Episode_1.0『The Sanctuary』
いよいよ物語が動きます
積年の結露によるものだろうか。所々苔むした頑強な石造りの壁に、数本の松明が作る格子状の影が揺れている。外部からの光が一筋も入ってこないため、今が昼なのか夜なのかすら推し量ることができない。そんな地下牢の奥、隣合った独房に二人の男がいた。
「全く、見世物小屋から抜け出したお猿さんのせいで飛んだスタートだぜ。芸達者なのも困りものだな」
「エテ公呼ばわりにもいい加減腹が立ってきた。仕舞いには本当に斬るぞ兵六玉が」
「イライラする時はミルクをたくさん摂るといいらしいぞ?猿がバナナ以外を食うのかは知らんが」
二人の言い合いを聞いているのは互いを除いて、床に転がる寂しげな前の住人だけだった。
ーーー数時間前
西大陸、旧王国地域のほぼ中央に位置し、随一の歴史を誇る国。大陸中に圧倒的な数の信者を持ち精強と名高い聖堂騎士を擁する聖教国。その建国の地である城壁に囲まれた宗教都市エルドラムの中心に、巨大で荘厳な大聖堂があった。
神と、神がかつて暗黒の時代に光を齎す為に喚びよせ、世界を救ったとされる世界の守護者、客人を信仰対象とするエルード教の歴史的にも宗教的にも最も重要な聖地である。
聖地の中心にある巨大な大聖堂の最奥。壁に緻密な彫刻が一面に施され陽光を神秘的な瑠璃紺に色付ける見事な装飾のなされたステンドグラスが並んだ広々とした礼拝堂には、高位の聖職者や聖堂騎士の歴々、周辺国から招かれた使節などが並び粛然たる空気の中教皇の法話に耳を傾けている。
「故に個の欲とは罪であり、現世の富など須らく神の御前にあっては「手前を斬れんのは甚だ残念だが、気障ったらしい顔を一発ぶん殴るぐらいなら構わねえよな」
「人間様に勝てるとでも思ってるのか?ジョークまでこなすとは東洋の猿は芸達者なんだな」
教皇しかいなかったはずの祭壇にどこからともなく胸倉をつかみ合う見た事もない格好をした異国風の二人の男が俄に現れた。突然のことに参列者達の間に動揺とざわめきが生まれる。
「何をしている、囲め!!」
聖堂騎士達の動きは早かった。指揮官と思われる貫禄のある男が指示を出すと整列していた三十名ほどの揃いの白い甲冑を纏った騎士達が一斉に抜剣し二人を取囲む。
「何処から現れた狼藉者ども。共和国の手のものか?」
号令を出した年嵩の、顔に刀傷のある男が直剣の剣先を向けながら言う。
「共和国ってどこだ?俺の国は合衆国だ。二度と間違えるな」
堂々とした物言いでそう告げながらも両手真っ直ぐを上げ降伏の姿勢をとるジェイク。その影で兼光はゆっくりと腰の柄に手を伸ばす。
(数はこの指揮官を入れて三十と二。この夷人がどれ程使えるかは未知数だが…)
「やめておけ。このまま串刺になりたくなければ妙な動きをするな」
そんな考えを読み取ったか、兼光の動きを抜け目なく観察しながら刀傷の男は釘を刺した。二人を囲む騎士たちも指示があればすぐに動く構えだ。
「武装を取り上げ、縛り上げて牢に入れろ!」
命令を受け、向けた剣もそのままに数名の騎士が兼光から刀を、そしてジェイクの腰からガンベルトを回収する。
「扱いには気をつけろよ?下手にいじると大怪我するぜ」
両手を上げたまま不敵な笑みを浮かべながらベルトを手にした若い女の騎士に忠告するジェイク。女騎士はそのまま頭のギャンブラーハットにも手を伸ばす。
「おいおい帽子は取らなくてもいいだろ。そのままにしといてくれ」
女騎士は取り合わずそのまま彼の頭から帽子を剥ぎガンベルトと共に持ち去っていく。
「なんだこの剣は。細い刀身に刃も片側しかないじゃないか。打ち合ったら簡単に折れてしまいそうだな」
