第190話 兎針
ーーー兎針ーーー
私が目覚めた場所は甘い蜜の香りが漂う森の中。虫達の楽園。虫達の天国。
この世界の虫…と呼ばれるモンスターには知能があり、彼等なりの秩序の元に生活をしているようでした。
私が目覚めたのは、そんな虫達が暮らす虫の国。大きくて柔らか…クッションのような花の上で目を覚ましました。
周囲を確認すると、ここは小さな部屋のような造りになっていました。ですが、壁や床に使われているのは丈夫な木材やコンクリートなどではなく、太く強硬な蔓を何重にも織って造られていました。
『こ、ここ…は…何処です?。それに…私は…誰でしょうか?。いえ…名前は…分かりますね…兎針…。』
そうですね。
私の名前は兎針。
それ以外のことは思い出せませんが…。
私が目を覚ましたことに気付いた虫の1人が慌てた様子で部屋から飛び出して行きました。
何故、匹ではなく人という数え方をしたのかというと、その虫が 人型 をしていたからです。顔や身体の部位は虫のもの。ですが、その身体は二足歩行に適した骨格になっていました。
暫くすると、何人かの虫が私の前に現れました。その姿は…カブトムシでしょうか?。頭に立派な角が生えています。
彼等は言葉を発すること出来ないようで、触角から出る微弱な振動を巧みに操ることで会話をしているようです。
私はその時に初めて自分の身体の変化に気付きました。いえ、記憶のない私には元々の知識と記憶が欠落しているので、この場合は違和感を感じたという表現の方が適していますね。
私は現在、柔らかな花の上にいます。
一糸纏わぬ姿で…。それにより違和感は明確に認知出来ました。
それが、額に小さな2つの触角が生えていること。そして、背中には折り畳まれた羽が…ええ。虫の羽も生えていました。
試しに広げてみる。
ああ。成る程。蝶々の羽ですね。不思議な模様とそれを描く鱗粉。意識すると背中の筋肉を動かすような感覚で動かせます。少し羽ばたかせるだけで私の身体は宙に浮かびました。
ちょっと…楽しい…。新体験です。
私の前にやって来た虫は、開口一番、私にこう尋ねました。
『貴女様は、我々を救い、導いて頂ける 神様 でしょうか?。』
神様?。いえ。身に覚えはありませんね。
私は正直に『違います。』と口にしました。
すると、見るからに落胆の色を見せる虫の人達。
疑問に思った私は、詳しいことを聞くことにしました。
その前に、女性の体格をした虫の侍女から服を着せて貰いました。何でもこの服は、代々この国に納められていた衣装らしく神の誕生の際に献上するモノとして保管されていたようです。
ああ。因みにですが。黒いゴスロリチックなドレスです。背中は羽が広げられるように大きく開いていました。
………こほん。
話を戻しましょう。
虫達の話を翻訳すると…。
どうやら、私はこの虫の国に祀られている虫の神様が誕生する筈だった場所に現れたらしいのです。
あのフカフカな花の上がそうだったのでしょう。
近々、神が復活すると虫の中にいる巫女が【絶対神】から御告げを授かったことで準備をしていたらしいのです。
虫の話に寄れば、神が出現する際に稀に神ではない存在が呼び出されることがあるそうです。まぁ…要約するとハズレを引いてしまったと…つまり、私はハズレくじだった訳です。
ああ。因みにですが。彼等には名前が無いようです。会話は直接触角を通して行える為、個を特定し呼び会うことがないというのが理由だそうです。
交友関係にある隣の小国には神…正確には【異神】と呼ぶそうですが、其方には召喚されたようで、『ついに自分達にも神が降臨された!。』と喜んだのも束の間、神でない私が召喚されたことによる落胆だったようですね。
複雑な心境です。私…悪くありませんよね?。
ですが、召喚された者は神には劣るものの強力な力を有していることは明確であり、種族にとってマイナスになることはないそうです。
要は、欲を言えば神様が来て欲しかったなぁ。という欲望だった訳ですね。納得です。
虫達はこんな私の為に誕生を祝う宴会を執り行うらしく、その場を利用し色々聞くことが出来ました。
ああ。因みにですが。料理は甘い果物と甘い植物の種。飲み物は甘い花の蜜でした。
種族の影響か私の身体は甘いものを欲していました。絶品です。
この星の名前は【リスティール】というそうです。
