第358話 妹から姉
本当の私は凄く甘えん坊なんです。
私には四つ歳の離れた兄がいた。
下に弟と妹が二人ずつ。六人兄妹の長女です。
母親は一番下の弟を産んですぐに事故で亡くなってしまい、六人の子供を支えるために父は夜遅くまでお仕事に奔走。家に帰れる時間も少なく顔を見る時間も少なくなっていました。
そんな兄妹を支えてくれていたのが、私のお兄ちゃんでした。
高校生なのに遊びもせず、バイトを掛け持ちし、家事をこなし、それでも成績を下げることなく勉学を疎かにしない。
しかも、弟妹の面倒も嫌な顔一つしない。
そんな完璧なお兄ちゃんでした。
私はそんなお兄ちゃんが大好きで、不器用ながら必死にお手伝いをしていました。
お兄ちゃんに褒められるのが嬉しくて、撫でられたくて、側にいたくて。
大変だったけど幸せな時間でした。
「私ね。大きくなったらお兄ちゃんのお嫁さんになるの!。」
小さな時の、幼い女の子が近しい異性に向ける良くある言葉。
子供ながらに真剣に伝えた私の気持ちに、お兄ちゃんは微笑んで頭を撫でてくれた。
今でも思い出す。
お兄ちゃんの大きくて温かい手の感触。
まだお兄ちゃんも幼かったけど、私にとっては立派な男の子でしたから。
あれは、私が中学生に上がった年。
お兄ちゃんは高校生の二年生になった年。
それくらいになると私もある程度の家事が出来るようになっていました。
家事も分担しお兄ちゃんの苦労を減らすことに貢献できていたと思います。
お兄ちゃんと帰り時間を合わせて一緒に買い物して帰宅する日常。
そんな何気ない時間が私は大好きでした。
あの日、までは。
買い物をし終え、お兄ちゃんと並んで歩いていた。
夕焼けに染まるいつもと同じ時間のやり取り。
買い物袋を持っていたお兄ちゃん。
私も役に立ちたくてその袋をお兄ちゃんから取って走り出した。
少し悪戯したくなったのか。お兄ちゃんに追いかけてきて欲しかったのか。
思春期の私はお兄ちゃんに女の子として見て貰いたい。そんな思いもあったのかもしれません。
周囲を見ていなかった私は、そんな突発的な思い立った行動で袋を持ったまま交差点に飛び出してしまった。
凄いスピードで向かって来る大型の車に気付かずに…。
急に何かに押されて身体が地面を転がって…耳には凄い大きな何かがぶつかる音が連続で聞こえてきて…。
回る視界が戻った時…倒れ、顔を上げる私の目の前には前方部分が凹んで歪んだ大型のトラックが電柱にぶつかり横転し大破している光景が映っていました。
そして…視線は少しずつ広がり、その中の一点を注視することになる。
早まる心臓の鼓動。乱れる呼吸。
目の前の光景を理解する前に私は動いていた。
その先に既に意思のない、真っ赤に染まった変わり果てた姿のお兄ちゃん………が………トラックの………下敷きに………て………赤くて…ぐちゃぐちゃで…折れて…曲がって…。顔が………分からなくて…。
『お兄ちゃん?。あ………お…兄…ちゃん…い、いや、いや…いやあああああぁぁぁぁぁ………。』
そこからの記憶はない。
頭の中が真っ白になって、何かを叫んでいたような、泣いていたような…。
奇しくも、母の時と同じ場所と時間での事故。
幼いながらも記憶の片隅に残っていた記憶と目の前の現実が私の中で重なり渦巻いて…気を失った。
私は、兄の遺体を見れなかった。
数日が経つ。冷静になった私はあの時、トラックの前に飛び出し、お兄ちゃんが庇ってくれたことを理解した。
そう。私が…私を庇ったせいでお兄ちゃんは…。
