美しくも儚い姉兄妹愛
「きゃああああ!倉科舞じゃん!」
はあ…。嬉しいんだよ、嬉しいんだけどさ、朝っぱらからそんな大声出さなくてよくない?しかも今日は入学式なんだよね。正直言って今遅刻しそうなの。まあこんなこと言えないから言わないけど。
「おはようございます。ありがとうございます。知っていただけて光栄です。」
とりあえずはにかんでおく。親もこの仕事してて、わたしも一応売れてるからこう言うふうに声をかけられることは割とある。まあ時間ないから急ご。
「まーいっ」
肩を叩かれ振り返ると爽真と翼と涼介が立っていた。3人とは幼なじみだ。爽真は涼介の兄で高二だから一つ上。翼、涼介、わたしの3人は今日から爽真が通っている、県で学力スポーツともに一二を争う国からも認定を受けた星野ヶ丘中央高校に通う。この高校には一風変わった校則がある。それは…卒業までに本当の恋をすること。今までに数々の学園ラブコメの主人公を演じてきたけど、心が揺れる、わたしの王子様に出会ったことは今まで一度もない。同級生の女子たちは、恋愛したことがあるのに…。どこを受けるか聞かれた時、この高校にしたのはこの校則があると知ったからだ。
「舞、緊張してるの?ぼうっとしてるけど。大丈夫?」
「大丈夫。心配させてごめんね。爽真兄。」
カンッ。何かが落ちる音がした。パカっ。ペンダントが落ちた表紙に開いた。
「紗夜姉、流星兄…?」
わたしの姉、兄が写った写真だった。
慌てて翼がしまった。
「どうして…?」
「紗夜さんと流星さんにもお祝いして欲しいじゃん…。」
涙が伝った。そうだった。わたしに恋なんてする資格なんてないんだった。なんでここにきたんだろう。どうせ校則破るに決まってるのに。恋する資格さえ…わたしにはないのだから。
わたしには、紗夜という美人だけど体の弱い姉とイケメンで優しくて、スポーツも万能の兄、流星がいた。うちの親は母親も父親も芸能界屈指の美男美女で、大恋愛の末に結婚したこともあって常に周りにはマスコミがいた。中学生になった時流星には恋人ができた。親は高校生になったら芸能界に入れようと思っていたらしいが、恋人の話を聞くと、自分たちの恋愛が苦しかったことを鑑みて芸能界入りさせるのを諦めた。姉は元々体が弱かったため、芸能界入りは考えていなかったようだ。そこでわたしに芸能界入りの話が回ってきた。そんな頃、入退院を繰り返していた姉が亡くなった。姉は最後までわたしの芸能界入りをやめさせようと両親を説得し続けてくれていた。兄は自分のせいでわたしに芸能界入りの話が回ってきたと考え、大好きだった彼女に別れを告げ、自分の命を持って両親を止めようとしてくれた。それでも…わたしを半ば強制的に芸能界に入れさせた。でも最終的にこの話を承諾したのは誰でもないわたしだ。末っ子のわたしは、兄姉が優秀だったため今まで何も期待されずに育ってきた。だから少しでも期待されているというその事実だけでわたしの心を動かすのに十分だったのだ。その小さな選択がたくさんの悲しみ、苦しみを生むことになろうとも知らずに。
「えっ舞!?」
「ご、ごめん!俺がこの写真見せたから…」
いつの間にかほおを涙が伝っていた。
「ごめん、取り乱しちゃった。もう2人が亡くなって3年経つんだしそろそろ向き合わなくちゃいけないとは思ってた。だから、いい機会だったんだよ。ありがとね。」
「じゃあ、入学式行きますか、新一年生たち!」
そう。この高校に入学するということは、きちんと姉、兄の死に向き合わねばならないということ。今日から始まる高校生活で一番大事なこと。お姉ちゃん、お兄ちゃん。ごめんなさい。芸能界には入っちゃった。でも、これから自分の生き方、探すから。見守っていてください。
「只今より、星野ヶ丘中央高校入学式を行います。」
『みなさん初めまして。校長の三島相馬です。君たちに話すことは一つ。恋を見つけてきちんと卒業してください。以上!』
短っ。眠くならないのはいいことだけど。
「舞ー何組だった?俺A組。」
「わたしも!そっかあ。翼と一緒かあ。心強いな。」
「俺C組。離れたな。」
「でも涼介なら大丈夫だろ。」
