第227話 弱肉強食
『こ、これはっ!?。』
ベルスクアの眼前…いや、全身を覆うような、圧迫感を持たらす大量の蝶の群れが突然現れ視界を塞ぐ。全ての自身を集結させたドーム状の結界と人の姿を形作る蟻達の無数の眼を持ってしても兎針の姿を見失ってしまった。
『ええい!。鬱陶しい!。たかが蝶の分際でこの空間の食物連鎖の頂点たる私に勝てると思うなっ!。』
ベルスクアは思う。
この場は完全に自分の支配空間なのだと。如何に異神であろうとエーテルを扱うという同じ土俵に上がれば数で勝る自身が優位であり、有利であると。
現に、これまでの戦い。ベルスクアの方に戦いの主導権があったのだから。操作する毒も、自由を奪う鱗粉も効かない。攻撃手段を失ったか弱き少女を食す。
そう。彼女も語っていた通り、この場はベルスクアにとって楽しい楽しい食事の時間でしかないのだ。
しかし、蟻達の毒で四肢を麻痺させた。
蟻達の身体で作り出した紐で縛り上げ自由を奪った。蝶が擬態していた服も剥ぎ取り、少女には何も残されていない筈…筈なのに。
『まだ抗うのかぁぁぁぁぁあああああ!!!。』
蝶達が互いの身体を擦り合わせ更に鱗粉を撒き散らす。
目眩ましに使用した大量の蝶に自身を構成する全ての蟻で迎撃。個としても群としても蝶に勝ち目はなく抵抗空しく僅かな時間で蟻達の腹に収まった。
『ええ。その通りです。言ったではありませんか。貴女は許さないと。この勝負、私が勝ちます。』
いつの間にかドーム状の結界を抜け出した兎針。見ると、身体に蝶達の鱗粉が付着していた。
『成程。鱗粉とエーテルを使って蟻達の包囲を抜けましたか。ですが。ふふ。どうやら先程の蝶は抵抗ではなく最後の足掻きだったようですね。』
兎針の姿を確認したベルスクアは冷静さを取り戻した。
何故か。その理由は兎針の姿にある。
外見が今までよりも更に幼くなってたのだ。
『先の蝶の大群。麻痺し拘束され使い物にならなくなった四肢を蝶に変えたのでしょう。脱出を狙うために。ですが。そのお姿。あまりにもか弱い。』
兎針の今の姿は小学生の低学年くらいの外見だった。普段の兎針が高校生くらいの外見なだけに身長ですら半分くらいになってしまっていた。身体から感じられるエーテルの量も普段の半分程度まで低下。その明らかな弱体化に冷静になったベルスクアが嘲笑う。
『ふふ。逃れる為の目眩まし。けれど、結果はご自分の命を縮める弱体化。少しばかり私に食べられる時間が延びただけですよ?。』
『いいえ。私の勝ちです。』
兎針の眼には闘志が宿っていた。
勝利への確信。この絶望的な状況で兎針は微笑む。
『はて?。聞き間違いでしょうか?。私に勝つと?。そう仰りましたか?。』
『聞き間違いではありませんよ。もう一度言います。私の勝ちです。』
『っ!?。はは、良いわね。』
『ああ。因みにですが。いえ、先に質問をさせてください。貴女は私の…黒羽針蝶族という種族の生態をどこまでご存知なのですか?。』
『はんっ!。そんなもの知らないわ!。数の少ないレアな種族。味が最高ってことだけよ!。』
『ああ。そうですか。では。覚えておくと良いです。』
『はぁ…別に聞きたくないわ。貴女を食べて黒羽針蝶族は今度こそ絶滅です。それに、ここまで弱者に強気に出られたのは初めての経験ですし、ええ。もう。楽しむなんて止めるわ!。貴女の全てを貪り尽くしてあげる!。』
ベルスクア。グンタイアリが蠢く1つの塊となり兎針へと襲い掛かる。その様は、1つの巨大な生き物。この幻想空間の亜熱帯地方の密林内に潜む全ての蟻が兎針を食すという目的の為に1つになった。兆を越える蟻が作り出す10メートル以上の巨大蟻だ。
『いただきま~す!。』
蟻の鋭い顎から伸びる牙が兎針に迫る。
だが、その瞬間。牙が兎針に届く数センチ手前でベルスクアの動きが止まる。
『は?。何で?。私の…私達の身体が…動か…ない?。』
『何故。私の種族が少ないのか。それは貴女が話していた通り、卵を他の種族に狙われるからです。卵は他の種族にとって、とても美味に感じますから。そもそも成虫になれる個体が少ないのです。』
『え、ええい!?。そ、そんなことは…わ、分かって…います。そんな…こと…より…何故…動けない…ので…すか?。』
『それは孵化が始まったからです。知っていますよね?。私の能力は他者の自由を奪い操ること。』
『孵…化?。』
『私の能力に耐性を得たと仰っていましたが、それは間違いです。いえ、正確には違います。毒の性質が変わっただけです。』
