表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/5

亀裂の拡大

## 歓送迎会という名の分水嶺


6月中旬の土曜日。練習が終わった後、いつものように片付けをしていると、拓海先輩が手を叩いて注意を引いた。

「みんな、お疲れ様!今日はこの後、4年生の就活お疲れ様会も兼ねて新人歓送迎会やるからね。場所は、前に知らせた通り駅前の『居酒屋おひさま』の個室!」

「やったー!」

「久しぶりの飲み会だ」

メンバーたちから歓声が上がる。私も楽しみだった。

サークルの飲み会は盛り上がるし、みんなとゆっくり話せる貴重な機会だ。

「6時からだから、それまでにシャワー浴びて着替えて来てね」

拓海先輩の声掛けで皆がわいわい話している中、咲良ちゃんだけが、その輪に加わらず、淡々と練習の片付けをしていた。

片付けが終わると、

「お先に失礼します。楽しんできてくださいね。」

咲良ちゃんは控えめな笑顔でそう言うと、そそくさとコートを後にした。


「あれ、咲良行っちゃった」

「そういえば、参加リストに名前なかったね」

「バイトが休めないって言ってたよ」


みんなは特に気にしていない様子だった。

咲良ちゃん来ないのか…。

話してみたかったのにな。

少し残念な気持ちで、居酒屋に向かった。


## 個室の空気


「居酒屋おひさま」の個室は、飲み会らしい賑やかな雰囲気に包まれていた。

テーブル席にぎゅうぎゅうに座って、注文した料理を待ちながらざっくばらんに話をしている。


「乾杯!」


生ビールとウーロン茶のグラスが高く上がって、グラスが小さくぶつかり合う音がそこここに響く。

飲み会の醍醐味は、普段の練習では見られない、メンバーの表情がみられることだと思う。

最初のうちは、テニスの話や就活の話題で盛り上がっていた。

「美月のバックハンド、ほんと無駄がないよね。どんな感覚で打ってるの?」

「健太先輩のドロップショットが嫌すぎるんですよ、何度やられてるか…」

「涼介先輩、もう就職決まったんですか?」


技術談義や近況報告は誰でも参加できるし、盛り上がる話題だ。

唐揚げや焼き鳥を食べながら、それぞれが楽しいそうに笑い合い和気あいあいといった雰囲気で、飲み会は進んでいく。


でも、1時間ほど経った頃、2年生の山田くんがふと呟いた。


「そういえば、咲良ちゃん、上達速度がすごいよね。4月に比べると別人みたいだもん」

「わかる!めちゃくちゃ上手くなってるよね。元々上手だったけど、更にって感じ」

「今日、来れば良かったのにな。コート外でも話してみたかったな」


すると、急に美樹先輩が割って入ってきた。

「本当に。今日は来てほしかったな。新歓は、1年生が主役なんだし」

拓海先輩が生ビールを一口飲んでから頷いた。

「確かに...1年生を歓迎する会だからな。他の子はバイトも調整して来てくれてるだろ?」


私は何も言えなかった。

確かに事前に日程も伝えてあったし、他のメンバーもバイトの調整をつけて参加している。

けれど、彼女にだってそうできなかった理由があるはずだ。


「でも、どうしても休めないバイトもあるよ」

1年生の田村ちゃんが小さく言った。


それを聞いた美樹先輩は、すかさず重ねるように言う。

「そうね。それぞれ事情があるわよね。何を大切にするかを選ぶのも咲良ちゃんの自由だし」

まるで、咲良ちゃんがサークルよりもバイトを大切に思っているかのような口ぶりだった。


咲良ちゃんがいないのをいいことに、アルコールの入った居酒屋で、彼女についての「印象」が悪意をもって形作られているような気がして、嫌な気分だった。



## 咲良ちゃんが来ない土曜日


7月に入ると、猛暑が続いた。

市営テニス場は屋根がなく、午後の直射日光は本当にきつい。


土曜日の練習が始まって30分ほど経った頃、拓海先輩がふと気づいた。

「あれ、咲良来てないな」

「そういえば、今日見てない」

佐々木さんも周りを見回した。

「アプリで欠席になってたよ」

山田くんが言った。

「理由は?」

「特に書いてなかった」

「あんなに熱心だったのに。どうしたんだろう?」

拓海先輩が少し心配そうに言った。

隣にいた美樹先輩は、なにか考え込むような仕草をしていた。


## 8月:美樹の一手


それから8月にかけて、咲良ちゃんは完全に土曜練習に来なくなった。

「今日も咲良は来ないのか」

拓海先輩がぽつりと呟く。拓海先輩の表情には、もはや困惑という文字が浮かんでいる。