「まあな。」
空には綺麗な青空が広がっていた。
翌日。
「おはよっ!」
「ああ、翼かあ!びっくりした…。」
「友達できるかなあ?」
「翼なら大丈夫だよ」
ガラガラガラガラ。トントン。
「ごめん、あなたたちイチャイチャしたいならもっと別の場所でしてもらえないかしら?邪魔。」
「ごめんなさい、イチャイチャではないですけど。扉の前で雑談なんて邪魔過ぎましたよね。」
つかつかと歩いていく女の子。
「担任の田辺だ。これからみんなには自己紹介をしてもらう。まあ、校則のことも考えたら、お見合いパーティーみたいな気分でやればいいと思うぞー」
担任の先生は結構なイケメン。
「婚活パーティーなんて行ったことないんでわかりませーん」
「てゆーか先生結構イケメンじゃん。ここって先生との恋愛も許可されてるんだよね?」
パンパン。
「静かに。校則のことから話そうか。校則で君たちが一番気にしているのは『卒業までに本当の恋を見つけなくてはいけない』という点だよね。わかりやすくいうと、卒業までに誰か恋人を作る。まあでも、それをするだけなら本当に好きな人でなくても偽造彼氏、偽造彼女になりやすいよね。だから、まあ…うん。わかりやすくいうと体を重ねるところまでが判定になるかな。」
「「「きゃああああああああああああああああ」」」
「えっ。てことはせんせ、この学校ヤリ部屋とかあるの?」
「ちゃんと校則読まなかったのか?最初の一ヶ月までは家から通ってもいいけれど来月からは全寮制になるからな。その準備期間だと思え。」
「でさ、先生。先生彼氏にするのはありなん?」
「それはありだ。」
「じゃあ、わたし狙っちゃお」
はあ。疲れた。っていうかどうやって本物の恋をしたかなんてわかるの?とは思ってたけどまさかねえ。高校がそんなこと率先して進めたりしないだろうと思っていたのにさあ。そんなことありなの?文科省は見過ごしてていいわけ?
「せんせー。文科しょーはそんなんで許すの?」
翼聞いてくれた。いつも思うけどどうやって心見透かしてくるんだろう。
「おーそりゃあ、運動の点数と学業の点数とかいろいろな点数合計したら国内一位だからな。あー言い忘れてたが学業もちゃんとしないと知らねーぞ。せっかく家に帰れる長期休暇まで補習で過ごしてたら親も悲しむし恋できねーぞ。」
「あーそーだ先生校則破ったらどうなるか知らないんだけど。」
さっきからめっちゃみんな質問しまくってるけれどわたしって静かな方なのかな。
「あーもうめんどいんであとな。とりあえずお前から自己紹介して。なんか顔見たことあるし。」
えっわたし?めんどくさい。
「えーっと、倉科舞です。趣味は…ドラムです。皆さんと仲良くしたいので、話しかけてくださると嬉しいです!」
「倉科舞ってあの!?」
ギャルっぽい女の子が聞いてくれた。普通の人なら喜ぶところだろうけど、わたしは芸能界入りしてしまったんだと思うと胸が痛む。だからついつい営業スマイルになってしまう。
「はい。知ってくださっているなんて光栄です。」
「時間ないんだから次行けー」
二時間目は国語。
この学校には10分休憩が本来はあるんだけど担任の田辺先生にみんな質問しまくっていたらいつの間にか休憩時間は残り30秒を切っていた。トンっと肩を叩かれた。
振り向くと、隣に座っている翼がおねだりポーズをとっていた。
「何がないの?」
「舞ちゃーん!やっぱり以心伝心だあ!えっとね、0.5ミリのシャー芯と1.3ミリのシャー芯とオレンジ色のマーカー」
いつも思うんだけど、翼の筆箱の中身ってなんか不思議なんだよね。普通の人が持ってないものまで入ってる。でもすごいこだわり強いからそれじゃないとダメなんだよね。それで、私と涼介は翼の筆箱とほぼ同じ筆箱を作って持ってきてるんだよね。
キーンコーンカーンコーン。
「はい、ここから使って。」
とりあえず投げといた。ガラガラガラガラ。
「みなさん初めまして。このクラスとC組の国語科を担当します、岡原千佳です。よろしくね。」
