第263話 瀬愛の転生
紫国 パリーム・プルム
国土の三分の一が湿地帯で占められており、特殊な気流によって発生する気候のせいで、その大半が厚い雲で覆われている。そのため、陽の光が届かず湿度の高い沼地が広がっている。
緑国程ではないが、深い樹海に囲まれていることも相まって昼間なのにも拘わらず常に薄暗い。
棲息する種族は、主に怨霊、呪霊、亡霊などの霊系統。他には、毒生物、妖怪、妖精、不死者。その殆どが生者の肉体、や魂を主食としている種族なのだ。
また、地下には巨大な大迷宮が存在し地上よりも多種多様な生物が棲息しているのが特徴。
そして、今現在、地上よりも危険な弱肉強食が日常の地下世界でたった独り。物陰に隠れながら体育座りで震えている少女がいた。
白い糸で織られた簡易的な服を身に纏い、その8つある瞳からは絶えず涙を流している。
『ママ…。お姉ちゃん…。お兄ちゃん…。……………お母さん。』
怖い。恐い。寒い。痛い。苦しい。
ここ…何処なの?。私…何で…何があったの?。
そんな考えが頭の中で渦巻きながら、岩と石で囲まれた迷宮の最下層付近にまで落ちてしまった少女。
少女の名前は瀬愛。
仮想世界でクロノ・フィリアに所属していた少女。
端骨によって能力を切り離されたことで命を落とし、次に意識を取り戻し気付いた時にはこの大迷宮で転生していた。
ーーー数十分前ーーー
ーーー瀬愛ーーー
揺れてる?。
あれ?。瀬愛。どうしたんだっけ?。
変な、恐いおじさんに拐われて、睦美お姉ちゃんと一緒に…そうだ。おじさんに沢山酷いことされたんだ。
最期にお兄ちゃんに会えて。お兄ちゃんに会えたら安心して、そのまま。眠くなって…。
ここ…どこ?。
何でさっきから揺れてるのかな?。
あれ?。何かの中に居るみたい。目を開けても真っ暗。あっ、うっすら明るい?。
瀬愛の周りにある壁、壊せそう。
指でつついたら簡単に穴が開いた。穴を中心にひび割れていって、外の様子が見れた。
『っ!?。あっ…。』
『え?。』
揺れが止まった。
目の前には真っ白な髪の綺麗なお姉さんのお顔。
瀬愛と同じ8つの瞳と目が合ったの。
『あぁ…生まれた…良かった…。』
瀬愛の顔を見たお姉さんは涙を流しながら嬉しそうに微笑んだ。
凄く綺麗なお姉さんなのに身体が汚れている。真っ白なドレスも土や埃で茶色くなってる。
『お姉さん?。誰?。』
『っ!?。言葉を?。それに…人型で?。………ふぅ。ふふ。』
瀬愛の声を聞いたお姉さんは一瞬驚いた表情をしたけど、すぐに優しい顔に戻って瀬愛に笑ってくれた。
凄く安心する笑顔。瀬愛のこと嫌ってないのが分かる。
『少し待っててね。今、下ろしてあげるから。』
お姉さん言葉を不思議に思って辺りをきょろきょろと見回した。
どっかの洞窟?。地面も壁も天井も、全部岩と石で出来てる。少し肌寒いし、薄暗い。
瀬愛の身体はオレンジ色の丸い球の中に入ってる?。これ、瀬愛知ってる。卵だ。瀬愛が使い魔を出す時に召喚する。蜘蛛の卵。
さっき、お姉さん瀬愛のこと生まれたって言ってた。瀬愛が卵から生まれたの?。
『ここなら…ぐっ…少しは見付からずに時間が稼げるかな?。』
お姉さんの身体に糸で括り付けられていた瀬愛が入っている卵が地面に置かれる。
『ほら…出ておいで。』
お姉さんは卵の中から見上げていた瀬愛を抱き寄せてくれる。…温かい。瀬愛のこと胸に抱きしめてくれて頭や背中を優しい手つきで撫でてくれるの。
『お姉さんは瀬愛のこと知ってるの?。』
『瀬愛ちゃんかぁ…瀬愛ちゃんは、もしかして前世の記憶を持っているのかな?。』
瀬愛の身体を膝の上に移動させたお姉さん。
目の前にお姉さんの顔がある。
真剣な表情で瀬愛を見てるお姉さん。瀬愛も真剣に見つめ返した。
『う、うん?。前世の?。良く分からないけど。瀬愛は瀬愛だよ?。あのね。クロノ・フィリアってギルドに入ってて、お兄ちゃんやお姉ちゃん達がいっぱいいたの。』