『何を…言って…っ!?。これはっ!?。さっきの鱗粉!?。いえ、先程より大きくなって…。』
極小の鱗粉。
蟻達の身体に付着した鱗粉が小さく動いていた。小さな芋虫が1つ1つの鱗粉から顔を覗かせていた。
『これっ!?。まさか、卵?。』
『ええ。そうです。貴女が言っていたではありませんか?。羽にびっしりと付着していた卵が濃厚な味わいで。小さすぎるのが残念でしたが、その分、数が多かったので満足したと。そうです。私の種族の卵は他の種族に狙われやすい。よって、卵の孵化が近付くまで自らの羽で育てるのです。鱗粉に擬態させて。ああ。因みに擬態している卵は鱗粉と同じ性質を持っています。属性の影響を受けず羽ばたいても落ちることはありません。』
『つまり…この身体に付着した鱗粉…卵は…しかし、それと私が動けないの理由は違う…。』
『黒羽針蝶族の成虫や成体は甘い果物の果実や花の蜜を主食とします。ですが、孵化した幼虫は違います。』
孵化した幼虫が自身が孵った卵が付着している蟻を生きたまま食べ始めた。
全身が毛で覆われ、鉤爪のような無数の足。そして、多くの鋭い牙が中まで並ぶ円形の口。
全身から分泌する特殊な液体が蟻達の動きを阻害し自由を奪ってる。
『ぎゃぁぁぁぁぁあああああ!?!?!?。食べられている!?。私が!?。こんなか弱い幼虫にっ!?。』
『か弱い…ですか?。それも間違いです。』
奇声に近い高い鳴き声を上げながら幼虫達は蟻達を容赦なく食い続ける。
『ああ!?。や、やめろ!?。私の身体が!?。食われる!?!?。』
『確かに私達の種族は穏やかで争いの好まない性格をしています。ですが、それは成虫になってから。』
蠢いていたグンタイアリと同じ…いや、それ以上の数の幼虫が暴食の限りを尽くす。意思伝達は出来ても行使する身体が動かなければ、ただの蹂躙、征服だ。
今まで己がしてきたことが、自らの身に起きている。
『私達の幼虫は獰猛にして狂暴。自らの空腹を満たすために動く者全てに襲い掛かります。』
『そんなの知らない!。知らない!。知らない!。』
『幼虫の発する毒は生物の自由を奪います。それは安全に自分達の餌であり巣を確保する為。簡単なことです。親である成虫が毒で獲物を操作して外敵のいない場所まで誘導する。そして、卵を産み付ける。今度は、幼虫の毒で動きを封じ幼虫達の苗床となる。それが私達の種族の特性です。』
『いだい!?。いだい!?。いだい!?。ヴァァァァァアアアアア!!!。』
『今、この場において。食物連鎖の頂点は貴女ではありません。…あらあら。聞いていませんね。散々、私には悲鳴を所望していたのに自分は悲鳴ですらない断末魔ですか?。ああ。意識と感覚が共有されているのでしたか?。』
蟻といっても仮想世界にいた昆虫という生物ではない。この世界ではあくまでもモンスターだ。当然、全ての感覚がある。もちろん痛覚も。
『恐らく。無数にいる蟻達の中に本体である1匹がいるとは思っていましたが…やれやれ。痛みで隠れることすら忘れましたか?。』
今までは上手く隠れていた本体。
1センチ程度の大きさの蟻の中に5cmくらいの羽の生えた蟻がいた。その蟻の体内でさっき持っていたビー玉サイズの宝玉が光を放っている。
痛みに我慢できず暴れまわっている。
『まぁ、仕方がありませんか。数え切れない数の蟻の咀嚼される痛みが一気に押し寄せるのですものね?。辛いことでしょう?。』
『ガアアアアアァァァァァ!!!。たえ、られない!。きょ…うゆ…を解除…。』
本体の蟻。ベルスクアが宝玉を吐き出した。
地面に落ち転がる宝玉。
『はぁ…はぁ…はぁ…。』
『ああ。因みにですが。』
『っ!?。なっ!?。離せ!。』
感覚共有機能を備えた宝玉を手離したベルスクアを兎針が指先でつまみ上げる。
『変な気は起こさないで下さい。ふと、した拍子に潰してしまうかもしれませんので。』
『ぐっ…。お前を殺してやる!。』
『あらあら。立場が逆転してしまいましたね。ですが、貴女の状況は絶望的ですよ?。周りを見ますか?。』
『え?。っ!?。』
兎針の腕の動きに合わせて周囲を確認したベルスクアは言葉を失った。先程まで空間を覆い尽くす程いた筈の自分自身だった蟻達は1匹残らず消え、替わりに大量の蛹がありとあらゆる場所に鎮座していたのだ。
『もう。本体である貴女だけです。』
『………。ははは…嘘です…そんなの…。私は…無敵のグンタイアリです…。たかが蝶に全滅させられるなんて…有り得ない。』