う…そ…。千佳さんなの…?信じたくない。信じたくないけれど、今目の前に立っているのはお兄ちゃんの彼女だった千佳さんにしか見えない…。もう、出会いたくなかった。出会えばまたあの苦しみに私も千佳さんも飲まれてしまう。そんなこと、あってはいけないのに…。どうしてこうも運命は残酷なの?私だけじゃない。千賀さんだってできればもう二度と私とは顔を合わせたくないだろう。最愛の人と永遠の別れをしなくてはならなくなったきっかけの私を、その命を無駄にした私を千佳さんは決して許せないだろう。お兄ちゃんは、私の芸能界入りを止めるために命を捨ててくれた。ただ、自分が死ぬことで悲しむであろう最愛の彼女…千佳さんとは最初から縁を切って悲しませないようにしようとしていた。そこで苦しみながらも『他に大切にしたい人ができた。もう君のことは愛せない。会うこともないだろう。』と伝えていた。お兄ちゃんは遺書に全てを綴っていた。その遺書が見つかったのはわたしが芸能界入りしてからのことだった。うちの親が…中身を見て隠していたらしい。しかし、わたしが芸能界入りをしっかりした頃を見計らって出してきた。それを読んだ千佳さんは大号泣していた。『千佳、ごめん。心にもないことをたくさん言って千佳のこと、傷つけたね。本当はもっと千佳と楽しい時間を過ごしたかった。でもうちのわからずやの親がしようとしていることをなんとしても止めなくてはならなかったんだ。ごめんね。俺よりもっといい人を見つけて幸せになれよ。約束だ。』とちかさん宛の遺書には書いてあったらしい。千佳さんは最愛の人の命を奪ったとも言える私のことを恨むようになってしまった。それは仕方がないことだと思う。どこかに自分の気持ちを吐き出さなければ千佳さんは壊れてしまいそうだったから。その矛先が自分であって良かったとさえ思っていた。でも元々優しい千佳さんは最愛の彼の妹を傷つけてしまったと余計苦しむようになってしまった。その姿を見ているうちに私も何かが壊れてしまった。
コトン。先生がチョークを置いた。
「漢字は、こんなふうに書きます。今日は1日目なので先生の自己紹介から始めましょうか。最後の十分くらいになったら皆さんから自己紹介をしていただけたら嬉しいです。」
漢字も声も…千佳さん。どうしよう。もう二度とちかさんを壊したくない。もう二度と…。トンっ。何かが飛んできた。ノートの切れ端を丸めたものだ。翼の方を見ると開けてみてと言わんばかりにウインクをしてきた。『舞。大丈夫?震えてる。』気づいてたんだ。幼馴染の目は誤魔化せないんだね。『ダイジョーブ!集中しといてね』と返した。
「何か質問はありますか?」
チャラい石黒くんが手を挙げた。
「先生彼氏いんの?」
「…いないよ。昔はとても愛おしい人がいたけどね。」
「へえ、どんな人?」
「私はいいけれど他の先生に恋愛関係について根掘り葉掘り聞いてはなりませんよ。この高校の先生たちはみんな恋愛について何か事情を持っているのです。その中には話したくないものもたくさん含まれているでしょう。私はお話ししますが決してこれからそのようなことを聞かないようにしてください…。」
お兄ちゃんのこと、話すのかな。動揺しちゃだめ。バレる。はあっはあ。苦しい。息ができない。ガシャん!倒れてしまった。
「大丈夫ですか!?おなまっ」
千佳さんの顔も見る見るうちに青くなってしまった。
「どう…して。なんで流星の命を無駄になんてしたのよ!ねえ!」
「ごめんなさい!私も後悔してるの!でも今更後戻りなんてできない。だから…私 自身の身を滅ぼすことにもなるけれど、両親に復讐したい。」
そうか…咄嗟に出た言葉だったけどこの手があったのか…。
「勝手にして…!もう私と関わらないで!誰も傷つけたくないの!」
「待って千佳さん。私がここにきたのは恋を見つけることで自分を見つめ直せたらと想ったから。それで最善の方法を思いついた。千佳さんも兄の死と私とそしてちかさん自身と向き合うためにここにきたんだよね?」
「そうよ…。でも復讐を手伝うのはごめんだわ。もう私はあなたたちと関わりたくないの!」
「わかりました。ごめんなさい。岡原先生」
ふっと意識が飛ぶ感覚がした。
「舞!舞!起きて!」
「あ…つば…さ」
