第265話 万蟲糸・十字剣刃球 グリベスパ・セサージパリュ
高速で振り回される糸の先端につけられた球体。
重く、堅い。遠心力によって加速した破壊力が上乗せされ、次々と岩を抉っていく。
触れるだけでも致命傷になりかねない。現に、苦蜘蛛は回避しきれずに、僅かに触れた左の肩口の骨は砕け破壊された。
しかし、問題は球体の方ではない。
瀬愛の手に持つ武器に繋がっている糸。それが、球体の動きに不規則且つ予測不能な動きを強いているのだ。
上限がない程良く伸び。恐ろしいまでの反動を持って瞬時に縮む。更には、何処にでも接着し、自由に切り離すことも出来き、おまけに触れたモノを容赦無しに切断することも可能だ。
まさに、万能の糸だった。
『このっ!。しつこいっ!。』
包帯を束ね球体を絡め取ろうと試みるも、球体自体からも万能糸が放出され包帯が容易に切断されてしまう。防ぐ手段もなく、回避に専念する以外に苦蜘蛛がこの場を乗り切れる方法はなった。
『何なのよっ!?。これ!?。魔力が...消され…いや、取り込まれてる!?。』
エーテルに対して知識のない苦蜘蛛。
魔力を帯びた糸で抵抗するも、瀬愛の神具が放つエーテルに吸収されてしまう。
元はエーテルの一部でしかない魔力では、どう足掻いたところで勝ち目はなかった。
『ぐぶっ!?。がぶっ!?。』
一方的な攻防。
全力。且つ、必死に防ぎ。逃げ、攻勢に転じようとするも、縦横無尽に飛び回る球体を捉えることも出来ずに直撃を食らう。
腹に一撃を受け、もう1つが後頭部へと命中した。
瀬愛の神具。
【万蟲糸・十字剣刃球 グリベスパ・セサージパリュ】の恐ろしさは2つの振り回される球体の破壊力ではない。
真の狙いは、飛び回る球体が糸を出しながら形成する巨大な蜘蛛の巣。
後頭部を強打され意識を失った苦蜘蛛の身体は蜘蛛の巣に絡め取られ倒れることも出来ずにぶら下がっている。
『うぅ…。く…そっ…。何で…こんな…ことに…。まだ、死にたく…ない…生きて………生き残りたい…のに………。』
苦蜘蛛は意識を思いの外早く取り戻した。
それは、彼女が生きることに全力であり、ここで長時間の気絶は命を失うことと同義であることを理解しているからだ。
時間にして五秒ほど。眩む視界で苦蜘蛛が周囲の状況を確認する。
『ははは…。勝てないや…こんなの…。』
岩で形成された迷宮内は破壊され尽くされ、細い一本道だった場所は広い空間に変わっていた。振り回された球体が周辺の岩場を抉り、削り、砕き、破壊した。
そして、所狭しと張り巡らされた蜘蛛の糸。
蜘蛛の巣…と形容して良いのか、いや、これはもう城と言っても良いかもしれない。
あの小柄な少女の為の女王蜘蛛の城。それが、この空間だ。
『貴女…何者?。』
苦蜘蛛が目の前まで接近していた瀬愛へと話し掛ける。
『瀬愛は瀬愛。貴女に大切な人を奪われた…お母さんの娘。』
瀬愛の持つ神具。十字架に似た形の武器。四つに分かれた先は鋭利な刃になっている。
破壊の限りを尽くした球体は、尖端の内の1つに刺さっている。
見た目は柄がカップ状になっていない、けん玉そのものだった。
『はは…そんな玩具みたいな武器でやられたんだ…。生き残るために必死に強くなったんだけどな…全部、無駄だったみたいだ。』
『………貴女がお母さんを食べなければ、瀬愛は貴女に何もしなかった。お母さんを殺した貴女を瀬愛は許さない。』
『そうか…やっぱり、それが間違いだったよね。はぁ…少し欲を出しすぎたみたいだわ…。』
神具の尖端の刃が伸び、エーテルが刀剣のような形状へと変化する。
『私はただ、生き残りたかっただけなのに…。必死に生きて、自分以外の敵を殺すことの何がいけなかったのかな?。』
『………瀬愛のお母さんを殺したから。』
『ふふ。だよね?。けど知ってる?。その貴女のお母さんだって今まで多くの命を奪って来たんだよ?。』
『え?。う、嘘だ!。』
『嘘じゃないよ。生き残るためにね。国を、自分達が安心して暮らせる安全な場所を得るには他の種族を殺して排除するしかない。それがこの地下世界での…弱肉強食の掟。ほら?。私の行動と何も変わらない、何も悪くないよね?。ルールに乗っ取って殺しただけ。』