「咲良ちゃんいないと、なんか物足りないよね」

「元気で、雰囲気明るくしてくれる子だったのに、何かあったのかな?」

「さぁ、でも理由ぐらい教えてほしいよね」

「うんうん。みんな心配するし」


そんな会話の後で、美樹先輩が静かに口を開いた。

「本当ね。日曜日は変わらず毎回来てるのに」

その言葉に、拓海先輩をはじめとする土曜参加メンバーの顔が強張った。

拓海先輩が少し震えた声で聞いた。

「日曜日は来てるって?」

「ええ、健太くんたちと元気にテニスしてるわよ」

美樹先輩は、なんでもないことのように答える。


「俺のやり方に何か不満でもあるのかな…?」

少し戸惑い気味に拓海先輩がこぼした。

「さぁ?あの子、私にはあまり話しかけてこないし、わからないわ」

美樹先輩が、わざとらしい穏やかさで言った。

拓海先輩の表情がどんどん険しくなっていくのがわかった。


「咲良ちゃんバイト忙しいみたいですよ」

慌てて私は、フォローを入れた。

「そうそう、拓海さんのせいとかじゃないと思いますよ」

すると周りのメンバーも次々に口にして、皆が頷いた。

そして、そのやり取りを境に、土曜日練習では、誰も咲良ちゃんのことを話さなくなった。


翌日の日曜練習。拓海先輩のこともあったので、私は咲良ちゃんをなんとなく目で追ってしまっていた。

「咲良、今日もいいボール打ってるな」

健太先輩は相変わらず咲良ちゃんを楽しそうに指導している。

美樹先輩も日曜日は表面上普通に接していた。


今までと変わらない元気で明るい咲良ちゃん。

土曜日だけ来ない理由が全くわからなくて、休憩中、私は思い切って声をかけてみることにした。

「咲良ちゃん、最近土曜日の練習来ないけど、どうかしたの?」

咲良ちゃんは、申し訳無さそうに口を開いた。

「実は...以前、土曜日の練習中に熱中症気味になって、夜のバイトに迷惑をかけちゃったんです」

「ああ、そういえば部室で休憩してたよね」

「だから、土曜日の午後の練習は、暑い時期は控えようと思って。できれば参加したいんですけど、バイトしないわけにもいかないので...」

「なるほど…そうだったんだ。土曜日の皆、急に咲良ちゃんがこなくなってびっくりしていたの。理由だけでも伝えると良かったかもね」

「え?。…そう、ですよね。すいません」

咲良ちゃんが、ちらりと隣のベンチで水を飲む美樹先輩をみた。

美樹先輩は、会話に加わる様子もなく誰もいないコートを見つめていた。




## 9月:衝撃の復帰


9月第2週の土曜日。

「こんにちは!」と元気な挨拶とともに、咲良ちゃんが久々に土曜練習に現れた。

咲良ちゃんがまた来てくれたことに、ほっとする一方で不安もあった。


けれど練習が始まると、土曜組のメンバーたちに驚きが広がり、そんな不安は吹き飛んでいった。

「えっ...咲良ちゃん、すごく上手くなってる...」


山田くんがポカンと口を開けて呟いた。

「マジで?別人みたい」

佐々木さんも驚いて咲良ちゃんのプレーを見つめている。


私は日曜練習で咲良ちゃんの上達を段階的に見てきたから気にならなかったけれど、土曜組のメンバーにとっては、2ヶ月前とは別人と感じるほど衝撃的なレベルアップだったらしい。


そして、おかしなことに土曜メンバー内の数人にっとっては、それが歓迎できないような雰囲気を感じた。


「夏休み中、どこかで練習してたの?」

拓海先輩が咲良ちゃんに聞いた。

その声には、驚きと同時に微妙な緊張感が含まれている。

咲良ちゃんは少し躊躇してから答えた。

「硬式テニス部の方に誘われて、平日の夜に練習させてもらってました」

その瞬間、拓海先輩の表情が複雑に曇った。

『俺が仕切っている土曜練習を避けて、別の場所で上達しているだって?』

拓海先輩の表情からはそんな声が聞こえてきそうだった。

他の土曜メンバーの中にも、土曜日の練習を否定されたような、無下にされたような、そんな感覚があるのか、苦い顔をした人達がいる。

美樹先輩は、二人のやり取りやその周囲の状況を微笑しながら見つめていた。


私は何とも言えない気持ちになった。

何かがおかしい。

そもそもここは、土日限定のサークルなのだ。

平日に余所で練習している人なんて、他にもいっぱいいるはずだ。

なのに、なぜこんなに咲良ちゃんだけが悪者のような雰囲気ができあがっているのだろう。


その日の練習は、居心地の悪いような、落ち着かないような、そんな空気をまとったまま進んでいった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