「良かったあ。あのさ流星さんの彼女って…」
「そう。千佳さん。入学して2日目にしてこれはきついなあ。みんな驚かせちゃったよね。」
「まあ少しは驚いただろ。でも舞の人気すごいから大丈夫でしょ」
左耳の耳たぶに触れながら話している。うそ…だ。翼の小さい頃からのくせ。嘘をつく時決まって左耳の耳たぶを触っている。みんな、そんなに驚いていたんだ。申し訳ないな。人気の方は…嘘でないことを願いたい。まあいいか。
3時間目は、数学の予定だったがさっき千佳さんが情緒不安定状態で教室から飛び出してきたこともあり自習になっていた。
「ふー。」
深呼吸して、教室の扉を開ける。ガラガラ。みんなの視線が一斉に集まった。中には担任の田辺先生がいた。スマホゲームをしていたらしいが私に気づくとふっと顔を上げた。そして相談室まで私を連れて行った。
「岡原先生と何があったんだ?初めて会った人ではないんだな。」
言うしかないよな。
「岡原先生、いえ、千佳さんは私の兄の彼女でした。私の兄は私のために命を捧げました。でも私は…私は!その命を無駄にしてしまいました。安易な、安易な考えで!千佳さんがさっきの授業で言っていました。先生たちみんな恋愛に事情を抱えていると。ここまで話しちゃってから言うのは遅いとはわかっていますけど…この話、先生に話してしまっても良いのでしょうか?」
「それは大丈夫だ。許可をとってある。生徒指導に必要なら、と答えてもらった。」
「それなら良かったです。では続きをお話ししましょう。兄は亡くなる直前、ちかさんに嫌われようとしました。自分が亡くなったあと悲しまないようにと、いくつかのひどい言葉もかけていました。兄は遺書に全てを記していました。死を選んだ理由、大切な人への手紙、愛する人への最期のメッセージ。千佳さんはそれを読んで兄の死が私のためであったことを知りました。千佳さんは私を恨むようになりました。時には傷つけられました。でも元々優しい千佳さんは私を傷つけてしまったことに対して苦しむようになっていきました。そんな千佳さんといるうち私もだんだんとおかしくなっていきました。」
はあっはあ。もう無理。向き合わなきゃ行けないって思ったけど口に出せば出すほど苦しみに飲まれていく。
「今日は、そこまででいいよ。落ち着いたら話しにおいで。まあ、生徒指導のためといえども君だけに全てを話させるのはフェアじゃない。私の話も次来たときにしてあげよう。では、教室に戻って。簡単に説明しようね。」
私には頷くことしかできなかった。もう何も考えられなかった。
ガラガラ。田辺先生が先に教室に入っていく。少しの間外にいろと言われた。
「倉科ー入れ。簡単に話せ。」
「まず、ご迷惑をおかけしてごめんなさい。なんとなく勘づいている方もいらっしゃるかもしれませんが私と岡原先生は初対面ではありません。岡原先生がここに来る理由になったであろう事件には私もとても深く関わっています。そのこともあり顔をあまり合わせたくない存在であるのです。顔を合わせれば相手をきずつけてしまう。だから会いたくなかった。取り乱してしまってすみませんでした。今はまだ軽く混乱していて詳しくはお話しできませんが、いずれ必ず岡原先生とともにお話しします。これから、よろしくお願いします。」
なんか軽くなった。ぎゅっ。抱きつかれた。
「舞ちゃん、そんな固い挨拶なんてしないでよ!私たち、もう友達じゃん!同クラなんだし。」
櫻井佳織ちゃんだ。あのちょっとギャルっぽい子。
「ありがとう!!」
純粋に嬉しかった。
「ちょっと待って。佳織ずるいよお!私たちだって同クラだし!友達だし!抱きつきたいよ!」
「だーめ。まいちゃんは私のヒロインなの!」
ふふっ。このクラスで本当に良かったな。
今日は4時間授業だったんだけど、事件があったせいで一時間目以外パーになってしまった。謝らなきゃ。
「あの!申し訳ございませんでしたっ!こんなに授業減らしちゃって…。」
「なーに言ってんの。そんなに硬くならんとってよ。ねえ?」
と佳織ちゃんがみんなを振り向く。みんな頷いてくれてた。このクラスで本当に良かった!
