第10話 女王蜘蛛の巣
ゲーム エンパシスウィザメントの自由度は他のゲームを圧倒していた。
このゲームで自由に変更出来ない決められたルールは、与えられた種族とプレイヤーレベル、武装スロットの3つだけとされている。
スキルや武器、そして、能力の内容までもプレイヤーの自由に決めることが出来た。
先にレベル10上がる毎に1つスキルが獲得できると説明したが、獲得したスキルの内容でスキル数を増やしたり、2つの異なるスキルを複合したりと必ずしも同じレベルの者同士が同数のスキルを所持しているとは限らない。
だが、それも能力の内容にあった難易度のクエストをクリアすることが絶対条件となるのだが…。
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とあるオフィスビルだった建物の1階にある広いロビー。
明かりがないその空間に複数の人間が宙吊り状態になっていた。
数にして20人くらいか、それが一人残らず逆さ吊りになっている。
全員意識もはっきりしているし怪我もない。
だが動けない。
その中の1人が最初に気が付いた。
『糸?』
目を凝らすと微かに見える極細の糸が身体の至るところに巻き付いていた。
そして、冷静になって周囲を見渡すと、ありとあらゆる場所に糸が張り巡らされていた。
『皆、大丈夫か?』
誰かが言った。
『ああ、なんとかな。』
『無事でーす。』
『何なんだ?この糸は?全然切れねぇ。』
糸は、粘着性があり、引っ張ってもただ伸びるだけ。離すと縮む。刃物で切断しようと試みても恐ろしく弾力があり刃を通さなかった。
『いっそ燃やしましょう。』
隊員の1人がスキルで炎を出し、糸に着火する。が、燃えない。
『凍らせるのも駄目でした。凍りません。』
宙吊り状態になって30分ほどが経過した。
普段から過酷な訓練で鍛えられている者達なのでこれくらいの体勢で過ごす事など朝飯前であるが如何せん身動きが取れないのは中々にキツい。
他の隊に救援を呼ぼうにもビルの内部に入ってからテレパシーや念話といった能力、通信や通話といった科学での連絡手段が通じないのでどうしようもないのが現状だった。
コツコツと軽い足音がロビー内に響く。
全員の視線がその方向に自然に向いた。
『…女の子?』
近付いて来た者の正体はとても小柄な少女だった。小学生の低学年くらいだろうか。少女の赤い瞳が宙吊りになっている隊員たちを見渡している。
細長く赤い布が額から薄い栗色の長い髪にくるくると巻かれ、両手には手の甲にクリスタルが埋め込まれたグローブ。と特徴的な外見をしている少女だった。
『やあ、お嬢ちゃん。悪いんだけどさぁ。人を呼んできてくれない?俺たち見ての通り動けないんだ。できれば大人の人がいいなぁ。』
『…』
『あれ?聞こえてる?お嬢ちゃん?』
こくり、と小さく頷く少女。
『あなた達が侵入者?っていう人ですか?』
『そう言う君は誰何だい?人に何かを聞くときは自分から言うのが礼儀なんだよ?』
『そうなの?』
『そうだよ、教えて欲しいな。』
『えーと。クロノ・フィリア、No.15 瀬愛です。』
『クロノ…フィリア。こんな娘が…』
『確かに、こんな所にいる子供なんて十中八九クロノ・フィリアだろうさ。』
『それで、あなた達は誰ですか?』
『それより、お嬢ちゃん先にさ、この糸を出した人に解いてくれって言ってきてくれないかい?』
『その糸は瀬愛が出したの。』
『え?』
こんな強力な糸をこんな少女が?という考えと全員がレベル120のクロノ・フィリアなら当然か。という考えが隊員達の間で混じり合う。
