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第309話 飛公環

 淡く輝く月のような衛星の明かりを眺めながら盃に注いだ酒を口へ運ぶ飛公環。

 とある戸惑いが彼の中で渦巻き眠りを妨げていた。


 あれは、今から八年前の出来事。

 先々代の王がまだ赤国を統治していた頃。

 王が奴隷競売から一人の少女を連れてきた。

 その娘は赤国でも珍しい不死鳥の種族の少女で、まだ五歳という幼い少女だった。

 珍しい種族の子供が競売で売られていることはさして珍妙なことでもない。

 赤国には王に並ぶ者達…いや、表舞台には出てこないが王よりも上の立場にいる者達がいた。

 赤国を建国した一族の末裔達。

 自らを【天国十八座星】と名乗る十八種の種族。

 しかし、嘗ての偉業は代を重ねる毎に薄れ今では能力の低いもの達が絶大な権力を武器に暴走しているという状況だった。

 不死鳥の少女も、先々代の王がその者達の命令によって連れてきたという事実があった。

 しかし、誤算が生じた。

 少女は【巫女】と呼ばれる神の遣いだったのだ。

 神の声を聞きリスティールの住人にその意思を伝える存在。

 如何なる大王でも粗末には扱えない存在なのだ。

 もし損害に扱えば如何なる神罰が下ることか分からない。

 何よりも、リスティールに伝わる伝承。

【近い将来、異界の神がリスティールに侵略を開始し全てを蹂躙し滅ぼすだろう。】

 その伝承に対抗できるのは、【巫女】と【神眷者】と呼ばれる存在だけだとも伝えられていた。

 本来ならば、奴隷となった不死鳥の少女は、死ぬまで赤国の中枢にて隔離され、その命が何らかの方法で尽きるまで身体を切り刻まれ、高値で売買される【不死鳥の灰や羽】を奪われ続けていただろう。