動揺し歩んでいた足を止める瀬愛。
『…う、五月蝿い!。貴女はお母さんを殺した!。だから、瀬愛は貴女を殺すんだ!。お母さんの受けた苦しみを、貴女にも味わって貰うんだ!。』
『そうだね。貴女にとって私は敵討ちの相手だ。それも理解できる。貴女の方が強かった。それだけだから。ふふ。けど…貴女に出来るの?。その震えている手で?。貴女…もしかして、他の生物を殺したことないんじゃない?。』
『っ!?。』
瀬愛の反応にニヤリと僅かに笑う苦蜘蛛。
『図星ね。けど。それは甘いんだよ。この世界で生き残るにはどんなことをしても命を奪っていくしかない。私がそうであったように。貴女のお母さんがそうであったように。他人を傷つけることから逃げていたら生き残れない。それがこの世界の常識なのよ。』
『…せ…あは…。本当は…殺したくなんか…ない。けど…。それだと、お母さんが…。貴女を殺さないと…。瀬愛は…。お母さんが無駄死に…なっちゃう。』
『ええ。浮かばれないよね。だからさ。猶予をくれないかな?。』
『猶予?。』
『私は貴女に罪滅ぼしをしたい。理由はどうであれ貴女のお母さんを殺しちゃったのは事実。けど、 仕方がなかった とはいえ、後悔はしているの。これからこの命は貴女の為に使う。何だったら地上に連れていってあげるし、他の種族からも守ってあげる。それで、様子見してくれないかな?。』
『……………。』
『気に食わなければ殺してくれて構わない。どう?。無理に殺さなくたって良いじゃない?。』
苦蜘蛛の口にある牙が光る。
『だめ。』
『え?。』
『貴女は絶対に許さないって決めたの。瀬愛の手で、お母さんの…。瀬愛が敵を討つんだ!。』
『ちっ!。ダメか…。』
瀬愛が距離を詰める。
狙いは苦蜘蛛の首。
シロアと同じように頭だけにする。至極単純な理由で瀬愛は自分の身体を動かした。
ゲーム時代以降、仮想世界でも他者を殺めたことのない瀬愛が、自分自身の嫌悪と憎しみで思考を騙し、無理矢理にでも動かすには、やられたことをやり返すことでしか出来なかったから。
それが殺伐とした世界でも殺したくなんかしたくないと考えていた瀬愛の優しさを塗り潰すことが出来る唯一の方法だったから。
『ダメだよ。瀬愛。』
『うん。瀬愛ちゃんはそのままで良いんだよ?。その為に私達が居るんだから。』
別の2人の声。
『っ!?。けど…だって、それだと、お母さんが…瀬愛を守ってくれたのに…瀬愛は何も出来ない…の。』
瀬愛と苦蜘蛛の間に割って入ったのは、純黒の長い髪と真紅の瞳を持つ黒いドレスを着た少女。名を黒璃と。
瀬愛の身体を優しく抱き止め落ち着かせるのは、紫色の髪を持つ少女。動きやすさを重視したようなカジュアルな服装をしている。名を楓。
クロノ・フィリアのメンバーであり、この地下世界へ瀬愛を探してやって来ていた。
ムリュシーレアと同化し彼女の記憶を獲得した瀬愛は2人の接近にも気付いていた為、驚きはしなかった。
『黒璃ちゃん…。楓お姉ちゃん…。お母さん…が、瀬愛を守ってくれて…死んじゃった…の。』
楓に抱きしめられている瀬愛の手から神具が落ちる。
止めどなく流れる涙を両手で拭う瀬愛。嗚咽にも似た泣き声を繰り返し必死に思いを訴えた。
勿論、この場に来たばかりの2人は、瀬愛の言う お母さん というシロアの存在は知らない。
しかし、苦しそうに、悔しそうに自らの感情を圧し殺しながら泣いている少女。家族であり妹のである瀬愛の悲痛な叫びに、2人の怒りの沸点は容易に臨界点を越えた。
『大丈夫。私達が来た。瀬愛の悲しみも辛さも怒りも一緒に受け止めてあげるから。』
『けど…瀬愛がお母さんの敵を取らないと…お母さんが…。』
『うん。瀬愛は頑張ったよ。けどね。瀬愛は殺しちゃダメだよ。』
『ど、どうして…。せ、瀬愛だってしたくないよ…。だけど…。あの人…許せないんだよ…。だから、瀬愛が…。』
身を乗り出して再び神具を拾う瀬愛の前に黒璃が向き合う。
視線を合わせて瀬愛を落ち着かせるように。
『閃さんや、無凱さんが言ってたんだ。』
『お兄ちゃん?。おじさん?。何を?。』