『………そうなんだ。…もしかして。異神…って聞いてた存在…けど、こんなに可愛らしい…。それに私の卵から…。………うん。関係無いかな。あら?。』
ボソボソと独り言を呟いていたお姉さん。
心配になってお姉さんの頬に手を置いた。
『お姉さん。大丈夫?。』
『ふふ。瀬愛ちゃん。心配してくれるの?。』
『う、うん。何か、困ってるかな?。って。』
『そうかぁ。うん。私のこと教えてあげるね。私の名前はシロア。女王蜘蛛だよ。』
『女王蜘蛛!。瀬愛と一緒だ!。』
『ええ、そうよ。それでね。少し難しい話なんだけど。貴女は、多分この世界じゃない所から転生したの。』
『転生?。何それ?。』
『リスティールって聞いたことあるかな?。』
『リスティール?。あっ!。うん!。あるよ!。リスティナお姉ちゃんが言ってた!。リスティナお姉ちゃんが創った星だって!。』
『リスティナ様を知ってるんだね。そう…やっぱり、そうなんだ。』
『お姉さん?。』
『ふふ。お姉さんかぁ。瀬愛ちゃん。あのね。ここは瀬愛ちゃんが知ってる通り、リスティナ様が創ったリスティールという星なの。瀬愛ちゃんはこの場所で私の卵から孵化したんだよ。前世の…。以前の記憶を持っているのは転生した証なの。』
『お姉さんの卵?。』
『そう。瀬愛ちゃんも知っていると思うけど、女王蜘蛛は全ての蜘蛛系の生物の中で頂点に位置する種族なの。一代に一体しか出現しない蜘蛛の王。』
『お姉さんがそうなの?。』
『そうよ。それでね。私は瀬愛ちゃんを生んだ。次の女王となる子供として。けどね。瀬愛ちゃんはこの世界では異神と呼ばれて恐れられている存在として生まれてしまったの。』
『異神?。』
『………。』
お姉さんは口を紡いで、言葉を発することを躊躇ってるみたい。
『瀬愛ちゃんみたいに転生した人達のこと。きっと、瀬愛ちゃんのお友達だと思うわ。お姉ちゃんやお兄ちゃんって言ってたものね。』
『お兄ちゃん達も、ここのいるの?。』
『そう思うわ。異神の噂は複数聞いているわ。きっと、瀬愛ちゃんのお兄ちゃんもいると思う。』
『お兄ちゃん…。会いたいなぁ…。瀬愛ね。お兄ちゃんとお別れしちゃったの。悲しかったけど…また、会いたい。』
『ええ。必ず…会えると思うわ。』
『うん!。』
『ふふ。そう…そうね。納得したわ。』
お姉さんは瀬愛をもう一度抱きしめてくれる。
『お姉さん。温かい。』
『…瀬愛ちゃん。さっきも言ったけど、瀬愛ちゃんは私の卵から生まれたんだよ。』
『うん?。』
『だからね。私は貴女のお姉さんじゃないの。』
『………。お姉さんの卵…。お姉さん…は、お母さん?。』
『ええ。そうよ。私は貴女のお母さん。』
『お母、さん…。』
お母さん…。
その言葉が頭の中で反響する。
同時に記憶の中のお母さんの言葉が深い意識の底から少しずつ浮上してくる。
「気持ち悪い!。こんな化け物産まなければ良かった!。」
「気色悪いっ!気色悪いっ!気色悪いっ!。化け物がっ!。話し掛けるなっ!」
「ふん。その醜い化け物が私の子供?。屈辱にも程があるわっ!。元々、望んで産んだ訳でもないしね?。正直邪魔だったのよ。出来たから産んで育ててただけっ!。愛情なんて最初から無いわ!。」
……………………………。
『こんな場所で産んでしまってごめんなさい。きっと、これから先、貴女にとっては大変な日々だと思う。』
過去を思い出して泣きそうになる瀬愛をお姉さんは強く抱きしめてくれた。瀬愛のこと知らない筈なのに…。
『でも、必ず…貴女は幸せになれる。私がそうやって願って産まれてきてくれたんだもの。それが例え異神としての転生だったとしても関係無い。貴女は私の子供。大事な、大切で、可愛い。愛しい娘。』
泣きそうな瀬愛の頬っぺたにちゅーをしてくれる。
『本当に…産まれてきてくれて、ありがとう。私の…。瀬愛ちゃん。』
産まれてきてくれて、ありがとう。
その言葉が、瀬愛の胸の中を急激に熱くさせた。
『っ!?。お…かあ…さん?。』
『ええ。私の大切な瀬愛ちゃん。貴女は私の子供。愛しているわ。』