損傷が激しかったからなのか…私のことを気遣ってくれた父は兄の最期の姿を見せてはくれなかった。………私もそれに従った。
『お兄ちゃん…。』
何度泣いたか。叫んだか。分からない。
大好きなお兄ちゃんが居なくなった家の中は静かだった。
台所を見ても、もうあの後ろ姿はない。
洗濯機の音も、勉強しならが良く聞いていた音楽も聞こえない。
私を呼んでくれるあの声も聞こえない。
頭も撫でてくれない。
私が寄り添う先には誰も…いない。
私が…お兄ちゃんの未来を…壊しちゃったんだ。
残された弟と妹。
お父さんは祖父母に私達の面倒をお願いしたようだけど、私はそれを断った。
『私…が、やる。』
負い目を感じたのか。罪滅ぼしのためか。
失ったモノを埋めるためか。
それとも別の感情か…。
私はその日から 妹 であることを辞めた。
お兄ちゃんの代わりに弟と妹を守る。
その決意の日から私は【お姉ちゃん】になった。
ーーー
『あの…もし、良ければ…ですが…私と一緒に…えっと、わ、私のギルドに入りませんか!。』
弟たちにお願いされて買ったゲーム。
全国でも有名だったエンパシス・ウィザメント。
少ないお小遣いを四人全員が貯めて差し出してきた時は驚きました。
お兄ちゃんを失ってから我が儘を言わなくなった弟妹の初めてのお願い。
そんな弟妹の思いに応えるために父と相談し購入することを決めた。
高校生の私には少し高かったけど、大人数や家族で遊べるという宣伝の言葉に惹かれ、バイト代と貯金を崩して購入した。
勿論、弟妹たちの差し出してきたお金はそのままで。
それは私にとって家族との思い出作りであり、気晴らしであり、息抜きだったから。
お兄ちゃんの様に家族を支える。
言葉にすれば短い決意。けど、それは実際に行うにはあまりにも難しいことだった。
弟妹たちのお世話。バイト。学業。家事。
お兄ちゃんは何でもそつなくこなしていたこと。
けど、不器用な私にはとても難しいことだった。
寝る時間を削って、毎日が必死だった。
理想のお姉ちゃんを演じ、誰かに頼ることもしない。
もしかしたら、心の何処かで罪滅ぼしのつもりだったのかもしれない。
弟妹からお兄ちゃんを奪ってしまったという。
けど、家族は大切な存在で…。
皆が大好きで…皆がいるから頑張れた。
『良いのですか?。私で?。』
『え?。あ、はい。何か…あの…失礼かもしれないですが…お姉さん…少し寂しそうに見えて…なので、私とお友達になりませんか?。』
それが彼女との出会い。
ゲームの中だけの友人。
頑張り屋さんで不器用で、けど、何事にも一生懸命で…何よりも誰かを想う優しい心の持ち主。そんな彼女を支えようと思った。
いや、もしかしたら、自分と重ねたのかもしれない。
だって、彼女も頼れるお兄さんがいる妹だったから。
だから、支えてあげたいと思った。
『あ…ごめんなさい。急に声を掛けてしまって。自己紹介もまだだったのに。私は美緑って言います。良かったら、これからも宜しくお願いします。』
何だか、昔の自分を見ているみたいな感覚。
危なっかしくて、ぎこちないけど…何処か力強さを併せ持つ少女。
そんな彼女だからこそ私はその手を取った。
『此方こそ。宜しくお願いします。美緑ちゃん。私の名前は砂羅です。仲良くして下さいね。』
『はい!。えへへ。嬉しいです。何だかお姉ちゃんができたみたい。』
その日から、私にはもう一人の妹ができた。
ーーー
世界がエンパシス・ウィザメントに侵食されてから半年が過ぎた頃、私は美緑ちゃんたち、ゲームだった頃の同じギルド、緑龍メンバーで集まることが出来た。