『瀬愛ちゃんはクロノ・フィリアで、ただ一人だけ人を殺めなかった。仮想世界がエンパシス・ウィザメントに侵略された2年間も、能力者に支配された2年間も、神との戦いの時も。』
『う、うん。けど、それは瀬愛が弱かったから…戦いから、逃げてたから…。』
『違うよ。瀬愛。』
『楓お姉ちゃん?。』
瀬愛を抱き寄せ頭を撫でる楓。
『私達は生き残る為に人を殺めた。神に凶暴化された人々や各ギルドとの戦い。仲間達以外が敵になった世界で自分達の居場所を守るためにね。』
クロノ・フィリアのメンバーは、情報収集を兼ねた喫茶店の隠れ家を手にするまでに様々な戦いを乗り越えてきた。
無法となった各地域で好き勝手に暴れ出す能力者達との戦い。
自己の防衛。家族や友の守護や護衛。仲間との合流。無能力者の救出など。
何度も何度も戦い、時には他者の命を奪った。
最強ギルドであるクロノ・フィリアのメンバーですら仮想世界で現実のモノとなった強力な能力の制御は難しかった。強すぎる力故にコントロールすることに慣れと時間を有した。
しかし、慣れる時間さえも与えてくれない敵の襲撃。暴走に近い形での殺人に至るまでに時間は掛からなかった。
初めての殺人。
それは瀬愛以外の全員が体験した。
人並みでしかない心に傷を残し、永遠に忘れることのない深い穴が空く。
ゲームではない現実だと理解させられ、心の弱かった者は寝込み。引きこもる。何度も泣き、悪夢にうなされ、自ら命を絶とうとする者もいた。
そんな非日常の中でメンバーは祈った。誓った。
瀬愛は…瀬愛にだけはこんな思いはさせたくないと。
ギルドで最年少だったことも含め、優しく、辛い記憶を持つ瀬愛だけは綺麗なままでいて欲しいと。
それは、殺人に手を染めてしまったクロノ・フィリアメンバー達の唯一残された 人 としての希望。侵食される前の人間だった頃の平和な日常へ戻れなくなった閃達が瀬愛に託した 願いと思い だった。
瀬愛だけは…。瀬愛だけは…。あの頃のままでいて欲しいという。
『………そう、なんだ…。瀬愛…。皆の…。』
『うん。黄華扇桜の私達も否応なしだったからさ…。瀬愛だけでもってね。』
『瀬愛ちゃん。』
『黒璃ちゃん?。』
『私はずっと前に沢山の人の命を奪った。お兄ちゃんを殺されて頭に血が上ってその場にいた敵を全員。気が付いたら死体の中で立ってたの。お兄ちゃんを殺した奴を殺して復讐した筈なのに、私に待っていたのは孤独だった。だから、復讐なんか考えちゃダメだよ。あんな思いは経験しちゃダメ。』
黒璃が前に出る。
『ここは、私に任せて欲しいの。』
『………ぅん。』
小さな声で頷く瀬愛。
それを確認すると黒璃は、かつての仲間に向き合った。
『久し振りだね。苦蜘蛛。こうしてまた会うとは思ってなかった。』
『だ、誰です?。どうして、私の名前を…。』
『ああ。記憶を失ってるんだっけ?。あの時は、矢志路君にほぼ一方的に殺されてたし…。まぁ、昔の知り合いってところだよ。』
『そうなのですか?。では、助けて下さい。私は生き残るために仕方がなく彼女の母親を殺めました。この地下世界で生きるにはそうするしかありませんでした。反省しています。もう、二度と彼女の前には現れません。どうか、命だけは助けて欲しいのです。』
『そうだね。ここがどんな場所かは知ってるよ。弱肉強食。強くないと生き残れない。弱ければ利用されるか、補食されるか。だよね?。』
『そう、そうなの!。』
『けどさ?。貴女は生き残るために彼女の大切な人を殺したことを仕方がなかったとか、色々な理由を並べていたけど…貴女、隙を見せた彼女を殺そうとしたでしょう?。』
『っ!?。』
黒璃の真紅の瞳が苦蜘蛛を見つめる。
その瞳はエーテルを帯び、苦蜘蛛の心の内を見透かしている。
『変わらないよね。昔からそういうところ。誰かに寄生して良いところだけ奪っていく。それが貴女の本質だった。未熟だった私でもそれは知っていたよ。』
『………へ、へぇ。化物だね?。その眼…。他人の嘘でも見抜けるの?。』
『うん。昔の私はこの力に振り回された。人の心が怖かった。お兄ちゃんが死んで…疑心暗鬼になって…聖愛や暗ちゃんの優しさにも気付けないくらいに他人が信用できなかった。』
『何を…言って…。』