 だが、巫女である以上それも叶わない。

 そして、来る未来のせいで雑にも扱えない。

 そこで、ある程度自立出来るようにと世話人をつけることとなった。

 それで選ばれたのが、長年、先々代と共に赤国の統治に貢献していた飛公環だった。


 初めて巫女の少女。愛鈴と会合した飛公環は幼い彼女を見て驚愕した。

 愛鈴はまだ五歳だ。なのに、その瞳には生気はなく、心が死んでいたのだ。自ら考えることを放棄し生きることを諦めている者の瞳。

 こんな幼い少女に何があったのだ。何をされた。初めて出会った少女に飛公環は戸惑いよりも怒りを覚えた。彼女のこれまで生きてきた環境に対して。


 世話人と言っても飛公環は仙技を戦士達に伝授する指南役だ。

 気を扱うこと以外に教えられることはない。

 そこで、幼い愛鈴にまずは気の使い方を教えた。


 他人の言うことは素直に聞く愛鈴は素質があり、数週間で気のコントロールをマスターする。

 まさか、こんなにも早く覚えることが出来るとは、そう思った飛公環は次の瞬間納得する。


 愛鈴の背後から召喚された炎の竜。

 噂に聞いていたのだが、飛公環は実物を見て驚いた。

 長寿の種族である【仙人】。千年以上生きている彼だ。伝承くらいは覚えていた。

 巫女に選ばれた者が使役できる【神竜】。

 真紅の炎を纏うその姿から【炎竜】であることが分かった。

 そして、同時に放出される魔力でない強大なエネルギー。

 仙技の最終到達地点である星の生み出す純正なエネルギー、エーテルを操る技法。彼が目指したエーテルが今、目の前の幼い少女の身体から溢れ出ていたのだ。


 愛鈴は飛公環から教わった仙技により膨大なエーテルを操れるようになったのだ。

 そして、その瞬間、愛鈴は涙を流した。

 表情は変わらない。無表情のままだ。

 恐らく、今までの人生で感情を表情と共に内の底に沈めてしまったのだろう。

 悲しいことだ。泣くことすらも久し振りだったのかもしれない。

 瞳から溢れる滴を何度も拭う愛鈴。だが止めどなく伝う輝く感情は愛鈴の深く閉ざされていた心を満たすまで終わらない。


『お…じ、い…ちゃん…。』


 その時、初めて言葉を発する愛鈴。

 奴隷競売に売られていた少女だ。さぞ、辛い人生を送ってきたのだろうと飛公環は推測した。それこそ感情も死に言葉を発することすらも忘れてしまう程に。


『わた…し、かみ…さま…の………こえ…きこ、えなく………なっ…た…。』


 その後、冷静になった愛鈴は身の上話を飛公環へと語った。

 物心ついた時には既に奴隷として生きていたこと。

 不死鳥である故にあらゆる苦痛を受け続けたこと。

 逃げ場などなかったこと。


 苦痛に悲鳴を上げても、それを見て嗤われ、楽しまれ、更なる苦痛を与えられる。

 その内、痛みを受け入れたこと。

 受け入れたことで楽になった。相手にされるがまま、抵抗も、反抗も、足掻くことも諦めて受け入れた。

 いつの間にか何も感じなくなった。


『けどね…。いち、ばん…つら、かったの…は…ね。かみさまの…こえ…だった…の…。』


 脳内に直接響く神の声。

 

 異神を殺せ。異神を殺せ。異神を殺せ。異神を殺せ。異神を殺せ。異神を殺せ。異神を殺せ。異神を殺せ。異神を殺せ。異神を殺せ。異神を殺せ。異神を殺せ。異神を殺せ。異神を殺せ。異神を殺せ。異神を殺せ。異神を殺せ。異神を殺せ。異神を殺せ。異神を殺せ。