偶々、近くの都道府県に住んでいたこともありすぐに出会うことが出来ました。
『やっぱりここにいたんですね。砂羅。』
私は家族でよく来ていた公園…だった場所に佇んでいた。
ぼんやりと、眺めていたその先には墓石に似せた小さめの石が七つ並んでいる。
その下には遺体は埋まっていない。
ただ、家族の名前を刻んだ石が並んでいるだけ。
もう枯れるほど泣いたから涙は出ていない。
けど、ここにはよく来ている。
『美緑ちゃん。どうしましたか?。何かありました?。』
能力を得た者…プレイヤーだった者たちによる抗争。それに巻き込まれ多くの犠牲が出た。
私の弟や妹も…父も例外ではなく。
崩れた建物の下敷きとなって………その後、崩れた家屋一帯が広範囲の爆発に呑み込まれる。
周囲一帯を包み燃え上がる炎。
結局、最後は全てが黒い炭となった。
私が、周囲の鎮圧に奔走していた最中。
家族から離れた僅かな時間で、全てを失ってしまった。
『はい。騒ぎも治まりつつあります。なので、今一度ギルドの皆を集めて会議を行おうと思います。これからの方向性を決めようかと。』
『そうですか…。はい。行きましょう。美緑ちゃん。』
私の家族が眠る場所。
母と兄。父と弟妹たち。家族一緒に…。
『また、来ます。』
私には…何が残っているのでしょう…。
ーーー
『どうしました?。砂羅お姉様?。』
『ん?。あっ。ごめんなさい。シュルーナちゃん。少し…考え事をしていました。』
緑国、美緑ちゃんの神具である【神界緑樹聖域 シル・ジュカリア】には幹の中で濾過された湧水が流れる川がある。
巨大な世界樹の中では、木の上とは思えない普通の大地の様な枝や幹、蔦が広がっていた。
『考え事…ですか?。あっ。もしかして、閃様のことですか?。』
『ええ。そうですね。お兄様にもお会いしたいです。』
流れる川で洗濯物を洗い、横にある枝に干す。
緑の濃い香りを乗せた風に洗濯物が靡いている。
シュルーナちゃんはよく私のお手伝いをしてくれる。
素直でとてもいい子です。
『お兄様?。そういえば、どうして砂羅お姉様は閃様のことをお兄様と呼んでいるのですか?。二人は恋人同士ですよね?。もしかして、御兄妹とか?。』
『ふふ。兄妹ではありませんよ。けど…そうですね。私が妹でいられる唯一の場所。それがお兄様なんです。』
『んん~。良く分からないです。』
『ふふ。ご免なさい。混乱させてしまいましたね。』
今はもう、何もかもを失ったのは私だけではない。
クロノ・フィリアの皆さんや、転生者たち。
皆が転生前の世界に思い出や想いを置いてきた。
もう取り戻すことは出来ない。
だからこそ、その想いを胸に秘めて私達は未来へと向かって歩み続ける。
『さぁ、戻りましょうか。確か、今日は美緑ちゃんとレルシューナちゃんが皆さんのために甘いお花を使ったお菓子を作ってくれると言っていましたよ。』
『わあっ!。お菓子ですか!。やったぁ!。』
『ふふ。その前に手を洗ってきましょうね。』
『はい!。あの…手を繋いでも良いですか?。』
『勿論です。さぁ、一緒に行きましょう。』
シュルーナちゃんと手を繋いで歩き始める。
いつの日か…世界が平和になって争いが無くなったら…。
『そうですね。きっと砂羅お姉様のご家族も喜びますよ。』
『あら?。私、口に出していましたか?。』
『いいえ。けど、私は巫女でしたから想いが伝わっただけです。』
『ふふ。不思議ですね。』
私は果てしなく続く地平線を眺めながら、あの日…お兄ちゃんと見た茜色の空を思い出していました。
次回の投稿は19日の木曜日を予定しています。