第337話 キシルティア
ーーーキシルティアーーー
我の隣に無凱がいる。
ずっと…ずっと…ずっと、待っていた。
我が心を許した唯一の男。
もう…離れたくない…。離さないで…。
もう…我を独りに…しないで…。
~~~~~
何度も体験した。
この身を襲う終焉の死。
何度も夢にみた。
眼前に迫る終焉の恐怖。
何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。
私が…我になっても…変わらずやって来る未来。そして、確定している結末。
この身と心を蝕む恐怖心が我を苦しませる。
何度も涙で枕を濡らし。
何度も悪夢で跳び起きた。
震える身体。ガタガタと歯が鳴り、全身から冷たい汗が噴き出る。
自分自身を抱きしめ、目を強く閉じ、乱れた呼吸を整える。
それが日常。
心を支えるモノもなく。身体を預けるモノもない。
頼れるのは自分自身だけ。我は独りだった。
あの 生涯 までは…。
最初の頃の記憶は既に薄れた。
ただ怖かった。何も分からんままに逃げ、迫る終焉の恐怖に押し潰されたのは覚えている。
幾度の死、様々な死に方を体験した。
肉体が裂け、砕け、潰れ、弾け、燃えた。
黒い何かに呑み込まれ消滅したことも。
気が狂い、悶え苦しんだこともあった。
何度も繰り返された。
楽しい生。嬉しい生。様々な者達との出会いや交流を重ねた輝かしい思い出。
だが、それらを一瞬で消し飛ばす終焉の恐怖が襲うのだ。
苦しかった。辛かった。
皆の死を見た。見せられた。
両親も。兄弟も。姉妹も。親しかった友も。共に過ごした仲間も。
皆、我より先に死んでいく。
誰にも共有出来ないもどかしさ。
言っても、あの恐怖は伝わらない。
信じてすらくれない。
なまじ記憶を持っていることで、我は世界の歯車から切り離された存在なのだと錯覚する。
いや、切り離されているのかもしれんな。
忘れたいのに、忘れられない。
生まれた瞬間に脳内に浮上する今までの生の記憶。
他者との別れにも慣れた。
肉体の痛みにも慣れた。
死にも慣れた。
だが、恐怖心だけは未だに克服できない。
大地が裂け。空が割れ。星が 黒い何か に侵食され、蝕まれ、削られ、呑み込まれ、消滅していく。
その様を見せつけられる。
それを命尽きるその瞬間、最期の刻まで見せられるのだ。
何回も。何回も。何回も。…我は繰り返し体験する。
誰も。世界を救えない。
誰も。助けてくれない。
自分に課せられた 恐怖の記憶 を胸に秘めながら、我は怯えながら今回の生涯を全うするのだった。
恐怖に怯えながら死に。
また、新たな生として生き返り。
最期の最期まで生き残ってしまう。
死のうとしても死ねない。
終焉前に死のうとしても、あらゆる事象が邪魔をする。逃げることは出来ない。
何の因果か。運命か。神の悪戯か。
我に逃げ場はなかった。
我は、終焉という方法でしか死ぬことが出来なかったのだ。
また、我は、終焉を見せられる。
また、恐怖を刻まれる。前の生より深く。次の生により残るように。
絶望的な我の繰り返される生の中。
一つだけ我にとって良いことがあった。
それは繰り返しの生の中で培われた技能や知識が引き継がれるということだ。
我に種族などない。強いて言えば特徴のない人族に近い。
故にその能力に属する系統はなかった。
つまり、能力を自由に決められるということ。
我は自らの力を欲した。
弱いままの我では世界に…いや、自分にすら勝てはしない。
逃れられぬ運命の中でも足掻かなければ我の存在が無駄になってしまう。
何度も後ろは見た。何度も俯いた。何度も立ち止まった。
だが、それでは何も変わらない。
変わる。だからこそ前を向く。そして歩き出す。
弱音も吐いた。醜く泣いた。途方に暮れた。
もう十分だ。だから、我は決めた。
自らを極めると。自身の能力の限界へと自らを高めると。
それから数百の生を経て、我は完成した。
神にも匹敵する能力を手にした。