今日は色々あったけど楽しかった。パタン。紗夜姉が教えてくれた日記。ずっと書いてる。紗夜姉が亡くなる前日から。入退院を繰り返していた紗夜姉は、楽しいことをいつでも思い出せるように毎日日記をつけていた。日記に書く内容は必ず明るい内容。どれだけ苦しい治療中でもネガティブなことは決して書かない。でも、とうとう立ち上がることもできなくなった頃。日記に書く内容が少しずつなくなってきた。そこで、私に書いて欲しいと頼んできた。少しでもお姉ちゃんのためになるならと快く承諾した。そこから一日も欠かしていない。
今日はたくさんありすぎて疲れたから早く寝ようっと。
…ん…?お兄ちゃんっ!生きてる!
「お兄ちゃんっ!生きてたんだ!良かった…ほんっっとうに良かった…。みんな心配したんだからね?もう!」
「舞、よく聞いて。これは、夢だよ。僕はもう…この世にはいない。だけどね、舞のことはいつも見守ってる。紗夜姉もそうだ。僕は明日から舞が僕が昔あげたペンケース…そう、毎日学校でつか使ってくれているそれを開けたら出てくる。ずっと舞の近くに行きたかったけど、時間かかっちゃったね。ごめんね。今までは舞のそばに行くための準備期間だった。これからは一緒にいるから、安心してね。今までもちゃんと見守ってたから。」
「お兄ちゃん…嘘だよね?うそだよ!お兄ちゃんは生きてる!だからっ!」
「舞。日記。ちゃんと見返してみな。お兄ちゃんは、もう、いない。だけど、舞の近くにこうしてまた来れたから、たくさん話してくれ。あと…。今日、千佳にあったんだな。心配するな。お前のせいじゃないから。」
ふっ。少し微笑むとお兄ちゃんは消えた。本当…なのかな…また、もう一度!お兄ちゃんに会えるのかな?会いたい…会いたい!
リリリリリリリリ。リリリリリリリリ。
んっっ。朝か。筆箱…開けよう。
ジーッ。チャックを開けると…
「おはよう!舞。」
「お兄ちゃんっっ!」
会えた…!会えた!本当だったんだ。良かった…!
「舞、そんな大きな声で叫ばないで?母さんたちに聞こえるだろ?この姿を生きた人間が見ることができるのは、僕らが選んだたった1人に対してだけだから。声が聞こえるのももちろん舞だけ。だから舞がまた精神状態が悪化したと思われるぞ?」
「あっ…ごめん。」
わたしだけ、か。嬉しい。
「千佳のことだけど…あんま気にすんなよ。大丈夫だから。」
「うん。」
家を出て、学校に行くまでの電車の中でも、お兄ちゃんと話したかったわたしは開いた筆箱を手にして何も流れていないイヤホンをとりあえずつけてスマホでお兄ちゃんに向けてのメッセージを打っていた。多分周りから見るとかなり異様な光景だったと思う。その証拠にこんなにもクラスメイトの視線を今浴びている!
「おはよー舞ちゃん。今日筆箱開けたまま手に持ってきてたでしょ?ちょっとびっくりした…すごい面白かったよ(笑)」
「あ…本当?ごめんごめん…昨日宿題したまま寝落ちしちゃってその時イヤホンつけてたから急いで放り込んできちゃったんだよね。」
一応嘘はついてないけどかなり苦しい言い訳だなこれ。
「マジで?(笑)かっわいー。舞ちゃんひょっとしてかなりドジっ子?すっごいかわいーんだけど。」
「え、ドジなのかな?」
佳織ちゃん優しいな。ちらっと開けておいた筆箱の方を見るとお兄ちゃんが大爆笑している。なんなのよ、もう。はあ。なに?テレパシーとか使えないのかな?