 目を閉じても、耳を塞いでも、頭を振っても、どんなに痛い思いをしても神の声からは逃げることが出来なかった。

 頭部を何度も打ち付け気を失っても悪夢で声が聞こえる地獄。

 やがて、愛鈴は感情を、思考を、表情を殺していった。


 だが、仙技を会得した今、愛鈴は神の呪縛から解き放たれた。

 深く閉ざされた神の声を気の力で遮ったのだ。


 涙を流す愛鈴を飛公環は優しく抱きしめた。

 折れてしまいそうな細く、弱々しく痩せた身体の感触は飛公環は一生忘れることはないだろう。


 その日から少しずつ感情を表に出すようになった愛鈴。

 表情は無表情のまま変わらないが、辿々しかった言葉は流暢に、喜怒哀楽も声色と身振り手振りで表現するようになっていった。

 先々代の王も飛公環と共に喜び、先代の王も愛鈴を大切にしていた。


 しかし、赤国に巣くう害虫達はその愛鈴の様子を良く思わなかった。

 神の声を拒絶した彼女には巫女としての価値が無くなったからだ。

 巫女だからこそ、奴隷にされずに済んでいた状況が一変。害虫共は、とある国の人物と接触し愛鈴を餌に同盟を持ち掛けた。

 巫女であり、不死鳥。この二つの内容に相手は直ぐ様に飛び付いたという。


 それを知った先々代の王は愛鈴を救うために情報を集めていたのだが、途中、害虫共にバレてしまい殺害されてしまった。

 愛鈴を守るために、急遽成り上がった先代は飛公環と共に先々代の意思を継ぎ愛鈴の為に奔走する。

 しかし、そんな努力も虚しく先代は害虫共の暗躍により愛鈴の目の前で毒殺され、愛鈴は更なる傷を心に負うこととなってしまう。

 そして、飛公環は先代を殺した濡れ衣を着せられた挙げ句、先々代の殺害までも企てた殺人鬼と仕立て上げられてしまう。

 元々、飛公環に権力などなく。王達の補佐としての役割しかなかった。

 故に、赤国の裏を牛耳る害虫共の下した決定に抗うことすら出来ずに仙界渓谷へ幽閉されてしまった。


 その後、全てを失い絶望の淵へと心が落ち生き人形同然となってしまった愛鈴を体のいい駒として王の座につけた害虫共達による赤国の独占支配が始まった。


『思い出すだけで悔しいのぉ…。』


 その後、飛公環は愛鈴に会うことが出来ずにいた。

 飛公環の身体には害虫共によって刻まれた刻印があり、彼等によって展開された結界により王宮は愚か都にすら入ることが許されない。


 赤国の内情を知る術の失くなった飛公環だったが、彼の住む渓谷には時折、愛鈴からの指示で若い男女が仙技を習いにやって来るようになった。

 聞くと、行き場を失った彼等を愛鈴が保護し戦士として迎え入れたと、そして、相応の力を手にするために愛鈴から飛公環の存在を教えられ訪ねて来たと語った。

 楚不夜、紅陣から始まり、【華桜天】のメンバー、【武星天】のメンバー、そして、異世界からの転生者である異界人までも彼の元に教えを乞いにやって来たのだ。

 結果、現在の赤国にいる主要の面々は全員、飛公環の弟子となった。


 そして、基汐達。異神も彼の弟子となる。


『ワシに出来ることは全てやった…そう考えていたのじゃがな…。』


「赤国に蔓延ってた害虫共は今回の異神との戦いに巻き込まれたってことで全員始末した。」


 紅陣の言葉が飛公環の脳裏に木霊する。

 その言葉が事実ならば、現在の赤国は愛鈴自身が治めていることとなる。

 あの小さくか弱かった少女が…。


『立派になったのじゃな…。』


 一国の主になって頑張っているという。

 若干、十と三の幼き少女がだ。信頼できる仲間達の力を借りて…。


「だから、今度王宮に降りてこいよ。」


 飛公環を陥れ、縛っていた者達は消えた。

 彼は自由を手にしたのだ。


『ワシは…愛鈴に…会えるのか…。』


 彼にとって弟子達は孫のような存在だ。

 そして、愛鈴は実の娘のように思っている。

 幼い頃から共に過ごしたのだ。大切に思わない訳はない。


『会いたいのぉ…。して…。もう一度…。』


 この老いぼれた腕で抱きしめてやりたい。

 子供の成長は早い。記憶の中の愛鈴よりも大きく育っていることだろう。


『ああ…。そうしようかのぉ。』


 数日前から彼の身体に刻まれていた刻印は消失していた。

 もしやとは思っていた。そして…紅陣の一言で確信へと変わった。

 

『明日。紅陣と共に降りてみるか。』


 数年振りの王宮。

 弟子達との再会。愛鈴との………再会。

 老いた心臓が年甲斐もなく鼓動を速めた。

 力強く鳴り響く心臓の高鳴り。

 愛鈴に会える。抱きしめてやれる。頭を撫でてやろうか。それとも、膝に乗せてやろうか…。してやりたいことが多すぎる。


 何よりも、立派になった愛鈴の姿を見たい。

 

『はぁ…。嬉しいのぉ…。』


 瓢箪の中にあった酒を一気に飲み干した。

 衛星が照らす輝きは滲み、彼の視界は歪む。

 何度も、何度も、擦る目元。だが、一向に戻ることはなかった。

 溢れ出る思いは、夜の静寂の中に静かに響いた。

 

