第226話 ベルスクア
神聖界樹の中に潜入に成功した私、兎針。
現在、亜熱帯。南国のような高い温度と湿度の森林、密林の中にいた。
エーテルが充満しているところから見て、空間を歪めた支配系統の能力であることが分かった。
そして、そこで私を待っていた相手。
『私達は、個としての思考を共有するグンタイアリの群れです。どうぞ。よろしくお願いします。貴女を美味しく頂きますね。』
緑国が持つ最高戦力の1体。王の側近を任される者。
【樹蟲】ベルスクア。
私の同種を見せしめに皆殺しにした張本人。
1体残らず彼女の食料にされた。
『絶対、許さない。不快です!。』
『それはそうでしょうね。同胞の仇が目の前にいるのですから。ですが、ご自分の現状を把握していないのですか?。貴女は既に私が支配するテリトリーの中ですよ?。』
ザアアアアアァァァァァ………。
周囲で蠢く黒い影。
視界の全てを埋め尽くす黒い軍団に包囲されている。
地面はもちろん、草や根。樹木の幹、枝、葉っぱ。それらの表面にびっしりと気持ち悪い数の蟻が蠢き私を見ていた。
普通の蟻より2倍から3倍大きな…1cmくらいの蟻が数千、数万、数億、数兆…数えられない数の群れが赤い瞳を輝かせている。
『さぁ。食事の時間です。精々、美味しそうに泣き叫んで下さい。』
一斉に飛び掛かってくる蟻の群れ。
周囲を警戒するために放っていた偵察用の蝶達を襲う。
『ぐっ!?。気持ち悪いですね!。』
蝶達も必死に暴れるが数十匹の蟻の鋭い牙からは逃れられない。しかも、蟻達の持つ神経毒なのか一度噛まれると蝶達が自由に動けなくなっている。
『くそっ…。』
蟻の群れから逃げなければ。
『ふふふ。その必死な表情。ぞくぞくしますね。それに…はぁ、やっぱり貴女方はとても美味しい。』
動けなくなった蝶は瞬く間に蠢く大群の中に消え、一瞬で肉団子にされてしまった。
完全に取り囲まれている。
私の【毒蜂蝶】は、その針から分泌する毒を対象に撃ち込むことで刺された者を私の意のままに操る事が出来る。その毒とは生物の感覚を奪うという私のエーテルから作り出され、【針を刺す】という条件が私と対象を繋ぐ制約になっている。
大抵の生物は1発させば操れるけど。
『ふふふ。無駄です。貴女の蝶の針なんて郡れの前では無力ですよ。数の暴力、その身で味わって下さいな。』
果敢にも蟻の群れに突撃する蝶だったが、1匹に刺した瞬間に刺された蟻ごと他の蟻達の餌になってしまう。圧倒的な数と攻撃手段の差。
くっ…。人族の憧厳の時も。この蟻達も。私が戦う相手は能力が効かな過ぎでは?。
『駄目です。このままでは…。』
本体の私だけでも、群れの中心から脱出しないと。羽を広げて宙に舞う。
『ふふふ。判断が遅いですよ。』
『いつっ!?。』
腕に小さな痛み。
見ると1匹の蟻が私の腕に張り付いていた。
いや、1匹じゃない。私の死角。後ろの枝から無数の蟻が自らの身体で作った橋を伝って移動してきていた。
『くっ。このっ!。』
何とか振り払う。
けど。次から次に蟻の橋が木の枝から垂れ下がってきて真面に動けない。
しかも、噛まれた腕が痺れてる?。そうか。これで蝶達の動きを止めたのか。
『ふふふ。そのまま全身を麻痺させて、じっくり。ゆっくり。食べてあげますね。』
『ぐっ!。』
なるべく広い場所に出ないと。
『逃がしません。貴女の足下にも私はいるのですから。』
迫る蟻達を飛んで躱す。このまま樹木の上へ。幸い奴等は飛べない。なら、空に出てしまえば。
『ふふふ。頑張れ。頑張れ。しかし、この密林の中は全てが私です。何処にでも私はいますよ。ええ。頭上の。貴女の上にある枝の尖端にまでも。』
『っ!。』
数匹の蟻が私の羽に飛び付き張り付いた。
けど。まだです。貴女にだけ有利な状況にはさせない。
羽をバタつかせ周囲一帯に鱗粉を撒き散らす。小さな、1つ1つは目に見えない程に極小の粒子が散布されたことで、密林のありとあらゆるモノに付着した。そう、奴自身である蟻達にも。