多種多様な生物が各々に小さな国を創り生活している。巨大な惑星とのこと。
その小国を束ねた巨大な国家が7つ存在し、この虫の国は【緑国】という名の大国に属しているそうです。
緑国は、巨大な樹海と大草原からなる領土を持ち、エルフ(森精霊)が統治する巨大な国家を中心に、木々の精霊、鳥類種、昆虫種、四足獣種などの種族が小国を創り生活しているとのこと。
私は虫の国の神…ではない存在として目覚めた訳ですか…。
しかし、記憶がないのは何故でしょう。
いえ、この場合は、何故名前を覚えていたか…でしょうか?。
記憶以外にも会話や日常の知識は残っている…失っているのはそれ以外の記憶…人生で学んだ経験や家族や友人達との繋がり。
住民達はとても良くしてくれました。
本当は神でない私など崇めることなんてないでしょうに、私の顔を見ると深々と頭を下げるのです。慣れませんね…。申し訳ない気持ちになります。
虫達の農園に連れていって貰った時は感動しました。
目に映る全てが色とりどりのお花畑。花の甘い香りに包まれたそこは虫達の楽園のようでした。
虫達は貧しいながらも自分達で幸せに暮らしていたのです。
さて、自分の身に起きていることを整理しましょうか…。
私に出来ることは、そう多くありません。
私の同じ羽を持つ蝶々を呼び出し使役できる。蝶々は毒を出す針をハラに持ちます。
毒は刺した対象を操ることの出来る神経毒で、蝶々に刺された者は私の意のままにコントロール出来ます。
……………それくらいです。ああ。あと、空を飛べます。
『これから…どうしましょうか…。』
月明かりに照らされた花の上。
虫の人達は本当に私に良くしてくれて…。
けれど、私は彼等に何もお返し出来ていない…。
『あ~の。考え事してる最中にごめんなさい。そろそろ。良いです?。』
『っ!?。』
突然、後ろから声を掛けられ驚きと同時に振り返りました。この部屋には誰も居なかった筈ですが?。
そこには小さな少女が立っていました。
【神獣】…。記憶のない筈の私の脳裏にそんな言葉が自然と浮かびました。
無意識に口に出していたのでしょう。会話が成立したと目の前の少女は思ったようです。
『あ、私のことをご存じなのです?。なら、本題に入っても大丈夫そうです。』
少女はスカートの裾を持ち上げ軽く頭を下げる。
『私は【創造神】リスティナ様の命を受けて貴女様に あるもの を渡す為に来たです。【五行守護神獣】の【木】を司るムリュシーレアと申します。』
『ムリュシーレア?。あるもの?。』
『は~い。貴女の前世の記憶です。』
『っ!?。』
私の前世の記憶?。
『何故、貴女がそんなものを持っているのですか?。』
『リスティナ様にお預かりしましたです。私ともう1体の神獣は貴女と貴女の仲間の力を期待しています。どうか。主様方の力になってあげて下さいです。』
『主様…ですか?。私の知っている方でしょうか?。それに…私の…仲間?。』
『記憶を戻せば思い出せます。此方をどうぞです。』
そう言って手渡された小さな宝石?。いえ、飴玉ですね。これに私の記憶が?。
さて、彼女の言葉…信じるべきか否か…。
………正直、迷います。
ですが。このままここで暮らすのも虫の人達に迷惑を掛けてしまう。今の私では出来ること、やれることが極端に少ない…。
『………はむっ!。』
意を決し渡された飴玉を口の中に入れる。
甘い…。美味しい…。花の蜜とは違う特徴的な甘さ。舌の上でコロコロと転がし数分で食べ終わる。
『食べましたが?。何も…っ!?。』
急激に熱くなる身体。
目眩のような感覚。視界が霞み立っていられなくなった。
そして…記憶にない。私の思い出が次々に頭の中に流れ込んで…いえ、違う。私の奥から浮き上がって来るような…。
『そう…です…。私は…【紫雲影蛇】の…兎針…。』
ギルドの仲間達。
クロノ・フィリアとの戦い。
そうだ…私は負けて…そして、死んだんだ…。
『思い出しましたです?。』
『え…ええ。』
彼女の言葉に弱々しく返事をする。
あまりの情報量に脳が悲鳴を上げているよう。くらくら…します…。
『ふふふ。良かったです。』
暫く俯いていると随分と楽になりました。
すると、自分自身の身体に違和感を感じました。
『これ…魔力…ではありませんね…。』
私の身体から溢れている魔力は…蘇った記憶とは異なっていた。明らかに記憶のモノよりも強く…強大なエネルギーが溢れている…。
