単だけれど、それでは自分の中で余計に膨らみそうで。

かといって、何事もなかった顔で「こんばんは」と言えるほど強くもなかった。


コートに入ると、先に来ていた咲良ちゃんと目が合った。

「美月先輩、今日もよろしくお願いします」

咲良ちゃんは、いつもの屈託のない笑顔で挨拶する。

「咲良ちゃん...」

私は、申し訳ないような気持ちになった。

あれだけ理不尽な理由で突然除名されたのに、怒るでも避けるでもなく、変わらずまっすぐな視線を私にむけてくれる。


レッスンが始まると、咲良ちゃんはひたむきにボールを追っていた。

サークルの出来事など存在しないかのように、一生懸命で、きらきらしている。

でも一度だけ、私と目が合った時に、ほんの少し居心地が悪そうな表情が見えて、やっぱり気にしてるんだなと思った。


## 真実への扉


レッスンが終わったあと、私は思い切って咲良ちゃんに声をかけた。

「咲良ちゃん、良かったらこれから一緒に夕食でもどう?」

「え?」

咲良ちゃんが目を丸くする。その反応に、私の方が一瞬たじろいでしまった。

「なにか用事があった?」

「……ありませんけど…」

私はなるべく軽い調子で言った。

「となりの居酒屋でどうかな?」

すると咲良ちゃんは、慌てたように首を何度も横に振った。

「あ、えっと、えっと、ち、近くのファミレスでもいいですか?」

「……うん。どこでもいいよ」

答えながら、胸の奥に引っかかりが残る。

彼女の笑顔も声も変わらないのに、どこか落ち着かない。

目の前の咲良ちゃんと、私の記憶の中の咲良ちゃんが、少しずつずれていくような感覚だった。



## ファミレスでの告白


駅前のファミレスに着いたとき、咲良ちゃんが入口でふっと足を止めた。

「どうしたの? 入ろう?」

声をかけると、彼女は少し俯いて、申し訳なさそうに口を開いた。

「私と一緒にいるところを見られたら、美月先輩にご迷惑がかかるかもしれません」

咲良ちゃんと私に、私的な交流があるとサークルメンバーが知ったら、私の立場が悪くなるんじゃないかと気を使っているのだ。

「……そんなこと、気にしないで」

そう返しながら、胸の奥にかすかな痛みが走る。

サークルのBBQで何も言えなかった私を、彼女は逆に守ろうとしてくれている。


ファミレスに入ると、咲良ちゃんがすぐに指さした。

「あの席でもいいですか?」

店の一番端、壁際の、人目につきにくい場所だった。


たぶん、自分が誰かに見られることを恐れているのではない。

彼女が心配しているのは、私だ。

その思いが伝わってきて、言葉にならなかった。


私たちは向かい合って座った。

咲良ちゃんはドリンクバーのウーロン茶をゆっくり口に運び、しばらくしてから私を見つめた。

「美月先輩、どうして私なんかと……?」

なんか、という彼女の言葉がどんよりと胸に響いて苦しかった。

「咲良ちゃんと一度、ちゃんと話したいと思ってて。サークルのこと、力になれなくてごめんね」

「いえ、私が悪いんです。失敗しちゃったから」

力なく笑うその顔に、胸が詰まる。

「失敗って……咲良ちゃんは何も悪くないよ」

「そうでしょうか。みんなの輪を乱したのは事実ですし」

彼女の自分を責める言葉が、まっすぐ心に刺さった。


少しの沈黙のあと、咲良ちゃんはためらうように口を開いた。

「実は……前にも同じようなことがあったんです」

「え?」

「わたし、対人恐怖症なんです」

私は思わず言葉を失った。

その様子を見た咲良ちゃんが、ふっと笑って続ける。

「信じられないですよね。みんなそういう反応をします」

淡々とした口ぶりが、かえって重かった。


「今は人と一緒にいられるようになりましたけど、中学生の時は、話すのも怖くて引きこもってました」

「そう……だったんだ」

「高校ではなんとか学校に通えました。でも今度は逆に、元気にしてないと不安で。エネルギーを振り絞らないと人と一緒にいられなくて……。人が多いほどテンションが上がりすぎて、『うざい』『輪を乱す』って言われて。気づけば、外されていることが多かったです」