気の強そうな若い騎士がやや芝居がかった仕草で兼光の愛刀を鞘から抜き、嘲るような目を刀と兼光に交互に向ける。兼光はその騎士に冷たさすら感じさせる刺すような一瞥をくれながら口を開く。
「貴様で試してやろうか?この半可通が」
「よせ、ハインツ。余計な真似をするな」
騎士はふんと鼻息一つ。つまらなそうに音を立てながら乱暴に刀を鞘に投げ込むと、彼をハインツと呼んだ上官と見られる壮年の騎士にポイと投げ渡す。彼は確かめるよう少しだけ鞘から刀身を抜き数秒眺めると目を閉じ、どこか丁寧な手つきで収めるとガンベルトを持つ女騎士に手渡した。
「行け!」
刀傷の騎士が再度号令を出し、騎士たちは後ろ手に縛った二人を地下牢へと連行するのであった。
「皆様どうか御安心を、ここは神の御加護の厚い聖教国。護る聖堂騎士達も比類なき強さを持っておりますれば、この聖域において如何なる無法も許しませぬ」
教皇は何事も無かったかのように、貼り付けたような穏やかな表情のまま、そう挟んでから法話を続けた。
ーーー現在
想定外の珍事に見舞われた聖堂騎士団。その詰所の一室で一人の女騎士が壮年の騎士に詰め寄っていた。
「彼等は本当に共和国が放った刺客なんですか?あんな目立つ二人組が?完全装備の聖堂騎士が勢揃いした場に堂々と現れて?」
「何が言いたいかは分かるがミア。たが彼らが客人様だと言うのも余りに突飛すぎるとは思わんか」
「では二人の格好に、あの急な出現はどう説明をお付けになるんです?転移魔法なんて使えるのは御伽噺に出てくる原初の術者だけじゃないですか!」
「確かにあれにはどう説明を付ければいいか俺に分からん。あの二丁拳銃もどんな仕組みなのかさっぱりだし、あの剣士の片刃の剣なんかなぁ…」
「やたらと見てましたよね、あの変な剣。やっぱり何かあるんですね」
「ありゃこの世の代物じゃねぇな。材質は鋼なんだろうがどうやって鍛えたか理解できねぇ。業物なんてレベルじゃねぇ」
(それに何よりオーラが違う。あれは間違いなく相当血を吸った剣だ。)
あれを見たときのひりつく様な感覚は数年前に帝国の式典で目にした、世界に数本しかない魔剣を見た時以来だった。
「なら間違いないじゃないですか!突如この聖域に現れて見るからにこの世界の者じゃない、挙句そんな物まで携えてるなら」
「だがなぁ、客人様なんて創世記の話だろう。そんなことが…」
その時、ドンドンと部屋の戸を叩くノックの音がする。
「失礼するぞ」
そう言って入ってきたのは、この精鋭ひしめく聖堂騎士団において長年最強の名を恣にしてきた、騎士団総帥であり現教皇の懐刀。ゲオルグ・フォン・バッセンハイムその人であった。
(聞かれた!?)
慌てて背筋を伸ばし胸に手を当てて最敬礼の姿勢をとる女騎士だが、心臓が早鐘のように凄まじい勢いで脈打ち、その首筋に一筋の冷や汗が流れる。
「何やら取り込み中のようだったがすまんな。投獄した二人の沙汰を教皇より直々に言い渡された」
ゲオルグは直立不動となった二人を、感情の量れぬ鉄紺色の瞳で睥睨し、刀傷のある顔に一片の表情も載せず言葉を進める。
「明朝あの二人の斬首を執行する。二人は明日の夜明け、ハインツと共に奴らを裏手に連行するように」
「この件に関する質問、意見は一切受けぬ。教皇様の勅令と知れ」
聖教国においても罪人は基本的に定められた法に従って裁きを受ける。それが教皇直々の威令によって決められた例など歳若いミアは勿論、長年騎士として仕えてきた上官であるヴァイアットですら聞いたことがなかった。
「勅令、でありますか」
「発言を許した覚えはないぞヴァイアット。が、そうだ。要件は以上。これにて失礼する」
そういうとゲオルグは背を向け、そのまま戸をくぐり後ろ手にドアを閉める。部屋の中の空気が一気に弛緩するのを感じながらも、二人はしばらくの間口を開く事が出来なかった。