『それは【エーテル】です。魔力の大元。星そのものが持つエネルギーです。簡単に説明すると神が扱うエネルギーです。』
神…では、私は虫の人達が言う神様になったということですか?。
『ふふふ。ちょっとだけ、この世界のことを教えてあげます。』
彼女の話。
この世界ではクロノ・フィリアに属した者達は異世界からの侵略者という意味を込めた【異神】と呼ばれている。
この世界にある巨大な国家。【七大国家】は最高神である【絶対神】からの天啓を受け【異神】を排除しようとしている。逆に力を持たない弱い種族は【異神】を守り神とし崇拝している。
この虫の国もそう。彼等は平和を求め虫の神を信仰していたんだ。
しかし、【異神】を匿い力を借りた種族は七大国家に消されてしまうらしい。
七大国家は特殊な方法で【異神】を感知できるようで、私が神の力を得た反応も既に知られているかもしれないという。
『貴女は記憶を取り戻し神となりましたです。これからどうします?。』
私のこれから…。そんなこと決まっている。
『私は…謝りたい人がいます。その人達に謝ること…それが私の最優先に行いたいことです。…ですが…。』
ここから離れてしまえば、もしかしたらここの虫の人達が七大国家に狙われてしまうかもしれない。
『それなら貴女が戻って来るまで 彼女 に護衛をお願いするのはどうです?。』
『彼女?。』
『は~い。どうです?。【樹界の神】。彼女の行く場所には恐らく主様も一緒だと思われます?。』
彼女の呼び掛けに反応するように伸びてきた1本の蔓が頷くように上下に動いた。
『え!?。何ですか?。この蔓は?。』
『ああ。ここの。隣の小国に召喚された【異神】で~す。彼女はあまり動くのが得意ではないので蔓を伸ばしてコミュニケーションをとっているのです。』
『そ、そうなのですね…。では、お願いします…。』
こくり。と頷く蔓。
『それでです。貴女の目的である一人はここから北に向かった場所にある【人族】の隠れ里に居ます。』
『【人族】ですか…ああ。彼女の種族はそうでしたね…。』
『【人族】は全種族の中で最弱です。状況もあまり芳しくありませんので行くのなら急いだ方が良いかと思うです。』
状況…。そうですね。私のように召喚されたのなら七大国家の手が回る可能性がありますね。
『貴女は何故、私にここまでしてくれるのですか?。』
私と彼女は初対面だ。
前世の記憶にも彼女の記憶はない。
『恩を売ってるだけです。』
『恩?。確かに感謝していますが…。』
『1つだけ。私のお願いを聞いて欲しいのです。』
『お願い?。ですか?。』
『はい。貴女が向かう【人族】の隠れ里には【異神】が居ます。私の主様です。』
さっき話に出てた方ですか。
『主様にお会いしたら…これを渡して欲しいのです。』
彼女から手渡されたのは先程の飴玉と同じ大きさの…宝石?。
『それは私の【神獣石】の欠片です。その…あの……………私の想いの詰まった…。どうか…それを…主様に…渡して…下さい…。絶対に…。お願いします…。』
彼女の頬を涙が伝い地面に落ちた。
今までの笑顔が嘘のように儚く見えた。
この宝石はそれ程大事なモノなのでしょうか?。
『分かりました。絶対に渡します。』
『…ありがとう。…ございます。』
『その方のお名前をお伺いしても?。』
『主様の名前は閃様です。』
閃さん。…ん?。閃って…何処かで聞いたことがある気が…。
『あっ!。…あっ…失礼しました。閃さんは…もしかしてクロノ・フィリアの?。』
『はい。そうです。貴女方の敵だった方です。』
やはり…そうですよね。
緊張しますが…恩人の頼みなら果たすまでです!。
『分かりました。貴女の想い。必ず届けます。』
『はい。宜しくお願いしま~す。』
最後に見せてくれた彼女の笑顔は凄く眩しかった。
ーーー
次の日。
虫の国の人達に昨夜の出来事。
主に私の身体に起きたことを説明しました。
神として覚醒したこと。
私にはやらなければならないことが出来たこと。
暫く留守にする事。
その間、隣国の【異神】が虫の国を守ってくれること。
そして、必ず…また戻ること。
虫の人達は快く頷いてくれました。
むしろ、応援までされてしまった…。本当に良い人達ですね。
彼等の為にも頑張らなくては。
そう決意し私は【人族】の住む隠れ里を目指しました。
次回の投稿は31日の木曜日を予定しています。