「そんな……私はそんなふうに感じたこと、一度もなかったよ?」

「……それは、美月先輩がちゃんとした人だからですよ」

「え?」

「自己肯定感? 最近よく言われる」

彼女は少し笑いながら、すぐに自嘲気味に目を伏せた。

「それがちゃんとある人は気にならないみたいです。でも、少ない人は……私みたいな同類を見つけると、嫌悪して、その感情を攻撃に変えることがあるんです」

「どういうこと?」

「わからないですよね。それでいいんです。これは私の問題だから…」

私は、突き放されたような気持ちになって、返す言葉がみつからなかった。


しばらく沈黙が続いた。


その間中、なんとか咲良ちゃんを肯定できるような声掛けはないかと必死で考える。

「だからといって、人を攻撃していい理由にはならないわ」

ようやくひねり出した私の言葉に、咲良ちゃんは小さく笑って言った。

「美月先輩は優しいですね。ありがとうございます」

そう言われた私は、少しだけ安堵していた。

けれど、咲良ちゃんはそのまま遠くを見つめるような瞳で語る。

「でも、私がそうであったように、彼らも望んでそうなった訳じゃありません。しょうがないんです」



しょうがない。

なぜ、そんな言葉で片付けられるんだろう。

でもそれ以上にふさわしいと思える言葉が出てこない。


「飲み会やBBQに来なかったのも、それが原因?」

「ああ…。それもありますけど…」

「…けど?」

「一番の理由はアルコールです」

「お酒が、苦手なの?」

「はい。亡くなった父がアルコール依存だったんです。お酒を飲むと暴れて...何度も殴られました。病院に入院したことも、施設に入ったこともあります。小さい頃からずっと怖かった。だからかな、お酒をのんでいる男の人のそばにいくとパニックになってしまって、どうしても行けないんです」

咲良ちゃんの言葉は次第に細くなり、最後はほとんど聞き取れないほどだった。


なんと声をかけていいのかわからず、呆然とした。

あの明るさは、防御だった。

親睦会に参加しない理由も、彼女が背負っている過去にあった。


「……ごめんなさい」

気づけば私の口から謝罪の言葉がついていた。

「どうして美月先輩が謝るんですか?」

咲良ちゃんは怪訝そうに私を見返す。

そのまなざしは透明で真っ直ぐで、痛いほどだった。



拓海先輩が咲良ちゃんに送ったメッセージを頼んで見せてもらった。


『お疲れ様です。突然で申し訳ありませんが、サークルメンバーで話し合った結果、今後のサークル活動について咲良さんには参加をご遠慮いただくことになりました。理由としては、サークル活動への参加姿勢や協調性の面で課題があると判断されたためです。様々な方とコネクションがあるようですので、うちを抜けても困ることはないと思います。良い活動環境で精進されることをお祈りさせていただきます。』

咲良ちゃんはそれにこう返していた。

『私の言動でご迷惑をおかけしてしまっていたと思います。これまでご一緒できたことに感謝しています。皆様のこれからのご活躍を心よりお祈りしています』


それを見て、また心が痛くなった。


「咲良ちゃん……事情をちゃんと話したらどうかな。対人恐怖症のことや、お父さんのことだって。みんな、わかってくれるかもしれない」

言いながら、自分でもどこか頼りない響きになっているのを感じた。

咲良ちゃんは、かすかに笑って首を振った。

「たとえ説明しても、一度壊れた関係を元に戻すのは難しいんです。人って、そういうものだから。私の過去を話すことで、それを背負う人も出てきてしまうだろうし」

その声は穏やかだったけれど、どこか諦観に似た響きがあった。

「それに、美樹先輩みたいな人とは、離れるのが一番いいんです。近くにいれば、きっとまた同じことになりますから」


自分の中の何かがバラバラになって、崩壊していくのがわかった。

現実に即しているのは咲良ちゃんの方だと頭ではわかるのに、それを受け入れる事があまりにも苦しいのだ。


人は事情を知れば、きっと理解してくれるはずだ。そうであってほしい。

関係は一度壊れたら終わりなんかじゃない。もう一度築き直せるものだ——少なくとも、そうあるべきだ。


頭ではそうでない現実を認めながら、心の奥では「それじゃ駄目だ」と叫んでいた。

現実と理想の狭間で揺れる気持ちに、どう折り合いをつければいいのかわからなくて、くらくらした。

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