『……………。折角の酒を邪魔しおって、誰じゃ?。そろそろ出てきたらどうじゃ?。』


 しかし、その時間は唐突に終わりを告げた。

 飛公環の背後。十メートル程離れた木々の間。そこにいる存在に声を掛ける。


『ん?。気付いてたのか?。良いんだぜ?。まだまだ存分に酒を楽しんでても。アンタの楽しみを邪魔する程野暮じゃねぇからよ。』

『ぬかせ。お主はそうじゃとして、連れがそこまで殺気だっては酒の味も落ちるじゃろうが!。』

『はぁ…。おい。火車、もうちょい静かに行動出来ねぇの?。』

『出来ねぇな。』

『ああ、そうかい。まぁ、良いわ。すまねぇな爺さん。何なら、酌でもしてやろうか?。』

『戯けが!。そこのデカイのよりも危険な気配を放っとる奴に不用意に近付けるか!。』

『くく…そりゃそうだわなぁ~。』


 姿を現した二人の男。

 ゼディナハと火車。


『何者じゃ?。そろそろ名乗れ。』

『お?。ああ、すまねぇな。忘れてたぜ。俺はゼディナハだ。まぁ、こんなんでも黒国の王様やってんだわ。で、こっちがこの国で拾った異界人の火車だ。』

『黒国の王がワシに何の用じゃ?。とっとと自国へ帰れ。』

『おいおい。そりゃあねぇだろ?。これでも一応アンタの憎んでる老害共を片付けてやったんだぜ?。』

『何を言ってる。』

『くく。まぁ、アンタに分かりやすく伝えるなら、こう言おうか。赤国に巣くう老害共と取引し先々代と先代の王を殺した張本人だと。』

『何?。』

『まぁ、俺にとっちゃどうでも良い交渉だったんだがな。黒国の武力と引き換えに不死鳥の巫女を差し出すと言われちゃぁ断るのは勿体無いだろ?。』

『っ!?。』

『折角、約束通りに王共を始末してやったのにアイツ等と来たら勝手に巫女を王にしやがって時間をくれとかぬかしやがった。まぁ、あの時じゃ不死鳥を手に入れたところで宝の持ち腐れだったから今更気にしてねぇけどな。呑気に傍観してたらいつの間にかあの老害共殺されてやがんの。で、そんな時だけ生き残りが俺の元に来て助けてくれだとさ。どんだけ自分等のことしか考えてねぇんだろうな?。いい加減うざくなってな。サクッと殺してやったわ。』

『貴様が…王を…。はぁ…。それで?。ワシの元に何をしに来たのじゃ?』

『おお。怒りを押し留めやがったな。なかなか冷静じゃねぇか。それとも何か?。俺に勝てないことは理解出来てんのか?。』


 飛公環は気が付いている。

 ゼディナハが自分を遥かに上回る実力を持っていると。

 下手に動けば瞬殺され兼ねない状況だということを。


『……………。』

『くく。それは肯定と取るぜ。まぁ、腹の探り合いは苦手だからな。率直に言う。爺さん。俺の仲間になれよ。』

『何?。』

『一緒に世界をひっくり返さねぇか?。』

『何を言っておる?。』

『神や異神の奴等なんか関係ねぇ。俺がこの世界を手に入れる為に力を貸してくれねぇかってことだ。』

『それは…何を持って叶える?。』

『この世界の国を一つにする。神を殺し、異神を殺し、俺に歯向かう奴等を全てを殺し尽くす。そして、俺を頂点にした世界を創るのよ。どうだ?。くく。幼稚な子供の発想だろう?。面白くないか?。』

『断る。ワシはもう引退した身じゃ。残りの人生は好きに生きる。貴様のおままごとに付き合っている時間も暇もない。』

『おままごととは酷いねぇ。まぁ、爺さんがそう言うなら構わねぇよ。俺に従わねぇ奴を下に置いたんじゃ怖くて夜も眠れねぇからな。だが、不死鳥の巫女。アイツは頂くぜ?。老害共との約束は守ってもらう。』

『っ!?。貴様…正気か?。何を企んでおる?。』

『何も企んでねぇよ。ただ、面白いことが出来れば儲けもんだとは考えてるがな。』

『させると思うか?。』

『いんや。あの巫女が関われば爺さんが戦う気になるんじゃねぇかと挑発してみたんだが、くく。余程大事かい?。あの娘が?。』

『当然じゃ。あの娘はワシの弟子で、家族で…娘じゃ。貴様のような得体の知れん奴には指一本触れさせはせん!。』


 仙技に高められたエーテルによって強化された肉体と感覚。

 一気にゼディナハとの間合いを詰める。


『はは。ああ、それで良い。無抵抗の奴を斬っても楽しくないからな。だが、悪いな爺さん。あんま俺達には時間が無くてな。遊んでやれねぇんだわ。だから…。』


 ゼディナハが抜き放った刀。

 黒い刀身が夜の明かりに照らされて不気味に輝く。

 その刀を見た瞬間、飛公環の全身に寒気が走り鳥肌が立つ。


『くっ!?。』


 飛び込んだ体勢に急激なブレーキを掛け直ぐ様距離を取ろうと後退するも。


『ああ、遅い遅い。離れたって無駄だ。この絶刀に距離は関係ねぇ。』


 振るわれた刀身。

 次の瞬間、飛公環の身体が斬り裂かれた。


『ぐぼっ!?。』


 何が起きたのか、飛公環は理解できなかった。

 そして、間髪いれずに心臓を貫かれる。


『あ…あ………あ…。』


 視界は真っ赤に染まり、口からは大量の血液が吹き出す。呼吸も出来ず、全身の力が抜けていく。

 【死】が目前まで迫っている感覚。

 寒いのか、暑いのか、感覚も混乱し全身が痙攣する。


『ぐぼっ………あ…い………り………。』


 薄れ行く意識の中。飛公環の視界には幼い姿の愛鈴が……………年相応の少女の笑顔を向けていた。

次回の投稿は21日の木曜日を予定しています。

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