「ごめん佳織ちゃん、わたしちょっとトイレ行ってくる。」
とりあえず筆箱はポケットに入れていこう。
「ちょっと、もう。なんでそんなに大爆笑するかなあ。」
「いや、だってそりゃ変にみられた後の言い訳おかしすぎるでしょ。まあ、舞が話してもいいと思った1人だけには話したら一応俺見えるんだけどね。でも、それは彼氏とかにして欲しいからぁ。まだやめてね?」
そう言ってウインクする兄。いつの間に俺って言い出したんだ?というか、元々一人称俺だったのに僕にしてた時点でちょっとびっくりしたけど。
「あ、今舞一人称のこと考えてたでしょ。」
「は!?なんでわかるの?待ってまさかテレパシーとか使えるわけ?」
「まあな。お前が考えてることはわかる。だから人が周りにいる時でも考えてくれたら一応話はできるぞ?どうせ俺の声は聞こえねえからな。」
まじか…!なら話を切り上げてまでトイレに来る意味なかったじゃないかっ!もうっ!やっぱり考えていることがわかるようでわたしの心を読んでは大爆笑している。お兄ちゃんと、もう一度会えて良かった、と心の底から思った。起立。委員長の号令が聞こえてきた。お兄ちゃん、また後でね。と心の中でつぶやいた。
高校生活3日目の朝の号令を迎えた妹を見ながら、俺は昔のことを思い出していた。
俺がこの世の人間ではなくなったのは、たった1人の可愛い妹の芸能界入りを止めるためだった。ある日の夜、喉が渇いて起きてキッチンに行こうとしていた。そんな時、まだ煌々と電気がついているリビングで両親が何か話している声が聞こえた。昔から親にはなんとなく嫌悪感を感じていた。自分で言うのもなんだが、俺と紗夜姉はかなり色んな意味で優秀だった。女子、男子共に優秀な子供を持ったうちの親は、3人目の子供…舞に期待をかけなかった。舞なんかどうでもいいと言った彼らの態度に紗夜姉と俺は流石に嫌気がさしていた。
「やっぱり流星にはなんとしても芸能界入りさせたいわね。」
「当たり前だ。スタイル、顔、声も完璧な流星は絶対させなければならん。紗夜は体が弱かったからできなかったが、もし体が強ければ紗夜にも芸能界入りをさせていたところだ。舞は…まあその次でもいいだろう。とりあえず流星を流行らせたいからな。舞が行くのはかえって邪魔だ。」
なんなんだ、うちの親は。俺らのことただのコマとしか思ってねえのか。というか…俺は芸能界入りしたくねえんだよな…などと考えていた。しかしこの時の俺は、それ以上にぜっったいに芸能界に入りたくないという気持ちでいっぱいだった。この時の俺には最初で最後の彼女がいた。とても優しくて笑顔が晴れやかで、一緒にいてとても幸せな気持ちにさせてくれる人だった。芸能界に入ればどす黒い世界が待っていることは知っていた。彼女をその渦に巻き込みたくはなかった。だから、俺は、この場で言ってしまったのだ。
「父さん母さん、俺芸能界入りたくない。」
「何を言っているの!あなたは絶対入らなければだめよ。それとも何か入りたくない理由でもあるの?こんなにいい男に産んであげたのに、まさか納得できる理由もないのに芸能界に入りたくないなんてないわよね?」
はっきり言ってドロドロの芸能界など嫌だ!と言いたかった。だが、そんなことを言えばどんな報復があるかわからない。
「父さん、母さん…2人とも大恋愛の末に結婚したんだよね?ならわかるよね?俺が彼女を大切にしたい気持ち。俺…彼女できたんだ。」
「なるほどな。確かに父さんと母さんは大恋愛をした。お前が彼女を大切にしたい気持ちもよくわかる。父さんも母さんを大切にしたかったからな。よし。わかった。お前の芸能界入りはひとまず却下だ。」
「あなた…そんなんでいいの?確かに、流星の彼女さんも尊重すべきだわ。だけどそれとこれとは話が別でしょう!?」
父さんには見えてなかったところをつかれて俺は少し慌てた。だが。
「別にいいじゃないか。俺たちだって芸能界という大きな壁の所為で交際も結婚も大変だったじゃないか。」
「まあ、そうだけど…。わかったわ。認めればいいんでしょ、認めれば。流星、あなたの芸能界入りは諦めるわ。」