『瀬愛の種族…女王蜘蛛だから…』
そう言うと瀬愛と名乗った少女は頭に巻いていた細く長い布をほどく。そして両手のグローブを外し、胸元の服のボタンを外す。
1、2、3…………8。目があった。通常の人間の目を含めて8つ。額に3つ。両手の甲に1つずつ。そして、胸の中央に1つ。全ての目が隊員達を見ていた。
『ひっ…バケモノ…』
『…』
誰かが言った。その言葉を。
ば け も の
それが瀬愛にとってのNGワードだと知らずに。
『…瀬愛のママとパパもね。そう言ったんだ。こんな姿になっちゃった瀬愛を見て言ったの。バケモノって。そしてね。気付いたら居なくなってたの。』
隊員達が僅かな異変に気付く。
自分達が拘束されている糸を伝う振動に。
『何だ…あれは?』
逆さまになっている隊員達が足元を見る。
そこにいたのは…
『それ、瀬愛の子供たち。あなた達なんて…その子たちの餌になっちゃえばいい!』
糸を伝う数え切れない大量の小さな蜘蛛だった。
『ひぃ。助けて、命だけは!』
『助けて、助けて、助けて!』
『やだっ!死にたくない!』
『近寄るなバケモノども!』
『おい!くそガキがぁ!殺すぞ!』
各々の悲鳴や叫び声が木霊した。命乞いする者、ただ叫ぶ者、暴れる者、開き直って脅す者。20人程いる各々が違う反応をする。
『私は!バケモノじゃない!』
『その通りだよ。』
突然、この場に居なかった別の男の声が全ての音をかき消した。
今にも襲い掛かろうとしていた大量の蜘蛛たちは時間が止まったかのように動かなくなっていた。
『賢磨おじさん。あの人たち…瀬愛のこと…』
『良いよ。言わなくて。』
賢磨と呼ばれた細身のひ弱そうなおっさんの登場に侵入者全員が言葉を失っていた。
先程まで怒りで赤く点滅していた瀬愛が持つ人の瞳以外の6つの目は賢磨に頭を撫でられると透明な薄い青い色になっていた。
『ああ。えーと。君たち侵入者だね。こんばんは。僕はクロノ・フィリア No.5 賢磨っていう者なんだけど。うちの瀬愛が迷惑かけたみたいで、すまないね。』
痩けた頬に細い目と細いレンズのメガネ、痩せた体格に新しめのスーツ。外見の特徴からではとても伝説に聞く、あのクロノ・フィリアメンバーには見えなかった。
だが、視るものによればその感想も変わってくるだろう。
その細身に隠される凝縮され鍛え抜かれた賢磨の肉体を。
隊員たちは思った。目の前の細身の人物の行動が一切理解できない。
侵入者である自分達に謝罪までしてきたのだ。正直意味がわからないと。
『ははは、ならさぁ。おっさんさぁ。その瀬愛って娘に頼んでさぁ。この糸取っ払っちゃってよ。』
隊員の一人が言った。
『はて?何故だい?』
『だってさ。謝ったってことはそっちの非を認めたってことだろ?俺らも鬼じゃないしさ。解放してくれればさぁ。おっさんとその娘には手を出さねぇからさ。頼むって。』
隊員の言っていることは的を外していた。
『君たちが侵入した目的は何なんだい?』
『俺たちは、クロノ・フィリアのメンバーを拉致か、それが難しければ殺害し骸の回収って命令を受けてるんだ。』
『おい!極秘の情報だぞ!何言ってるんだお前は!』
『良いんだよ。どうせ最後は俺たちの隊長達が勝つんだし。』
その言葉に賢磨が反応する。
『それはどういうことだい?君たちの隊長さんたちは我々クロノ・フィリアのメンバーを倒せると?』
『その娘が蜘蛛を撤退させてくれたら教えてやるよ。』
『ふむ…』
少し考える仕草を見せる賢磨。
『瀬愛ちゃん。あの子たちを下げてくれるかい?』