その言葉に、我慢していた涙が溢れ出た。
過去を塗り潰してくれるように、嫌な記憶を覆い尽くしてくれるように。
瀬愛の心を、お母さんの愛情が満たしてくれた。
あの時、本当に欲しかった言葉が。
『お母さん!。お母さん!。わあああああぁぁぁぁぁん………。』
瀬愛は沢山、泣きました。
そんな瀬愛をお母さんはずっと見守って抱きしめてくれていました。
ーーー
『落ち着いた?。』
『うん…。』
『あらあら。瀬愛ちゃんは甘えん坊だね。』
沢山泣いて、お母さんの胸に顔を埋める。
いい匂い。温かくて、安心する。
『くしゅんっ!。』
『あら。ごめんなさい。感極まってしまって失念していたわ。その格好じゃあ寒いよね?。今、作ってあげるね。』
お母さんが糸を出して、器用に織っていく。
あっという間に、真っ白で綺麗なお洋服が出来上がる。
『本当はもっと凝りたいのだけど、時間がないからこれくらいが限界かな。』
『可愛い。ありがとう!。お母さん!。』
『あら。そんなに喜んでくれるの?。嬉しいわ。うっ!?。っ…。』
突然、お母さんがお腹を押さえて踞る。
『ど、どうしたの!?。お母さん!?。お腹痛い?。』
『ん…だ、大丈夫よ。緊張の糸が解けちゃったかな。』
お母さんが全身から汗を流して辛そうに目を細める。
見るとお母さんのお腹から血が流れていた。
『お母さん!?。怪我してる!?。』
『ええ。けど、大丈夫よ。少しすれば傷も塞がるから。っ!?。はぁ…どうやら、ここまで、みたいね。瀬愛ちゃんが目覚めてくれて良かったわ。』
『お母さん?。』
お母さんが立ち上がった。
『やっと見つけましたよ。女王様。』
『え?。』
瀬愛を背中に隠すように前に出るお母さん。
知らない女の人の声…。
ううん。どっかで見たことある人だ。
全身に包帯を巻いている人。足の爪先から、頭の天辺まで。
確か…ゲームの中で…黒璃お姉ちゃんと同じギルドにいた…。
『あれ?。ああ。卵が孵化したのですね。ですが、人型?。可笑しいですね。女王蜘蛛の種族は人型になる前には必ず蜘蛛の姿で産まれてくる筈ですのに?。』
思い出した。
あの人。黒のギルドにいた人だ。
名前は確か………ダメ。分からない。けど、知ってるよ。
『もしかして…噂の異神…という、存在でしょうか?。こんなお子様もいるのですね。しかし、大した魔力を感じませんが...いえ、むしろ全く感じない?。』
ゆっくりと近付いてくる包帯の人。
少しずつ包帯がほどけていって、素顔が…っ!?。あっ…瀬愛と同じ…目が8つ…。あの人も女王蜘蛛なの?。
『ふふ。まぁ。関係ありませんか。結局、全員私が食い殺すだけです。ふふ。もう、貴女しか残っていませんよ?。あまり美味しくはありませんでしたが、この辺りにいた全ての蜘蛛は平らげました。最後に貴女を食べて、ふふ。私が女王になって差し上げますよ。』
『苦蜘蛛さん…でしたか?。それは絶対に有り得ません。私の後を継いでくれるのは、私の子であるこの子です。断じて、自分以外の一族を皆殺しにした貴女ではありません!。』
『ふふ。貴女の意見など関係ありませんよ?。言いましたよね?。貴女を食すと。多少予定は狂いましたが、そこにいる貴女の子も食べてしまえば蜘蛛の種族は私一人になる。女王となった私が種族の頂点となり、私と私の子供達の楽園をつくるのです。』
『させません。絶対に!。』
お母さんが新しい卵を周囲にばら蒔いた。小さな蜘蛛達が一斉に召喚される。
『行きなさい!。我が子達よ!。少しで良いです!。時間を稼いで!。』
次々に飛び掛かる蜘蛛達。
けど、苦蜘蛛に届く前に見えない糸に絡め取られた。
『無駄だって言っているではありませんか。その程度の眷属では私を強化するだけですよ?。』
糸にかかった蜘蛛を掴み頭から食べ始める。
すると、苦蜘蛛の魔力が僅かに強くなった。
もしかして、食べると強くなる能力?。
『くっ!。瀬愛ちゃん。こっちに!。』
お母さんに手を引かれてその場を離れた。