この時の俺はそれで安心しきっていた。アイツらの腹黒さを忘れていたから_。
翌日。家族会議が病院の紗夜姉の部屋で行われた。紗夜姉は一応芸能人でかなり有名な両親の娘というだけあって特別室で治療を受けている。だから、5人程度の人ならば集まって会議をしても他の患者さんには迷惑はかからない。このような家族会議の議長はいつも母さんだった。パンッパンッ。母さんのこの拍手の音で開会が宣言される。
「それじゃあ。始めるわね。今回急に集まってもらったのは、子供達が一番心配しているであろう芸能界入りのお話をするため。まあ、正確には芸能界入り、じゃなくて芸能界入りしなくてもいいよというお話なんだけど。まず、紗夜。貴女は体が弱いから芸能界入り、しなくて良いわ。その代わり、いつも通りお勉強頑張りなさい。」
常に上から目線のこの母親には紗夜姉も俺もいい加減嫌気がさしていた。しかし、ここで反論したところで余計なヒステリーを起こさせることになるだけだということは今まで身に染みて知っている。だから余計な反論は一切しない。
「わかりました、お母様。」
紗夜姉の常套句だ。母さんは紗夜姉からお母様と呼ばれるのが大好きらしい。紗夜姉は基本的にこの答えしかしない。もう親に期待をかけることも無くなったらしい。この答えで親から何も言われないようにしている。言わば、紗夜姉の拒絶反応なのだ。それに気づかない母さんは気をよくするからこのやりとりが続いていた。
「次に。ここからが問題なのだけれど、流星の芸能界入りは諦めることにしました。なんと!流星に彼女ができたんです!素晴らしい!」
パチパチパチパチ。全員からの拍手を受けて少し恥ずかしかった。
「それでね、流星の代わりに舞に芸能界入りしてもらいたいの。いいわね?」
もうその目は有無を言わせない目だった。俺と紗夜姉は衝撃が走ったお互いをチラリと見ながらどうしようか目で相談した。そこで、とりあえずこの場をやり過ごすことが先決だ、ということで従うことにした。
「「同意します。」」
母さんは満足したように頷き、
「なら、決定ね。」
と言った。千佳と同じくらい舞も守らなくてはならなかったのに…なぜこんなことになったのだと両親を恨んだ。しかし、こうしている暇はない、とすぐに気づいた俺は上手く両親と舞を追い出すと紗夜姉とすぐに打ち合わせを始めた。
「紗夜姉。あれじゃ、意味ないじゃないか…どうしたら舞の芸能界入りを止められる!?」
「わかんない…わたしも止めたくて仕方ないのよ!あなたに父さん母さんの結婚物語を聞かせたのも全てあなたたちを守るためだったのに…一番純粋で守ってあげなければいけない存在を一番危険なところに放り出すなんて。絶対阻止しなさい。」
「わかってるよ!んなこと理解してる!いくら俺でも馬鹿にされるほど学力低いわけじゃねえからそれくらいの理解できる!」
「そうね。あなたは賢いわ。少なくともわたしよりずっと。」
ずっと普通に勉強したくても出来ず、ひたすら病院で独学で勉強してきた姉に、俺はなんということを言ってしまったのだという後悔と、冷静な姉を前に激しく恥ずかしくなった。
「ごめん、姉さん。」
「何言ってるの。ふふっ。…ねえ、流星。あなたに渡しておきたいものがあるの…わたしがいなくなる前に。」
「何言ってんだよ。姉さんは大丈夫だって。今までだって辛いことなんでも乗り越えてきたじゃないか。だからそんなこと言うなって!」
俺がこういうと、紗夜姉は力なく笑った。
「うーん。わたしはもうそろそろかなと思う。でも、あの母親のことだからそんなこと言ったら舞に付き纏い始めて大変でしょ?だから少しでもこっちに引き留めるために看護師さんにも口止めしてたんだけど…ん。」
そう言うと、紗夜姉は、横に置いていた体温計で自分の熱を測ってみせた。
「!?こんな…こんなすごい熱なのにあんなくだらない家族会議なんかに出席してたのか!?いくら姉さんでもこれは危険だろ!」
「でも!でも、仕方ないじゃない…あなたも守れなかったのに、あの子まで傷つけたくないの!わかってよ…。」