『いいの?』
『ああ。君はまだ手を染めちゃいけない。』
『わかったの。』
瀬愛が両手を パンッ と叩くとあれだけ大量にいた蜘蛛が一斉に消えていった。
吊るされていた隊員たちが安堵の声を上げる。
『それで、質問に答えてくれるかい?』
『この拘束もとって欲しいんだが?』
『それは、君たちの話をもう少し聞いてからにさせてもらうよ。何せ、こちらも命が掛かっているらしいからね。』
『OK。じゃあ、教えてやるよ。』
気の強そうな隊員が自慢気に話し始める。
他の隊員も特に何も言わないということは、クロノ・フィリアのメンバーに勝つ手段という話を全員が信じているということかと賢磨は考える。
『お前たちクロノ・フィリアのメンバーは噂ではレベルが限界突破してるんだろう?』
『ああ、そうだね。全員レベルはMAXだよ。』
『ああ、やっぱりね。お前たちなら知ってると思うけどレベルの差はそのまま強さに反映されるよな。』
『確かに、レベルが1違うだけでも目に見えた差になって表れる。10も違えば、弱点を突くか強力なスキルでも持っていないとまず真正面からでは勝てないだろうね。』
『そうよ。でよ。俺たちの隊長クラスは全員にレベルの上限を押し上げるアイテムがギルド幹部から配られてるのよ!』
『ほお、そんなものが?』
『俺たちの隊長は全員がレベル110さ。で、そのアイテムはレベル上限を15上げた状態にするのさ。』
『つまり、隊長さんたちは全員レベルが125ということかい?』
『そぉうよ。レベルが5も違えば1人ずつ襲えば確実に始末することができるぜ。わかるか?お前たちが俺たち隊員にいくら勝とうがレベル125が5人もいる俺たちが最終的に勝つのは最初から決まってるんだぜ?』
『なるほど。確かにレベル125が5人もいたらレベル120が数人いても真っ向からじゃ勝てないね。しかも、そちらは奇襲を掛けてきている。』
それを聞いた強気の隊員が気を良くしたのか上機嫌に言う。
『ああ、そこで相談なんだがな。』
『何かな?』
『俺たちの拘束を解いて、コイツらを差し出してくれればよぉ。おっさんと嬢ちゃんだけは手を出さないように隊長達に口添えしてやる。勿論、俺たち全員でだ。これだけの人数から言われれば隊長たちも首を縦に振るしかないぜ。』
そう言った隊員は懐から数枚の紙切れを取り出した。
『これは…手配書だね。』
投げ渡された紙はクロノ・フィリアに懸けられている懸賞金が乗った手配書だった。数は5枚。
『元々、おっさんたちは手配書に乗っていない顔だろ?だから、俺たちが何も話さなければ、おっさんとお嬢ちゃんがギルドに追われることもない。そう俺たちが『言わなければ』な。』
『つまり、僕たちが助かりたければ仲間を売れと?』
『辛いだろうが全滅するよりはマシだろう。』
『なるほど。』
賢磨が手配書をパラパラと眺める。
『何故この5人なのかな?』
渡された手配書に写っていたのは5人。
閃 無凱 白 春瀬 そして、豊華。
『男2人は上層部の連中が血眼になって探してるからな。女3人は俺たちが投票して人気だった奴らよ。俺たちのオモチャになって貰うのさ。』
『………』
目を閉じ顎に手を当て何かを考えている賢磨。
『その考えは此処にいる君たち全員の意思かい?』
『ああ、そうだぜ。だから、な?』
拘束されている状態なのに自分たちが優勢と決めつけている者たち。全員が首を縦に振る。
『あい、わかった。瀬愛ちゃん。行こうか。』
『うん。』
瀬愛の小さな手を取って抱き抱える賢磨。
『あれ?おいおい。おっさんどこ行くんだ?』