恐らく、リスティールに住む生物の中で最強といっても過言ではない程に。
そして、いつしか。
我は一国の 王 になっていた。
~~~~~
あれは何度目の生だったか。
その日は、特別だった。
いつもならば、終焉の恐怖を夢にみて跳び起きるのだが自然な目覚めに戸惑っていた。
夢も…見ていない。いや、朧気に楽しかったような感覚が残る。楽しい夢をみる?。そんな経験は初めてだった。
そして、その男は我の国へとやって来た。
その男、無凱は不思議な男だった。
純エーテルを身に纏い明らかな神としての存在感を放っているにも関わらず、神に有りがちな傲慢さも、強引さも、威厳すらも持ち合わせていなかった。
唯々、飄々とした掴み所のない性格。
風が吹けばそのまま飛んでいってしまいそうな身の軽さを持っていた。
我は、我の生で初めて気になる異性に出会った。最初は興味深い存在と思っていたんだがな…いや、もう出会った瞬間に惹かれたのかもしれん。柄にもなく運命を感じてしまった。
一目惚れに近い感じか。
戸惑いもあった、何せ初めての感覚だ。
胸が締め付けられ、奴を瞳に映すだけで胸の鼓動は高鳴り痛いくらいに暴れ狂う。
それを恋だと自覚するのに時間は掛からなかった。
無凱はどうやら人を探していると言う。
無凱にとってとても大切な人だと言う。
恋人…いや、既に婚姻の義は果たし終えた後だと本人に聞いた。
二人の間に子もいるのだという。
愛しい者を語る無凱の瞳は真剣で…その力強さに我は惹かれた。
そして、それを聞いた瞬間、我は無凱の力になりたいと思った。考えた。無凱が喜ぶことをしてやりたい。
その為なら我の力を使っても良い。
今までの我ならば考えられん行動を次から次に行った。
同時に、無凱の願いの内容に心が締めつけられる。
そんな、複雑怪奇な心境の中。
無凱は黄華と再会した。
抱き合う二人。唇同士が交わる。
互いを愛しく、大切に想っているのが伝わってくる。
我は…それを見ていた。
複雑な感情は…嫉妬か。羨望か。
無凱と過ごす内に更に惹かれていく。
無凱から仮想世界という異世界の話を聞いた。
リスティールには存在しないモノの話。
人間という人族に近い種族の棲む世界。
魔力がないのに人は科学の力で生活を豊かにする。海を泳ぎ。空を飛ぶ。
無凱の話に我は夢中で耳を傾けた。
興味深い話しばかりで胸が踊った。
我の質問に嫌な顔一つせず答えてくれる。
いつしか心の距離も身体の距離も近くなり、我の心は無凱ー色になっていたのだ。
しかし、そんな時間は長くは続かなかった。
無凱は黄華を含めた仲間達と戦いへと赴いていく。神との避けられぬ戦いへ。
我はその背中を見送った。
彼等なら…もしかしたら、神を倒して…我をこの繰り返しの生から解き放ってくれるかもと…。永遠にも続くこの輪廻と運命を終わらせてくれるかもと…。
淡い期待を込めて…。無凱を見送ったんだ。
その数日後。無凱は帰ってきた。
我は喜びと嬉しさを胸に秘め無凱の元へ駆け寄る。
彼の姿が近付くつれ異変に気がつく。
無凱の瞳は死んでいた。
何処を見ているのかも分からない。視線は空を彷徨い、揺らぎ、曇りきっていた。
身体も傷だらけ。表情もなく。足元は覚束無い。あれだけ力強く纏っていたエーテルも微弱な気配しか感じない。
『む、がい?。』
我の言葉に初めて無凱は反応を示す。
虚空を見つめていた瞳が我の声に反応する。
『き…しる…てぃあ?。』
『ああ。我だ!。どうした!?。何があった!?。』
『うっ…うわあああああぁぁぁぁぁ…。』
我を抱きしめる無凱。
旅立つ前の無凱の面影はなく、子供のように泣きじゃくり暫く泣いた後、事切れたみたいに気を失った。
意識を取り戻した無凱から事の顛末を聞いた。
結論から言えば無凱達、異神は神々とも戦いに敗れ全滅。無凱を残して皆死んだのだという。
黄華も死んだ。無凱の支えだった閃という男も死んだ。
全てを失った無凱は…気がついたらここにいたのだと言う。
それからの無凱は変わった。