『鱗粉ですか。この感覚。平衡感覚や自我を狂わせる毒ですか?。』
『そうです!。これで蟻達を混乱させます!。』
『ふふふ。しかし、無駄ですよ。この毒も蝶の毒針と同じく貴女のエーテルを基に生み出されたのでしょう?。先程、私が自分自身を食べたことで貴女のエーテルに対する耐性を我々は獲得しているのです。よって、私には貴女の毒は効きません。何よりも既に貴女の同種を捕食した私です。貴女の種族の扱う毒は私には無駄なのですよ。』
『っ!。…良く喋る口ですね。』
『ええ。この戦い…いえ、貴女との戯れは私にとって遊びを兼ねた食事でしかありませんので。ふふ。食事は楽しく食べなければね。』
余裕な態度が癇に障ります。
『そして、貴女から逃げ道を奪えば食事の時間がゆっくり取れます。』
『っ!?。あぐぁっ!?。羽に!?。』
気づいた時には遅かった。
鱗粉を飛す為に羽ばたいた時に飛び付いたのか。1匹の蟻に繋がるように複数の蟻が羽に移動してきている。
『ぐっ!?。反対側にも!?。』
既に右の羽にはびっしりと蟻達が纏わりついていた。一斉に噛みつかれた羽が毒で麻痺し動かなくなる。
『このっ!。やめっ!。あぐっ!。いぎっ!。』
そうなれば奴の思うまま。動かなくなった羽を根本から食い破られる。羽を失った私は地面に落ちた。蟻達が蠢く地面に。
『あがっ!。』
閃さんに治して貰った羽がまた…。
『ふふ。さぁ、これで逃げ場はありません。頂きますね。』
地面に接着した箇所から一斉に蟻達が身体をよじ登ってくる。身体があっという間に蟻達によって侵略されていく。
『ああ…美味しい。ふふ。やっぱりこの蝶は絶品だわ~。肉厚でジューシー。はぁ…だめだめ。ゆっくりと味わって食べなくては。なんたって最後の生き残りなんですもの。あら?。』
『はぁ…はぁ…はぁ…。』
食事を止めた蟻達の視線が私に向けられる。
少し離れた場所にいる私に。
『どういうことかしら?。あら?。ふふ。そういうこと。随分と扇情的な格好をなさって…。』
蟻の大群から逃げる為に擬態を解いた。
私の身体で唯一の布で作られた下着と閃さんに頂いた宝物のチョーカーを残して。
『ふ~ん。貴女のドレスって蝶の擬態だったのね。随分と綺麗な模様だと思ったのだけど。蝶の羽の模様だったんだ。』
私の服を作っていた蝶達は全て蟻に食べられてしまった。
どうする?。どうすれば、逆転できる?。
アレをするには、まだ時間が掛かるし…。このグンタイアリの包囲網を抜ける手段がない。
『ふふ。考え事をしているところ申し訳ないけど。貴女。もう終わってるわよ?。』
『っ!?。』
突然、空が暗くなった。
エーテルによって作り出された幻想空間。熱帯の密林を再現しているこの空間は太陽が照りつける真昼の密林だ。木々で覆われているとはいえ太陽の光はその隙間から射し込んでいる。
なのに、その光が…日光が消えた。
やられた。頭上は警戒していたのに。さっきの、私は地面に落ちた時に上空にいた蟻達は落下せずに これ を作ったんだ。
蟻達の身体。足と足を繋ぎ合わせて作られた蟻のドームが形成された。取り囲まれたとかじゃない。蟻達に閉じ込められてしまった。
『さぁ、逃げ惑いなさい。』
天井の蟻達が雨のように落ちてくる。
『くっ!?。』
肉体を強化し落ちてくる蟻達を避ける。払う。打ち落とす。
『数が多過ぎます!?。』
視界全てが蟻。
その全てが攻撃してくるのだ。とてもじゃないけれど捌き切れない。
『ふふ。苦しいでしょ?。ほぉら。動かない腕を庇わなくて良いのかしら?。』
『なっ!?。』
麻痺し感覚を失っていた腕を見る。
蟻達が身体でロープのように繋がり腕に巻き付いていた。
そして、その腕が引っ張られ体制を崩される。
『うあっ!。』
『はい。隙蟻~。なんちゃって~。』
反対の腕と両足に痛みが走る。蟻達に噛まれたんだ。1匹に噛まれただけでも痺れて、次第に動けなくなる即効性の毒だ。数匹に噛まれれば…一瞬で感覚が失くなってしまった。