『勝負ありです。』
『くっそ…。』
『ああ。因みにですが。』
ベルスクアの全身の力が抜ける。完全に敗北を受け入れたのだ。
『え?。ぎゃブッ!?。』
パンッ。と大きな音を立てて。兎針の両手に押し潰されるベルスクア。幼くなった身体の兎針の力でもエーテルで強化された一撃の前に為す統べなく絶命するベルスクアだった。
『私。本当は嫉妬深くて負けず嫌いで…執念深いのです。仲間以外には。』
ベルスクアを倒した兎針が周囲にエーテルを散布する。そのエーテルの粒子を受けた蛹達が次々と羽化を始めた。
『さぁ。私の可愛い子供達。目覚めなさい。』
ベルスクアを食べたことで彼女の栄養。そして持っていたエーテルをも取り込んだ幼虫達は急激に成長する。瞬く間に兎針の周囲は毒蜂蝶の成虫に埋め尽くされる。
やがて、蝶達は兎針に引き寄せられ、幼くなった兎針の姿は取り込んだ蝶達によって元の姿へと戻っていく。
最後に、下着姿の兎針を覆うように集まり繋がり。擬態によって純黒のドレスが形成された。
『はぁ…。疲れました…。皆さんは無事でしょうか?。』
体力とエーテルを消耗した兎針だったが、仲間が今尚戦っていることを思いフラフラな足取りでその場を後にした。
ーーー
同時刻。
巨大な木の巨人が、これまた大きな拳を燕に向け振り下ろした。
『負けない!。』
拳を真正面から蹴り返す燕。
エーテルで強化された者同士の衝突に周囲の空気が振動する。
足の裏からエーテルを放出し推進力を高めた燕が巨人の腕から胴体までを貫いた。
『これでどうだっ!。』
『はん!。やるじゃねぇか!。けどよ。俺の巨人はそんなんじゃ倒れねぇよ!。』
『っ!?。』
神聖界樹に接触していることで無限に近いエーテルを供給され続ける巨人は直ぐ様枝や幹を伸ばし失った箇所を修復していく。
『単純な物理攻撃だけじゃ。俺の巨人を倒すことなんか出来ねぇよ!。それにな!。巨人にばかり気を取られてても良いのか?。おらっ!。』
獏豊の鉾が燕を斬りつける。
僅かに掠った頬から血が流れる。
『はぁ…はぁ…。くそっ…。このままじゃ…。』
【神力】を使うか悩む燕。
あれは諸刃の剣だ。使用後、身体が真面に動かなくなる。日常生活レベルなら問題ないが戦闘は極めて困難になってしまう急激な疲労感と脱力感に襲われるからだ。
仮に【神力】を発動したとしても獏豊と巨人に勝てるとは限らない。
【神力】とは、神が定めた結果へ自らの性質に合わせた過程で作り出す確定未来だ。
しかし、人族である燕には結果を定めても確定した未来を持ってくることが出来ない。いや、持ってくる未来に辿り着くまでの負荷に身体が耐えられないと言い替えるべきだ。
人族の性質は 強化 。よって燕が【神力】を使用し望む結果を定めたとする。
その瞬間。燕の身体は定めた結果に向かって行動することになる。定めた結果を完遂が可能なだけの強化を…己自身の限界を超えた強化と結果に至るまでの行動の軌跡が視界と身体に現れる。後はその軌跡を辿れば良いだけなのだが…。
限界を超えた強化は、時間が掛かれば掛かる程、燕の肉体は破壊されていくのだ。
自分よりも弱者や雑魚狩りのような状況なら問題ない。僅かな時間で方が付くから。
だが、無限に再生する敵。自分と同等かそれ以上の強者が相手では【神力】の発動自体が足枷になる。
つまり、そこが人族の限界なのだ。
『ははは…どうしよう…これ…。』
戦略が立てられない状況に渇いた笑いが溢れる。
『あらあら。諦めるのですか?。燕ちゃんらしくありませんね。』
『はぁ。仕方ないわね。手を貸して上げる。』
『え?。』
突然、燕の耳に届いた仲間の声。
『行きなさい!。【ピナグリヴ・ピラーチャ】!。』
『消えろ!。デカブツ!。【ガルファルス・ガン・アルセア】!。』
高速で移動する七色七羽の鳥達が巨人を斬り裂き、極大のエーテルの砲撃が巨人を呑み込んだ。
『光歌さん!?。美鳥!?。』
『ぐずぐずしない!。このデカブツは私達に任せて、あんたはあの記憶失くし男を倒してきな!。』
『ええ。ここは私達に任せて下さい!。』
『っ!?。う、うん!。』
言われるがままに燕が足にエーテルを込める。
『燕!。』
『光歌さん?。』
踏み込むために足に力を入れた燕に光歌が叫ぶ。
『自分を信じて受け入れなさい。それが成長よ!。』
『え?。う、うん!。』
光歌の言葉を脳内で再生しながら燕は獏豊へ蹴り掛かった。
次回の投稿は21日の日曜日を予定しています。