『はぁ…はぁ…。はぁ…はぁ…。ぐっ…。』
『お母さん…汗が凄いよ…。お腹の傷も…。』
『だ、大丈夫…よ。それより聞いて…はぁ…瀬愛ちゃん。』
『う、うん…。』
お母さんが私の両肩に手を置いて話し始める。
『あの苦蜘蛛って人は突然、私達のいた蜘蛛の国に現れた。最初は好意的に近付いてきて…気付いた時には、私以外の全員が彼女によって殺されて、食べられてしまったの。…はぁはぁ。彼女の目的は1つだった。彼女は他者を食べれば食べる程に食べた対象の魔力を吸収して強くなる。はぁ…ぐっ。数十、数百と仲間を食べた彼女にはもう敵わない。…はぁ。だから、瀬愛ちゃん。逃げて。私が時間を稼ぐから。』
『え?。お母さんも、一緒に逃げよう?。』
『はぁ…はぁ…。私は…逃げられないわ。この傷だもの。』
お腹を見せてくれたお母さん。
肉が抉られたように穴が開いている。糸で無理矢理止血しているみたい。
『瀬愛ちゃん…。』
『お母さん?。』
お母さんが私の頬を触る。
『蜘蛛の種族は女王を中心としたコロニーをつくる。女王は必ず一体だけ。私の跡継ぎは…瀬愛ちゃんなの…。私がそう決めたんだから…。』
喋りながらも片手で押さえているお腹から血が噴き出している。
『まさか、異神が私の子供として産まれるとは思ってなかったけど…。こんなことに巻き込んでしまって…ごめんなさい。瀬愛ちゃん…。』
『お母さん…もう、喋らないで。血が…どんどん出て…。』
『私の子供が…優しい子で良かったわ。異神だって関係無い。誰が何と言おうと貴女は私の大切な子。身勝手なことを言っているかもしれないけど…瀬愛ちゃん…逃げて。生き残って。』
『お母さん…。』
お母さんは私の唇にキスをしてくれた。
『もっと、貴女と一緒に過ごしたかったわ。可愛い服をいっぱい着せて、楽しいことも沢山、一緒にしたかった。親子らしいことも沢山…。』
『ふふ。こんな場所に隠れて、けど見つけましたよぉ~。』
苦蜘蛛に見付かった!?。
『あ…らら。ゆっくり別れを惜しむことも許してくれないみたいね。ぐっ…。』
立ち上がったお母さんは再び卵を産み落とす。五体の蜘蛛が召喚された。
けど、同時にお母さんのお腹から大量の血が落ち地面に広がった。
『お母さん!。』
『ぐっ…。お願い、瀬愛ちゃんを…守って。命に変えても…。』
お母さんの命令を受けた五体の蜘蛛が私に近付いてくる。
行きましょう。と、そう言っているみたい。
『瀬愛ちゃん。愛しているわ。前世の記憶を持っている貴女には、私は他人でしかないかもしれない。けど、貴女は私にとってかけがえのない娘。希望なの!。だから、必ず、幸せになってね。』
『お母さん!。瀬愛は!。お母さん!。大好き!。お母さん!。死なないで!。お願い!。お母さあああああぁぁぁぁぁん!!!。』
蜘蛛の糸で吊られて岩の隙間から飛び出した。
そこは、底の見えない大きな穴。
瀬愛は蜘蛛達と一緒に奈落へと落ちていった。
ーーー
それが数十分前の出来事。
お母さんと別れて、奈落の底に落ちて、ここが何処かも分からずに途方に暮れて踞る。
『お母さん…。』
泣いている瀬愛に寄り添ってくれる5体の蜘蛛達。小さな身体を目一杯使って励ましてくれてる。
『ありがと。』
蜘蛛達の頭を撫でる。
そうだよね。いつまでも泣いてたら皆に笑われちゃうもん。
涙を拭って自分を奮い立たせた。
『ふふ。み~つけた。』
『ひっ!?。』
座っていた瀬愛を上から覗き込む苦蜘蛛。
驚いた瀬愛は尻餅をつきながら逃げるように這いずって距離を取る。
『ふふ。随分と遠くに逃げましたね。お姫様。探しちゃいましたよ。さぁ。お待ちかねの母と子の再会です。』
苦蜘蛛が何かを投げた。
転がってくるボーリングの球くらいの大きさの黒い影。
『っ!?。』
それは、紛れもない。
もう、動かない。虚ろな眼差しで瀬愛を見ている。
『お、かあ…さん…い、いやあああああぁぁぁぁぁ…。』
頭だけになった。お母さんだった。
次回の投稿は26日の日曜日を予定しています。