『けど、今は違う。大切な家族も仲間も沢山出来た。独りじゃないことも知ってる。守られるだけじゃない。守りたい人達もいる。もう、弱いままの自分じゃいられないから。』
『っ!?。これ!?。杭!?。』
蜘蛛の糸で拘束されている苦蜘蛛を囲むように地面から突き出る十の杭。
禍々しく、緑、黒、黄が混ざり合った色のオーラを纏っている。
『だから、私の大切な家族を泣かせた貴女は絶対に許さない。何よりも…皆が平和の象徴として願った瀬愛ちゃんに復讐を考えさせたお前だけは生かしておかない!!!。』
『や、やめろ!?。私は生き残る!。死にたくない!。誰を利用しても!。傷付けても!。強くなって!。生き抜くんだ!。だから、何でもする!。お願い、助けて下さい!。』
『ははは、そうかぁ。そうだよね?。そうやって被害者みたいな言葉を並べて瀬愛ちゃんの心を動かそうとしたんだ。けど、私にそれは効かないよ?。私は殺しを日常にした【黒曜宝我】のギルドマスターだったんだよ。勝つためなら手を汚すことだって厭わない。そんな私に命乞いなんてね。許すわけないじゃん?。というわけで、死ね。』
『っ!?。ぎゃぁぁぁぁぁあああああ!?!?。溶ける!?。痛い!?。熱い!?。重い!?。臭い!?。苦しい!?。ぐっ…ああああああああああ!?!?。』
十の杭から広範囲に呪毒のエーテルが放出される。
周囲の岩は変色し瞬く間に溶けて広がっていく。中心にいる苦蜘蛛は呪いと毒の効果によって生きたまま溶解していった。
『くっそぉぉぉぉぉおおおおお!?!?。』
苦蜘蛛の身体が完全に消え去るのに30秒も掛からなかった。
呪毒の放出が終わり最後に残ったのは、苦蜘蛛だった異臭を放つ水溜まりだった。
『………。そうだよ。私はもう戻れない。だから、瀬愛ちゃんに託したんだから。』
悲壮感と虚無感が心に残った黒璃が瀬愛に近付いていく。
『瀬愛ちゃん。無事で良かったよ~。』
『うん…黒璃ちゃんも。私…また、守られちゃった。瀬愛…弱かったから…。』
『ううん。瀬愛ちゃんに救われたのは私。瀬愛ちゃんが居てくれるから私達は前を向いて歩めるんだよ!。』
『そうだよ。瀬愛が私達の希望で象徴なんだよ。あの平和だった頃の思い出との繋がり。それが瀬愛ちゃんなんだ。瀬愛ちゃんのお陰で私達だけじゃない。クロノ・フィリア全員がいつも通りに、未来を見据えることが出来るんだから。』
『む、ずかしいんね…。けど…お母さんの敵を取ってくれて…ありがとう…。』
『ふふ。だから、弱いとか思わないでね!。瀬愛ちゃんは強いよ!。私なんかよりもずっとね!。』
『瀬愛が人を殺めないでいてくれる。それはクロノ・フィリアにとって最も大切なことなんだ。その中で、皆を支えてくれる瀬愛ちゃんは凄く強くて立派なんだ。だから皆、瀬愛を大事にしてくれるんだよ。瀬愛は私達全員の大切な妹だからね。』
『…うん。』
『きっと、瀬愛のお母さんも瀬愛にそういう思いを託して守ってくれたんだと思うよ。』
『瀬愛ちゃん。優しいもんね!。』
『お母さん…うん。うわぁぁぁぁぁあああああん。お姉ちゃぁぁぁぁぁん…。』
楓の胸の中で泣く瀬愛。
楓はその小さな身体を抱きしめて、黒璃はその小さな頭を優しく撫でた。
数分後、瀬愛が落ち着きを取り戻した時だった。
これからについて話していた時。
『『『っ!?。』』』
突然、轟音と共に天井の岩肌が崩れ長く伸びる悪魔のような腕が3人に襲い掛かった。
『これは!?。』
『瀬愛!。黒璃!。私から離れないで!。』
警戒し各々に神具を出現させる3人。
謎の腕によって作られた穴から3人の前に降り立つ一人の少女。
獣の耳と尻尾。軍服のような服装。
何よりも目を引くのは彼女が背負っている身の丈よりも大きな棺だった。
『危険な種族が出現したとの報告があり偵察の為にこにまで来てみたのだが…。まさか、異神と遭遇するとは思わなかったな。しかも、複数との接敵とは…。』
冷たい眼差しが3人に突き刺さる。
黒璃が前に出て、瀬愛の前に楓が立つ。3人が臨戦態勢へ移行する。謎の少女が纏うエーテルに警戒しながら。
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