それだけ言うと、紗夜姉はよほど今まで相当苦しかったのか軽く吐血した。ナースコールを押そうとしたら、
「ま…って…」
と言う微かな声が聞こえて一瞬手を止めてしまった。そこで振り向くと。紗夜姉が大量吐血し、ベッド中が真っ赤に染まっていた。紗夜姉は意識を失っていた。頭の中が真っ白になった俺が固まっていると、そこに舞がやってきた。舞は驚いてナースコールを押してくれた。
「…ちゃん!…にいちゃん!…お兄ちゃん!」
俺が次に目を覚ました場所は紗夜姉の病室と同じような特別室だった。
「よかったお兄ちゃんまでたおれちゃうからっっ。」
そう言って舞は泣き出してしまった。そこで倒れる前のことを鮮明に思い出してきた。
「舞!紗夜姉は!?」
「隣だよおお。」
よく耳を澄ますとかなりの騒がしい声が聞こえてきた。どうやら紗夜姉の病室とこの病室は中扉で繋がっているようだった。扉は閉めてあったから詳しく聞こえなかったから、舞に頼んで車椅子に乗せてもらい、扉を開けた。そこで飛び込んできた光景に俺も舞も衝撃を受けた。
紗夜姉には大量の管が繋がれていた。俺たちはしばらくの間そこで紗夜姉の処置が終わるのを黙って見守りながらただ突っ立っていた。しばらくそうやって突っ立っていると、紗夜姉の主治医が俺たちを呼んだ。
「こちらにお集まりの皆さんは倉科紗夜さんの、ご家族の皆さんのみですね。それでは…お話しさせていただきます。倉科さんは、恐らくあと数日持つか持たないかというところでしょう。」
みんなショックでなにも言えなかった。舞も凍りついていた。紗夜姉、舞にそんな顔させたくて生きて来たのか…?違うだろ!今すぐにでも怒鳴ってしまいたかった。でも、さや姉が命をかけて守ろうとした舞の笑顔を壊したくなくて、何も言えなかった。
翌朝、前日の天気予報と打って変わって、急に晴れた。前日に泣き疲れてさや姉の病室で寝ていた舞から突然着信があった。
ルルルル。
「お兄ちゃん!?さや姉が目を覚ましたよ!」
「本当か!?病院の先生はなんて言ってる?」
そう俺が聞くと、舞は急に歯切れ悪くなった。
「えーっと。やっぱりこれ先生たちに伝えたほうがいいよね?」
どういうことだ。もう9時を回っているというのに朝ごはんも持ってこなかったのか。
『舞、やめておきなさい?私からの最後のお願い。病院関係者と両親には何も言わないでおいてほしい。』
「でも…」
ここで俺はやっと気づいた。あいつら…腹黒い真似しやがって。病院まで買収済みなのか。
「舞。さや姉と変わってもらえるか。」
「うん、いいよ。」
「紗夜姉、スピーカーオフにしてくれ。」
「りょーかい。」
「病院まで買収しやがったのかあのクソ親父は。」
「うーん。推理はおおかたあっているけど少し違うわね。この病院ってね。芸能人とかVIPの女性がよく使うの。もう、わかったかしら。」
そうか。つまり、枕…。あのクソ母め。
「ねえ?今枕だと思ったでしょう。それも少し違うのよねえ。正確には健康かつ美しい娘をここの院長の息子たちに嫁がせるため、ね。」
やっぱり紗夜姉の推理は想像を超えてくる。そしてそれが外れているところを見たことがない。
「紗夜姉、最後に教えてくれ。なぜそこまでの情報が入っていたんだ…?」
さや姉はクスッと笑った。
「ふふっ。教えない。でもきっと彼らはあの子が芸能界入りしたとしても染まらないように守ってくれるはずよ。私が見込んだ子達だもの。どうしても知りたいことがあれば、彼らが作るもう一つの私を探しなさい。」
そこまでさや姉が言った頃、晴れているのに雨が降り始めた。とともにさや姉は激しく咳き込み始めた。
「紗夜姉!?」
電話の奥からはすすり泣く妹の声と、音のならないナースコールを連打する音だけが響いた。
「ま…い。芸能界であなたは必ず母を超える。その時には東京で1番高いところを目指しなさい。」
ピーピーピー。無機質な音だけがただひたすら聞こえていた。
そう不思議なまでの静けさだった。その時、さや姉の話を思い出した。
健康で美しい娘を…息子に嫁がせる…。少し嫌な予感がよぎったが、ふと見上げた東京スカイツリーの上だけがうっすら光っているように見えた。