同じくロープのように身体を繋げた蟻達が両手、両足に巻き付き私の身体を拘束する。
大の字で空中に持ち上げられた。
『ふふ。どう?。動けないでしょう?。けど大丈夫。動けないのは手足だけ。他は無事よ。全身にまわってしまったら私が楽しめませんので。ふふふ。』
『ぐっ!?。』
首にも巻き付いてきた。顔を持ち上げられる。
『っ!?。』
そして、目の前では蟻達が次々と群がり人の形を形成していく。
『安全も確保出来たことだし。改めて、自己紹介しましょうか。初めまして、私が【樹蟲】ベルスクアです。極上の獲物さん。』
美しい外見。絶世の美女。
誰が見てもそう感想を漏らすだろう。
けど、間近で見るとその感想が間違いだと気付く。何せ、その美しい姿は、人の顔、身体に見せているだけの群がる蟻達なのだから。
『黙れ。外道。』
『あらあら。嫌われちゃったわね。食べ物の分際で。』
ベルスクアが私の顔を覗き込む。
『本来、グンタイアリは目が退化してしまい視力がないのよ。その代わりフェロモンを使って行動するのだけど。私の場合はちゃんと視力を持っているわ。人族以上にね。しかも思考もするし、話すことも出来る。そして、我が王から賜った神聖界十二樹宝の宝玉。』
ベルスクアが小さな、ビー玉くらいの赤い宝石を取り出した。
『この宝玉によって私は私の全てと思考が共有できるようになったのよ。数秒のラグも無くね。』
ベルスクアが宝石を体内に戻す。
『はぁ…。最高な気分…。綺麗な顔ね。整った顔立ち。大きくて綺麗な瞳。高い鼻。肉厚な唇。さらさらの髪。』
品定めするように指先でなぞっていく。その度に蟻達が私の身体を駆ける。
『肌も綺麗。すべすべね。女性らしい肉付き。けど、ふふ。お胸は控え目ね。』
『ぐっ!。』
『あらあら。御免なさい。気にしてたのね。けど大丈夫よ。腕も足もすらっと長くて、だけど、もちもちしていて凄く魅力的よ。ふふ。お尻の形も綺麗。』
『気安く触るな。触って良いのは…1人だけです。』
『ふふ。そうなの?。それは御免なさいね。我慢するのが大変なのよ。本当に美味しそうで。』
ベルスクアの顔が人の顔から蟻の顔に変化した。巨大な牙を左右に開いて唾液を垂れ流す。
『全身の穴という穴から入って身体の内側から食べるのも良いわよね?。それとも、感覚のない手足から食べて徐々に身体の内側に入っていこうかしら?。』
『………。』
『目を逸らしちゃ駄目よ。』
首に巻き付いている蟻達が私の頭を引っ張る。
『ねぇ。どうやって食べられたい?。痛いのは嫌よね?。けど、けどね。私。女の子の悲鳴を聴きながら食べるのが大好きなの!。だけどね?。ゆっくり楽しみたいのに…いつも食欲の方が優先されちゃって一瞬で食べちゃうの。ふふ。仕方がないわよね?。だって、私はこんなにいるんだもの!。』
蟻。蟻。蟻。蟻。蟻。蟻。蟻。蟻。蟻。蟻。蟻。蟻。蟻。蟻。蟻。蟻。蟻。蟻。蟻。蟻。
蟻の巣に運ばれてきた食べられるだけの運命にある虫達の気持ちってこんな感じなのね。…絶望的。
『ぐっ。お前は…絶対…許さない!。』
コイツは絶対に倒す。
私の同族も、私の子達も食べたコイツを。
『ふふ。怖い怖い。この有り様で、まだ強がれるのですね。ふふふ。さぁ。そろそろ私の空腹も限界です。中途半端に食べた時の方が食欲って高まってしまいますよね?。ああ、もう我慢できません。食べちゃいましょう。』
『ふふ。ふふふ。』
『あら?。何を笑っているの?。食される恐怖で壊れてしまいましたか?。私は悲鳴の方が好みなのですが?。』
『ええ。そうですね。私も…そう思いますよ。ええ。貴女の悲鳴を聞かせて下さい。』
『っ!?。なっ!?。』
全力でエーテルを放出。
私の身体を中心に無数の蝶達が飛び出した。
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