突然、ビルの出口に向かって歩き出す賢磨に拘束されている全員が困惑した。
全員が最大の切り札である提案を受け入れて貰えるものだと思っていたようで言葉につまっている。
『君たちは幾つか勘違いしている。』
『な、何が?』
立ち止まり首だけを向けた賢磨が言う。
『1つは、クロノ・フィリアのメンバーは全員仲間は売らない。全員が互いの実力や人柄を知り尽くしているからね。対立はあっても、第3者に例えちょっとした個人情報だとしてもメンバーが不利になるようなことは外部に漏らさない。』
『…なるほど、交渉は決裂したってことか?』
『まあ、そうだね。それで、2つ目は、僕らクロノ・フィリアのメンバーのレベルは120じゃない。』
『え?そんなバカなことがあるか?ゲームを最初にクリアしたんだぞ?上限のレベル120じゃないなんて有り得ないだろうが!じゃなきゃ世界レベルでお前たちが警戒されてる意味がわからねぇ!』
レベルの最大値が120だと思い込んでいる隊員たちに動揺が走る。
『いや、勘違いはそこだよ。僕たちのレベルは120じゃない。正確には全員が150さ。』
『…え?ひゃ…ひゃく…ご…じゅう?』
『そうだよ。君とさっき話しただろ?レベルが5も違えば真っ向勝負での勝ち目は薄くなるってさ。つまり、アイテムを使って最大でもレベル125では、能力を仕様したとしても君たちには勝ち目が無いんだよ。』
『う、嘘だ!有り得ねぇ!レベル150だ?バカじゃねぇの!助かりたいからってそんな嘘言ったって無駄なんだぞ!』
『ああ、そういうのいいから。もう、君たちとの時間は僕にとって浪費でしかないからね。』
『おい!待て!どこに行きやがる!とっととこの糸を取りやがれ!』
既に出口に付近まで歩き出していた賢磨を必死に止める隊員たち。
そして、あと1歩というところで賢磨は立ち止まる。
『賢磨おじさん?』
立ち止まった賢磨に疑問声を上げる瀬愛。
『最後に1つだけ。』
『え?』
出て行ってしまうと思われていた賢磨が立ち止まったことを疑問に感じたのは瀬愛だけでなく隊員一同全員だった。
『さっき、君たちが僕に渡したリストにあった豊華っていう人はね。僕の奥さんなんだ。』
『は?』
何よりも静かで何よりも重い、その言葉を最後にビルの外に出る賢磨と瀬愛。
そして、振り返った。
『勝手に人の嫁に手ぇ出そうとしてんじゃねぇよ!』
周囲を一瞬で包んだ怒気を纏った殺気と放出された魔力に あらゆるモノ が崩壊した。
『なんだ!?』
建物ごと物凄い揺れが侵入者たちを襲い平衡感覚を狂わせる。
『ぐばっ!?』
今度は拘束されている状態から圧倒的力で床に叩きつけられ数人が絶命。生き残った者も更に襲い掛かる圧力に全身の骨や臓器が潰れていく。
『だ…だず…げ…ぺっ!』
最後は全員が崩壊する建物の下敷きとなり命を落とした。
『おじさん。』
『なんだい?瀬愛ちゃん。』
『建物無くなっちゃったよ?』
『また、やってしまったようだね。どうも、豊華さんの事となると我を忘れてしまう…。』
崩壊した後も更に高重力の圧力に潰されたビルはその場所に最初から何も無かったかのように綺麗な平地となっていた。
その跡地を眺めながら頬を指で掻く賢磨。
と、かける言葉を見失っている瀬愛だけがその場に居たのだった。
『さて、戻ろうか。』
『うん。早くお兄ちゃんに会いたいな。』
『ははは、すぐ会えるよ。そろそろ閃君たちの方も終わる頃合いだしね。』
『うん。おじさん。早く行こー。』
上機嫌に手を引く瀬愛に優しく微笑みながら、後で消滅したビルのことを無凱に相談しようと考える賢磨であった。