失ったもの。心の傷。心の溝を我で埋めるように、我に依存した。
我は無凱のこの行動が間違っていると分かっていながらも流れのままに彼を癒した。
無凱が我に依存し我を求め我に溺れる。
その様子に幸せを感じ、我と無凱は恋人となった。
無凱の心を我で埋めることを選択したのだ。
歪んだ関係。間違った恋。
だが、それでも我は…心の支えを求めた。欲した。拠り所としたのだった。
来る終焉。変えられなかった結果を…恐怖を…彼で埋めるために。
そして、時はやって来た。
『無凱。早く………して。』
恐怖に押し潰されそうになりながら眼前まで迫った死に身体が震える。
だが、今回は違う。今までは独り孤独にこの恐怖に身を焦がした。
けど。
『キシルティア。僕だけを。』
強く太い腕が我の身体を引き寄せ強く抱きしめられ、大きな彼の身体が我を包み込む。
強引に唇を奪われ、我の全てが無凱でいっぱいになる。
そこに恐怖が入り込む余地はない。
最期の最期まで、この命が尽きるその一瞬まで我は無凱と一つになった…。
~~~~~
崩壊が始まった。
天変地異。破局。変動。終焉の足音が近付く。
『なぁ?。無凱?。何故、我の隣に…い…ない?。いて…くれな…い?。』
誰もいない虚空に手を伸ばすも、握るものなく空を空振る。返ってくる温もりも、あの満たされる感覚もない。
流れ続ける涙が視界を歪め。
震える自分の身体を抱きしめる。
いつもなら耐えられた。
いや、我慢できた。我慢した。
だが、あれを…彼の温もりを知った今ではもう駄目だ。
『無凱!。無凱!。無凱!。無凱!。無凱!。』
何度も叫ぶ。何度も叫んだ。
返ってこないと理解しつつも言葉にせずにはいられなかった。
『我を…私を…助けてよ…無凱…一緒に…いてよぉ…。』
叫びは空気を裂く轟音に掻き消され。
我の肉体は、無情にも崩壊により発生した熱気によって肉片も残らず蒸発した。
~~~~~
あれから、我は数百、数千の命を生きた。
再び、無凱が現れた時の為に…彼の為になりたくて神の…この世界の情報を集めた。
無凱に聞いたことを参考に様々なモノを創造し黄国に反映させていった。
だが、その間も再び無凱に出会うことはなかった。
無凱から与えられた、あの温かな最期がある。
冷たく、怖い、無情な最期以外の…我の【死】に方がある。
それを知ったから頑張ったんだ。頑張ってきたんだ。
『はぁ…。もう…少しでこの世界も終わりを迎えるな。一年…いや、一年以内に世界は…あの終焉がやって来る。』
窓から外を眺める。
小鳥達が囀り飛び回る。
木漏れ日が照らす街道沿いはそよ風に舞った葉が積もる。
今日は久し振りに良く寝られた。
夢見も良く。悪夢に魘される事もなく。
自然と目が覚めた。
こんな日は珍しいが…今までにも無かった訳ではない。
だが、どうしてもあの時の…無凱と出会ったあの日のことが思い出されてしまう。
今ではその様な可能性など0に近いというのに…何度期待したか。そして、裏切られたか分からん。
だが…。
『高望みはせん。が。何か良いことでも起きんかな?。』
どうせ、もう一年もない【命】だ。
此度もまたあの恐怖の中で我は死ぬのだから…今くらいは…気の晴れることがあっても良いだろうさ。
その時。
一際強い風が窓から室内に流れ込む。
『っ!?。』
その瞬間だった。
我の支配領域内に侵入者が…違う。
この気配は!?。知ってる。忘れる筈がない。このエーテルの波動。力強さ。そんな!?。まさか!?。彼が…来た!?。
『無凱が…来てくれた…。』
その事を認識した瞬間、私は膝から崩れ落ちた。
滝のように流れ落ちる涙が床に染みを作る。
『うおっ!?。どうしたのだ?。キシルティア!?。何で泣いておるのだ!?。』
私の様子を見てスヴィナが驚いている。
『あっ…。やばっ。』
何でも知り、何でも出来る威厳のある女。
スヴィナは私のことをそう認識している。
確かに私は幾度と転生を繰り返したことによる知識と能力でスヴィナの認識通りの女を演じている。
そんな私が膝をつき泣いているのだ。驚くに決まっている。
『こほん。スヴィナ。侵入者が来た。どうやら我の知人のようでな。丁重にここへ連れてこい。』
『おお!。そうなのか?。分かった。連れてくるぞ。』
『その者は無凱という男だ。生徒の皆が混乱せんように気を付けよ。』
『了解。行ってくる~。』
元気良く部屋を出ていくスヴィナ。
その姿を見送り小さく深呼吸をする。
『無凱が…来た。来たんだ。私の元に来てくれた。』
確かに少しだが期待はしていた。
黄華がここに転生し、更に仲間達も数人この黄国で転生していた。
もしかしたらと小さな期待もあった。
しかし、今までも黄華がこの国で転生したことはあった。
その時も期待をしたが、結局無凱は現れなかったのだ。
だから期待も少しだけ。過度な期待は反動も大きいことを知っているから。
だが…今回は、来てくれた。
『無凱に会える…。はっ!?。』
泣いてる場合じゃない!。
この世界の無凱は私のことを知らない。
今の私は黄国の王。
威厳ある態度で接しなければ!。
『えっと…どうする?。何やる?。まずは…そう!。机の上の片付けを!。アイタッ!?。』
テンパりすぎて足の指を机の角にぶつけた。
『はぐっ!?。』
お尻で椅子を押したせいで椅子と同時にコートを掛けていたポールハンガーも倒れた。
それが運悪く机の方へ倒れ、飲みかけのコーヒーが入ったカップをひっくり返す。
中身は飛び散り書類の束を黒く染め、転がったカップが床に落ち粉々に割れてしまった。
『うわっ…。マジ?。』
いやいや。呆けてる場合じゃないって。
このままじゃ無凱が来ちゃうって。
その時、ふと姿見に映った自身の姿が目に入る。
先程、無凱の気配に気が付いた際に泣いたせいで化粧が崩れていた。
こんな顔、無凱に見せられない。
どうする?。時間がない。
『そうだ!。』
私は閃いたことを実行する。
焦りすぎでいつしか一人称が我から昔の私に変わっていたが今の私にはそれに気づく程の余裕が残されていなかった。
念話。支配領域内にいる指定した対象の頭の中へ直接話し掛けることが出来る。
それを現在無凱の元へと向かわせたスヴィナへ。
『スヴィナ!。聞こえるか!。』
「ん?。キシルティアか?。どうした?。もう少しで無凱を連れて行けるぞ?。」
『予定変更だ。暫く準備に時間が欲しい。お前の造った施設でも案内して時間を作ってくれ。』
「おお!。良いな!。それ!。分かった!。案内してくる!。」
よし。これで暫くの間時間を稼げた。
急いでこの惨状の片付け。
そして、化粧を直さねば。
それから二時間後。
『キシルティア!。連れてきたぞ!。』
バンッ!。と、音を立ててキスヴィナが入室する。
はぁ…はぁ…はぁ…。な、なんとか間に合った。
汚れたもの。壊れたもの。邪魔なもの。乱れたものを全て横にある大きな戸棚の中へ押し込み、机の上は何もない状態。
念入りに時間を掛けて化粧を直し、何処からどう見ても威厳ある黄国の王 キシルティアが完成した。
一応、支配領域のエーテルの密度を高め強者感を演出する。
スヴィナの後ろ…に目をやった。
あっ…。ああ…無凱だ…。私の記憶の中の彼と遜色ない正真正銘の無凱がいる。
泣きそうになり、目尻に熱がこもるのを必死に耐える。
表情は常に余裕ある笑みを全力で作り、震えそうになる声を全身全霊で抑え込んだ。
『ふふ。良くぞ来たな。どうだ?。我が国は?。』
『君は?。』
わぁ。無凱が私に話し掛けてくれてる。
嬉しい。今すぐにでも抱きつきたい。
『ふふ。我はキシルティア。この黄国の理事長…いや、王だ。ふふ。久しいな無凱よ…いんや、初めまして、と言い変えた方が主の感覚には近いか?。なぁ?。無凱?。』
警戒する無凱の様子に愛おしさを感じながら、心の何処かで少しだけ悪戯心が沸いてくる。
散々、我を待たせたんだ。
ししし。無凱を少し困らせてやるぞ。
ふふ。こんなにも我の心を高ぶらせるの貴様だけだぞ。
無凱…愛している。
次回の投稿は27日の木曜日を予定しています。